俺は今、長く広い廊下を歩いている。
ん?俺が今どこにいるかって?それは勿論、四宮家の屋敷に決まってるでしょ。
…いや意味分からんわ。なんで急にこんなクソでかい屋敷に招待されてんだよ。しかも、執事の服を着てさ。バカなの?死ぬの?
「…俺なんでこんなことしてるんだろな」
俺がここにいるのには理由がある。
四宮が、どうやら先日の大雨の影響で風邪を引いたそうだ。車で帰るって言っていたのにも関わらず、じゃあなんで雨に濡れたのか。
どうやら、白銀と一緒に車で帰りたかったそうなのだ。
白銀は昨日、電車で帰ろうとしたのだが、天候の影響で電車が止まって帰れずになっていた。しかも、バイトがある日だったという。しかし、雨に濡れて帰るわけにも行かないし、だからってバイトをサボるわけにはいかない。
それを知った四宮は、四宮が乗る車で一緒に帰ろうと考えた。が、自分から白銀を誘うのは恥ずかしい。ので、白銀から乗せてくれと頼むまで雨の中、正門で待っていたらしい。
結果、風邪を引いた。
そんな四宮の看病をするのは、近侍である早坂の役目。だが、早坂は何故か俺をここに呼び出して看病を手伝って欲しいという。最初は断ったが、お礼にマッカンを2ダースあげると言われてしまったので、やむなく受けることにした。
「今日はごめん。手伝ってとか言って…」
「…まぁ別にいいけど。つか、後から藤原か白銀辺りが来ないか?」
「どうだろ。でも二人ともかぐや様のこと好きだし、どちらかは来そうだね」
「これ俺いて大丈夫?あいつらに見つかったら面倒だぞ」
「だからイメチェンしてるの。普段髪の毛ボサボサで腐った目をした比企谷くんが、オールバックでサングラスを掛けているなんて誰も分かんないでしょ」
確かに。
鏡で自分を見た時「誰だお前」って思わず口に出したしな。
「それで、四宮は大丈夫なんか?」
「普通の風邪だから寝てれば治るんだけど……でもその風邪を引いてる間がちょっとアレなの」
「ん?アレ?」
「まぁ見たら分かるよ」
早坂と話していると、四宮の部屋の前に到着する。
「…じゃあ、入るよ」
「お、おう」
ガチャリと、早坂が四宮の部屋の扉をゆっくり開ける。入室した最初の感想は、「一人部屋にしてはデカ過ぎだろ」というところだった。
「かぐや様、失礼します」
「あぁー、早坂ぁ〜。私を置いてどこ行ってたのぉ〜…?」
…俺は夢を見ているのだろうか。いつもは冷静で、俺に対してゴミみたいな眼を時々向けるあの四宮が。
「んぅ……そこの男はだぁれ〜…?」
時々、四宮のアホさを垣間見ることはある。だが今の四宮は、常時アホモード。例えで言うなら、いつもは厳しい女上司が酔っ払うとめっちゃ甘くなるみたいな。
風邪引いただけでここまで人格が変わるとは。
「…早坂」
「これが今のかぐや様。風邪を引いた時のかぐや様は、普段のようなかぐや様じゃない。単なるアホに変わり果ててるの」
「風邪って人一人の人格変えるんだな」
「ついでに言うと、かぐや様の記憶は残らない。つまり、今比企谷くんがかぐや様の目の前で阿波踊りしても、風邪が治った時には消えてるの」
「そうか…。例えがちょっとクレイジーだったのは気にしないでおく」
絵面が狂気でしかない。アホと化とした四宮の目の前で阿波踊りとかヤバすぎるだろ。
「そこの男は誰ってばぁ〜……」
「…かぐや様。この殿方は比企谷くんです」
「嘘よぉ……比企谷くんこんな姿じゃないでしょぉ……」
「姿は違いますが、間違いなく比企谷くんです。今日はかぐや様の看病を、私達で行います」
「そうなのぉ…?ありがとぉ……」
「お、おう…」
とはいえ、看病っつっても冷たいタオル頭に乗っけて、ちょっと食欲出たら粥を出せばいいだけ。俺が必要な要素があまりない。
「早坂ぁ……絵本読んで〜…」
「…分かりました。比企谷くん、そこの本棚に"眠り姫"って絵本あるから取ってきて」
「ん、分かった」
俺は本棚を探って、眠り姫という題名が書かれた絵本を抜き出す。
「ほれ」
「ありがと。…それではかぐや様、読みますよ」
「うん…」
早坂が眠り姫を、四宮に読み聞かせていく。そして、読み終わると。
「…楽しかったですか?」
