「ふあぁ…あ…」
大きなあくびをして、彼、比企谷八幡は眠りについた。これは、彼が最悪の夢を見る物語である。
深い眠りに入り、彼は夢を見始めた。
彼の居る場所はどこか暗い。夜だからという理由ではなく、光を一切通さない部屋に入れられたような。
『八幡』
彼の名を呼ぶ女の声。しかし、それは南極の如く冷えた声。暗い部屋に低音の冷えた声色など、とんだコンボである。
その声と共に暗闇から現れたのは、四宮かぐやの元近侍の早坂愛。その表情は一件、笑っているように見える。しかし、光が無い眼を見れば笑っているとは言えない。
『八幡、私の気持ちは知ってるよね?何度も好きだって言ってるんだし』
『え、な、なんだ急に…』
『八幡を好きな人は私だけじゃない。それはもう分かり切ってるんだ。…でも、私やっぱり我慢出来ない』
彼女の頬はどこか、赤く見える。
『八幡、私を愛して。私だけを愛して。他の女に愛情を向けないで。私以外に愛情なんて要らないの。私だけで良い』
『は、早坂…?』
すると彼女は、恥じらいも無く自身を纏っている服を脱ぎ始めた。残す物は、プライベートゾーンを覆う黒い下着。露出しているその引き締まった身体は、男の性を刺激してもおかしくない。
『八幡って責任お化けみたいなところあるから。もし私のお腹に八幡との赤ちゃんがデキちゃったら、八幡は逃げられないよね』
『ち、ちょっと待てって。それ以上はっ…!』
『もう八幡は逃げられないの。大丈夫、私は八幡をずっと愛してるから。代わりに、八幡も私を愛してね』
そう言って、彼女はジリジリと比企谷に這い寄る。比企谷は何故か身動きが取れず、早坂から逃げる事が出来なかった。
『愛してる』
彼女はそう言って、比企谷と1つに……。
「ッ!!」
そうなる前に、比企谷は勢いよく身体を起こした。想像を絶する悪夢だったからか、肩で息をしていた。
「…洒落にならねぇよ…」
早坂愛の愛情が重いのは、比企谷自身が分かっていた。故に今見た夢も、あり得てしまう事なのだ。今は無くても、自分の選択次第で今の夢が現実になってしまってもおかしくない。
「…寝よう」
夢は所詮、夢でしかない。起きてしまった以上、また早坂が襲い掛かる夢は無いと踏んで、比企谷は再び眠りについた。
ところがどっこい。
『比企谷先輩』
夢とは、人が勝手に見てしまうもの。本人の意思に関わらず、朧げに浮かび上がるのだ。
早坂に続き登場したのは、風紀委員兼生徒会会計監査の伊井野ミコ。
『私、風の噂で聞いちゃったんですけど。不知火さんと身体の関係を持ったって、本当ですか?』
『ま、待て。なんでそんな話になる』
『彼女、自慢してましたよ。"ヒッキー先輩と激しくヤッた"って。"初めてだったけど気持ち良かった"って。…どういう事ですか?』
比企谷は思い出した。以前、彼女が教室で放ったインパクトしか無い言葉を。早坂や四条は、伊井野と同様の形で捉えたが、本人はただ一緒にゲームした事を伝えていたようなのだ。
『いや、それは不知火の言い方が悪いだけで…』
『比企谷先輩は私の王子様なんです。比企谷先輩に幾度となく助けていただきました。そんな先輩を好きになったんです。…なのに』
伊井野は茶色の瞳が映す光を無くして、呪文のようにこちらに呟き始める。
『比企谷先輩は私を裏切った。私に隠れて女と肉体関係を持った。私はずっとずっとずっと愛していたのに、比企谷先輩はそれを無碍にした。私の気持ちを分かってる筈なのに。こんな不埒な比企谷先輩は比企谷先輩じゃない。…そうよ、きっと不知火さんが言ってたのは比企谷先輩の偽者の話よ。きっと比企谷先輩の偽者の話なのよ。私の知ってる比企谷先輩はそんな事しない』
『い、伊井野…?』
『という事は、私の目の前に居る先輩も偽者…?なら、排除しなきゃ。比企谷先輩は、1人でいい。比企谷先輩を真似る人なんて要らない』
伊井野はそう呟きながら、どこからともなく包丁を取り出した。比企谷は静止の言葉を掛けるも、伊井野は一切聞く耳持たない。
彼女は、思い込みの激しい女だから。
『正しいだけじゃ守りたいものは守れない。だから比企谷先輩を真似るこの人を消さなきゃ。本物の先輩を探さないと』
『ま、待てって!俺本物だから!』
