「......! ......!」
日本ダービーに向けての対策を練っていたある日、いつものようにチーム室の薄っぺらい扉を蹴破って誰かがやってきた。
「ゴールーシー、いい加減にしてくれ、フクキタルも私もダービーに向けて忙しいんだ」
「......ごるしじゃない」
「なんだ、桐生院のところのミークちゃんじゃないの。どうしたの?」
いつも扉を蹴破ってくる芦毛のアイツかと思えば、毛色は似ているが性格が真反対のハッピーミークだった。肩で息をして珍しく急いでいるらしいが、無表情の顔から感情を読み取るのは少し難しい。桐生院曰く『かなり雄弁』らしいって言っていたがさっぱりわからない。
「トレーナーさん、見つからない」
「調べ物でもしてるんじゃないの?」
「図書室、いない」
「......じゃあ選別レースに偵察」
「ことしはわたしだけって言ってた」
「じゃあ外出中とか?」
「今からトレーニングなのに来ない」
「それは一大事」
桐生院の良いところとして病的なまでの真面目さがある。ことウマ娘に対する熱意だけは人の数倍はあるから、ウマ娘関連、とりわけ初めてスカウトしたハッピーミークに関連することで練習をすっぽかすなんてことまずありえないだろう。何かあれば連絡の一つや二つはするし、それがないならトラブルに巻き込まれたに違いない。
「わかった、この事件チームスピカに任せたまえ。今日はトレーニングのつもりだったが人手は多い方がいい」
「お疲れ様でーす、ってあら?ハッピーミークさんじゃない」
「ちわーっすトレーナー、っと、どちら様?」
「よお」
「おうデビュー前の新米トリオ、ちょうど良いところに来た。今日の練習時間ちっと削って人探しするから手伝って」
「ええー、練習したいんだけど」
「トレーナーさんの私用に付き合うってこと? 別に良いけれど、すぐ終わるんでしょうね」
「......っち、何をすれば良い? といっても、白毛がいる以上それ関連か?」
「察しがいいねエアシャカール。桐生院葵っていたでしょ、うちの同期のトレーナー」
「あの人がどうかしたの?」
「なんか行方不明らしくてなあ。ちょっと捜索を手伝って欲しいんだ。高級スイーツ奢ってやるからさ......桐生院が」
「「「乗った!」」」
やっぱ今頃のウマ娘はスイーツで簡単に釣れるねえ、トレーナーとしては操縦が楽で助かるけど......
「とりあえず学園内から片っ端に探すぞ。写真はウマホに回しとくから」
「あれ、トレーナーはスマホ使わないんだな」
「......し、知り合いから安く譲って貰ってね」
危うく口を滑らせかけるところだった。人間用のスマホに買い替えとくべきだったかもしれないけど、新人トレーナーのお給料で買い替えなんて難しいし、いっか。
「誘拐とかされてないといいんだけど」
あんまり言わないけど桐生院の実家はおっきいし身代金せしめられそうなくらいには大きいからねえ。学園内の揉め事にはルドルフに手伝ってもらうのが早いけど、借りなんて作りたくもないので黙っとくのが1番。
◇◇◇
「......ぅう」
「おや、起きたようだね」
誰かが灯を照らして、眩しいと思ったわたしは思わず目を閉じたが、その目の前の誰かは私のまぶたを無理矢理に開けたかと思うと、光を消した。
「うんうん。瞳孔の反応は正常、しかし意識に若干の混濁が見られる、か。多少は混乱しているだろうが、君はさっきまで気絶していたんだ、あまり無理をしない方がいい。リラックスしたまえ」
言われるまま、背中を預ける。わたしは椅子に座っているらしく、ゆったりとした背もたれがわたしを受け止めてくれた。
「さて......意識もおおかた戻ってきたことだろう。自分がなぜここにいるかは、思い出せそうかい?」
消毒液のアルコール臭や湿布独特のハッカのような香り、学校案内で回ったトレセン学園の保健室特有のもので間違いはない。彼女の座る丸椅子の後ろにあるベッドからも、間違いはないと証明してくれている。
「ちなみに、気を失った君を運搬したのは私だよ。故に君が思い出すべきは『
鈍い痛みが治らない頭を使って、覚えているときまでの記憶を思い出そう。確か、今日の放課後の初めだ。トレーナー室に資料を撮りに行こうとして、廊下を歩いていたとき......