「楽しかったぁ……もっかい読んで」
「またですか?」
「もっかい読んで欲しい〜……」
「…分かりました」
早坂は再び、同じ物語を読み聞かせていく。そして読み終えると、四宮がもう一度と言う。それを、後3回繰り返された。
「もう4回も読んだら結末覚えちゃうだろ…」
そんなアホ四宮に手を焼いていると、屋敷にチャイムが鳴り響く。
「来客です。ちょっと行ってこないと」
早坂は自身の端末を操作すると、監視カメラの映像が映し出された。そこに映し出されたのは、紙袋を持って四宮家を訪ねた白銀であった。
「…やっぱり白銀が来たか」
「これはある意味、かぐや様と距離を近づけるチャンスだね。比企谷くん、玄関まで一緒にお迎えに行くよ」
「俺バレない?」
「サングラスとオールバックで比企谷くんって分かったらそれはそれで恐怖でしょ」
「…確かにな」
早坂はカラコンを入れて、カチューシャを付け始める。見た目を変えただけで、早坂の雰囲気がだいぶ変わる。
「今から私の名前はスミシー・A・ハーサカだから。横浜市中区山手に在住、フィリス女学院に通ういいとこのお嬢様って設定。間違っても早坂なんて呼んじゃダメだよ」
何そのかなり凝った設定は。
「それで、比企谷くんの名前はハーチェ・H・ハーサカ。私の兄で、慶大に通ってるって設定」
慶大はやり過ぎだろ。流石の俺もそんな頭良くないぞ。東大って言わんかっただけマシ………マシなのか?
よくもまぁそんな口から出まかせが出てくるもんだ。
「私のことはスミシーって呼んで。私はハーチェって呼ぶから」
「お、おう…」
「それじゃ、行くよ」
玄関で待っている白銀を迎え入れるために、俺達は屋敷を一旦出る。扉の前には、白銀がぎこちない様子で立っていた。
「かぐや様のご学友の白銀様でございますね。四宮家当主に代わり、歓迎致します」
早坂はカーテシーを行なって、白銀に挨拶する。話し方も、外国人風に変えて。
「私、かぐや様のお世話係を務めさせて頂いております。スミシー・A・ハーサカと申します。こちらは私の兄である、ハーチェ・H・ハーサカでございます。かぐや様のボディーガードでございます」
俺は白銀に軽く頭を下げる。
「…して、本日はかぐや様の見舞いにいらしたとお見受けしますが」
「あ、はい。その通りです…」
「では、かぐや様の部屋へご案内致します」
「あ、いや、そのですね!俺、四宮にプリント届けに来ただけというか!今日連絡もせず突然来たわけだし…これ、ハーサカさんから渡しておいてもらえればとか!」
ここまで来て何チキってんだよ。たかだか見舞いごときに何を意識する必要があるんだ。お前見舞い以上の恥ずいことをいつもしてるだろうが。
「いえいえ、かぐや様に直接お渡しするのがよろしいかと」
「いや、でも…」
白銀の抵抗を許さず、早坂は強引に屋敷へ招き入れる。そして、白銀を四宮の部屋へと案内する。
「かぐや様、客人がお見えです」
早坂が扉をノックし、部屋の扉を開ける。そこに広がっていたのは。
「汚っ!」
「えぇ…」
「こらーっ!何してるんですかかぐや様!」
先程まで部屋は綺麗だったのに、白銀を迎えに行った間に一気に散らかっていた。普段の四宮なら絶対あり得ない光景である。
「だって見つからないんだもん……」
「?何を探しているんですか?」
「はなび」
「花火!?」
部屋の中で花火炸裂させようとしてたのかこいつ。アホになっているとはいえ、中々ファンキーなことしようとしたなおい。
「はやさかもはなび……いっしょにするでしょ?」
「しません」
早坂は四宮を再びベッドに戻し、寝かしつける。
「もうすぐ夏休みで気持ちが先走っているのは分かりますが、お布団から出ちゃダメじゃないですか。風邪を治すのが先決です」
「いじわるぅぅ…はなびするぅぅ…」
「それよりも、お客様がお見えですよ」
「お客様…?」
四宮はうつろな眼で、白銀の姿を捉える。そして数秒、間が空き。
「かいちょうだ!」
どうやら白銀だということは認識出来たらしい。白銀の姿を見るや否や、あわあわと慌て始める。
「どぉしてかいちょうがいるの?」
「いや、その…」
「え!きょうからうちにすむの!?きいてない!」
