https://syosetu.org/novel/280741/
今日も当たり前のように俺の部屋に居座る圭。しかし、いつものような明るさが見えない。どころか、暗いまである。
「…どうしたんだよ」
「ちょっと、大事な話があるの」
「…何だ?」
圭がこんなシリアスな雰囲気を出すのも珍しい。大事な話とはなんだろうか。
「引っ越しするの」
「マジか」
確かに大事な話……というか急な話だけど。まさか隣人が引っ越しするとは。
「急な話だが、なんかあったのか?」
「…お父さんが配信業で稼げてるって言うのも1つの理由なんだけど…」
「ん?」
今の聞き捨てならない内容だったんだけど。
「配信業…とは?」
「まだ言ってなかったっけ。パパ、YouTuberなの」
「…嘘やん」
待って。情報処理が追いつかない。
白銀パパがYouTuberになって?稼げてるから引っ越ししようってなって?
なんか知らん間にえらい事になってるじゃねぇか。
「…ほら」
圭がスマホを見せてくる。
映っているのはYouTubeのアカウントで、それは圭のアカウントではなく、紛れもなく白銀パパのアカウントだった。
アカウントの写真に白銀パパが映っており、チャンネル名は"借金5億円チャンネル"と記載されている。
驚くのはまだ早い。普通、周りの人がYouTuberを始めたとしても、良くて500人ぐらい居れば賞賛されるだろう。
しかし、白銀パパのYouTube登録者数は5万人であった。
「月に100万とかいってたし…」
「あの人何者だよ…」
隣人の父親がちょっとしたYouTuberとか何そのドッキリ。普通に驚いたわ。
「…それで、稼げてるから少し良い所に引っ越すって事か」
「それもあるんだけど…」
「…まだ何かあるのか?」
「ついこの間、お父さんの動画を観てる女の人がこの周りで彷徨いてたらしいの。しかも胸元の露出多い人で、家にまで付いてこようとしたんだって」
「えぇ…」
思いっきり通報案件じゃねぇか。
というか、あの人40代とかだろ。その女の人40代の男に恋しちゃったのかよ。
「…つう事はあれか?セキュリティの事も考えて、今の家よりももうちょい良い所に引っ越そうって事か」
「そういう事」
予算が数十万とかだったとしても、圭も白銀も自分の部屋が出来るだろう。その上、家自体の広さも今の家とはかなり違ってくる。
「…良かったじゃねぇか。気まぐれで始めた白銀パパに感謝だな」
「そう…だけど……」
圭は俺の服を掴む。まるで離れまいと意思表示しているかのよう。
「八にぃと離れちゃう」
「あ…」
確かに、言われてみればそうだ。
圭が毎晩ここに来れているのは、家が隣だからだ。しかし、白銀家が引っ越すとなると、今までのように圭や白銀パパと会う頻度が減るという事だ。
「…まぁ、別に今世紀最大の別れじゃないんだ。同じ東京に居るわけなんだし」
「じゃあ、新しい家に毎日来てよ。私の部屋に遊びに来て」
「…なんでそうなる」
「本当なら私が行きたいけど、夜遅くに八にぃの家に行くって言ったら2人が過保護になるし」
「まぁ俺でも流石に控えて欲しいけどな。道中でなんかあったらアレだし」
「だから八にぃが来て?八にぃなら、2人は何も言わないだろうし」
「や、流石に毎晩はな…」
俺の家だから圭が来る事を許容しているわけで、俺が毎晩白銀家に訪ねるのは、白銀や白銀パパから見てどうなのだろうか。そもそも付き合ってすら無いと言うのに。
「やっぱダメだ。月1ならまだしも、毎晩白銀の家に…というか圭の部屋に行くのはダメだ」
