「…そういう事だったのか」
早坂が俺の家に来た翌日。昼休みにベストプレイスにて、早坂と共に昼飯を摂っている。修学旅行2日目の一件以降の話を、彼女から聞いた。
四宮家から解放された早坂は、もう近侍として尽くす事は無く、今はこの10年間で貯めた貯金で1人暮らしをしているそうだ。そして学校生活を楽しむために、秀知院に残る事になった。四宮かぐやとは個人的な付き合い、つまり友人として関わる事になり、前よりも仲が深まったらしい。
「君が助けてくれたおかげだよ。私がこうして秀知院に残る事が出来たのも、かぐやとまた話す事が出来たのも」
隣に座った早坂は、頭を傾けて肩に乗せる。
なんでこいつこうも距離詰めて来るの?今はディスタンスの時代だよ?
「…距離が近い。離れろ」
「2人乗りしたのに今更じゃん。後ろから思い切り抱きついてさ」
「あれは不可抗力だ。離したら道路のシミになってた」
「シミて」
自分で運転するのじゃわけが違う。離したら一貫の終わり。間違いなく後ろから走って来る車に轢かれた事だろう。
「あ、そうだ。ねぇ、今日八幡の家行って良い?」
「昨日来ただろうが」
「そうじゃなくて。泊まって良いかって事」
何をトチ狂った事を言ってるんだろうか、このパツキンガールは。
男子の家に、しかも仮にも1人暮らしの家に泊まろうとするなんて、何を考えてやがる。ビッチか。早坂って実はビッチ気質だったのか。
「良いわけないだろ。なんでOK貰えると思ったんだよ」
「ダメなの?」
「当たり前だろ。普通に考えろよ」
「でも、眞妃様とクリスマスにインド旅行したじゃん」
マジで怖い。なんで俺のプライベート筒抜けなの?四条から誘われた時、どっかで聞き耳立ててたの?
「眞妃様は良くて、私がダメな理由って何?」
「いや、別にそんな理由は無いけど…」
「じゃあ良いよね。眞妃様と泊まったんなら、私だって良いよね」
「や、その理屈はおかしいだろ」
「何もおかしくないよ」
自由になったからって、ちょっとやり過ぎじゃないですかね。早坂の詰め寄り方に少し恐怖を覚えちゃいますよ。
「…あ、でも」
「うん?どうしたの?」
「いや、夜になってたら圭……白銀の妹が毎日来るから。あんま知らない人と気まずくならないんだったら別に構わんけど」
「……ふうん」
早坂のこちらを見る目が、途端に冷たくなった。声色も一段と低くなって、冬の寒さに加えてより鳥肌が強く立った。
「八幡は、中学生の女の子と毎日一緒に夜を過ごしてるんだ。それって一歩間違えれば犯罪だよ?」
「う…」
まぁ確かにその通りだ。
付き合ってないし、圭に手を出しているわけでは無いが、男子高校生と女子中学生が夜に一緒に居るってのは、傍から見れば問題なんだろう。
「もし八幡が言えないなら、代わりに私が言ってあげようか?」
早坂がそう提案するが、ただ善意だけで案を出したようには見えなかった。他に、何か企んでいるかのような。
「…いや、折を見て俺が言っとく。最悪、白銀に伝えるとかなんとかして」
「…そっか。なら良いけど」
簡単に納得して貰えば良いんだけどな。
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私は早坂愛。四宮家の元スパイで、四宮かぐやの元近侍。今はただの、秀知院学園の生徒の早坂愛。
唐突だけど、私には好きな人が居る。
名前は比企谷八幡。外部から秀知院を受験した、ただの一般生徒。両親がとんでもない偉人でもなく、ただただ千葉の一般家庭に産まれた長男。
私は彼の事が好きだ。
最初の出会いから見た彼の印象は、侮れないという事。私は普段、素を隠して生きてきた。秀知院の人間にも、かぐやにも。自分を偽り、悟られないように生きてきた。
