東京競バ場、芝2200m。
クラシック級のみが参加できる『東京優駿』選考レースのひとつ。
2着以上のウマ娘にはダービーへの優先出走権が与えられる。
4月もはや1ヶ月が過ぎようとしており、ゴールドシップの天皇賞(春)まであと数日と迫っていた。のだが、相変わらずゴールドシップはまじめにトレーニングをしているというわけでもなくトレーナーもまたそれを咎めるわけでもなく、ここ1ヶ月同じようなゆるゆるとした空気が流れていた。
私を除いて。
「ああ緊張する......緊張する......」
「どうしたんですか?」
「フクキタルのレースがあと1週間ちょっとで来るんだよ、何かやり残しが無いかなって思うと不安で不安で」
「心配性だなあサブトレーナーは」
「一生に一回のクラシックレースなんだ、勝たせてやりたいからさ、何かやらないとって思うとなんかやり残したことがないかと思って思って」
「心労でぶっ倒れるぞ。フクキタル先輩を心配させんなよ」
「かといってもだぞ?」
出走表を広げる。まず皐月賞で成績を残した有力ウマ娘は出走しないのでありがたいが、問題はそれ以外のメンツだ。
「弥生賞1着ウマ娘ランニングゲイルにホープフルS1着ウマ娘のエアガッツ! さらにはチーム『リギル』秘蔵っこサイレンススズカまで! どうすればいいんだよもう!」
「サイレンススズカ?」
「......まあ、色んな意味で有名だよな」
「トレーナー! アレあたしもやりたい!」
「ダメだ」
サイレンススズカ。最近トップチームにスカウトされたという先行よりの走りをするウマ娘。ポケポケと能天気なことしか考えていないようだが、足のスピードはなかなか光るものを持っている。
のだが、最近はこっちの方が有名だろう。
『寂しくてゲート潜っちゃった事件』
人見知りだという彼女、どうにも弥生賞の大歓声の中で心細くなってしまったらしく、ゲートを潜って付き添いに来ていたエアグルーヴにフラフラと寄っていってしまったとか。お陰でゲート周りが大混乱し観客席の方はなんだかほっこりすることとなった事件だ。
事件のせいもあってか弥生賞は8着と振るわなかったものの、直近の2000m走は1着を確保。ノっているであろう警戒すべきウマ娘の1人だ。
「しかも逃げ戦法を取るウマ娘が2人いるもんだからハイペースになるのは必至。どう戦略を教えたものかまだわからん」
「んなもんフツーにやればいいじゃんかよ」
「フツーにやったら君のように先頭バにスタミナ削られて負けるが?」
「うぐ」
そういえば、と頭を抱えるウオッカ。スカーレットのレースのように、逃げ先行バがレースを作ることによるハイペースな競バが後続待機の差しウマを潰し、逃げ切ってしまうことはよくある展開だ。舞台が直線の長い東京競バ場ということもあり逃げウマは不利と言われる展開でもあるが。
「セオリー通り前寄りの好位差しでいいのか、でも差し足の切れ味を生かそうと思うと後方待機も捨てきれない。どうしたらいいと思う?」
「んな事俺に言ったってよお......」
「フクキタルはどう思う?」
先ほどから無言で腕を組んで私の話を聞いていたフクキタルはカバンからいそいそと水晶玉を出していた。
「占ってしんぜましょう!」
「真面目に考えろっつってんの」
ウマ娘の弱点である耳を引っ掴んでグニグニと揉みしだく。
「ひゃあ! あわわわやめてくださいよう!」
「なんでもかんでも占おうとするんじゃ無い」
「私のアイデンティティなんですから、それにシラオキ様の意見だって参考にすればいいじゃ無いですかサブトレーナーさん」
「それじゃシラオキ様にお伺いを立ててみようじゃないの」
「では行きますよ......むむむむむ」
はんにゃらかおんにゃらか、と適当な祝詞を言いながら机の上の水晶玉の前で手をふわふわと動かすフクキタル。神妙に目を瞑り、耳を立てたりぴこぴこと忙しなくうごかす様が手のひらに伝わってくる。
