「おっはよースズちゃん!」
「サニー、おもい......」
「朝だよ朝だよ朝だよー! ダービーの朝だよー!」
「あとごふぅん......」
「おーきーてーよー!」
朝に弱いサイレンススズカの緑の布団をひっぺがしたのは同室のサニーブライアン。窓を開け、カーテンをとっぱらい部屋に飛び込む朝日を小柄な身体全身に浴びてぴょんぴょんと狭い部屋を跳ね回る。
「......おはよう、サニー」
「朝だよ朝だよ朝だよー! 気持ちいい朝! レース日和!」
寝ぼけ眼を擦りつつ、最近買い換えたデジタル式の目覚まし時計を見て日付を確認したのちスズカは剥がされた布団をもう一度被った。
「今日は5月31日。ダービーは明日よ......」
「あれ? 30日の後ろって1日じゃなかった?」
「5月は違うわ」
「......うー、まいっか。折角の朝だしはしろーよー!」
「トレーナーさんに今日は軽めにしないとって言われてるから......昼までぐっすり......」
「はーしーろーうーよー!」
「もう少しだけ......」
「んもー!」
逃げウマ少女の朝は、ちょっとだけ遅い。
◇◇◇
「......朝っぱらから騒がしいね」
ダービーの作戦を練ろうと朝からチーム室に行くとやたら騒がしい。朝の自主練を咎めるつもりはないが、寮を抜け出して遊びにきているというなら流石に怒る。レースに熱心なメンバーばっかりだしないとは思うが、と一抹の不安を抱きつつも笑顔でドアを開けた。
「拙者親方と申すは、お立合いの中うちにご存知のお方もござりましょうが、お江戸を発って二十里上方、相州小田原一色町を......おや?」
「ゔぁっ」
「よ、サブトレ」
机の上に座布団を敷き、紺色の着流しを着て今からさも一席語ろうかという格好で何か言ってるフクキタルがいた。後ついでにゴルシも。
「滑舌トレーニングか。格好から入るのは悪くないんじゃないの、フクキタル?」
「あいやお姉さん、わっちは格好だけじゃなくて本職ってもんさぁ。これでも見習いなんで」
「はははこやつめ。今日のラッキーアイテムが扇子とかそんなだろ? 1ヶ月も付き合ってれば流石に......」
「あのっ!」
「うん?」
振り向くと、ちょっとだけ申し訳ないように耳を畳んだフクキタルが......おや、こっちにもフクキタル。あっちにも......むう、フクキタルが2人?
「フクキタルが2人、来るぞサブトレ!」
「何が来るんだよゴルシ......」
「こちらは私の幼馴染の『マチカネワラウカド』です。応援に来てくれたんですよ」
「紛らわしい名前たあ言われるが、顔まで間違えられたのは初めてのことよ! ほれ、ばっちりわっちには流星が入ってるじゃんね!」
マチカネワラウカドが額を指さすと、前髪に中央に目立つ白色の毛、俗に言われる流星というやつがばっちりと入っていた。むしろ、これを認識できてないってことは相当アホか疲れてるってことになる。私はレース映像の見過ぎで最近疲れてるだろう目を労るように目尻を揉んだ。
「......疲れてんのかねえ」
「明日はレースなんですから、今日は軽いトレーニングだけですしゆっくりしましょうよ。ラッキーアイテムのキャンドルどうぞどうぞ」
「チーム室は火気厳禁だ」
「あうー」
「かっかっか、面白いお師匠についてるじゃないの」
「む、そう言うワラウカドはトレーナー見つかったんですか?」
「走る方と話す方、両方見つかったんでね。いやあ忙しいったらありゃせんよ」
ペチン、と扇子で軽く頭を叩いて舌を出したワラウカド。見てくれは似ているが、性格の方は朗々として悩みなんてなさそうだ、フクキタルは少しでも見習って欲しい。
「そいで、ウチのおフクちゃんは勝てそうかい。あんた、競バを始めてすぐって聞いたんだがな」
「競バなんて古い言い方をするね」
「お師匠が古いのが好きなのサ。はぐらかさないで答えてくれよ。勝てるのか勝てないのか」
「......正直厳しいな。今回ばかりは」
「オット、そりゃ困る」
す、とワラウカドの目が細められる。彼女が値踏みするような視線でこちらを数瞬だけみて、フクキタルそっくりの十字のハイライトの目に戻る。
「なんせ昔っからの顔馴染みの一世一代の大勝負だ。そこはハッタリでも『勝つに決まってる』なんて気概がなくちゃあ勝てるもんも勝ちやせん。応援する側としちゃあ煮え切らん」
「展開次第で勝つとは言うが、どれもこれもわからないとしか言えない。でも残りの勝負を決める要素はフクキタルがよく知ってるさ」
「ほえ?」
