控え室の椅子に体を預ける俺は、蒸したタオルを顔に被せて天井を見上げていた。
URAファイナルズ決勝戦──ジュニア、クラシック、シニアの3年を駆け抜けた者が集う、今の世代でトップクラスの実力者たちの決戦場。
そんなところに俺が居るのは、間違いなく実力あってこそだ。しかしてそれも偶然の産物なのではないかと、自分を卑下してしまいたくなる時が、不定期に訪れるのだ。
「──いかんな」
もうすぐレースが始まるというときに、このネガティブは不味い。タオルを取り、席を立って体をほぐすと、俺は勝負服に着替える。
この場に、俺以外は誰もいない。タキオンにすら、観客席で見ていろと伝えている。
そして薄い装甲のような、鮮やかな蒼に白い装飾のライダースーツを前を開けて着込む。
ばさりと服の下に入った後ろ髪を外に広げて、それから控え室を出て地下バ道を進み、ウマ娘の集まるターフに躍り出る。
──刹那、ワッという歓声。音の壁と言っても過言ではないそれが、ビリビリと鼓膜を刺激する。全員が俺を一瞥して、ゲートへと入って行く。距離2400mの中距離、天気は快晴、バ場状態良。俺のゲートは1枠、そして1番人気。
ここまで露骨では作為的なモノも感じるが──そこまでお膳立てされては仕方がない。
「1枠1番が1着を取る。それだけだ」
──ざわ、と、横のゲートの奥に居るウマ娘全員から、これでもかと殺意が飛んでくる。ああ……ウマ娘の聴力を舐めていたな。
「アクセル、大丈夫なんですかねぇ」
最前列の手すりに腕を乗せ、体重を預けながらトレーナー・柏崎が独りごつ。
「ハッピーカムカム……シラオキ様ぁぁぁアクセルさんに勝利をぉおおお……!!」
「神頼みもよろしいのですが、アクセルさんってその手の願掛けはするのかしら」
じゃらじゃらと数珠を鳴らして唱える、根本的に何かを間違えているマチカネフクキタルの隣で、メジロマックイーンがポツリと溢す。
そんな彼女の言葉に、車椅子の座高を上げて観戦しているアグネスタキオンが答えた。
「願掛けはしないが、神の存在は信じていたな。確か──『俺がこんな事をやっている原因、という意味なら、神は居るんだろうさ』とかなんとか言っていた記憶がある」
「なんですかそれ」
眉をひそめた柏崎に、タキオンはさぁねぇと返す。ゴルシ焼きそばの販売に付き合わされているライスシャワーは元気にしているだろうか……と内心で心配していると、その隣に人影が立つ。
「──とはいっても、最後に頼れるのは、結局のところ己の肉体のみなのだがね」
「貴女は…………何してるんですか」
──会長。と続けて、柏崎は自分の横に立つウマ娘、生徒会長・シンボリルドルフを見た。
耳を隠す帽子と尻尾を隠すロングスカートに、顔には珍しく眼鏡をかけている。
わざわざ変装をして最前列に来て何をしているのかと、柏崎の顔が暗に語っていた。
「どうせなら最前列で観戦したくてね。ああ、ここでは私のことは単なる観客と──「あらルナちゃん、なにしてるの?」……ううむ」
「……うげ、アサ」
──やっほー、ザキちゃん。
そういってのそりと背後から現れたのは、ルドルフの先輩にして柏崎の幼馴染。『元』最強・ストライクアサルトだった。
180cmの巨躯が最前列に居ては後ろの邪魔になるため、柏崎が屈めと手を下げるジェスチャーを行う。彼女は手すりに寄りかかって前屈みになると、灰色の髪の上にある同色の耳がピクピクと揺らしてゲートに向かうアクセルたちを見た。
「……ルナって、会長の名前ですか?」
「それは昔のアダ名みたいなものだ」
「なるほど。……それで? アサはなんでここに居るんだよ」
「親友の教え子の大事なレースだから、気になって見に来ちゃった」
──ぶい! と言って、アサルトは右目を覆う眼帯の隣にピースサインを添えた。
「ウザ。いい歳してそれはやめろ」
「ザキちゃん前より切れ味増したね」
抗議するようにぺしぺしと尻尾が柏崎の太ももを叩く。──それにしても、とアサルトは一拍置いて口を開いた。
「いい殺気ねぇ。昔を思い出すわっ」
「先輩の世代は──まあ、殺伐としていましたからね。ウイニングライブも、ちょうど我々の少しあとくらいから出来た文化ですし」