『偽者がこれ以上比企谷先輩の姿で話さないで。不愉快なのよ』
包丁を比企谷に向けながら、徐々に近づく。
『私の王子様は、こんなに穢れてないんだから』
そして彼女は、包丁を勢いよく比企谷に振り下ろし……。
「っぁ!」
再び彼は、勢いよく起き上がる。先程より恐ろしい夢だったのか、元から顔色の悪い顔が更に悪くなっている。
「包丁はやべぇ…」
伊井野が法を犯す真似をするわけが無い。人1倍正義感が強い上に、悪い者を徹底的に許さないのだから。しかし、今の夢は比企谷の偽者という悪が現れた為、自分の正義を貫こうとしたのだろう。その結果が、包丁だった。
「なんでこんな悪夢ばっか見るんだよ…」
安眠したいのに、彼女達が夢に現れるせいで眠れない。別に彼女達が何かしたわけでは無いが。比企谷は夢を見ない、見ないと自己暗示を掛けながら、目を閉じた。
『ねぇ、八幡』
残念。夢は無情にも、勝手に浮かび上がるものである。
比企谷の夢に現れたのは、四宮家の再従祖母に当たる四条眞妃。今度はどんな悪夢……では無く、夢を見せるのだろうか。
『私ね、時々不安になるの。翼くんみたいに、また目の前で奪われるんじゃないかって。2度も好きな人を取られたら、私本当に恋愛が嫌いになってしまうわ』
八幡に勝るとも劣らない自虐ネタを入れる四条。田沼翼という男が、柏木渚という女に奪われて以降、時々自分を傷付ける言葉を吐く。
『だからね、教えてくれないかしら?』
『な、何をだよ』
『どうすれば、八幡の特別になれる?』
一見、ただ好きな人の隣に居る想いが強いだけの言葉に聞こえるだろう。しかし、彼女の愛はそんな軽いものでは無い。
『四宮の分家とはいえ、四条を背負う娘よ?八幡が叶えたい事なら大抵の事は叶えられる。八幡が望むものは、手に入れる事が出来る。…どうすれば、私は八幡の特別になれるの?』
『そこまでしなくても…』
『ダメよ。私は決めたの。恋愛に出し惜しみなんて邪魔でしかない。使えるものはなんだって使う。私は八幡の特別になりたい。私の隣に居て欲しい。他の女に譲りたくない。またあんな思いはしたくないの。…私が出来る全てで、八幡に尽くしてあげるわ』
彼女は好きな人の為ならば、金を惜しまないタイプである。金の多さ=愛の大きさという考えだと思われる。
『私は八幡さえ居てくれれば、他には何も要らないの。八幡の為なら尽くしても良い。その代わり、私の隣にずっと居て欲しい』
四条は比企谷に歩み寄る。2人の距離が十分に縮まったところで、四条は比企谷の首に両腕を回して。
『好きよ、八幡』
自身の唇を比企谷の唇に重ね……。
「……眠れねぇ…」
三度、起き上がる。先とは違い、恐怖故に起き上がってきたわけでは無く、ただただ四条とのキスが恥ずかしいからである。その証拠に、比企谷の頬は少し赤い。
「あいつ夢の中でも可愛いなちくしょう…」
時々、可愛げな姿を見せる四条。何故彼氏が出来ないのか、未だに不明なのである。恋愛運が無さ過ぎるのだろうか。
「…水飲んで寝よう」
このままじゃ眠れないと悟った比企谷は、一旦水を飲む事に。寝るまでの間を少し開ける事で、妙な夢を見ないのではないかと踏んだからだ。そして飲み干した後、再び床に就く。
『八にぃ』
無駄だった。どんなに策を弄しても、夢は無限のように湧き出てくる。
今度現れたのは、白銀御行の妹の白銀圭である。久しぶりの登場だ。
『シちゃったね、八にぃ』
夢の中はなんでもありだ。比企谷の意思に関わらず。
圭は何故か、比企谷と同じ布を被って寝転んでいる。しかも、互いに生まれたままの姿で。この状況に、比企谷は戸惑う。
『な、なんだこの状況!?つかなんで裸!?』
『何を言ってるの?私と八にぃ、シたんだよ。心だけじゃない……身体も繋がって』
不知火のような言い回しでは無く、本当にヤった。しかも相手は中学生。完全に犯罪者である。職質されたら自首をしよう。
『大丈夫だよ。避妊薬は飲むし、まだ高校生にもなって無いのに妊娠なんてしたら迷惑掛けちゃう』
妊娠しなければ良いとか言う問題では無い。手を出した事自体が問題なのだ。これは早坂を越える悪夢である。
