「眠ぃ…」
全校朝礼ってのは面倒だよやっぱ。だが生徒会である手前、サボるわけにはいかない。全校朝礼が終わり、俺は自販機で缶コーヒーを購入していると。
「猛省してください!私は怒っていますよ!会長のアホ!不真面目!恥知らず!生徒会長ともあろう人が校歌を口パクなんて…!」
藤原が誰かに説教している。その声の方に辿って行くと、正座している白銀を藤原が説教している絵面が広がっていた。
「どうした?だいぶなんか騒がしいけど」
「あ、比企谷くん!聞いてください!会長が校歌を口パクしてたんです!」
「え、お前指揮者だろ?よく分かったな」
「指揮者ですからね」
この恋愛脳を兼ね備えたダークマターの擬人化、藤原は指揮者なのである。しかし、全校生徒のうちの一人が口パクをしていたことを見抜くとは、中々の観察眼だ。
「こんなこと続けたらそのうち他の人も気づくと思います!面倒でも、歌詞ぐらいちゃんと覚えましょうよ!」
「いや待て、そうじゃない。歌詞は完璧に覚えてるし、別に歌いたくないわけじゃない」
「じゃあどうして……」
「……ん…ち……だから」
「?うんち?」
何を言っているのか聞き取れない。ただ少なくともうんちではないと俺は思う。後、女子が堂々とうんちとか言わないこと。お下品。
「ちょっと音痴なんだよ!生徒会長がちょっと音痴とかどうよ!?」
「まぁあれだな。恥を晒すことになるだろうな」
「そういうこと!…考えただけで嫌だ……そんな生き恥晒すくらいなら口パクの方が何倍もマシだ…」
「なんだ、そういうことですか」
にしても、
なんだろう。なんだか身の毛がよだつんだけど。これは大人しく帰った方がいいな、うん。きっとその方が幸せだ。
よし帰ろう。
「…教室に戻るわ」
俺は教室に戻ろうとするが、藤原が俺の襟を掴んで引き止める。
「…ちょっとなんですよね?ちょっとだけ音痴なんですよね?」
「あぁ。誓ってちょっとだ。ちょっとだけ音痴なんだ」
おい待て俺を離せダークマター。お前の目の前にいるのは人間を装ったお前の同類だぞ。俺はまだ死にたくないんだよ。
「じゃあ仕方ないですね!
「マジでか!」
「ちょっと待てなんで俺まで。こいつのちょっとはちょっとじゃないだろ。お前この間のこと忘れたのか」
「比企谷、俺だって怒るぞ。確かにバレーは苦手だったが、音楽に至ってはちょっと苦手なだけなんだ」
そのちょっとが信用出来ないって言ってんの聞こえなかった?それとも聞いてなかった?
「さぁ比企谷くん!一緒に会長の音痴を直しましょう!会長曰く、ちょっとらしいですから!」
「えぇ……」
こうして俺達は、白銀のちょっと音痴を直すために、音楽室を借りて練習を始めた。
…のだが。
「ボォォォエエエェェェェ〜……」
「いやあああぁぁーっ!!助けてペスーっ!!」
「…やっぱ……ちょっとじゃなかった…じゃねぇか……」
俺と藤原は耳を塞ぐが、白銀の絶望的な歌声が軽々と突き破ってくる。
マジで意識を持っていかれる。歌声だけで意識を刈り取るとかなんつー強キャラだよ。
そしてしばらくし、白銀が歌を止めると。
「…どう?」
「嘘つき!ちょっとじゃない!壊滅!致命的音痴!よくも騙してくれましたね!比企谷くんなんてもうほとんど満身創痍状態ですよ!」
「お前、歌声で人一人殺せるぞ…」
「いやいや、大袈裟な。いうてそこまでじゃ無いだろうに」
「今の録音してみましたが。自分の歌……聴いてみますか?」
「あぁ聴く聴く」
白銀はイヤホンを付けて、藤原が録音した歌声を聴き始めようとした。
自分の歌声が実際、上手か下手か分からない。カラオケ行って歌っても、結局上手か下手か判断するのは機械だ。自分の歌声を自分が聴くことが出来ない。
つまり、白銀の絶望的な歌声が、白銀自身の耳に届いたら。
「嘘だぁ……!こんなゴミみたいな歌声が俺ぇ……!?なんかの間違いだよなぁ……!?」
当然、こういうリアクションになる。
「会長は今まで出会った人の中でダントツで音痴です。私の交際相手の条件に音痴じゃない人って項目が今日新たに追加されたレベルの歌でした」
「それ以上言うとライフが0になるからやめとけ」
「な、ならば比企谷はどうなんだ?比企谷の歌声を聴いたことがないが、実はこいつも音痴だったりするかも知れん」
「流石にこいつほどまでは音痴じゃない…と思う。自分の歌声なんて分かんねぇからなんとも言えんけど」
「それじゃあ比企谷くんの歌声を聴いてみましょう!校歌は覚えてますね?」
「いや覚えてるけど…」
あの野郎俺を巻き込みやがって。四宮に白銀が絶望的音痴って言ったるぞこんちくしょう。
