トレセン学園校門前の葉桜も今は昔。植え込みに植えられた紫陽花に花が生える6月頃は、同時に春レースシーズンの集大成たるG1レース『宝塚記念』が主なG1レースになる。それに向けて身体を仕上げていく生徒や、季節柄多い雨を使った重バ場の練習にと雨の中でも走り込みをする生徒もいる。
スピカのチームエースたるゴールドシップも同様に不真面目ではあるが今はトレーナーとマンツーマンのトレーニング中。それ以外の所属生はサブトレーナーの指示に従うこととの連絡を受け、さて今日はどんな練習をするのかとダイワスカーレットは傘をさしてチーム室の方へと向かっていた。
「......あ、シャカール先輩お疲れ様ですって、なんで入らないんですか? 鍵は空いてるはずですよね」
「朝からずっとこうだ。入りにくいったらありゃしねえ」
ハァ、と頭をぐしゃぐしゃと書きながらチーム室の横へ来るようにジェスチャーするエアシャカールに促されるまま、窓の外から室内を覗きこむ。
「......」
「......あう、あうあう......あう......あう......」
机に突っ伏してうわごとを漏らすマチカネフクキタルと、その対面にパイプ椅子ですわって宙を仰いで動かない鏑木サブトレーナーの姿が目に入った。
「く、空気が重い......」
「もう3日も経つんだぞ? 流石に立ち直れって話だ。これじゃ資料も取りにいけねえ。ったく」
「だったら私が提供してあげようかい? その代わり実験につきあってもらうけれどね!」
「「タキオン(先輩)?!」」
「やあ、久しぶり」
「てめえ、なんでいやがる」
「剣呑なことを言うのはやめたまえよシャカール君。別に私がどこを歩こうが私の勝手だろう?」
2人の間に割って入ってさも親しげなように手を振るのは、栗毛のウマ娘アグネスタキオン。得意ではないのか露骨に距離を取るエアシャカールにやれやれとオーバーな仕草で肩をすくめながら、彼女は自分の目的を話し出した。
「モルモット君とミーク君と一緒にあのレースは見ていてね。心配して送った励ましのメールに返信も来ない、というわけだからひとつ様子を見てくれないかと頼まれたわけだが、君たちから見て彼女たちの様子はどうなんだい?」
「......なんというか、覇気がないと言いますか」
「心ここに在らず、だな。ミスしたんならさっさと反省すればいいのに、後悔している時間が勿体ねえ」
「フゥン。2人とも自分のミスで頭がいっぱいといったところだね」
「そんなところだろォな」
「じゃあこれとこれと......ふむ、これも使ってみようか」
そんな彼女が懐から取り出したるは、明らかに怪しい蛍光色の液体が入った試験管が数本。今までの実験の被害者のなれはてを思い出して(例:この前練習グラウンドにいた光る桐生院トレーナー)、シャカールが顔を顰めた。
「まさか光らせれば解決すると思ってンのか? バカか?」
「そんなことは思わないよ。しかし、後悔を吹っ飛ばすには鮮烈な体験が必要だというトレーナーからのアイデアさ。もし落ち込んでいるようなら蹴っ飛ばしてでも立ち直らせて欲しいと言われたんだ」
「......それで、薬を使うってこと?」
「私の足の価値はそんなに安くはないよ。フゥン、こんな色になるんだねえ」
タキオンは何本かの試験管の中身を混ぜ合わせ、蛍光色の液体を色とりどりな7色に光るネオン色の液体に進化させた。自分の知る知識では絶対にあり得ない物理現象にドン引きする2人を置いて、タキオンは鼻歌混じりにチーム室の扉を開けた。
「うまくいくのかしら......」
「さァな」
「やあやあモルモット君たち! 今日の気分は曇天だがいい実験日和だ! というわけで君たちには実験台になってもらう。返事をしないなら肯定とみなすがよろしいかね?」
「「......」」
「よろしい! 従順なモルモットは大好きだ! というわけで君にはコレを飲んでもらうよ」
「......」
「口開けているしちょうどいいか。えーい」
まずはサブトレーナーの口の中に試験管の中身を半分流し込み、もう半分は無理矢理起こしたフクキタルの口に試験管ごと放り込んだ。
3人が息をのんで見守る中、彼女たちは......
