2年生が終わり、春休みに突入した。次のクラス替えまでは極力家から出るのを控えようと考えたのだが、俺が今読んでいる漫画の最新巻が今日発売だったのだ。
しかし。
重い腰を上げて、わざわざ休日に外に出たのが間違いだった。
「あっ」
「え?…げ」
俺は休日に外に出ると、なんらかの災害に遭う呪いにでもかかっているのか。休日に1番見たくない人物、いや、人物達。
それが一体誰なのか、察しの良い画面の向こうの君達は分かるだろう。では答え合わせと行こうか。
「比企谷くん、こんにちは〜」
「あはっ。久しぶりですねぇ……比企谷さんっ」
「あぁー、比企谷くんだ〜」
答えは、藤原千花、藤原萌葉、藤原豊美の藤原三姉妹である。前に一度、似たような状況下で絡まれ、藤原家に拉致された。結果、消えぬ傷心が刻み込まれたのだ。
ここはつべこべ言わず、回れ右。
「はーい待ってくださいね〜」
逃げだそうとした俺の両肩を、藤原妹が力強く掴んで引き止める。
ヤバい、震えが止まらない。さっきから寒気しかしない。四宮に殺意を向けられるとは違う意味で怖い。
「久しぶりだね〜、比企谷くん」
俺的には2度と会いたくなかったんですけどね。
「比企谷くんはこれからどこかに行くんですか?」
ナイスだ藤原。ここでこいつらが誘いにくくなるような用事を伝えれば、妹も姉も誘って来る事は無い。誘う気が無いなら無いで、尚更良い。
「あぁ、ちょっと今から千葉に帰る所でな」
「へぇ〜。手ぶらでですか?」
クソが。疑ってんじゃねぇよ藤原妹。頼むから何もツッコまずに解放してくれ。
「どう見ても、実家に帰るって格好じゃ無いと思うんですよね〜。今から近くの本屋なんかに行くような格好ですもん」
怖い怖い怖い。なんでこのサイコパス、俺が本屋に行く事ピンポイントで当ててんの?サイコパスだけじゃなくて超能力も備えてたの?この世滅びるぞ。
「そ、そんなわけないだろ?考え過ぎだ」
「あれ〜、なんか動揺してませんか?あ、もしかして萌葉の言った事が当たってたとか?」
全部見透かされてんじゃないかって思う自分がいる。
しかし、そんなわけが無い。本屋に行く事を当てるなんて偶々だ。もし知っていたなら、俺の家に盗聴器を設置しているって事になる。
「推理ドラマの見過ぎだ。千葉なんて電車に乗るだけなんだから、そんな大荷物要らんだろ」
「そうですか〜。あ、じゃあもう1つ聞いても良いですかー?」
「なんだよ。まだ何か用あんのかよ」
「今から千葉に帰るのに、なんで駅とは真逆の方から歩いて来たんですか?」
「……あ」
しまった。俺が今行こうとしていたのは、駅から真逆にある本屋だ。わざわざそれを気にして本屋に向かったわけじゃないが、藤原妹を欺く為に千葉に帰ると言ったのが不味かったのだ。盲点だった。
「あれあれ〜?何にも言い返せないって事はぁ、嘘だったって事ですよねぇー?」
ここぞとばかりに詰めて来る藤原妹。本屋に行くって言えば良かったか。
「姉様〜、比企谷さんも連れて行って良いよねー?用事があるならその用を言えば良かったのに、嘘吐いたって事は何も用が無いって事ですもんねー?」
「私さんせ〜い。比企谷くんと一緒に遊びたーい」
藤原姉。妹の暴走止めろよ。なんで賛成しちゃってんだよ。藤原、お前生徒会のよしみで助けてくれ。その暁にはラーメン奢るから。
「良いですよ〜」
神はどうやら俺に味方しなかったようだ。どうやら今日を無事に生き延びない限り、最新巻を手に入れる事が出来ないらしい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ラウンドワンかよ」
また藤原家に拉致されるかと思いきや、有名な複合型レジャー施設のラウンドワンに連れて行かれた。ボウリング、カラオケ、ゲーセン、スポッチャの4要素が詰まった、子どもも大人も老人も楽しめる施設。
「折角だからメガパックにしよっか〜」
メガパックとは、ラウンドワンの全ての要素を味わい尽くせるオプションだ。それにするという事は、今日1日ラウンドワンで過ごすという事。どうやらすぐに帰る事が出来ないらしい。