『最初は初めてで痛かったけど……だんだんと気持ち良くなって。しかも八にぃが"圭、圭"って名前をずっと呼んでくれて。あぁ、八にぃにすっごく愛されてるんだって思うと、もっと気持ち良くなったの』
大人の階段を登ったせいで、やたらと達観した言葉だった。というか単純に生々しいセリフである。
『マジ、か……』
圭に手を出した事に、比企谷は心中穏やかでは無い。問答無用の犯罪なのだから。
『先に言っておくけど、私は警察になんて言わないよ。バレないように努力する。だって、八にぃと離れたくないから』
『圭……』
『でも私から離れるなら、包み隠さず公表する。嫌でしょ?犯罪者になって、家族に迷惑掛けて』
どぎつい脅しをふっ掛けてきた。要するに、「犯罪者になりたく無ければ私とずっと居て」と言っているのだ。
『勿論、浮気はダメだから。私の知らないところで女と遊ぶとか論外。話すのも嫌。もし話した場合、報告して』
圭は束縛気質である。圭だけに言えない事だが、中学生でこれは中々のものであった。
『私の八にぃなんだから。もう私達は離れられない関係なの。だからこれからもずーっと、一緒だからね?』
そう言って、圭は寝転ぶ比企谷の上に覆いかぶさった。圭のその表情はただの笑顔では無く、雌の表情だった。
『もう1回、私を愛して?』
そこから圭は、比企谷を激しく求めて……。
「…はぁ…」
こんな最低な夢を見るとは思わなかった。圭に手を出す夢を見れて最高とか言う感想なんて出るわけが無い。ただ罪悪感に押しつぶされそうな夢であった。
早坂、伊井野、四条、圭。となれば次もし夢を見てしまうのであれば、誰が出てくるのか予想がつく。
「…クソッタレ」
こうなればヤケだと言わんばかりに、比企谷は眠りにつく。夢を見ない方法は寝ない事。しかし普通に眠たい比企谷。なので、どういう夢でもかかって来いという気概を持って、目を閉じた。
『比企谷』
比企谷を名字で呼ぶ人間は、彼女しか居ない。
指定暴力団対の"龍珠組"の長の愛娘、龍珠桃。
『比企谷…じゃねぇな、八幡だ。付き合ってるってのに慣れねぇな』
どうやら夢の中で比企谷と龍珠は付き合っているようだ。
『お前の隣に居る事が出来て、私は幸せだ』
比企谷にそう微笑む龍珠は、本当に幸せそうな表情だった。
『なのにさ』
その表情は一瞬で崩れ、比企谷を押し倒す。何の真似だと思った比企谷は、動揺の目を龍珠に向ける。
『お前、大学の後輩に色目使われてんだよな。なんだっけ、なんか水みてぇな名前の奴に』
『お、俺はちゃんと距離を離そうとしてる』
『お前がそうでも向こうはそうじゃねぇだろ。1度、下っ端にお前の大学に向かわせて監視させたんだよ。そん時の動画も撮影してくれてたんだが、あの女めっちゃ雌の顔でお前に近づきやがる。…ざっけんな!!』
嫉妬で怒り狂う龍珠。龍珠を止める術は、今の彼には持ち合わせていない。
『お前彼女居るっつってんだろ!?なのにあのクソビッチ、私の八幡にベタベタくっ付きやがって!あんな女、今すぐにでもぶっ殺してぇ!……でも、そんな事すればお前に迷惑掛けちまう。…だからさ』
龍珠はとある物を取り出した。それは間違いなく、妊娠検査薬である。
『彼女なんて立場で居るから、あの女はベタベタ来るんだ。けど夫婦なら、あの女は手を出せねぇ』
妊娠検査薬が示している結果は、陽性。つまり、龍珠のお腹の中には1つの命が宿っている。
『ピルなんて飲んでねぇからな。あれだけヤりまくって避妊しなけりゃ、そら妊娠すんだろ』
龍珠は先程よりも、幸せそうな表情を浮かべる。
『お前とのガキを孕んだんだ。お前は絶対に逃げられねぇし、そもそも逃すつもりもねぇ。お前の隣には私が居て、私の隣にはお前が居る。間に入り込む奴が居るとするなら、私達のガキだ』
今の龍珠の表情は、きっと今までで最大の幸せを示す表情だ。親ですら見た事の無い、彼女の微笑み。
『これから、末永くよろしくな』
そうして、2人は幸せな生活を送る事に…。
「……ならんて」
5連続立て続けに悪夢を見る人間が今まで居ただろうか。比企谷の精神のライフは既に0なのだ。すり減ってしまっている。
だがしかし、5人目には龍珠が出て来たのだ。つまり、もうこれ以上先のような悪夢を見る事は無い。比企谷はそう安堵して、意識をフェードアウトする。