「…なんで?前にも言ったけど、今更常識人ぶらないでよ。毎晩私をここに入れてる時点で、八にぃは非常識な人なんだよ?」
「ダメだ」
俺は厳しくそう言い放った。
隣人だからこそ、許された夜の時間なんだ。隣人で無くなってしまった以上、必要以上に白銀家に行くのは良くないのだ。
「…そう。じゃあ良い」
圭は不貞腐れたのか、その場から立ち上がって部屋から出て行った。
「…はぁ…」
今ので納得すれば良いんだけどなぁ…。あいつも頑固なとこあるし。
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翌日の昼休み。
毎日のようにベストプレイスでパンを食べている中、誰かの歩く音が聞こえてくる。足音は徐々に近づき、それは目の前に。
「見つけた。八にぃ」
「え…」
目の前に現れたのは、なんと圭だった。お弁当を持って来て、ナチュラルに俺の隣に腰掛ける。
「いや、ちょっと待って?なんで居んの?」
「だって夜は一緒に居れないんでしょ?だったら昼休みなら問題は無い。中高一貫校だから、高等部の出入りだって出来ないわけじゃない。前に一度、生徒会室にも行ったじゃん」
「そうだったが…。つか、よくここに居るって分かったな」
「分かるよ。八にぃの事なら、なんでも分かる」
圭が何気なく呟いた言葉に、俺は背筋がゾッとした。その言葉の真意を確認せず、俺はパンを再び食べ始めた。
「昼休みなら良いよね。一緒に居ても」
「…まぁ、そうなるのか?」
「じゃあこれからの昼休み、私ここに来るから。もし別の場所で食べる時は連絡してね」
これからの昼休みは、俺のベストプレイスで圭と一緒に食べる事が決定した。昨日の事は全く納得しておらず、妥協案を出して来る始末。
「…一応、聴いて良いか?」
「何?」
「昨日俺が言った事、納得して無かったんだよな?こんな妥協案出したって事は」
「当たり前でしょ」
いやそんな当たり前にされても。あれ普通納得して帰る流れじゃね?いやまぁただで済むなんて思って無かったけどさ。
「私は離れない。八にぃがどこに居ても」
白銀よ。お前の妹、ちょっと拗れてませんか?大丈夫ですか?
というか、離れないは無理があるだろ。俺卒業したら千葉に戻るかも知れないってのに。
「あ、そうだ。引っ越しまでの間、一緒に帰ろう?」
「え」
「思えば、今まで一緒に帰った事無かったし。ね?一緒に帰ろうよ」
確かに、言われてみれば一緒に帰った記憶が無い。共に生徒会に入っているものの、終わる時間は違う。だから一緒に帰る事が無かったが。
「もし八にぃの生徒会の方が遅くなっても、私待つから」
これは断れない流れでしょうか。トントン拍子で決まっちゃってるのですが。
「いや、別に先帰ってても…」
「良いよね?」
「あ、はい。それで良いです」
中学生の圧に押し負ける高校生ってどうなんだろうか。
でも俺は悪くない。だって今の圭の目は、伊井野とほとんど一緒だから。断る選択肢は勝手に潰されているのだ。
最近の女の子って強かで怖い。
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生徒会が終わり、それぞれの帰路を辿る時間。既に日が落ちており、外は暗くなっている。
正門の方に行くと、圭が鞄を持って待っていた。
「あ、八にぃ!」
圭がこちらに寄って来る。小動物のような可愛さが垣間見えるが、言葉を誤れば肉食動物と化す。
「外で待つの寒かっただろうに」
「八にぃと一緒に帰れるなら、いつまでも待つよ」
うっわ泣きそう。めっちゃ良い事言うわこの子。時々健気になるのなんなの?反則じゃない?
