「へっくちっ。今日は寒いですねー。早く夏来ないかなぁ」
何今のくしゃみ。ちょっと可愛い。
「夏が来たら来たで暑いから嫌なんだけど」
「随分と気が早いな。まだまだ春は続くぞ」
「いいえ!時間なんてあっという間に過ぎるんです!うかうかしてたらなーんにもないまま卒業ですよー?」
と、藤原がまともなことを言うが、なんだろう。どこからか心に傷を負った音がするのは俺の気のせいか。
「…そうだな。もう入学して既に1年経ったしな。まぁ俺は入学してから2、3ヶ月は学校に行ってなかったけど」
「あ、そっか。比企谷くん、入学式当日に交通事故に遭ったんですよね」
そう。藤原の言う通り、俺は過去に交通事故に遭っている。
入学式当日、新しい高校生活になんだかワクワクし、1時間も早く家から飛び出して学校へと向かった。
そんな道中、横断歩道を渡っている少女に車が勢いよく向かっていくのが見えた。結果、その少女を庇って入学ぼっちが確定した瞬間だった。
「まぁ事故があってもなくても、別にやることは変わらんかっただろうよ。何にもないままのんびり過ごすだけだ」
「比企谷くんって、本当退屈な人生送ってますよねー」
「余計なお世話だ」
「あっ、じゃあこうしましょう!夏休みになったら、生徒会のみんなで旅行に行きましょうよ!」
「それはいいですね。親睦も兼ねて、どこかに行きましょうか」
えっ面倒。夏休みは実家に帰って、小町に甘やかされながらクーラーの効いた部屋で過ごすと決めてるんだけど。
「比企谷くんも行くんですからねー?」
なんで行かないってことが分かったんだ。このダークマターの親戚が。
「…で、なんでもいいけどどこ行くんだ?」
「そうだな。行くならやっぱり山…」
「海ですね。海以外あり得ません」
白銀の言葉を遮って、四宮が海だと主張する。遮られたものの、白銀は"山"と言ったのを確かに聞いた。
海と山って、結構コテコテだな。
「山より海の方が近いですし、あまり移動時間も取られません」
「距離などを気にしてどうする。近場で済ませるならなんのための旅行だ」
なんでこいつら互いに意固地になってるん?別にどっちでもよくない?
だが、こいつらがここまで張り合うってことは、何かを企んでいるに違いない。
四宮が海にしたい理由は、なんとなく想像がつく。
好きな男子がいる女子は、自分の水着を見て欲しいという願望がある。そこを突いて、白銀をメロメロにするって算段だろう。
反対に白銀が山にしたい理由は……。
えっ分かんね。なんでこいつ山選んだの?結構ハイキングとか好き系男子なのか?
俺はそんな考えに至り、両者の顔を窺う。四宮はなんだか勝ち誇った顔している。が、白銀は……。
「(海?海だけはダメだ……俺は泳げないんだッ!)」
なんでこんな焦った表情してんの?
…こいつまさか。
「お前泳げ…」
「るに決まっているだろう!?何をバカなことを言っているのだ比企谷は!クロール平泳ぎバタフライ犬かきなんでも来いというくらい、俺は泳げるのだ!」
「お、おう…」
こいつ泳げねぇな。多分、太ももが浸かる程度くらいしか入れないんだろうな。
まぁ白銀からすれば、泳げないことを知った四宮に揶揄われるのは恥ずかしいことなんだろう。分からんでもないけど、今の発言は余計に自分の首を絞めたな。
「…しかし、やはり山に行くべきだと思うのだ。海は人が多いし、身体がベタついてしまうだろう」
「問題ありません。四宮家の所有するプライベートビーチを用意しましょう。勿論私達以外に人はいませんし、徒歩30秒の位置に温水シャワーの設備もありますので、ベタつきの心配はありません」
「…日に焼けるぞ。日焼けは乙女の大敵じゃないのか?」
「最高級の日焼け止めクリームを用意しましょう。一流のエステティシャンも呼んでおきますので、肌のアフターケアも万全です」
「…サメが出るかも」
「フロリダから一流のハンターを呼んでおきましょう。ディナーはフカヒレですね」
「いや金持ち過ぎるだろ」