『バクシンバクシンバクシィィィィィィィン! 教室での黒煙騒ぎ、お天道様が許してもこの学級委員長が許しませんよお!』
『アッハッハッハ、バクシンオー君は仕事熱心だなぁ!』
『む、そこのトレーナーさん! タキオンさんを通せんぼしてくださーーーい!』
『ん......? おっと』
「あなたがぶつかってきたからでは?」
「ふぅン、ことの経緯はしっかり思い出せたようだね。よかったよかった」
「あと、黒煙騒ぎ、という言葉もです。あなた、教室で何をやっていたんです?」
「不思議なことを尋ねるね君は。『研究の一環』さ」
「研究?」
「ああ、研究さ。わたしの求める可能性の到達点。限界のその先、果てしない未来にすら辿り着けないかもしれぬ極地!」
彼女のどこか焦点の合わない目つきがギョロリとこちらを見据える様は不気味だ。まるで物語に登場するマッドサイエンティストのような狂気を孕んだ目つきと表現すれば良いのだろうか。関わったらマズイ人種、もといウマ種な気がしてきました。彼女には悪いですがここは一旦お暇させて貰いましょう、と一言断りを入れつつ立ち上がろうとして、
「じゃあ私はここであれぇ!?」
「君、考え事に没頭すると周りが見えなくなる癖があるだろう。私も同類だからわからないでもないがね」
わたしを一般的なキャスターに縛り付けているのは梱包用によく使われる白いビニール紐。よく見れば机の上に私を縛りつけたであろうビニール紐のロールと鋏が無造作に放置されていた。縛り方も適当に縛りつけたではなく、しっかりと身体が動けない縛り方を知っているものの縛り方。
「親切心から忠告しておくとすると、自分自身の状態は常に気を配ることをお勧めしておくよ。でないと──」
「でないと?」
「心身ともに健康で元気な成人女性、という格好の被検体を求めてやまない研究者といつどこで巡り合ってしまうか、わからないだろう?」
忠告する言葉とは裏腹な恍惚としたとろけ顔。まるでうまそうな獲物を見つけた時の虎のような、舌なめずりの音すら聞こえてきそうなソレは不気味な目つきも相まってひどく恐怖を誘う。
「尤も、私にとっては幸運が自ら歩いてやってきてくれたというべきか、巡り合ったというべきか。いつもは存在を否定するが、三女神とやらにも感謝しておくとしよう。学園に来た時は兎も角、今となっては噂がすっかり知れ渡ってしまったおかげで、被検体を頼もうと思えば逃げられ、物を拾ってあげれば叫ばれ、目を合わせれば脱兎の如く。
しかし、しかし。ハーッハッハッハ! 目の前には噂も何も知らない優良健康な新人が現れてくれるとは! なんたる幸運か!」
「何も知らない、とは失礼ですね。あなたの名前くらいは知っていますとも、
「ほう......」
感嘆した様子で腕を組む栗毛のウマ娘、もといアグネスタキオン。名門アグネス家の異端児とも言われる彼女を私が知らないはずはない。
「素質は一流と囁かれつつ、今までその脚の真価を見たものはいません。授業態度も悪く、生徒会でも要注意生徒として話題になるくらいには......これくらい知っていましたよ」
ただ顔までは覚えていませんでした、というとさも楽しそうに彼女、アグネスタキオンは笑う。
「ハーッハッハ! 何も知らないと思えばとんだおっちょこちょい! 新人らしいといえばらしい、微笑ましいことだとも。
という訳でモルモッ............新人トレーナー君」
「モルモットって言おうとしましたね?!」
「気のせいだよ。一般的実験動物とトレーナーを間違えるなんて、まさか目の前の人物を実験動物としか思ってないようじゃないか! 否定はしない」
「しないんですか?!」
「大の大人が些末な事を気にするな」
「気にしますよ!」
「打てば響くな君は。ともかくだ。体格からして、ふむ、1本とは言わず3本ほど薬を飲み干してもらおうかな」
「なんの薬を......?」
「治験では薬の効能を伝えることはしないんだ。
なあに大丈夫さ、最悪の結果だとしても精々が数時間、両腿が黄緑色の蛍光色に発光するだけ。愉快な副作用だろう?」
君もそう思わないかい、と途中から笑い出すアグネスタキオン。そんな怪しい薬を飲んだらと思うと逃げ出したくなるが縛られていては諦めるしかない。
「そんなことよりも重要なのはデータだ。この薬によって観測される、大腿四頭筋の筋肉収縮。ウマ娘と人間の身体構造はほぼ同一であることは知られているが、そのデータを比較することによって新たな」
「待ってください」