「あれ、圭ちゃん?何してんの」
正門で話していると、後ろから自転車に乗った白銀がやって来た。
「引っ越しの間まで八にぃと帰るから。いつもより帰るの遅くなる」
「え、そうなのか?…いやまぁ比企谷が良いなら俺は特に口出ししないが…」
「…構わねぇよ」
「そうか。なら、俺は先に帰ってるからな。寄り道とかすんなよ」
「うっさい。過保護ウザい」
「えぇー…」
圭の反抗期は相変わらずだ。白銀は今の一言でノックアウトし、悲しい顔をして去って行った。
兄って不憫な存在なのだろうか。
「それじゃ帰ろ、八にぃ」
「あぁー、圭ちゃんだ〜!」
今から帰ろうって時に、1番面倒な奴と出会しちまった。後ろから高い声で圭を呼んだのは、藤原なのである。隣には、伊井野も一緒に居る。
「こんばん殺法!」
「こんばん殺法返し!」
なんなの?その奇妙なポーズで奇怪な挨拶を繰り出すのはなんなの?やっはろーより酷いんじゃないか。
「何ですかこれ」
「俺に聞くな」
2人のノリに付いていけない伊井野は俺に尋ねる。しかし、俺もよく分からんのだ。
「どうしたの?もう真っ暗なのに」
「八にぃを待ってたの」
「比企谷くんを?」
「うん。一緒に私達の家に帰るの」
おい白銀妹。それじゃ意味が違う。要らん誤解を招くだろうが。
「私達の家って何!?」
「比企谷先輩……どういう意味ですか?」
ほら見ろ。藤原は慌ただしくなるし、伊井野は闇を携えた目でこっちを見るし。
「同じアパートに住んでるだけだ。隣に白銀の家があるから、一緒に帰ろうって事だよ」
「あ〜良かった〜。てっきり女子中学生に手を出すロリコンになったのかと思いましたよ〜」
「そんなわけ無いだろ」
手を出していない。誓って言うが、
「というか比企谷先輩。その人は誰ですか?"八にぃ"って馴れ馴れしく呼ばれてますが…」
「私は白銀御行の妹の白銀圭です。兄がいつもお世話になっています」
と、礼儀正しく伊井野に自己紹介を行う。
「ご丁寧にありがとう。私は風紀委員兼生徒会会計監査の、伊井野ミコよ」
伊井野も伊井野で、圭に自己紹介し返した。ていうかどうでもいいけど、伊井野の自己紹介での肩書き長ぇな。
「比企谷先輩とは……長い付き合いになりますね」
「…そうなんだ?八にぃ」
わざわざ俺を巻き込むのは止めない?お前ら俺になんか恨みあんの?俺なんか恨み買う事したの?
「私も、八にぃとは長い付き合いなんですよ。何度も家にお邪魔する間柄なので」
「は?」
圭のその言葉に冷たい「は?」で返しながら、虚ろ目で俺を見る伊井野。
「先輩…まさか本当に手を出したんですか?」
「出してないから。そんなんしたらただの変態じゃねぇか」
「毎日毎日、八にぃは…」
「圭黙って?この場を荒らしてる事にそろそろ気付いて?」
口は禍の門だと言うが、ここまで綺麗に文字通りな事があるんだな。ことわざって凄いね。やはり国語は生きる上で必要になるよ。
「そもそも、私と八にぃのプライベートに部外者は引っ込んでてください。伊井野先輩は関係ないでしょ」
「風紀委員として、秀知院の生徒を規則正しい学園生活を送るように指導する権利があるの!貴女と比企谷先輩のそれは、秀知院の生徒としてあるまじき振る舞いよ!」
「別に先輩が思うような事は何一つしていませんけど。隣人の家にお邪魔して勉強を教わったり、遊んだりする事の何がダメなんですか?」
「まだ付き合ってもいない男女が、毎日のように密室で一緒に居る事が問題なの!」
出会って早々、圭と伊井野の間に険悪なムードが漂っている。止めるタイミングをミスった俺に、藤原はこそこそと尋ねてくる。
「本当に圭ちゃんを家に入れてるんですか?」
「…まぁ事実ではある。だが圭も言った通り、お前らが考えてるようなやらしい事はしてねぇ。というか俺にそんな度胸は無い」
「比企谷くんってチキン気質ですしね…」
おいこらさりげなくディスんなよ。
俺はチキンじゃねぇ。骨無しチキンだ。…もっとダメじゃね?それ。
「というか、これどうやって収拾を着けるんですか?」