「アサの世代か……盤外戦術からレース後の乱闘までありゃあ派手だったな」
柏崎とアサルトが見てきた、実際に体験してきた
「ただまあ、今も昔も……レースなんてやることは1つしかないだろ」
アサルトの隣で手すりに肘を突き、ゲートが開き一斉に走り出したウマ娘を──アクセルトライアルを見て柏崎は言った。
「
「うーん、まあ……そうだねぇ」
「……どうしました?」
「ああ、いや、アクセルなんだが」
言うべきか言わざるべきかで悩む素振りを見せ、無意識に左足をさすりながら続けた。
「アクセルは、10秒加速を使わないらしい」
──最終コーナー、俺は遠心力で外へと弾き飛ばされそうな体を内側に押し留めて走っている。体の重さが普段よりも顕著に感じられ──10秒加速の恩恵を身に染みて味わわされていた。
10秒加速、厳密には脳のブレーキを緩めた、脚への負担度外視の加速法。
理論上は誰でも使えるが、10秒以上の利用は確実に脚が砕けるため、俺のような精密な体内時計を持たない者には使わせられない。
そんな、
10秒加速を使った俺の脚を超える走りを実行してこそ、観客に、トレーナーに、タキオンに俺が最強最速のウマ娘であると証明するのだ。
俺は俺を超えなければならない。故にこそ、10秒加速は自主的に封じた。
されどタキオンと共に考え、実践し、修正してきた走り方は体に染み付いている。
あとは俺の問題だ。俺は、いままでずっと、タキオンの為に走ってきた。
それが間違いだとは思わないが、それでも……酷く視野の狭い行動だった。
──俺が勝つということは、誰かが負けるということ。それに気付いて、それでも尚、俺は俺のわがままを貫き通す事を決めた。
──1着を取りたいのだ。他の誰でもない、俺が1着を。全員をぶっちぎって、俺が……ッ!
──最終直線に差し掛かり数人が前を走るなか、俺は自分の心音に耳を傾ける。
それは炉心を起動するかのように。
それは、
10秒加速の際の風景が遅れて見えるのとはまた違う感覚と共に、ようやく俺は──
「全て────振り切るぜ!!」
眼前のウマ娘を含めた視界の中の景色が溶け、耳は風の叫び声だけが入り込む。
『
「ゾーン……か」
「ゾーン?」
ルドルフがポツリと漏らした言葉に、柏崎が反応する。一度うなずくと彼女は続けた。
「極限まで研ぎ澄まされた集中状態。
ウマ娘が
「簡単に言うと、殻を破るようなものよ。アクセルちゃんは今この瞬間、
アサルトの補足にへぇと呟く柏崎は、ガタンと車椅子から飛び降りるように立ち上がり、手すりにしがみついて瞳を揺らすタキオンを見た。
「あれ、が、あれが……アクセルの、本来の走り方……だったのか……?」
まるで親に突き放された子供のような、絶望と驚愕をない交ぜにした表情で、1人2人3人と瞬く間に追い抜くアクセルを見下ろす。
「筋肉の動きが10秒加速時と違う。あれは間違いなく……アクセル単体の運動性能だ。いや、だが……あの動きは……っ」
左足を庇い片足立ちのまま、手すりに体重を預けてアクセルの走法をつぶさに観察する。
腕の振り、ストライド、呼吸の全てが、独特でありながら──タキオンとの考案による動きを掛け合わせたようなモノとなっていた。
一瞬、タキオンはアクセルから見放されたような感覚を覚えていた。あれが本来の実力であるならば、自分のしてきたことは、ただ彼女の邪魔をしていただけなのではないかと。
しかし──アクセルは一度たりともタキオンを、タキオンの技術を見放した事はない。10秒加速は使わない、だがそれ以外の基礎は、応用は、知識は、その全ては最大限利用していた。
限界まで過熱したエンジンのようにその体に熱を持ち、輪郭に沿って
「……走れ、アクセル……!」
最後の1人に追いすがる凶悪な末脚を披露するアクセルに、恥も外聞も投げ捨てて──タキオンは喉が潰れんばかりに声を張り上げた。
「アクセル──ッ!! 走れぇぇぇぇぇ!!」
ちらりと、アクセルは横目でタキオンの興奮し紅潮した頬を、自分の勝利を願い涙を浮かべた目を見て──目線を前に戻しながら獰猛に笑う。
「あーあ、もう逃げ切れない」
「アクセル……末恐ろしい奴だ」
手すりに頬杖を突きながら、アサルトが。その隣で腕を組ながらルドルフが、誰にも聞かれない小さな声で独りごちる。