見慣れた言葉、聞きなれた単語。ウマ娘の知識なら誰にも負ける覚えはないと自負しています。たかが一生徒の脚には負けても、知識量には負けを認めるつもりはありません。
「おや? 君に実験の拒否権はないが何か意見でも?」
「科学的な知見からのウマ娘の研究は古来より進歩がありません。ですが、ここ10年科学技術の進歩によりその限りではありません。それに、人間の研究データは揃っているんですよ、わざわざ、取り直す必要はないでしょう」
「ああ、過去文献など漁り尽くした。研究と実験の前には、先行研究を隅から隅まで調査しなければ話にならないからね。その上で、わたしは必要なデータを求めるために実験を」
「本当にそうですか? 積み重った100年以上もの、延べ1万人もを超えるウマ娘の育成記録にそれらの記述がないと思いますか?」
「......ふぅン? その話、詳しく聞こうじゃないか」
彼女が椅子を寄せ、怪しく光る瞳で覗き込んでくる。
狂人の真似をすれば狂人ともいう。だが、わたしもウマ娘に狂っていると言われれば否定するつもりは微塵もない。ここからは我慢比べ。彼女の探究心からなる狂気か私の信念からなる狂気、どちらがより狂っているか比べ合いといこうじゃありませんか。
◇◇◇
「......どこにもいないわね」
「電話にも出やしない。一体全体どこへ行ったんだ?」
「おや、君じゃないか。ちょうど良いところに」
「すみません、少しいいですか?」
十字路でスカーレットと頭を悩ませていると、左右から声をかけられた。
「うげ、ルドルフじゃないか」
「あら、マンハッタンカフェ先輩。どうかされましたか?」
「......生徒会長から、どうぞ」
「気を遣わせたね。わたしはとあるウマ娘を探しているんだ。ここら辺の教室にいると聞いていたのだが、ついさっきトレーナーらしき人物を担いでどこかに消えてしまったと聞いてね」
「いつからトレセン学園はそんな物騒になったんだい?」
「目撃者曰く、トレーナーと彼女が正面衝突したようでね。事故の予防のため、当事者に話を聞こうと思って探し回っているのだが、どうにも見当たらない」
「私も同じです。逃げ出したタキオンさんを捕まえろと先生から言われていまして、あの子とバクシンオーさんと一緒に探しているのですが」
「おや奇遇だな。私も探しているウマ娘の名前をタキオンというのだが」
「......またやらかしてるんですか」
はあ、とため息をついたのはマンハッタンカフェと呼ばれていた小柄な少女。黒髪に、何か遠くを見ているような目線の合わない目つきが怖い......いや時々話してるとき人の顔見てないの怖すぎない?
「......で、タキオンってどなた?」
「高等部のアグネスタキオン先輩のこと。アタシ親戚なの」
「へー」
「とっても研究が好きで、いつも白衣を着てるの。図書室の本で名前を見ないことはないくらいに読書家でテストもいつも学年1位なの! アタシの憧れ」
「話を聞く限り優等生とは思わないんだけど」
「その通りだ。成績は良いが授業態度でいい評価は聞かない上、トレーニングの出席率も悪い。学園からは退学勧告まで出ているほどだ」
「退学勧告ですって!?」
「今回の選抜レース期間内にせめてトレーナーを見つけてくれればと思っていたんだ。その話もしようと思って探しているのだが、どうにも見つからなくてな」
「手伝いますっ!」
「スカーレット、気持ちはわからないでもないが......」
「タキオンさんが中央で走れないままっておかしいです! あんなに速いのに!」
「......話が変わった、手伝おう」
「人手は多い方がいい。しかし、急に心変わりしたな」
「スカーレットが速いというウマ娘がフリーとくれば、スカウトしない手立てはないさ」
「はっはっは、随分とトレーナーらしくなってきたじゃないか」
「うるさいやい」
ルドルフの脇を肘で突いておいて、本題に戻ろう。桐生院には悪いがこれもまたスピカの為犠牲になってもらおう。桐生院、君はいい友人だったが君のお父様がいけないのだよ、なんつって。
「......というかふと思ったんだが、そこのトレーナーとタキオンは正面衝突したんだよな」
「そう聞き及んでいる」
「怪我をしたら保健室にいくんじゃないか?」
皆それもそうだ、と驚いて目を見開くのはやめてほしい。しかしこうも簡単なことに気がつかないかね全くもう。灯台下暗しとはよく言ったものだが、身近な物事ほど簡単に考えられるのに見落とす。
『ヒビケファンファーレ トドケゴールマデカガヤクミラーイヲー』
「おや電話。相手は......ミークちゃんか、もしもし?」