そんなこんなでメガパックの手続きが終わり、まずはスポッチャに行く事になった。
「最初は何して遊ぼっか〜。比企谷くんは何したいのー?」
「…無難に卓球とかで良いんじゃないんですかね」
「さんせーい!」
適当にそう言った卓球が採用され、まずは卓球で遊ぶ事に。近くにあるベンチに荷物を置き、卓球台の横に置いてあるラケットを手に持つ。
「比企谷くん、やりましょうよ!こう見えても、少し得意なんですよ〜!」
藤原が自信満々にそう言って、俺に挑んで来た。卓球なんて体育でしかやった事ないけど、別段苦手じゃない。
「…まぁ、良いけど」
藤原姉、藤原妹はベンチに腰を掛けて俺と藤原の試合を観戦し始めた。
「それじゃあ行きますよ〜。それっ」
藤原のサーブから緩いラリーが始まった。少し得意とはいえ、互いに初心者同士。当てて返すだけのラリー。ラウンドワンでの卓球なんてそれで十分楽しいものだ。
だがしかし。
「死ねえッ!」
緩いラリーが一転し、鋭いスピードボールが俺の陣地に突き刺さった。さっきまで当てて返していたのが、突然ラケットを振り抜いたのだ。
というかさ。
「その掛け声おかしいだろ」
なんだよ死ねって。卓球にそんな物騒な掛け声は無いぞ。相手プレイヤーが萎縮するだろ。
「どやさぁ」
いや得意げにされても。
地面に転がったピンポン球を藤原に渡す。藤原は再びサーブの構えになるのだが。
「あ、あぁー!比企谷くん、あれ!あれヤバいです、ヤバいですよ!」
と、藤原が別の方向に視線を向けた。俺はそれに釣られて、藤原と同じ視線の先を見たその瞬間。
「うりゃあっ!」
勢いのあるサーブが打ち込まれる。だがしかし。
「あ」
そのボールは綺麗に藤原の陣地に返っていった。
「甘いんだよ」
隙を見てサーブを打ち込んでくる事が分かっていた俺は、一瞬視線を向けてすぐに戻したのだ。後は普通に返すだけ。それが綺麗に藤原の陣地に突き刺さった。
「比企谷くんすご〜い!」
むしろ今ので引っ掛かる奴が居るのだろうか。あんな見え見えの騙し打ち。生徒会随一の卑怯者のキレがまだまだだな。
「むぅー!」
唸るなよ。禰豆子かお前は。
その後は4人交えてダブルスを行なった。卓球を終え、次々とスポッチャにある要素を楽しんでいく。
ビリヤード、テニス、バッティング、サッカー、バスケ。様々なスポーツを続け様に遊んでいった。そして、最後にスポッチャで遊ぶことにしたのは。
「ローラースケートか」
「はいっ!ローラースケートで遊ぶ機会なんて滅多にありませんし!」
確かに、バッティングセンターやビリヤードなどはスポッチャじゃなくても出来るが、ローラースケートで遊べる施設をあまり知らない。街中で走るならまだしも。
「別に構わんけども」
ローラースケートで滑った事が無いから、どうやって滑れば良いのか分からんけど。最悪、掴める所に掴まって止まっていれば良いか。
ローラーが付いた靴を借りて、スニーカーから履き替える。普通の靴に履き慣れ過ぎていて、きちんと立つ事がままならなかった。何もしなくても転んでしまいそうだ。
「足ガクガク震わせて。可愛いですねぇ〜、比企谷さん」
「ばっかお前。転んで頭を打ったら危ないだろ。むしろこれは安全対策とも言える」
逆にこの三姉妹は何故バランスを取れているのだろうか。
今まで注目しなかったが、藤原って思いの外運動神経が優れているのだろうか。バレーもそれなりに出来ていたし。白銀に比べたら誰だって運動神経が良いんだろうけど。
「比企谷くーん、早くこっちに来なよ〜」
そんな上手く行けねぇんだよ。そう内心で悪態吐きながら、スケート場に入って行く。
「比企谷くんってローラースケート初めてですか?」
「まぁそうだな。滑る機会無かったし」
そもそもラウンドワンに来た記憶も無いし。そんな友人も居なかったんでね、てへ。
「じゃあ私が教えてあげますよ〜!」
「寒気がするほど嫌な提案だな。却下」
「比企谷くんって私の事なんだと思ってます?」
サイコパスの姉であり、ビッチの妹のダークマターです。藤原家ってまともな人居る?大丈夫?