「それではいきますよ〜!」
藤原がピアノを弾き始める。それに合わせて、俺は校歌を歌い出す。そして、校歌を全部歌い切ると。
「すげええええぇぇぇ!!なんて美しい歌声なんだ!!」
「なんか聞いたことあるな今の言い回し」
「流石比企谷くん!これならオーディションに参加しても即合格ですよ!」
そこまではいい過ぎだろ。たかだか普通レベルの歌声だぞ。
「…俺は一体、どうすれば…」
「まず歌じゃなく、単音で正しい音を出してみろ」
「こんな感じです。…ソ〜♪」
ふむ。流石は藤原。
というか、普通にこれくらい出来るだろ。
「出来ますか?」
「バカにすんな……それくらい出来るに決まってんだろ。…
気のせいかな。ソがレの音で聴こえてくるのだが。
「…な?」
「
と、藤原が再び白銀にキレる。
「ソはこれ!」
藤原はソの音を出す。
「レはこれ!」
次に、ソより低い音のレを出す。
こんなに分かりやすい違いがあると言うのに、白銀は全く分かっていない様子だった。
「ソとレの判別が出来ないはヤバい」
「…じゃあ私がソの音を出しますから、よく聴いて同じ音を出してください」
「同じ音…?」
「行きますよ?…ソ〜♪」
「そ、そ〜…」
藤原はソの音を奏でながら、黒板に「もっと高く」と書いて白銀にアドバイスする。白銀もそのアドバイスに従って、徐々に高い音を出し始める。
その瞬間、藤原と白銀の出しているソの音が完璧に一致する。さっきのゴミみたいなソが消えて、今ではハーモニーを奏でている。
「凄ぇな…」
そんな彼らに対して感嘆の声が出る。
「これが音を聴いて歌うってことです!」
「…感謝する、藤原書記。俺は今日初めて、音楽を理解した気がする……。歌える!今なら歌えるぞ藤原書記!」
「はい!じゃあいきますよ!」
歌えるという希望を感じた白銀。そんな白銀を見た藤原は嬉々とした表情で、ピアノを弾く。
…のだが。
「ホォォゲェェェー……ホォゲェェェ……」
待ってまた意識持っていかれるんだけど。
しかし、当の本人は全く気づかない様子で、最後まで歌い続けた。そして、結果は。
「吐きそう!以前のは一周してなまこの内臓みたいな美しさはあったんですが、今のは生半可に音を拾ってる分普通にジャイアンって感じで最悪です!」
「結構エゲツないこと言うなお前…」
藤原のそんなダメ出しの感想を聞かされた白銀は、途端に諦めたような表情に変わる。
「…やっぱ俺、口パクのままでいいよ。俺が歌うと周りに迷惑かかるからな」
「そんなこと…」
「いや、そんなことあるんだよ。…小学校の教師には、"無理して歌わなくていいからね"って言われた。中学の合唱祭ではクラスメイトに、"お願いだから本番は口パクで"って…。以来、俺はずっと口パクでやってきた」
「白銀…」
確かに、こいつは絶望的な音痴だ。それは今も変わらない。しかし、こいつはこいつなりに、誰かの役に立とうと、一生懸命頑張ろうとしたのだ。にも関わらず、白銀の周りの連中はこいつの努力を否定した。絶望的な音痴だから、こいつをハブをした。白銀を犠牲にして、自分達の青春を守ったのだ。
無駄にこいつが拗れているのは、周囲のせいと言ってもおかしくない。
「俺だって本当は歌いたい。何も気負わずみんなと一緒に歌いたい。だけど、みんなに迷惑かかるなら……」
「…別に歌えばいいだろ。そんなもん」
「だから、そうしたらみんなに…」
「お前の言うみんなは、そこまで大切なのか?単なる他人ごときに一々気にしすぎだろ。ハゲるぞ」
「比企谷……」
「少なくとも、ここには音楽のスペシャリストがいる。そのスペシャリストが本気でお前が上手くなるのを信じて教えてる。次の全校朝礼までまだ時間はあるし、諦めんのはやり切ってからいいんじゃねぇの?知らんけど」
「比企谷くん……。…そうですよ!私が会長をちゃんと歌えるようにしてあげます!ママに任せて!」
「いやその母性の出され方は結構抵抗あるんだが…」
こうして次の全校朝礼まで、白銀が歌えるように徹底的に練習を行なった。
そして、次の全校朝礼。
「校歌斉唱」
藤原の指揮の下、校歌が始まる。周りは揃って、校歌を歌い始める。しばらく歌い続けると、どういうわけか藤原が徐々に涙を流し始め、そして崩れ落ちる。
「わああああ!!」
大号泣。何事かと、周りはどよめき始める。
しかし、俺には想像がつく。おそらくあの涙は、白銀がまともに歌えていることを意味している。あれだけ絶望的音痴の白銀が、今はみんなと一緒に歌えていることに、きっと感動しているのだろう。
うちの会長は、本当に世話がかかることよ。