スカーレットにも聞こえるようにスピーカーで電話に出ると、ミークの若干呆れたような声が聞こえてきた。
『トレーナーさん、見つかりました』
「おお、良かったじゃない! で、どこに?」
『......保健室です』
「「「保健室」」」
いま保健室には桐生院がいる。
いま保健室にはアグネスタキオンがいる可能性が高い。
トレーナーとウマ娘が正面衝突事故を起こした。
そして今ハッピーミークが呆れるようなことが起こっている。
「......逃した魚はでかいなぁ」
そこから導き出される結論に、私はため息をついた。
似たもの同士は惹かれ合うというが何も三女神よ、そうも強引に引き合わせる必要がどこにあるのか。
◇◇◇
「......」
「なあ、これどうすればいいんだ?」
「ほっとけ」
保健室へと向かうと、扉の隙間からじっと向こうを見つめてる様子のハッピーミークと困惑気味らしくキョロキョロとあたりを見渡しては考え込んでいるウオッカ、そして耳をペッタリと伏せてどうでもいいとそっぽを向いたエアシャカールの3人がいた。
「やーやー、見つかった?」
「あ、サブトレ! 見つかったはいいんですけど、どうしましょう?」
「ミークちゃんちょいと失礼」
ミークに頭を少しだけ下げてもらい、同じように隙間から室内を覗き込むと。
「......うわあ」
先ほど写真で見たウマ娘と見覚えのある小さいポニーテールをつけたトレーナーが思わず引く程に騒がしくしていた。背筋がどうだ腹筋がどうだ、腱がどうだ神経がどうだ。とてつもなく生物学的な話をするのはわかっているが、見習いトレーナーの私には理解できないレベルの高度な話題だ、それこそ研究者に匹敵する知識量なのかもしれない。
だとしてどうして桐生院は椅子に縛られているのやら。とりあえず2人の話を止めないことにはどうしようもないので遠慮なしに扉を開けて、気持ち大きめに扉を叩いてノックしてから声をかけた。
「お二方、熱中してるようで悪いけど」
「つまりこの理論は......って、鏑木さん」
「おや、お客さんのようだね」
「さがした」
「ミーク! ああ、ごめんね、トレーニングのことすっかり忘れて......ミーク?」
寂しかったのか、縄を取るでもなくひしと彼女に抱きついたミーク。そしていー、と歯をむき出しにしてタキオンに対し威嚇のような何かをしていた。それを見たタキオンはというと腹を抱えて笑っていた。
「ハーッハッハ! 随分と担当ウマ娘に愛されてるようだねモルモット君」
「初めての担当の子ですから。それにこの子人見知りで」
「しかし白毛、ふうん。貴重な研究サンプルになりそうだ」
「ちゃんとミークの納得する形でやってくださいね」
「もちろんともさ」
妙に打ち解けた様子の2人に対し、ミークとはいえば耳を後ろに倒してプルプルと震えていた。タキオンの光の薄い不気味な目が怖かったんだろう。値踏みするような無機質な目はそうそう他人に向けるものではないが彼女は遠慮というものを知らないらしい。
「では早速......といきたいところだが、スカーレット君にウオッカ君にシャカール、生徒会長とは随分と賑やかな事態になっているねえ。なんだい、誰か事件でも起こしたのかい?」
「トレーナーを椅子に縛りつけることは犯罪に等しいと思うけど。桐生院何かされなかった?」
「有意義なお話ができました!」
「この箱入り娘め」
はあ、とルドルフと揃ってため息をついた。被害者本人がそういうのではタキオンを怒るに怒れない。というか、もう担当になるつもりで双方話が進んでいるようだから手出しもできない。
「ああそうだ。君に伝えておくことがあるが」
「トレーナーの件なら問題ない。彼女に決めたよ。デビュー時期はもう少しだけ後になるが会長の期待を裏切りはしないさ」
「......君の道行に栄光が在らんことを」
ルドルフは桐生院に一礼すると、その場を後にした。残すはスピカの面々とマンハッタンカフェ、椅子に縛られたままの桐生院と抱きついて離さないミーク、そしてアグネスタキオンの8人か。
「よし。今日は桐生院の奢りでスイーツ食べ放題な。
桐生院に新しい担当ウマ娘がついたことを祝って! ついでだマンハッタンカフェ、君も来るといい」
「......いいんですか?」
「どうせ私の金じゃないからね」
「............わたしが奢るって話になってません?」
「人を心配させた迷惑料だ」
「......おなかへらしに走ってきます」
「ミーク!?」
「じゃあアタシも」
「俺も走ろっと」
「皆さん!?」
「ハッハッハ、愉快な面々だね」