学校に居る間はギャルとして擬態し、周りの情報を探っていた。だから周囲からも、私はそういう人間だと認識させる事が出来たのだ。
そのギャルモードで、私は彼に近づいた。しかし。
『ダウト。ちょっとあざとい』
二言三言交わしただけで、彼に看破されたのだ。
見破られてしまった私は、今度はかぐやの近侍の雰囲気で彼に再び話しかける。しかし。
『ダウト。お前本当なんなの?』
彼に私の擬態が通じなかった。少し言葉を交わしただけで見破られたのは、正直驚いた。
『…別にお前がそうしたいなら俺から何か言うのは筋違いだろうけど。ただ、ずっと続けてるとしんどくなるってことは覚えてた方がいい』
そう言ってくる彼に、私は苛立ちを覚えた。
『…貴方に何が分かるの』
『ん?』
『人間、演じていないと愛してもらえない。弱さも醜さも、演技で包んで隠さなければ愛されない。ありのままの自分が愛されるなんて絶対ない。愛されるために、嘘をつくのが人間だから』
皆が皆、ありのままを見せるなんてあり得ない。見せた所で、結局は失望する人も居るのだ。
人は、嘘を纏わなければ生きていけない。
『貴方は、比企谷くんは他人に見せることが出来る?弱いところも醜いところも。虚勢も背伸びもない、本当の比企谷八幡を』
人間は、他人に弱い部分を見せたがらない。もし弱い部分を見せれば、人は自分から離れていってしまうから。
『…そうだな。人間、嘘をつく生物だ。自分をよく見せるため、人に愛されたいため、様々な理由で嘘をつく。お前が言っていることは決して間違いじゃない。正直なところ、俺だって嘘をつかれるのは好きじゃない』
『……』
『なんでお前が演じてまで愛されようとするのは分からんし、お前の境遇に同情は出来ない。けど少なくとも、演じて愛されるものは嘘の愛だ。そんなもん、すぐぶっ潰れる』
『…じゃあどうしろって言うの』
そうしなければ、愛して貰えない。
『演じなくても愛されない、演じて愛されようとすれば壊れてしまう。私は、どうしたら……』
『簡単だ。素のお前を出せばいい』
『は…?』
この男は何を言ってるんだ。素を出したら結局、嫌われてしまうではないか。
『さっきから演じてなければ愛されないって言ってるけど、そんなことはない。素の自分も、嘘をつく自分も全部引っくるめて許容する人間はいるからな。世の中の広さ舐めんな』
そんなの嘘だ。そんな人間、世に居るわけが無い。
『まぁすぐにそんなやつが見つかるとは思えない。けど、お前のことを大切に思うやつは出てくる。演じていない、素のお前を愛してくれるやつがな』
本当にそんな人が居るのだろうか。こんな醜い女を受け入れてくれる人間が、本当に。
『…まぁあれだ。相談事なら、聞いてやらんでもない』
彼の、八幡のその言葉に目を見開く。
『曲がりなりにも生徒会の人間だからな。うちの生徒会の理念の一つとして、悩める生徒を放っておかないっつーのがあるし。今すぐ言えとは言わない。…お前の気が向いたら、話くらい聞いてやる』
彼なら、もしかしたら。私を、本当の早坂愛を受け入れてくれるのかも知れない。
その出会いから、私は八幡と関わるようになった。
関わっていくと、彼は優しい事に気付いた。捻くれながらも、他人の心に寄り添おうとしている分かりづらい優しさ。
そんな彼が段々と気になって、いつの間にか彼を意識していた。
この人が、本当の私を受け入れてくれる人なんだ。八幡の隣に居られたら、嘘の私も本当の私も受け入れてくれる。
けれどそう思う度に、私は私自身が嫌いになっていく。
かぐやを、八幡を裏切っているのだから。かぐやの一挙手一投足、八幡の個人情報などを四宮家に流していたから。
私は彼の事が好き。でも、彼の隣に居る資格が無い。例え受け入れてくれたとしても、私は私自身を許せない。