「あっじゃあ私が教えてあげますよ〜、比企谷さんっ」
「死んでも嫌だ」
サイコパスに教わる事は何1つ無い。寿命を縮めたくないので却下で。
「俺に構わず滑ってろよ。初心者は初心者らしく端っこで遊んでるから」
「比企谷くんも一緒じゃないと意味が無いですよ!」
そう言うと、藤原は俺の右手を掴んで引っ張ろうとする。
「ばっ、お前離せ引っ張んな!死ぬから!転んでえらい目に遭うから!」
「そんな簡単に死にませんよ。それに、私が掴んでるんだから転んだりしませんって〜」
そんな鬩ぎ合いを続けていると。
「あぶな〜い」
後ろから誰かに押されるような衝撃が伝わる。離れまいと掴んでいたスケート場を隔てる壁から手を離してしまい、前に倒れ込んでしまう。
「きゃあっ!」
前に姿勢が傾いてしまい、藤原にまでぶつかった。そのまま勢いよくまとめて前に転んでしまった。
転んだだけならまだ良かった。
「ひ、比企谷くん…」
倒れ方が最悪だったのだ。
よくラブコメで、ヒロインを事故で押し倒してしまうシーンがあるだろう。主人公が両手で床ドンしているようなシーン。例えるならそれだ。それなのだが…。
そんな甘くなかった。それより酷い。
押し倒すとか言うレベルじゃない。もうほとんど抱きついてるようなもんだ。身体が完全に密着しており、藤原が仰向けに転んだせいで、俺の胸筋辺りに柔いのがめちゃくちゃ当たる。
顔なんて、後少し近づけばキスが出来てしまう距離だ。
「比企谷くん…」
藤原が潤んだ瞳でこちらを見つめる。
ちょっと待て。藤原こんな可愛かったか?
こいつ普段ゲスでクズでアホ丸出しの生粋の卑怯者だぞ。
なんで、こいつから目が離せない。
「は、離れてください…比企谷くん…」
藤原のその言葉で、朧げになりつつあった意識が戻った。
「わ、悪い!」
俺は急いで藤原から離れた。藤原はゆっくり起き上がって、付いた汚れを払っていた。
「すいませんでした」
俺はすかさず土下座をした。これはもう通報されても文句は言えない。
「ひ、比企谷くんのせいじゃありませんよ!後ろから押した萌葉のせいですし…」
「ごめんなさーい…」
少し罪悪感があったのか、藤原妹も謝っていた。確かに俺の背中を押したのはこのサイコパスだが、咄嗟の判断が出来ていれば、藤原を躱す事も出来た筈だ。
「と、とにかく!互いの為に今のは忘れましょう!私は気にしてませんので!」
「あ、あぁ…」
忘れるわけないだろうがよ。普通にあんなん意識しまくるっつの。"今日あま"読んでないのに、不覚にもときめきかけたわ。
…顔が熱い。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
スポッチャも終わり、続くボウリングも楽しんだ事には楽しんだ。ボウリングの後にやって来たのは、カラオケである。
俺はボーっとしながら、藤原と藤原妹が楽しそうに歌っている姿を眺めていた。
「比企谷くんは歌わないの〜?」
その隙に、距離を詰めて来る藤原姉。この人にはパーソナルスペースの概念が無いのだろうか。春にも関わらず若干露出のある服装に、実ったメロンを近づけた結果の相手の表情を察して欲しいのだ。
「そこまでカラオケ好きってわけじゃ無いですし。ていうか近いんで離れて下さい」
「いけず〜。千花とはべーったりくっ付いたのにぃ」
思い出させてんじゃねぇよ。
くそ、思い出すだけで顔が熱くなる。何、俺ってば思春期男子なの?ちょっとくっ付いただけで意識しちゃうチョロインなのん?