皆が無言で見守る中しばらく経った頃、耳が力強くピンと立ち上がった。
「きましたきましたきました! シラオキ様のお告げが!」
「んで、何て?」
「サイレンススズカから目を離すな、と」
「......」
「......」
「......そんだけ?」
「はい」
毒にも薬にもなりはしなさそうな意見だった。パチパチと無言でエアシャカールがキーボードを叩く音が場を支配する。
「......とりあえず先行策で行こっか」
「わっかりました!」
なんかもうどうでも良くなったので、セオリー通りの好位差しの作戦を取らせることにした。
「よーし、練習頑張るぞー」
「おー!」
◇◇◇
気がつけばレース当日。当時は一日一日カレンダーにバツを書きながらワクワクして待ったものだが、トレーナーの身になってみるとあっという間に本番当日である。
「がんばれフクキタル!」
「頑張りますっ!」
むん、と両手でガッツポーズするフクキタル。相変わらず目はキラキラと輝いているが、少しだけ瞳が震えていた。
「緊張しているのか?」
「あんまり今朝の星座占いが良くなくてですね......」
「また占いか」
「いいじゃないですかっ!」
全くもう、と呆れた様子を見せるフクキタルは相変わらずとして気になるのは本人の調子だ。
「確認するが痛いところとか、妙に固い関節とかはないな?」
「バッチリです!」
「ならよし。あとなんだが」
「スズカさんには気をつける、ですね」
「シラオキ様とやらに従えばだけれど、注目すべきウマ娘の1人であることに変わりはない。最後の最後までしっかり食らいついて、差す。いいね」
「ハイ! 今日の星座占いは6位でしたが、それよりは順位を上げてきますとも」
「もうちっとあげてくれないとダービー出られないけど?!」
「わかってますよう」
では行ってまいります、と控室を飛び出していったフクキタル。私もそろそろ向かうとするかと観客席の方へ行く事にした。
OP特別レースとだけあって人はまばらだが、次の日本ダービーの趨勢が気になるのか通っぽい人々の姿を多く見かける。他にはまばらにトレセン学生服の面々が目立つくらいだろうか。
「サブトレーナーさーん! こっちこっち!」
「焼きにんじんもあるわよ!」
「買い食いはほどほどにだぞ? ウオダスコンビ」
「「略すな(さないでよ)!」」
「ゴルシは天皇賞惜しかったね」
「あん時は歯についた乾燥わかめが気になっててなー」
「気分屋だからな......」
ため息をつくトレーナーの態度が示す通り、ゴールドシップ春の天皇賞は5着という結果に終わった。最後方から追い込みをかけるゴールドシップのいつものやり方で行ったものの、最終直線で前が塞がりやる気を無くしたらしく、なんとか最後にトレーナーにどやされて5着に滑り込むと言った有り様だ。
深々とトレーナーがため息をつく有り様が目に浮かぶ。一緒に観戦したエアシャカール曰く「最終直線でチーム室の掃除を頼んだ時と同じ顔をしていた」とのこと。全くこいつは。
だが終わったことは過ぎたこと。宝塚は真面目に走ってくれよと念押ししたところ「気が向いたら」と返されたが本番ではきっと本気で走ってくれるはずだ......たぶん。
スカーレットに渡された焼きにんじんをかじりつつ、ゲートに向かい出すウマ娘を眺める。OP戦とはいえダービーへの登竜門、気合の入りようが他のレースとは違うようだ。フクキタルといえば緊張しているが、それよりも隣のサイレンススズカが気になる様子でチラチラと横を見ている。
「さて、どうなることやら」
ゲートが開いた。
先頭は逃げ宣言の2人とサイレンススズカの競り合い。スズカの少し後ろをとる感じでフクキタルが4、5番手あたりの位置についた。バ群にも囲まれていない上に内側でコースロスも少ない、いい位置どりだ。