だからこの恋は胸に仕舞った。私は彼とは結ばれない。そう思っていたから。
けれど、私以外の女が八幡の隣に居るのも気に入らない。
特に1年の風紀委員の伊井野ミコ。
彼に迷惑を掛けているだけなのに、彼女は八幡から優しさを貰っている。無償の愛を貰っている。
気に入らない。気に食わない。
ずっと妬ましかった。手が届かない上に、眼前で彼が他の女と一緒に居る事が嫌で嫌で堪らなかった。ただただ黒い気持ちが溜まっていく一方だ。
でも、もう我慢しなくて良い。四宮家から解放された私は、何をしても咎められない。誰かを裏切る事もない。私を自由にしてくれた八幡には、本当に感謝している。
彼には、私だけを見て貰おう。そのためには策を練ろう。かぐやが会長にやっていたように。
彼には、私だけを。
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「面倒くさ…」
修学旅行が終わっても尚、生徒会はしっかりやるらしい。俺は鞄と土産の袋を持って、生徒会室に向かおうとした。
その途中。
「比企谷先輩!」
背後から高い声で俺の名前を呼ぶ。振り返ると、伊井野と大仏がそこに居た。
「なんだか久しぶりですね、比企谷先輩っ」
「まぁ修学旅行だったからな」
1週間の半分以上が修学旅行だったし。
「あぁそうだ。ほれ、土産」
俺は紙袋を伊井野と大仏に渡した。
一応、生徒会の先輩として、後輩に土産を買っておこうという気遣いくらいはあるのだ。大仏は別に生徒会に関係ないが、まぁそこそこ長い付き合いではあるし、買わない理由は無い。
「ありがとうございますっ」
「私にまでどうも」
伊井野と大仏は各々、紙袋の中身を確認していた。まぁ大体食い物しか買ってないけどね。
「…というか、伊井野腕治ったんだな」
「あ、はい。皆さんが修学旅行に行ってる間にもうギプスは取って良い許可を貰ったので」
「そうかい。ならもう俺はお役御免だな」
「はい。……残念です」
ボソッと小さく言ったのを俺は聞き逃さなかった。
いやマジで治って良かった。授業の事は大抵、石上がやってくれるのだが、それ以外は俺がほとんど世話をしてたのだ。
骨折している事を良い事に、伊井野はめちゃくちゃ甘えてきたのだ。傍から見れば、およそ先輩後輩の関係に見えなくてもおかしくは無かったレベル。
何度も何度も伊井野の家に上がったりもした。とは言っても、家政婦さんも居たから俺が居る意味もあまり無かった気がするが。
帰ろうとすると、伊井野は何度も引き止めたのを覚えている。なんなら泣きそうだった時もあった。
本当に、ただの骨折で良かった。色んな意味で。
「じ、じゃあ俺先行くわ。また後でな」
土産も渡したので、俺はそそくさとその場を離れて生徒会室に向かった。
「待ってください」
そうは問屋が卸さない。伊井野が俺の腕を掴んで静止する。
「え、何?」
「もし良ければ修学旅行の事、聴かせて貰ってもよろしいですか?例えば、誰と周ってたか、とか」
待って怖いマジ怖い。目から闇が溢れ出してる。口角は上がってんのに目だけがイカれてる。
「ミコちゃん、そんな夫が浮気した時に詰め寄るような真似止めなよ。比企谷先輩、びっくりしてるでしょ?」
その例えはちょっと怖いから止めて?伊井野の場合、本当に問い詰めそうで怖いから。問い詰めるって言うか追い詰めそう。
「そもそも比企谷先輩に一緒に周る人が居ると思う?」
おっと今大仏にさりげなくディスられたんだけど。
「…だって。比企谷先輩の周りって女が多いんだもん。私が見てない間にやらしい事してるかも知れない」
「いやしてないから」
なんでそういう考えになるの?この風紀委員ちゃん本当思春期過ぎない?