俺が介入したら余計にいざこざが起きそうな気するけど、元を辿れば原因は俺にあるんだよな。なら、俺がこの場を収めなければならない。
でも全然収める方法が無くてマジヤバい。
片方を諭せば、絶対に文句を言われてしまうのが目に見えている。例えば、だ。
『伊井野の言う事は間違ってないぞ。俺が許容してるとはいえ、あまり女子中学生が男子高校生の家を毎日出入りするもんじゃない』
『…八にぃ、伊井野先輩の肩を持つんだ。私を擁護してくれないんだ。へぇ…』
最近、圭が怖く感じてきてるんだよな。と思えば、さっきの時みたいに可愛らしい時もあったりするし。
一方で、伊井野を諭すとどうなるか。
『一応俺が許可してるし、伊井野が思ってるような事は何もしてない。だからあんま責めるのは止めてやってくれないか?』
『…なんでですか?もしかして、私の事嫌いになったんですか?…嫌っ……嫌だ嫌だ…!』
どちらも容易に予想出来過ぎて怖い。
両方を鎮めるような打開策を思い付かない。世の中そんな上手くいかないってか。笑えねぇわ。
で、どうしよ。
「ここは私に任せてください!仲良し警察の出番です!」
出た仲良し警察。久しぶりに登場したぞ。ラブ探偵だの仲良し警察だの、掛け持ちかよ。社畜精神凄ぇな。
藤原は何故かポケットからホイッスルを取り出して、音を鳴らしながら2人の間に介入する。
「圭ちゃん、ミコちゃん!喧嘩を続けるなら、仲良し警察が取り締まるよ!」
「藤原先輩…」
「これ以上喧嘩を続けるなら、比企谷くんは私が貰っちゃうけど良いの?」
「ち、千花ねぇ!?」
えっあいつ何言ってんの?火に油注ぎに行くために割って入ったの?放火魔かあいつは。
「どうする?私的には圭ちゃんとミコちゃんにも仲良くなって欲しいんだけどな〜。でも出来ないんだったら、私と比企谷くんでラブラブの放課後デートに行っちゃうよ?」
誰だよ火に油の代わりに小麦粉ぶっ込んだの。粉塵爆発しちゃってるよ。油よりタチ悪いぞ。
「…分かった。でも八にぃと一緒に帰る約束した!それだけは絶対譲らない!」
「そっか、それなら良かった。それで、ミコちゃんは?」
圭は藤原の爆弾発言に納得したが、伊井野は未だに納得していなかった。
「…でも…」
「ミコちゃん。また今度、比企谷くんのお家にお邪魔しようよ」
ん?
「比企谷くんが本当にやらしい事をしていないか、監視をするの。そのためには、家に上がる必要があるでしょ?」
ちょっと待てお前何言ってる。
「確かに…」
「確かに…」じゃない。酷い暴論だ。納得すんなそんなもん。
おい大丈夫か仲良し警察。2人の喧嘩を仲裁する代わりに、誰か犠牲になってないか。
「ね?だから喧嘩は止めよう?」
「…分かりました。比企谷先輩の事ですから、そんな不埒な事はしないと信じていますが…」
伊井野はこちらに視線を向ける。
「他の女に手を出したら、許しませんから」
「私もだよ、八にぃ」
同時に圭もこっちに視線を向けて、そう訴える。
こういう時に息合うのなんなの?この間の早坂といい、急に連携しないで?
「…お、おぅ…」
「…では、私は帰りますから。くれぐれも、お互い手を出さないように」
「あ、ミコちゃん!私も一緒に帰るよ!じゃあね、圭ちゃん!比企谷くんも、また明日!」
伊井野と藤原はそう言って、一足先に正門を潜って家に帰って行った。
「私達も帰ろ?八にぃ」
「…そうだな」
俺と圭も正門を潜り、共に帰宅先のアパートへの帰路を辿った。
「早坂さん以外にも、手を出してたんだね」
「あれは手を出したとかじゃないっつの」
「でも、すっごく懐いてた。何したらあんな事になるの?」
「それは伊井野に聞いてくれ…」
誰がなんで懐いたかなんて、懐いた本人しか知らんだろ。
「あの伊井野先輩との出会ったきっかけ、教えて?」
「え。いや、なんで…」
「教えて?八にぃ」
「あっはい喜んで」
もう一度尋ねよう。女子中学生に気圧される男子高校生はいかがなものだろうか。
答え。みっともない。
ったく、目から汗が出てきやがったぜ。…ぐすっ。