「ふぁあ…あぁ…」
「お兄ちゃん今日も1日中家に居るつもりなの?」
「当たり前だ。春休みだぞ。国が定めた休みなんだから惜しみなく休まないと国に申し訳ないだろうが」
「屁理屈め…」
小町も秀知院に入学が決まったので、既に自分の生活に必要な物をこちらに移して暮らしていた。おまけにかまくらまでやって来たのだ。動物OKのアパートじゃなかったら、一体かまくらはどうなっていたのか。
そんな事を寝転びながら考えていると、高らかなチャイムが鳴った。
「はーい」
小町がとてとてと駆け足で玄関に向かって、扉を開けた。
「えーと、どちら様ですか?」
「あんたこそ誰?」
ちょっと待てなんであいつ俺の家に来てんの?
「初めまして!比企谷小町と言います!えっと…」
「あぁ、あんたが噂の妹ね。私は四条眞妃よ。あんたの兄に用があって来たんだけど…」
「あっちょっと待って下さい!お兄ちゃーん!お兄ちゃんの知り合いが来たよー!」
俺にそんなツンデレ地雷女の知り合いは居ない。こうなれば寝たふりしよう。よしおやすみ。
「お兄ちゃーん?ちょっとー?何してるのー?」
寝たふりだ寝たふり。
「ちょっと上がっても良いかしら?」
「あっ、どうぞどうぞ!狭い家ですが…」
えっ待って何家に上げてるの?その子動く地雷よ?我が家に地雷設置されたらやだよ?
そんな儚い願いは通じず、彼女の足音が俺のすぐ後ろに迫って来た。
「お兄ちゃん、何寝たふりして…」
「待ちなさい」
なんだ?何するつもりだ?
「ふんっ」
「うげぇっ!」
寝ている俺に突然、激しい痛みが走る。寝たふりしてる事を良い事に、四条は俺を踏みつけてきやがった。
「ほら。これで嫌でも目を開けるでしょ?」
「いってぇ……」
「八幡が寝たふりするから悪いのよ」
だからって寝転んでる人にいきなり踏みつけるこたぁ無いだろうよ。変な部分だけ四宮と似てる所あるんだよな。
「ち、ちょっと待って下さい。い、今八幡って…」
「?友人の名前を呼ぶのは普通でしょ?」
「ゆ、友人?あのお兄ちゃんに、友人?」
踏みつけられた部分を押さえながら小町を見上げていると、小町は何やら涙ぐんでいる。
「小町嬉しいよぉ…。けど、あれ…?変だなぁ…お兄ちゃんが遠くに行っちゃったみたいで、ちょっと複雑…」
「あんた本当に今まで友人が居なかったのね」
「何度も言ったろうが」
誤解が生じそうだから先に言っておくが、作れなかったんじゃない。作らなかったんだ。この違いは大きいから。
「眞妃さん!今後もうちの愚兄をよろしくお願いします!」
「あら、よろしくされたわ」
「なんでそんな上から目線で居られるの?」
ついこの間まで翼くん翼くんって言って泣きながらえずいてたのどこの誰よ。俺一応なんだかんだと君の話聞いてあげた立場だったんだけど?
「まぁそんな事はさておいて。あんたに用があるからわざわざ出向いたのよ。外に出る準備をしなさい」
「え、嫌なんだけど」
何度も言うが、休みの日に外に出ると碌な事にならない。時代はインターネットですよ。
「お兄ちゃん、折角出来た友達の誘いを無碍にするの?小町、お兄ちゃんの事嫌いになりそう…」
「今からすぐ準備するから待ってろ」
「えぇ…」
四条は呆れた声を出すが、小町に嫌われたら俺は死ぬしかない。嫌われないために、俺は急いで外出用の服に着替えた。
「本当に早いわね…どんだけなのよ」
「小町に嫌われたら死ぬしかないからな」
「お兄ちゃんキモいシスコンキモい」
はっはっは、照れるなぁ。
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「で、外に出したのはどういう用事だ?」
「前に言ったでしょ?あんたの1日貰うって」
またその流れか。そういや前になんか言ってたな。
「あぁ…。それで、どこに行くんだ?」
「来たら分かるわ」
と、具体的な場所を言わなかった四条。そんな彼女に黙って付いて行くと。
「え、何ここ」
何この豪邸は。パンピーの俺には無縁の建造物に見えるのだが。
「私の家よ」
え、帰って良い?俺今から何されるの?もしかして監禁されたりすんの?四条家の圧力でなんかヤバい感じに消されたりするの?