「ミコちゃん。修学旅行の話は、またゆっくり話す機会を作って話して貰ったら良いじゃない。そろそろ生徒会の時間なのに、このまま廊下で喋ってたら遅刻しちゃうよ」
「う……分かった」
とりあえず、今の所はなんとかなった。流石は大仏。伊井野のコントロールが上手い。
「では、また改めて話を伺いますから。行きましょう」
伊井野は先に歩き出し、生徒会室に向かった。
「悪いな、大仏」
「…それで、結局どういう感じだったんですか?どんな熱いシチュで…」
「大仏お前もか」
風紀を取り締まる役員とはいえ、中身はしっかり思春期高校生でした。
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「本当にまた来てる…」
生徒会が終わり、俺は我が家に帰った。しかし玄関前で彼女、早坂は大荷物を持って待っていた。
「生徒会、お疲れ様」
「…帰るって選択肢は無いのか?」
「だったら最初から泊まるなんて言わないよ」
どうやら本気で泊まるようだ。
確かにインドで四条と泊まったが、あれは別々の部屋だった。しかし今回は違う。どう考えても完全にアウトなやつ。
「…変な事したら叩き出すからな」
俺は扉の鍵を開けて、ドアノブを回した。
「上がれよ」
「お邪魔します」
早坂が先に上がり、その後に俺も上がった。部屋の電気を着けて、鞄をその辺に置いておく。
「あ、そうだ。八幡、夕飯まだだよね?もし良かったら、私が作るよ」
「いや、客人に作らせるのは…」
「私が押し掛けたみたいな感じだし、ね?泊まる代わりぐらいの事はしたいから」
じゃあ最初から来ないで下さい。料理は良いから今すぐ自分の家に帰って下さい。
「…材料はまだ多分あるだろうから、それ使ってくれ」
「うん、分かった」
早坂は台所に立って、料理を作る準備に入る。
「手伝うぞ」
「良いよ、八幡は座ってて」
どうやらお邪魔だったようだ。
早坂の言う通り、俺は彼女が料理を作り終えるのを時間を潰して待つ事にした。
「八幡って、嫌いな物は確かトマトだったよね」
「なんで知ってんだよ」
「八幡が言ってたんじゃん。トマトが1番嫌いだって。"嫌いな物を食べない事は悪くない。むしろ無理して食べる方がお互いに不幸だ"とか寝言吐いて」
「…よくそんなもん覚えてんな」
「覚えてるよ。八幡と話した事は全部」
トマトを嫌いだとか言った記憶があんまり無いが、早坂がそう言うならそうなんだろう。大切な事は覚えていても、興味無い話はそこまで覚えていない。俺の好き嫌いなんて、どうでもいい話だからな。
「って言っても、そもそも八幡の家にはトマト置いてないね」
「当たり前だ。あれだけは無理だ。ガチで」
あの口の中でトマトがグジュグジュするのが嫌だ。味云々の問題じゃない。食感が無理。
「子どもみたい。可愛いね」
「普通だろ」
好き嫌いは人として当たり前だろ。むしろ、好き嫌い無い奴は人間として怖い。食べ物でなくても、何かに関して人は絶対好き嫌いがある。無い奴は、感情の無いアンドロイドと同じだろう。
そうこう話している内に、早坂は料理を完成させてこちらに持って来てくれた。
「はい、出来上がり。オムライスだよ」
「…おぉ…」
こいつ家事力凄ぇな。いやまぁ考えてみれば、何年も四宮の近侍として仕えていたわけだし、これぐらい作れてもおかしく無いのかも知れない。
「…いただきます」
「どうぞ」
焼かれた卵の膜にスプーンを突っ込み、千切りながら味付けされたチキンライスと一緒に口に運んだ。
その味は。
「…美味い。コメントに困る。金取れる」
「何その味気ないコメント」
早坂は笑い、彼女もオムライスを食べ始めた。
俺も続けて、オムライスを食べていく。やっぱ美味いな。店で出したら売れるレベル。
「…ん?」
ずっと食べ続けていると、途中から早坂がこちらを見つめている事に気付く。
「なんだよ」
「…八幡って、よくよく見ると子どもっぽい所あるよね。いつもは大人びてるのに」
喧嘩売ってんのかさっきから。
「目節穴なんじゃねぇのかお前。どこが可愛いんだよ」
バカバカしく思い、俺は彼女の視線など気にせずオムライスを食べていった。
すると、玄関の扉が開く音が。
「八にぃっ、今日は早く…来た……」
圭がパーカー姿で、俺の家に上がって来たのだ。
しかし、圭の視線は俺よりも向かいに座っている早坂に釘付けだった。ワナワナと肩を震わせて。
「八にぃがまた私の知らない女の人を連れてる!?」
と、大声で叫ぶ。
前は小町だったからすぐ納得したが、今回はガッチガチのクラスメイトだ。
やっぱ来させるんじゃなかった。