「…で、お前らが泣いた理由がこれか」
俺は白銀が持参してきた漫画を持って、そう尋ねる。
昨日はマジびっくりした。隣から圭の泣き声が聞こえてくるし、しばらくしたら白銀の泣き声まで聞こえてきたもんだから。
「…"今日はあまくちで"。これド名作じゃねぇか」
どうやら実写化も決定していると、ネットニュースでも騒がれている。期待度もかなり高いとの噂。
まぁ
「比企谷先輩も読んだことあるんですか?」
「まぁな。妹と二人で大泣きしたわ」
なんなら次の日まで"今日あま"が頭にチラついて無駄に女子に話しかけたりしちゃってた。「何こいつ急に怖ぇ」みたいな表情を、俺は忘れない。
「僕はそれほどって感じですかね。この手の漫画って先の展開が読めやすいし、泣かせに来てるって気づくとシラケちゃうんですよね」
「嗜好が違うなら、仕方ないわな」
「あっ来た来ましたよお涙展開。チープだなぁ。うわ全然ダメ。ここで泣いてください感が丸見え」
石上が辛辣なコメントを呟きながら、"今日あま"を次から次に手に取って読んでいく。
そして。
「丸見え……丸見えだったのに……ぐやぢい……」
と、石上はポロポロ涙を零し始めた。途中から静かに読み続け、結果涙腺崩壊。"今日あま"は人を泣かせる名作なのである。
「ほら見たことか!泣けるだろ!」
「泣けちゃうー!!」
「恋したくなっただろ!」
「キラキラな恋したくなっちゃったー!!あぁーどっかに出会いないかなぁー!!」
追加で述べよう。"今日あま"は人を泣かせると同時に、恋愛脳にさせてしまう節がある。もし画面の前の君達も、今日あまを読んでしまったら注意しよう。
「出会いって、この生徒会には女子が三人もいるだろ。ほら、伊井野とか」
「伊井野かー……まぁ無くはないんですけど、現実的じゃないですね。僕あいつにすっげー恨み買ってますし。それにあいつ…」
「ん?伊井野がどうかしたのか?」
石上が何かを言おうとしたが、それをやめる。
「…いや、なんでもないです。んで四宮先輩は家の格が違い過ぎて無理」
「じゃあ後は藤原だけだな」
「藤原先輩かー……」
藤原の名前を呟き、少しの間をおいて。
「なんか油断したら好きになりそうで怖いんですけど!!」
今日あまの催眠効果はここまで絶大なのである。それはもう、個性の塊みたいな人格をしたあのダークマターを好きになってしまいそうになるぐらいに。
「違うんですよそういう消去法じゃなくて!絶対この人じゃなきゃ!って心から思える人と恋がしたいんです!薄っぺらな想いじゃな…」
「ここから恋バナの匂いがします!」
そして、これも覚えておくといい。
今日あまの余韻に浸って恋バナなんてしていると、頭の外も中も桃色のラブ探偵が寄ってくるので注意。
「だれだれ!?誰が惚れた腫れたなんですか!?」
「落ち着け藤原。この漫画の話で…」
俺が"今日あま"の漫画を指差すと。
「"今日あま"だー!!」
まさかタイトルコールと同時に泣く藤原。
「表紙見ただけで涙腺が……。これ良いですよね〜。私も友達に1巻だけ借りたんですけど、どハマりして電子で全部買っちゃいましたもん!」
「お父様の検閲にそんな抜け道が…」