学生の旅行でこんなに気合いを入れるやつは見たことがない。白銀が海のデメリットを次々と意見するが、四宮はそれを軽く返した。
「山は夏じゃなくてもいいじゃないですか。海は夏しか行けないのですし。それに、山は天気が荒れやすいですよね。折角の旅行なのに、もし雨が降ったとなればずっと室内ってこともあり得ます」
「ぐッ…!」
「それに虫も多いですよ。蚊がいれば、蛾や毛虫、ムカデなども生息しているでしょう」
その瞬間、白銀の表情が恐怖に染まる。その表情を見た瞬間、俺は察した。
こいつ虫苦手なんだな、と。
なんと分かりやすいやつなんだろうか、本当。
白銀は苦悩した挙句、観念した。
「……水着買っておくか」
白銀が山を断念した瞬間、四宮は小さくガッツポーズする。
「あ、そうですねー。私も去年のサイズ合わなくなっちゃって。新しいの買わなきゃ」
この女、まだ膨らむというのか。男子のロマンが詰まったメロンが。
「…比企谷くん、ちょっと見過ぎです。えっち」
「え?あ、わ、悪い!」
しまったしまった。ナチュラルに藤原が持つ戦車級のメロンを凝視していた。あれが俗に言う、万有引力ならぬ万乳引力というやつか。
「……山にしましょう」
「ええ!?」
先程まで海を推していた四宮が、掌を返すように山だと主張する。
「海はベタつくし、人も多いしサメも出ます。山にしましょう」
「おいさっきまでの四宮の財力自慢はどこいった」
「いや海だ!山は雨が降るし虫も出る!海にしよう!」
「どうなってんだ」
こいつら一体何を悟った。なんで急に真逆のことを言い出したんだ。
「山です」
「海だ」
「山!」
「海!」
「山!」
「海!」
「や!」
「う!」
「ま!」
「み!」
収集がつかなくなってんじゃねぇか。
「なら、藤原書記に決めてもらおうじゃないか!」
「えっ、私ですか!?」
「ええそうしましょう」
「ち、ちょっと待ってください!比企谷くんは!?」
「比企谷のことだ。二択を選ばず、家とか言いかねん。アテにならん」
「喧嘩売ってんのか」
この恋愛経験素人のカナヅチ虫嫌いチキン野郎。言い過ぎだろそれは。いや、確かに迷いなく家を選ぶけども。だからって言いたい放題かこのモンスター童貞が。
「…だとさ。藤原はどっち選ぶんだ?」
ある意味、究極の選択を迫られた藤原。さぁ、彼女の選択は如何に。
「え、えっと〜……どちらかというと……山?」
藤原は山を選択。四宮、再びのガッツポーズ。白銀、再び敗北を知る。ハッ、ざまあみろ。
「あっ、山は山でも……恐山に行きたいです〜」
んんん?
みんな山って想像したらさ、人の手が入ってない道を登って頂上を目指したりするわけじゃん?
山って言って、なんでそんなホラー染みたところが出てくるのん?
いやいや待て。もしかしたら俺の聞き間違いかも知れないし、彼女の言い間違いかも知れない。きっと彼女は、おとぼけさんと言ったのかも知れないな。うん、決めつけはよくない。
「藤原。もっかい聞くわ。どこに行く気だ」
「だから、恐山ですよ恐山。まさか、知らないとか言いませんよね!?」
「知ってるわ」
聞き間違いでも言い間違いでもなかった。彼女ははっきりと、恐山と言った。
「賽の河原に血の池地獄。輪廻を回す風車がいーっぱい!それに、八葉蓮華の山並みっ!折角だから、イタコさんに死者の霊を口寄せしてもらいましょう」
なんでそんなウキウキしてられるの?およそ学生の行く旅行先じゃないんだよ?
「誰がいいかなぁ〜…キリスト?ブッダ?聖徳太子とかもいいですよね〜」
「…まぁ。夏が来たら、考えるか」
「…そうですね」
「比企谷くんはなんの死者を口寄せしてもらいます?アリストテレス?シェイクスピア?それともクレオパトラですか?」
怖い。こいつは人にぶちまけることが出来ないような闇を抱えていたのか。
頼む。誰か藤原の取り扱い説明書か攻略本を持ってきてくれ。一体どうしたらこんなわけ分からん生命体になってしまうんだ。
結局、夏休みの予定は依然空いたままである。