「住まない!住まないから!」
この四宮の醜態に、白銀は何がなんだか分からず、早坂に状況を尋ねる。
「ハーサカさん、これは一体…」
「ジークムントフロイト曰く、人間の行動は
「!?」
「人間の本能は
「アホ!?」
普段から四宮は色んなことに脳をフル回転させている。その反動が今、現れているということである。
「一見、起きているように見えますが、実際まだ夢の中みたいなものです。元気になったら、病気の時の記憶なんて綺麗さっぱり残らないのですよ」
「また妙なことに…」
「…さて、私達はそろそろ仕事に戻らないと。かぐや様のお相手をお願いします」
「わ、分かりました」
俺達は四宮の部屋から退出する。
すると早坂は、扉の隙間から悪魔のような囁きを始める。
「いいですか?この部屋には3時間ほど誰も絶対に入りませんが、変なコトをしては絶対にいけませんよ?」
「し、しませんよ」
「その上、この部屋は防音完璧ですし、かぐや様の記憶は残りませんので何したってバレっこないですが。絶対に、絶対にヘンナコトしちゃダメデスヨ」
「だからしないって!」
そんな悪魔の囁きを残して、今度こそ四宮の部屋から去っていく。
あからさまに、四宮に白銀を襲わせようと仕掛けたなこいつ。四宮の近侍のくせして、やることだいぶゲスいなおい。
「…これで少しは進展するといいんだけど」
「どうだろな。ここに来てまですぐ帰ろうとしたやつだし、案外何もしないと思うけどな」
「本当、どっちも恋愛面に関して弱気だよね。とっととどっちかが告ればいいのに…」
苦労が絶えない早坂。早坂と廊下を歩いていると、家訓みたいなものが目に入る。
「なんだこれ」
「…四宮家の家訓だよ」
「人に頼るな、成らば使え。人から貰うな、成らば奪え。人を愛すな、成らばは無い。…エグい家訓だな」
俺個人としては、別に一人で成せることがあると思っているし、誰かを頼らないことだって一つの手だとも思っている。
しかし、一般的に人間は誰かと支え合って生きて行くのが常套手段。誰かを頼ること、誰かから貰うことは決して間違いじゃないのだ。
もしこれが、四宮が小さい頃から叩き込まれていたとすれば、氷のかぐや姫が誕生したってなんらおかしくない。
人の家訓にあれこれ首を突っ込むのは烏滸がましいが…。
「…アホか」
「…比企谷くん?」
大方、将来の四宮家のために四宮を育てたに過ぎない。彼女の自由を奪って。
そんなことが正しいわけがない。全てにおいて、この家訓は間違っている。
「…なんでもねぇよ。それより白銀が来たし、俺はもういらねぇんじゃねぇの。何しに来たんか全く分からんけど」
無駄に変装して四宮の醜態を見ただけなんだけど。まぁこれはこれで面白かったから良かったけど。
「比企谷くん」
「ん?」
「もし、さ。私が困ってたら、助けてくれる?会長がかぐや様を助けるように」
「助けがいるのか?」
「…分からない。もしかしたらこの先、そういうことがあるかも知れないって思っただけ」
正直、早坂が何を考えているか未だに分からない。まだ俺に対して何かを隠している節がある。だから、早坂の言う助けがなんなのかが分からない。
「さぁな。だがまぁ、相談は聞くって言ったしな。何かあるなら話してくれればいい。力になるかどうかはさて置いてな」
「…比企谷くんらしい返し方だね。それだけで十分だよ」
「…そうかい」
「今日はわざわざ来てくれてありがと。かぐや様にはもう会長もいるし、比企谷くんにこれ以上手伝わせるわけにはいかないし。帰って大丈夫だよ」
「そうか。なら帰るわ」
俺は男性専用の更衣室で制服に着替え直し、サングラスと執事服を畳んで置いて行く。鞄を持って、屋敷の入り口へと向かった。入り口には、早坂が見送りするために待っていた。
「ばいばい、比企谷くん」
「ん、またな」
屋敷を出ていき、俺はアパートへの帰路を辿った。
『もしかしたらこの先、そういうことがあるかも知れないって思っただけ』
早坂の言葉を俺は思い出す。
あんなことを言うということは、何か助けを求めているということなのだろうか。
「…分からん」
今回の見舞いの件で、金持ちの家の事情はどこも面倒くさいとよく分かった気がする。