『比企谷くん』
ここで乱入者。予想も出来ない人物の登場だ。
ピンク色の髪に比企谷があげたヘッドリボンを着けており、ぱっちり二重で世の男性が好む胸。こんな特徴を持った人間は1人しか居ない。
生徒会書記、藤原千花。
『待たせてしまいました〜?』
服装を見る限り、ここはどうやら外のようだ。しかも見慣れた街並み。
『今日は折角のお休みなんです。比企谷くんの故郷の千葉を案内してもらいますよ〜』
『……おう』
『それではまず、比企谷くんの行きつけのなりたけに行きましょう〜!今日はラーメンの食べ歩き千葉バージョンです!』
これは普通にデートである。比企谷も藤原も、互いにラーメン好きである。故にラーメンの話で盛り上がる事が多々あった。結果、2人で食べ歩く事に。
『こうして2人で出掛けるなんて、初めてですよね〜!ちゃんと乙女をエスコートしなきゃダメなんですから!』
どの辺が乙女なんだろうと思った人は正直に手を挙げよう。ただ藤原が怒るだけなので。
『というか千葉じゃ無くても、東京とか神奈川で良かったんじゃないのか?』
『…だって…』
藤原は何やら言い淀む。
『これから結婚する人と千葉に棲むんですから。ちゃんと千葉の事を把握しておきたくて』
藤原得意の爆弾発言。まさかの比企谷と藤原の結婚が決まっているとは思わなんだ。
不意に見せる、彼女の恥じらう姿が比企谷を動揺させた。
『というか、私もこれから比企谷を名乗るんですから!いつまでも藤原呼びはダメですよ!ほら、リピートアフターミー!千花!』
『…ち、千花』
藤原のこのテンションは大人になっても、変わらない。こういう人間が、家庭を明るくしてくれるのだろう。
『はい、八幡くん!…じゃなかった』
藤原は比企谷に勢いよく抱きついて、耳元でこう囁いた。
『パーパっ』
こうして2人はラーメンデートを楽しみ、そして結婚して末永く幸せに…。
「…夢の中ですら予想不可能かよ」
藤原が出て来たのも驚きだが、まさか結婚を約束しているとは思わなんだ。龍珠に比べれば、なんだか微笑ましい夢ではあったが、比企谷にとっては安眠を妨害される夢でしかない。
「…ラーメン、食べようかな」
夢の中でラーメンラーメンと言っていたせいで、なんだかラーメンが食べたくなった。小腹も空いてるし、食べるとしよう。そう決めた八幡は起き上がって、台所に向かってインスタントのラーメンを作り始めた。
結局、彼が眠ったのは午前4時を過ぎた頃だった。故に、寝坊して遅刻が確定した。
※おまけ
もう誰も出ない筈。そう思い、眠り始めた。
『ハチマン』
目の前に現れたのは最早、日本人ですら無かった。比企谷に口説かれ、それ以来比企谷を想い続けたフランスの女子高生。その名はローラ。
『ハチマン、むかえにきた。いっしょに、フランス来て?』
まさかの自家用車でお迎えに。しかも比企谷の周りには、黒服を来た男達が。
『にがさない』
比企谷はフランス校のローラに、無理矢理に自家用車に乗せられて空港に。自家用車の次は自家用ジェットに乗せられる。もうこれはほとんど誘拐みたいなものである。
『フランスについたら、ローラの家にきて?PèreとMèreに紹介するの』
比企谷の意思は関係無く、ローラは淡々と話し続ける。
『そのあと、ローラの部屋でRapports sexuelsするの。ずっと、ずっとずっとずっとずーっと、2人であいしあうの』
恍惚と話すローラに、比企谷は顔を青くする。
『どろぼーねこは、ローラがなんとかする。ハチマンは、ローラのことだけを見て?いっぱいRapports sexuelsするの。それで、ハチマンとローラの子どもをいっぱいつくるの。そうかんがえただけで、ローラ気持ちいいの』
ローラは比企谷に這い寄り、身体を密着させる。
『Je t'aime』
その後フランスに到着した比企谷はローラの従うままになり、フランスで暮らし始めたとか……。
「……アホか」
まさか、ローラが出てくるとは思わなんだ。依然、比企谷はローラを口説いた事を自覚していない。故に好かれる理由が分からないままであった。
翌日起きた比企谷の目は、いつもよりも腐っていたそうな。