眼前で4人目を追い抜き、尚も距離を広げ、誰も追い付けない程に遥か後方へと全員を置き去りにして──アクセルはゴールを過ぎ去った。
遅れて着々と、白髪のウマ娘が、葦毛のウマ娘が、黒髪のウマ娘がゴールして、もはや意味を成していない順位を知らせる掲示板に無慈悲な数字がパッと点灯する。
徐々に歩みを遅らせ、ようやく止まったアクセルは、胸の前でぐっと拳を握ると天を見上げて重く深く排熱するように息を吐いて──
「──証明完了」
タキオンの頭脳と技術を自分の脚に組み合わせ、最速に至ったアクセルはしみじみとそう呟いた。冷たい空気で身体を冷却して、その身に爆発音を思わせる歓声を、恨みや悔しさ、祝福をぐちゃぐちゃに混ぜた視線を浴びながら。
「……ようやく帰れるな」
「いやはや、いいライブだったよ」
「勘弁してくれないか」
ライブ会場を出て通路を歩く俺の横で、車椅子に座ってゆったりと動くタキオンはくつくつと喉を鳴らして笑みを浮かべる。
「ハッピーミークもオグリキャップもよくもまあ、あんな曲を真面目に歌えるものだな」
「センターの君も含めて『無愛想トリオ』とか呼ばれていたぞ。大人気だな」
「冗談はよしてくれ」
車椅子の背嚢に『私の愛バ』とか『目線ください』とか書かれているうちわを突き刺すように仕舞っているタキオンに、俺はなんともいえない顔をする。誰の入れ知恵だ、ゴルシか。
頭の片隅にこびりついている、タキオンの隣で鮮やかな黄緑に発光しながら仁王立ちしていたトレーナーを意識の外に押し出して続ける。
「俺も、タキオンがあれほど必死に声援を飛ばすとは思っていなかった」
「…………うるさいな。君こそ私にあの走りを黙っていたじゃないか」
むすっとした表情は、まるで駄々っ子のようだ。自分の想定を外れた動きをされて、きっと裏切られたとでも思っているのだろう。
「──周りも、観客も、トレーナーもタキオンも、きっと『10秒加速ありきの俺』が最も速いと思っていた。だから俺の……その上を行く走りを土壇場で見せる必要があったんだ」
「……そうかい」
「だから、まあ……なんだ。別に俺は、タキオンが必要ないと思ったことは無いぞ」
──ふぅン、とため息混じりの声で返すタキオンだが、ピクピクと耳が上機嫌に跳ねている。
「……しかし、URA優勝はまだスタートラインに過ぎないからな。これから忙しくなるぞ」
「なあ、アクセル。君は私の頭脳を受け継いだに等しい知識も得ているわけだが、それでもまだ片足の使えない私と居るつもりなのか?」
「何が言いたいんだ」
おもむろに車椅子の速度を落とすと、タキオンは声のトーンも落として項垂れながら言う。
「君の人生だ、もっと好きにしても良い」
「タキオン……」
それはきっと、思春期の子供の重大な決断なのだろう。俺の優勝という節目をターニングポイントとして、自分が居なくても十分やっていける俺を突き放そうとしているのだ。
「そうか」
……俺は電動車椅子の電源に手を伸ばしてオフにすると、ハンドルを握って押して歩く。
そんな行動に、顔を上に向けるタキオンはポカンとした面を晒した。
「──アクセルっ」
「俺の人生だ、好きにするとも」
「……良いんだな?」
その言葉に返事はせず、ただただ、車椅子を押して歩く。背凭れに体を預けたタキオンの脚の横から伸びた尻尾が、ゆらゆらと揺れている。
──こうしてURA優勝という、1つの大きな目標は乗り越えた。だが、ここはゴールではない。あくまでもスタートラインだ。
いつかは、俺の前世の記憶というアドバンテージは意味を成さなくなるのだろう。
それでも──俺の隣には、いつまでもアグネスタキオンに居て欲しいのだ。今はひとまず、それだけでいいのかもしれない。
暫くは休息、そのあとは、またレースの為にトレーニングを重ねよう。
そんなことを考えながら、俺はタキオンの車椅子を静かに押すのだった。
──余談だが、俺が走ったURAファイナルズの生中継より、その後のウイニングライブの方が圧倒的な再生数を叩き出していたらしい。
『完』
本当の本当に最終回。
以降は不定期更新です。
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