「僕も揃えていいかな……家でじっくり読み返すのも、まぁありっちゃありですし」
「久々に俺も読もうかな…」
ただ、"今日あま"は実家にある。一度実家に帰って持って来るのも良いが、巻数が多いから結構な荷物になる。
「比企谷は俺の家の隣なんだし、借りたければ圭ちゃんに口添えしてみるぞ?」
「お、マジ?」
圭から借りられるのであれば都合が良い。
正直、千葉に帰るのは面倒ではあったのだ。だが小町にも会いたい。毎日電話しているが、小町の声を聞く度に帰りたくなる。どっちだよって話なんだが。
「…これはそんなに面白いのですか?」
「私的にはさいっこーに面白かったです!」
「まぁ泣きという要素だけで言うなら、この数年では上位に食い込むと言えなくはないかな」
「お前は漫画コラムニストか」
「かぐやさんも読んでみてくださいよ〜」
四宮は漫画の表紙を眺めながら考え、そして机に戻す。
「いえ、お構いなく。私は漫画を嗜まないので」
「マジ?」
いや、よくよく考えてみれば、四宮はそういった漫画を読んでいなかった気がする。四宮の部屋には本が無かったし、いつぞやの雑誌を盛大に勘違いするほどの知識がないぐらいだったし。
「四宮、これも勉強。漫画というものを一度通しで読んでみるのも悪くないと思うが」
「でもそれいやらしいんでしょう?」
「この間の雑誌とはベクトルが違ぇよ」
「どうだか…。最近皆さん私を騙すのが楽しくて仕方ないご様子ですし。何を信じたらいいのやら…」
めっちゃ卑屈になっとるやん。どうしたんよ。
「いや本当そういう話じゃないから…」
「じゃあどういう話なんですか?」
白銀が"今日あま"のあらすじを語り始めた。
「人間不信の女の子が主人公でな」
「今の私と同じですね」
やだ四宮ったら卑屈。
「…んで、まぁ口の悪い男の子が転校してくるんだが」
「その男の子が実は重い病気で、終盤死んじゃうんですよー!!」
「テメコラァーッ!!」
「それはやっちゃいけないタイプのネタバレです!!」
すると白銀が藤原の腕を拘束し、石上がガムテープを取り出す。
「このクソネタバレ女の口を塞げ!!」
「了解!!」
石上がガムテープを藤原の口に貼り付ける。
「もごもご!」
「静かにしてろ!!」
「むぐぐ!」
「声を出すんじゃねぇ!!」
これ完全にあかん絵面だろ。このタイミングで伊井野なんて来たら、間違いなく風紀委員の力を振るってくるぞ。
「今の話を聞いてる限りだと全然面白そうではないのですが…」
「…あれだ。漫画ってのは物語が積み重なっていくから、興味を惹かれるんだよ」
「人間不信が高じて拒食症の少女がさ、恋愛を通して社交的になっていくわけよ」
「初めて友達も出来て、人間としての温かみを取り戻していくわけじゃないですか」
「そうそう序盤な」
「…ん?」
なんだ。何かおかしいぞ?
「親に毒殺されかけて、以来缶詰しか食べられなかった女の子がですよ…」
「そうそう。毎日乾パンとサプリの生活で。中盤の回想シーンは胸に刺さったなぁ」
…ちょっと待て。あらすじはどこ行ったあらすじ。がっつり拒食症の理由とかも喋っちゃってるし。これ普通にネタバレじゃね?