「何ボーっとしてるのよ。早く来なさい」
ここで断ると更にヤバい感じになりそうなので、一応付いて行く事に。
正門を潜ると、目の前には絢爛とした邸宅、そして無駄に広い庭がある。流石は四宮家と並ぶ名家。敷地に一体いくら注ぎ込んだのか。
「…それで、俺本当に何しに来たんだよ。まさかそこらの高校生みたいに部屋でゲームってわけじゃ無いんだろ」
「あんたと話したかったのよ。学校じゃクラスが違うし関わる事が出来ないけれど、こうしてゆっくり話したいと思ったから」
ただ雑談するためにわざわざ四条家に招いたのかよ。そんなもんサイゼで済むだろうに。
そう思いながら庭を歩き回っていると、テーブルクロスが敷かれたテーブルが設置されている。その上には、ケーキスタンドとティーポットが。
「さ、座りなさい」
「あ、あぁ…」
アニメや漫画でしか見た事の無い光景だ。まさか生まれて初めてこんなボンボンのお茶会的な事を体験出来るとは。
「ソワソワし過ぎよ」
「これが多分一般人の反応だと思うんだけど」
「ふふふ…」
普通に落ち着かねぇわこれ。
よし、小町を考えて平常心を取り戻そう。小町が1人、小町が2人…。
「そういえば、八幡には先に言っておくわ。秀知院に私の双子の弟が転校して来るわ」
「え?」
双子の弟が秀知院に来るという内容のせいで小町が全て吹き飛んだ。
「お前に弟とか居たのな」
「まぁね。もしかしたら同じクラスになるかも知れないから、そうなったら無視して良いわ」
「何その弟いじめ。いやまぁ話しかけられない限りは別に話しかけないけども」
「あいつが1人ぽつんと友達が居ない様を傍から見るのよ。面白くないかしら?」
うわこいつ性格悪。流石の俺でもそんな考えはしない。地雷を持った上に性格の悪さまで兼ね備えた姉を持った弟は大変だな。
ただ、1つ疑問がある。
「ていうか、なんで今更この時期なんだよ」
双子の弟って事は、俺達と同い年。つまり3年生になるわけだ。もっと細かい事を言えば、受験生にもなる。今から進路を決めようって時に、春から転校して来るのはちょっとした疑問だ。
「別に普通の事でしょ。転校なんて」
「それ相応の理由が無ければ転校なんてしないだろ。ましてや秀知院に」
「…何が言いたいの?」
「転校の理由は大体、引っ越しとかによるもんだろ。弟がこの屋敷に住んでようがどっかで1人暮らししていようが、四条がここに居る時点で引っ越しを理由に転校するわけじゃない」
弟がどんな人間なのかは知らないが、2年間も通っていた学校に少しは思い入れがある筈だし、その場で出来た友人と離れる事を嫌がったりもした筈だ。友達も思い出も無い俺みたいなぼっちならまた話が変わって来るけど。
「ならあり得るとしたら家の指示だ。親からなんらかの指示で、しかもピンポイントで秀知院に転校させる。四条家がどんな家かは知らないが、少なくとも子を1人転校させようってするくらい出来るんじゃないのか?」
親から考えれば、わざわざ受験生を他校に転校させるメリットが無い。であるなら、四条家に何かメリットがあるから転校させたって事になる。それも、秀知院でなければならない理由があって。
「…あんたの観察眼は本当に恐れ入るわ。観察眼というより、その疑心感の強さかしら。ここまで疑われて、流石に騙し通せはしないわね」
観念したのか、溜め息を吐いた四条。そして、俺の疑問に彼女は答え始めた。
「まず、八幡には四宮家と四条家の関係から話さなくちゃならないわ」
「四宮家と四条家の関係?」
四条は四宮家との関係を事細かく話してくれた。
数十年前に、四宮家では内部抗争が行われた。高度経済成長期における四宮財閥の利己的な戦略、つまり人の道を逸れた非人道的な方針に一部の穏健派が反発。
死人が出てしまう程にまで、穏健派と過激派の抗争は熱を帯びた。結果として、穏健派は半ば追放という形で離脱。
穏健派らは結託し、抗争の中で亡くなった者の名前を屋号として掲げた。それが、"四条グループ"。
その四条グループは当初、国内で活動を始めようとしたが、四宮家の妨害を受ける事を懸念し、国外に拠点を変えて活動し始めた。その判断は正しく、海外で四条グループは急成長。現在は様々な国で名を轟かすMNCとしての転身を果たした。