「言うじゃないか。日本ダービーは最も『幸運な』ウマ娘が勝つってさ」
「......それをおフクの前で言うかい? ちっちゃい頃から不幸だ不幸だと嘆いてたあの子に」
「今は2日に1回くらいは嘆いてる。その日が明日じゃなきゃいいだけさ」
「......なーっはっはっは! お天道様だけが知ってるたあ、無責任なお師匠がついてるじゃないのよ」
「菊花や皐月だったら言わないさ。だがこいつばかりは、運が向いたウマ娘が勝つ」
東京レース場、左回り、2400m。
日本全てのホースマンが望む最高の栄誉と言われてきた。皆その日のために努力を重ね、全力を尽くし、最高の状態へ仕上げた上でレース場に現れる。出場するウマ娘の熱意は等しく高く、実力は誤差の範囲。
勝敗を分けるとするならば、天運しかない。
だから言われるのだ。最も『幸運な』ウマ娘が勝者になると。
「1番運を引き寄せるのが上手いのはフクキタル以外に誰がいるよ」
「はいっ、今日もラッキーアイテムとカラー揃えてきましたからっ!」
「たっは、こいつは一本取られたね。んじゃ、お邪魔なようだしあっしはここらでお暇させて貰おうかね。
おフク、頑張りな! あっしは砂を走る方が性に合うから無縁だが、せっかくの機会だ。ひとつくらいは取ってやんな!」
「ひとつどころか2つ取りますとも!」
「なら重畳。明日は応援に行くからきばれや!ワラウカドには?」
「フクキタル!」
大丈夫です、とサムズアップするフクキタルの背中をぶっ叩き、カラカラと笑いながら去っていったワラウカド。
「なんかおもしれーやつだったな」
「それ君が言うかい......?」
◇◇◇
「ヤッホー、ブライト調子どう?」
「......パーマーですか。可もなく不可もなくと言ったところですかね」
メジロブライトは自分の編み込んだ長髪を弄りつつため息をついた。彼女の机の上に無造作に置かれた新聞には、先週行われたオークスのレース結果が一面を飾っていた。
『メジロドーベルオークス勝利! 名門の意地見せる』
「凄かったよね、ドーベルのレース」
「一緒に応援に行ったでしょう?」
「そうだったそうだった。いやあ、G1かぁ、すごいよね」
この癖毛の同門は、よく笑う。
期待されず、メジロの末席に追いやられて諦めたように。
「ブライトもダービー出るんでしょ?」
「ええ。目の前の栄光を無碍にするなどあり得ません」
「んもう、そこまで肩肘張らなくてもいいのに。アタシらはあんまり期待されてないんだからさ」
「そのようなこと言わないでください」
デビュー戦での1800m勝ちタイム、2分1秒。自分の勝ちタイムであり、自身の汚点。初戦初勝利の興奮冷めやらぬウィナーズサークルで誰かが言っていた言葉を聞いてしまったばかりに。
『1800mで2分かかるようじゃな、メジロも終わりか』
デビュー戦だと慰められたとしても心には劣等感が染み付いた。そんなことはないと否定したくて、そんな暗い気持ちでレースに臨むのは間違いだとわかっていたとしても、それを抱えたまま走るのはやめなかった。
デビュー2戦目で化けの皮が剥がされて。
短距離には自分の場所はないと思い知らされて。
ホープフルSではなんとか勝って。
皐月賞でまた思い知らされた。
私の苦悩を裏返すように、ずっと人気投票は1番だった。
私を知らない誰かが期待を込めて票を送る。
勝ちきれない私にはそれが苦痛で仕方なかった。
でも、明日。
私が強いと証明できればこんな重圧からも解放されるはずだ。
メジロ家の重圧を受け止め、答えられるウマ娘になれる。
勝てば、それが叶う。
「勝ちます。応援してくれる皆さまのためにも」
「うんうん、明日はみんな来るって言うし、頑張ってね! マックイーンもライアンも応援に来るって言うしさ!」
「そうですか。では、期待に応える走りをして見せましょう」
負けられない。負けていいはずがない。
勝てなければ......自分を保てる気がしない。
たずなさんのワンポイント解説
『メジロブライト』
肩まである長髪を編み込んだ鹿毛が特徴的なウマ娘。メジロドーベルの姉妹で、外見もよく似ている。
デビュー直後から戦績を積み重ねるドーベルとは違い、微妙に勝ちきれない戦績とレースタイムからメジロ家の中でもあまり期待されていないらしい。
その劣等感を胸に、彼女はレースを走る。同室は同じメジロ家のメジロパーマー。
原作の方は97年世代のメジロ家出身ウマ。父親はドーベルと同じメジロライアン。
編み込んだ立髪が特徴的。生涯戦績は25戦8勝。主な勝ち鞍は天皇賞(春)。