そのままコーナーを回り向こう正面。予想通りのハイペースな展開になりバ群がかなり伸びている。全体で10バ身から15バ身ってところだろう。前評判の高いエアガッツやランニングゲイルは後方待機の構えを取るようだ。
「スズカはハナ(先頭)を進むわけじゃないのか。あのスピードなら3コーナー前には取れたろうに」
「抑えたって感じだな。十中八九おハナさんの指示だろうが逃げさせてもいいんじゃないか?」
「トレーナーだったらもちろん逃げさせる?」
「走りたいなら好きにやらせるさ」
それはどこのゴルシに言っているのやら。
さてレースも終盤、目印の第3コーナー付近の大欅を駆け抜けて第4コーナーへ。ここで後続に控えていたウマ娘たちがペースを上げて差しにかかってくる。
「おい、フクキタル先輩バ群に埋まっちまうぞ!」
「やばいんじゃないの!? フクキタル先輩、頑張ってー!」
「問題無エ。前は狭く無い」
「後は届くかどうか、か」
3番手につけていたサイレンススズカがカーブの遠心力を使って少し外に抜けたかと思うと、猛然とスパートをかけ先頭だったウマ娘をあっという間に突き放す。しかし他も譲らない。大外に持ち出したランニングゲイルが猛然と迫ってくる。スズカの後方につけていた先行策のウマ娘も伸びてくる。
それ以上に目を見張るのが、バ群を突き抜けてきた明るい栗毛......マチカネフクキタル。
「嘘だろ?!」
「やった!」
「......ダメかぁ」
今まさに前を走るスズカの背中を捉え、並ぶ。だが、追い抜かすにはスズカが速すぎた。
『ゴール! 1着はサイレンススズカ! 2着はクビ差でマチカネフクキタル、3着もクビ差ランニングゲイルとなりました!』
「......すげえ」
「これが本物のレース!」
「なんとか2着か、良かったぁ......」
足の力が抜けて、へにょっとその場に座り込む。1着はくれてやれなかったが日本ダービーにはなんとか出走できそうだ。
これでひとつ肩の荷が降りたというもの......
「みなさーん! とれーなーさーん! やりましたよー!」
「おめでとうございますっ先輩!」
「すごかったっす先輩のレース!」
こちらに気が付いたのか、てててとこちらに手を振りながら走ってくるフクキタル。負けたという悔しさは見かけはなく、2着を誇るような満面の笑顔だった。
「どうでしたか、私のレース!」
「す、すごかったっす! あの、最後のスパートで2人3人とかわすところが!」
子供のように目をキラキラとさせながらフクキタルに声をかけるウオッカ。同じ差し戦法が得意なので何か通じるものがあるんだろう。へたり込んでると、スカーレットが手を貸して立ち上がらせてくれた。目の前には、ニコニコと笑うフクキタルがいる。
「トレーナーもほら、声をかけてあげないと」
「とりあえず......おめ、おめでとう」
「はいっ!」
「勝たせて、やれんくて、ごめんなああ......」
「あ、わわ、泣かないでくださいよう!」
「もっどやれるごどあっだどおもゔんだあ......」
「いえいえ、今日の運勢良くなかったですし! これでも及第点の花まるです! シラオキ様の言葉の本当の意味も分かりましたからね」
「......なんだって?」
「またその話は後ほど」
フクキタルの言葉に悔しさの涙が引っ込んだ。だが彼女はこの話をすぐに切り上げていそいそと地下の控え室の方へと消えていく。
「これからウイニングライブがありますので!」
それではー、という声を残して消えて行くフクキタルを見て思い出したことが一つある。
「......だんす、おしえて、ない」
「あっ」
「えっ」
「それって不味いんじゃあ」
「とても、まずい」
「ライブは次のレースが終わって30分後だ。疲れてるし休ませるのが吉だと思うが? どうする、トレーナー」
「そ、それまでにフクキタルにダンスを叩き込むしかない! OP戦の曲はええと」
実際のレース動画と睨めっこしながら書きました。レース描写難しいね。