『比企谷くん…』
あんな潤んだ目で見てんじゃねぇよ。白い目で見てくれた方がいっその事良かったってのに。
…いかんいかん。何かにこじ付けて意識しているのではないかと勘繰るのはやめよう。それで痛い目を見た事を忘れたのか。
大体藤原から好かれる事はしていない。つまり好かれていると勘違いする理由が無いし、俺がこんな意識する理由も無い。
ただ女の子が密着してドキドキした。それだけだ。
「…別に。あれは事故ですから」
「でもー、事故でも千花とくっ付いたんだよ〜?ちょっとくらい意識しないの〜?」
「しません。後離れて下さい」
「比企谷くんって、千花の事嫌いなの〜?」
なんださっきからこの姉は。ちょっとしつこ過ぎやしませんか。藤原と藤原妹が仲良く歌ってる間にこの女は。
「母に好き嫌いするなって躾けられてるんで」
「あはは、何それおもしろ〜い。それで、どうなの?」
結局聞いてくるのかよこの姉は。
藤原が好きか嫌いか?別に嫌いじゃないだけだ。伊井野みたいに藤原を尊敬するほど好いているわけでも無い。最近伊井野も藤原に尊敬している事が正しいのかどうか疑ってるけど。
悪い奴じゃないのは分かってる。早坂の件でも訳を聞かずに協力してくれたし、白銀の音痴解消特訓に付き合っている。他者を思いやる心は一応持っている筈だ。一応って言ってる時点でちょっと怪しいけど、そこまで悪じゃない。
それに俺が最初に生徒会に入った時、1番に話しかけて来てくれたのが藤原だった。
話しかけて欲しいわけでは無かったが、藤原なりにコミュニケーションを取って親交を深めたかったのだろう。
確かにクソカスのKYで生粋のダーティープレーヤーだが、嫌悪感を抱く事は一切無かった。憎めない奴、という言い方が正しいのだろうか。
「少なくとも、千花の事は嫌いじゃ無いんでしょ〜?だって、あのヘッドリボンをあげたの比企谷くんなんでしょ?」
藤原姉は、藤原の誕生日にあげたヘッドリボンを指差す。なんで俺があげた事知ってんだよ。
「誕生日にね、千花が喜んでたの〜。生徒会の皆からプレゼント貰ったーって。特にかぐやちゃんから貰ったチケットと、比企谷くんから貰ったヘッドリボンがお気に入りだったそうだよ〜」
「…そうですか」
「どぉ〜?自分があげたヘッドリボンを今でも付けてもらってる感想は?」
「…まぁ、悪い気はしませんけど」
捨てる理由が無いから捨てて無いだけだろう。あって困らないから置いてるだけだろうよ。多分。知らんけど。
「もうっ、可愛く無いなぁ〜」
すると藤原姉は更に密着して、頭を撫でてくる。
良い匂いするし柔らかいし良い匂いするし柔らかいし柔らかいし死ぬ死ぬ死ぬ。
「あっちょっと!比企谷くんにベタベタしないで下さい!比企谷くんも人様の姉で何堪能しちゃってるんですか!バカ!ボケナス!八幡!」
八幡は悪口じゃないだろ。
「千花ぁ、もしかして嫉妬してるの〜?」
「な、何寝ぼけた事ほざいてるんですか!?なんで私がこんな女誑しのクズ野郎なんかを好きでいる前提で話してるんですか!」
なまじ本当の事なので言い返せない。グサグサ心に何かが刺さる音がするんですけどね。
「姉様って比企谷さんの事好きだったの〜?」
ニヤニヤしながら尋ねる藤原妹。
「だから違うってばこの恋愛脳共!!」
多分お前にだけは言われたくない。お前もお前でかなりの恋愛脳だと思うんだけど?
「千花にも春が来たんだね〜」
「だから違うって言ってんでしょうが!」
藤原だけじゃない。藤原妹と藤原姉も、かなりの恋愛脳だった。流石は家族。変な所で同じ遺伝子を持ってるのな。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「あーあ、怒らせた」
「ごめんってば千花〜」
カラオケは終わり、最後はUFOキャッチャーやメダルゲームが設置されているエリアに向かった。藤原は姉や妹に揶揄われた事を根に持ち、怒っている。
「比企谷さん。なんとか姉様の機嫌を取ってくださいよ〜」
「俺一応被害者なんだけど?」
とは言っても、このままプンプン怒ったままは空気的に良くない。被害者の俺が尻拭いするとか何この理不尽。
「ふ、藤原…」
「なんですか?お姉様に引っ付かれて鼻の下伸ばしてた比企谷くん」
の、伸ばしてないし?目だけ引き寄せられてたとかそんなんじゃないし?
「まぁ、何?今すぐ許せとは言わんけど、あの人達もそこまで悪気があったわけじゃ……」
俺は彼女達に視線を当てながら言葉を続けようとしたが、何やらまたニヤニヤしている。
「…悪気があったな。あれは許したらあかんやつだ」
「えぇー」
「比企谷くんの裏切り者〜」
「いやどう考えてもあんた達が悪いでしょうよ。つかなんで俺が謝らなきゃならないんだよ」
危うく謝りそうになったよ。悪い事なんもしてないのに。こういう事から冤罪が生まれてしまうんだな。
「ふふふ…」
そのやり取りに、藤原はクスクス笑う。
「もう怒ってませんよ。そんな怒る事でも無いですし」
「あ、そう」
「ただ」
藤原が俺の耳元に顔を近づけ、小さく囁く。
「あまりお姉様ばかりにデレデレしないで下さいねっ」
と、そう笑みを浮かべながらそう囁いた。
「…してないって」
藤原家のパーソナルスペースはバグっている。1つ1つの言葉や行動が、思春期男子の純情を刺激するのだ。現に今、また顔が熱いから。
教訓。
藤原家には呑まれるな。呑まれたが最後、底なし沼である。
秀知院の女子で最も厄介なのは、伊井野でも四宮でも龍珠でも無い。この女、藤原千花だと言う事を、今更ながら気付いた。