「…だけど亡き彼が作り置きしてたカレーをなぁ…」
「恐る恐る食べてね…」
「したら言うじゃん」
「おいお前らちょっと待て」
「「あまくち…って」」
同時にクライマックスのセリフを言ってしまった白銀と石上。ネタバレしていることに気づかないのか、そのまま盛り上がる。
「あの最終回には流石に号泣!」
「良かったよなー!最後カレーで締めるのは本当ずるい!」
すると、ガムテを貼られて黙っていた藤原が遂に暴れ出した。ガムテを持って、白銀と石上に貼り付ける。
「もごもごー!!」
「もごもごもご!」
「もごご!!もごもご!!」
「何を言ってるかさっぱり分からないわ」
「俺にも分からん」
多分ネタバレに対して藤原がキレたんだろ。それぐらいしか分からんけど。
「藤原先輩、助けに来……」
そこで突然、伊井野がさすまたを持って来た。しかし、白銀、石上、藤原の状態を見ると、困惑の表情一色であった。
「最終的にこうなるものなんですか!?」
今日も一日、騒がしい生徒会であった。
その生徒会が終わり、それぞれ帰路を辿った。我が家であるアパートに到着すると、丁度白銀と遭遇する。
「…お前チャリなのに俺より帰るの遅くね?」
「途中で夕飯の買い物しててな。…あ、そうだ。多分もう圭ちゃんも帰っているだろうし、漫画貸してもらえるか聞いてみるぞ。なんなら夕飯も食って行くか?」
「いや、流石にそこまではいい。漫画貸してもらうだけで」
「そうか」
階段を上がり、白銀が自分の家の扉を開ける。
「ただいまー」
「おにぃ、早く"今日あま"返して……って、八にぃ!?」
圭が俺の姿を見るや否や、目を見開き驚く。
「お、おう。なんか久しぶりだな」
「なんで八にぃもいるの!?もしかして夕飯一緒に食べるの!?」
「ち、違うって。"今日あま"圭のらしいって聞いたから、借りていいか聞きたかっただけだ」
「全然いいよ!あっ、それなら一緒に読もうよ!夕飯もさ、一緒に食べて!」
圭ってば相変わらず勢い凄いな。ナチュラルに夕飯誘われたし。
「いや、別にそこまで…」
「えぇー!部屋もお隣なんだし、夕飯だって食べていけばいいじゃん!」
「圭ちゃん。比企谷が困ってるだろ」
「うっさいおにぃ!」
「えー……」
可哀想な白銀。
本当、どこの妹も兄って存在に厳しいよね。まぁそれでも俺は小町を愛してるんだけどね。
「八にぃ…」
何度も言うんだけどさ、女子の上目遣いって本当ずるくない?強制力あり過ぎじゃない?
「…白銀。夕飯代払うから、邪魔していいか」
「別に金はいらないが……いいのか?」
「まぁ、断る理由がないからな。隣だし、飯も別に用意してなかったから」
「だそうだ。良かったな、圭ちゃん」
「やった!ねぇ八にぃ、おにぃが夕飯作ってる間、一緒に読もう?」
「お、おう…」
ていうか今更なんだが、圭って確か昨日読んでたんだろ。なんでまた同じのを見たがる。いくら泣けるぐらい良かったとはいえ、昨日読んだものを今日読むなんてわけ分からん。
まだ涙出し足りないのか。そんなに恋愛脳になりたいのかこいつは。
結局、夕飯が出来上がるまで途中まで読んでいたのだが。
「…や、やべぇ……涙が…涙が止まらねぇよ……」
「うっわ比企谷めっちゃ泣いてる」
「はぁお前普通泣くだろ泣かねぇやつ誰だよ俺が泣かすぞ」
目の前が涙で歪む。
圭なんてもう序盤から涙零し始めてたし。いや本当、反則級だわ。
「パパ退勤……って、何がどういう状況だ」
「あ、ども……お邪魔してます」
「うむ、いらっしゃい。とりあえず何故泣いているのか現状に追いつけてないパパに教えてくれんか?」
俺や白銀が、"今日あま"のことについて話す。
「…とりあえず、まずは皆で夕飯を食べよう。涙流しながら夕飯食べていると、インターハイとか夏の甲子園で負けたスポーツ選手を思い浮かべてしまうのでな」
そんなわけで、一旦"今日あま"を読むのをやめて夕飯にした。
そして夕飯を食べ終え、皿洗いも終えていち段落してから、また"今日あま"を読み始めた。今度はまさか、白銀と白銀父も交えて。
「わああぁぁぁん!」
「うおおぉぉぉん!」
「うっ…うぉ…」
全員泣きました。白銀兄妹は昨日読んだばかりなのに、思いっきり号泣する。白銀父は歳からか、二人のように号泣はしなかった。だが、鼻根辺りを摘んで泣いている。
本当、人間達の涙を枯らすつもりかよ。この悪魔の書物は。
"今日あま"……全く恐ろしいぜ。グフっ……。