「「まっっっっっっっっっっっっず!」」
「まあ、味は最悪だろうね。考慮していないから。それにしたって貴重な薬品を噴き出さずともいいだろうに」
マーライオンよろしく、七色の噴水を口から吐き出すことになった。
◇◇◇
反省会と若干角ばった文字でホワイトボードに書き込み、シャカールがペンを置き2人へ向き直った。
「それで、ダービーの敗因は」
「私がミスしたからです......」
「私がやらかしたせいです......」
ペカペカと脚を光らせながらしょげて項垂れる2人。先ほどから進歩も前進もない2人にシャカールのボルテージが上がる。
「ああん? 手前はそれしか喋れねえのか? 今時デビュー前のスカーレットの方が反省会でも言葉が出る。
ただ負けたでは次に生かすも減ったくれもありはしねエだろうが、無駄に時間を潰すことは現役トレーナーとクラシック級の必須技能なのか!? 答えろトレーナー!」
「......今回のレース、タイムは」
「2分25秒9。ここ10年の勝ち時計は平均26秒台、統計的にいえば平均ペースだ。世代の実力が図抜けてたという言い訳はでき無エな」
「サニーブライアンのあがり3ハロンのタイムは」
「35秒2。4ハロンは47秒1、5ハロンは59秒3」
「それって......速いのかしら?」
「速すぎる」
むくり、とサブトレーナーが顔を起こした。目元にはくっきりと黒い隈がぼこり、肌は風呂にも入っていないのかガサガサ。目は若干虚なままだが、しっかりとシャカールのことを見ていた。
「日本ダービーを逃げ切ったウマ娘はここ数年だと『アイネスフウジン』がいる。その勝ちタイムとあがりの3ハロンは」
「2分25秒3、あがり3ハロンは36秒6」
「今回のトップ3人とフクキタルのあがり3ハロン」
「2位シルクジャスティス のタイムが34秒2。3位のメジロブライトは34秒5。フクキタル先輩のは35秒2。
さて、ここから導き出される結論は」
「......レースをずっとサニーブライアンが支配していた。大逃げしてハイペースなレース展開を作るようで、実際はスローテンポなレースだった」
膝の上で組んだ手を震わせながら、彼女は続ける。
「あがり3ハロンのタイムがそれを証明している。アイネスフウジンのレースではハイペースな展開で、軒並み上がり3ハロンは36秒台だった、違う?」
「最速で35秒4。今回のタイムより1秒も遅い」
「......サニーブライアンはラストスパートのための脚をしっかりと残していた。後方で皐月賞のような牽制合戦が繰り広げることを予想し、かつ大逃げ宣言をすることで自分がハイペースなレース運びをすると参加者全員に意識させた。
その逆をついて『スローペースに』逃げた。
自分に追いつくようではペースが速すぎると錯覚させ、ハイペースなレース展開だからこそ前が潰れることで後方からの勝負展開になるはずだと思い込ませた。
先行策のウマ娘はスピードの緩急で若干疲れさせる。向こう正面はスローペースなのに対し、スタートから1、2コーナーへと向ける際はわざとペースを上げてた。それに、この大舞台で緊張してスタミナの減りが早くなることを予想するのは簡単。そもそも先行策は神経を使わせる。前も後ろも見なくちゃいけないのは、クラシック級のウマ娘に求めるのは酷、経験値が足りなさすぎる。
だからこそ先行策を取るウマ娘は『潰れる』。垂れさせてインコースを完全に塞ぎ、後続の余力を残した後方待機のウマ娘たちに距離の長いアウトコースを走らせるために。
フクキタルはそれに引っかかった。ペースに緩急をつけてスタミナを無意識に削り、スローペースなレースに気がつかせず、仕掛けタイミングをミスする様に『仕向けた』。
最内はフクキタルとスズカとビザンで塞いだ、内で最短コースを走れるウマ娘は追いつけない。
問題は外、後方待機のウマ娘を東京の長い直線で振り切るには相当の脚がいる。けど、サニーブライアンにとってそれは一切問題がなかった。
彼女はゴールドシップと同じ脚をしてる。短距離の切れ味は若干鈍いけど加速力は並以上。
長い直線は逃げ戦法には不利、けれど長い直線を使わないと加速できないサニーブライアンにとっては最高の場所。
全部が全部、サニーブライアンの掌の上。
それを警戒しなかった私たちが負けるべくして負けた。
けど、フクキタルなら捉え切れるポテンシャルがあった。
フクキタルの末脚なら後方から大外一気でも刺し切れる切れ味がある。スローペースなら外から差し切る脚も残ってるし、内でも問題なくブチ抜けるパワーがある。
フクキタルの言う通りに得意な後方策にしていれば、こんなことにはならなかった」
「そんなことありませんよう......」
鼻声で、くぐもった声が聞こえた。相変わらず机に突っ伏して耳をぺたんと倒したままだが、フクキタルもまた口を開いていた。
「......うすうす、勘づいてました。スローペースな展開だって。練習でスタミナがついたって自分を過大評価せずに冷静に自分と周りの状況を把握できていれば......位置を下げるか、サニーさんのすぐ後ろをマークできていました。仕掛けタイミングもです。
レースは、最後に1番じゃなきゃダメなんです。レース途中にいくら1位の背中が見えたからって......それで、油断しちゃいけなかったんです。上の順位を取って安心しちゃいけなかったんです。
安心したくて、スパートをかけてしまった私は......それでもう、負けていたんです。
ベストを尽くしたとはいえません......トレーナーのミスを気をつけるのも、ウマ娘の仕事なんです......前のトレーナーさんが言っていました......間違いを起こさない生き物なんていないって......
ああシラオキ様......選択の失敗ってコレだったんですねぇ......私ではなかったんです。トレーナーさんも間違うんです......それを私は......考えもしなかったんです......」
えぐえぐ、と小さな声がして。
「だからトレーナーさんはわるくないんですゔぁだじのぜいなんでずううううううう!!!!」
堰を切ったように泣き喚きだした。そのままちょうど目の前にいたサブトレーナーのジャージの裾を引っ掴んで顔を隠すように服に顔を埋めてわんわんと泣き続けた。
「ゔぁあああああああああああああんトレーナーざああああああああああん! ごめんなざああああああい!」
「ふくきたるぅ......」
フクキタルの頭を優しく抱き、つられて涙ぐんだトレーナーが優しく彼女の頭を撫でた。
「.......ありがとう」
「トレーナーざあああああああさあん!」
そのまま泣き続ける彼女を、優しくずっと抱きとめていた。
「いい雰囲気なんだけど、なんというか」
「ハッハッハ、光ってるせいで色々と台無しだねえ」
「ちなみにどんな薬品を調合したんだ?」
「ホルモンに作用して感情を昂らせる薬だよ。気分もコンディションに影響するというモルモット君の意見を参考に作ったんだけど......どうやら涙もろくなるだけみたいだねえ」