しかしその急成長の力になったのは、四宮家に対する憎悪があったからである。
四条家は四宮家の非人道的な方針に未だに納得しないし、むしろ憎み続けている。対する四宮家は四条家を死骸扱い。薄汚い連中だと見下し続けている。
四宮家と四条家。このまま順当に行けば、いずれ戦争になる。そういう立ち位置に居る。
「聞いた話は大体こんな感じ。私も全部知ってるわけじゃないから」
「すげぇ話だったわ。歴史の授業聞いてるのかと錯覚するくらい」
…にしても、流石は四宮家。相変わらずやる事えげつない。
早坂の時もそうだった。四宮が助けに来なければ、早坂はズタボロにやられていただろうし、一般人の俺は証拠すら残さず殺されていただろう。
「それで、本題はここから。…まず、四宮家と四条家の抗争は既に始まってるのよ」
今度は四宮家と四条家の現状を話し始めた。
「長男派閥の人間や会社の買収…。こちらの手の人間はもう何人も四宮家の重要なポストに就いている。向こうも当然気付いて怪しい人間の大量解雇や決定権を一極集中させたりと、水面下でバチバチに争ってる」
「…報道されるのも時間の問題ってやつか」
「そう。…それで肝心の弟……
「…何か裏あるのか?」
「四条家も一枚岩じゃなく、色んな思惑が入り混じってる。中には帝をコントロールして、事を運ぼうとする人達も居る。あいつはバカだけど立ち回りや政治は上手いから、なんの利も無く大人に従うなんてあり得ない。…あんなに仲の良い友達の元を離れて受け入れるなんて考えられない。絶対何かあって秀知院に来るのよ」
その帝って奴がただの駒に成り下がるわけが無い。だがそれでも受け入れたのは、従う事で帝のなんらかの目的が達成するという事だからだろう。
「…厄介事が多いな、秀知院ってのは」
「本当にね…」
良くも悪くも騒がしい学校だ。普通の高校に入学していれば、少なくとも名家同士の抗争の話なんて聞く事も無かったし、修学旅行でリアル鬼ごっこをする事も無かっただろう。
「とはいえ、帝がなんで秀知院に来るのかは私にも分からない。分かるのは、このまま平和に卒業出来ないって事。抗争の火の粉は、きっと私やかぐやおばさまにも降り掛かる」
四宮が関わるって事は、おそらく白銀も関わるだろう。四宮に害が無いならわざわざ関わる事は無いだろうが、四宮にもなんらかの形で関わってしまうなら、彼氏である白銀が動くに違いない。同様の理由で、早坂も動くだろう。
「…名家に生まれた=幸せとは限らないのよね。親のゴタゴタに、子どもまで巻き込まれる可能性があるんだから」
「四宮がなんかあったとしても、白銀や早坂が動くし、多分生徒会全員が動くだろうよ」
なんだかんだであいつら全員、四宮の事が好きだからな。何かあれば、絶対に動く。1年半以上も秀知院生徒会を見て来た。だからどういう人間なのかはもう分かってる。
「当然、あんたも動くんでしょ?」
「どうだかな」
「八幡も手伝うわよ。だって、あんたは優しいもの。なんだかんだ理由を付けて、結局は手伝うの」
「勝手な期待はやめろ」
勝手に期待して、勝手に理想を押し付けて、勝手に理解した気になって、そして勝手に失望する。期待以上の無責任な物は無い。だからそういうのは嫌いだ。
「期待じゃないわよ。…まぁ強いて言うなら、予感かしら」
「なんだそれ」
「八幡は私の話を何度も聞いてくれた。生徒会選挙じゃ伊井野を助けた。修学旅行じゃ、早坂を四宮家から庇った。こんな事をしてる人間が、優しい人間じゃないわけが無い」
「違う」
話を聴いたのは流れだ。無視しようにも、どの道四条がそれを認める筈が無かったから。だから諦めて話を聴いたんだ。
伊井野の事もそうだ。助けたわけじゃない。連中が気に入らないからただ罵倒したかっただけ。
早坂の時に至っては何もしていない。結果として、四宮が来なければ何も出来ない足手まといだったんだ。
俺が動くのは誰かの為じゃない。自分が楽になりたいだけ、自分が満足したい為だけに動いてる。
「八幡が自分の事をどう思っているかは知らない。けれど、少なくとも私は八幡が優しいと思ってる。…あんたに好かれる人間は、きっと幸せ者よ」
と、どこか羨むような表情を見せる四条。だが。
「…ならそれはお前もだろ」
「え?」
俺が優しいのなら、お前は女神呼ばわりになっても不思議では無いと思うのだが。
「…柏木さんと翼くんが付き合っているにも関わらず、四条は柏木さんに優しくしてるだろ。自分の好きな人が友人と付き合っていたら、少なくとも良い気分はしない筈だ。なのにお前は柏木さん達を嫌っていない」
心の余裕は人それぞれだ。だから全員に当てはまるかは分からないが、好きな人が自分の友人と付き合っていたら素直に受け入れて友人として関われるか?四宮なら、多分彼女の方を殺してると思うぞ。
「四条こそ他人に優しい。その上、人を一途に思う心がある。そんなお前に好かれた奴こそ、幸せ者だと思うけどな」
本当、中学時代に出会わなくて良かった。きっとその頃の俺なら、好きになって振られていただろう。
「き、急に褒めるのやめなさいよ…」
なら最初から俺を優しいなんて言うな。
俺は優しくなんて無い。嘘を吐くし、愚痴も溢すし、卑怯な事もする。人の悪い部分だけ構成された生物が俺と言っても過言ではない。まさに人間界の反逆のカリスマだ。
「…と、とにかく。あんたは優しいのよ。八幡の事を誰がどう言っても、八幡への評価は変わらない。むしろあんたの良さを知りもしないで罵倒する人間は、この私が許さない」
誰このカッコいいご令嬢。イケメンかよ。
「…俺そんなにお前からの評価高かったのかよ」
「言ったでしょ。八幡はずっと、私の話を聞いてくれた。もっと言えば、私の我儘に付き合ってくれた。…あんたからは、十分過ぎる程の優しさを貰ったわ」
四条はこちらに顔を向けて、微笑みを浮かべる。
「ありがとう、八幡」
俺は思わず、顔を逸らしてしまう。
マジで誰だよこのイケメンは。地雷装備でポンコツの典型的ツンデレだったろ。変わったどころの騒ぎじゃないぞこれ。
「……別に」
「あら、照れてるのかしら?ふふ」
「うるさい。林檎病だこれは」
きっと今顔が熱いのは林檎病だ。断じて照れているわけでは無い。
「ねぇ八幡。この間、私が修学旅行で言った事覚えてる?」
「…何か言ってたか?」
「あんたが誰とも付き合わないなら、私が貰ってあげても良いって。忘れてた?」
「あぁ…あのよく分からん冗談か」
俺でなければあの場で即告白してただろう。あれは勘違いしても仕方の無い言葉だったし。
「…冗談じゃ無いわよ」
「…は?」
思わず素っ頓狂な声を出してしまった。冗談じゃないって言ったのかこいつ。
「あ、あんたなら…四条眞妃の婿として迎えても良いと思ったのよ」
そう言った彼女の頬は、少し赤くなっていた。
マジで言ってるの?冗談抜きで、今世紀最大のモテ期来てるの俺?嘘だろ?
「私はあんたなら……八幡なら。一生を添い遂げても良いと思ってる…」
「し、四条……お前、それっ…」
「そ、そうね。捉え方によれば俗に言う逆プロポーズかしら」
そうあっさり言ってしまってるが、当の本人は先程より顔が赤く染まっている。
「今のを聞いたからって無理に私を選べなんて言わない。八幡は八幡が好きな人を選べば良い。…けれどこれだけは覚えておいて。1度しか言わないから」
四条は頬を赤く染めながらも、真剣な目付きで俺を見つめる。
「あんたの事が好き」
短くも、そう言い切った。今まで翼くんに対してチキンっぷりを見せていたのが嘘のようだ。精神的に強くなっている。
そんな四条に対して、いや、四条達に対してきちんと向き合わなきゃならない。
秀知院を卒業するまで残りおよそ1年。卒業までに、俺は答えを出す。それが俺の為であり、彼女に対する礼儀だからだ。
…後ついでに言えば、有耶無耶にしたら俺の人生が終わってしまう恐れがある。身を守る為にも、答えを出さなければならないのだ。
俺なんかを好きになってくれた彼女達に、最大限の礼儀を持って。悩んで、苦しんで、足掻きまくって。
答えを出してやる。
「…あ、姉貴がチキらずに告った…?」
そんな決心をした傍らで、一部始終を見ていた何者かの存在を、俺は気が付かなかった。