「嫌な気配はしていたんです。スズカさんもトレーナーさんも最近の占いは悉く最悪を示すものばかりでした」
ぽつり、ぽつりと漏らすように、フクキタルさんが話し始めました。さっきからずっとカードの束を混ぜていましたが、下を向いて、ずっと黙っていたんです。
フクキタルさんが1番上のカードを表向きにします。そこには黒い服と鎌を持ったガイコツ頭の人絵が描かれていました。
「死神の正位置。意味は破滅、そして死の前兆です」
フクキタルさんはそう言うとカードを裏向きにして戻し、またカードを混ぜ始めました。そして無造作にカードを切り1番上のものを捲りました。
しかし何故か、表向きのカードの模様と向きは変わらないままでした。それを何度も繰り返しても、同じカードで同じ向き。
「どうして、死神ばかり」
「フクキタルさん......」
「スズカさんも、トレーナーさんも、こんな、こんなことになるなんて」
「......」
「占いは何も救えないんですか。どうして、私の大切な友達とトレーナーさんを奪ってしまうんですか。教えてくださいシラオキ様......」
遂には泣き出してしまったフクキタルさん。
見上げても手術室のランプは、まだ灯ったまま。
わたしは、あのときのことを思い出していました。
レース場が静まり返った時、1人だけが動いていました。
ラチと柵の僅かな隙間を縫うように走る、
長く伸びた黒鹿毛が風に舞う様子は、私が昔、北海道にいたときにテレビで見たものとそっくりでした。そのウマ娘は全力で走りながら、3コーナー向こう側のスズカに届く大きな声で叫んでいました。
「スズカぁ! 止まるな、真っ直ぐ外に出すんだ! 」
「スズカさん! 私も行きます!」
「そう言うことかよクソッタレ!」
「ダメですスペ先輩っ!」
飛び出そうとした私を、シャカールさんとスカーレットさんがしがみついて離そうとしません。振り払おうとしても、特にシャカールさんが必死の表情で私をコースに出すまいと脚を踏ん張っていました。
「行かせてくださいっ!」
「スペ先輩だけは、出すわけには行かねェンですよ!」
「どうしてですか!」
「レース中にコースには立ち入ったらいけないんです、大問題になってしまいます!」
「先輩この後の菊花賞やジャパンカップも走れなくなるかもしれないンですよ!」
「それでも構いません、スズカさんのところに行かせてください!」
「駄目と何度言ッたら理解できるンすか!?」
「絶対に行っちゃダメなんですよ!」
「うう、ううううううっ!」
抑え込まれながらも必死に手を伸ばしました。
スズカさんのピンチなのに、1番に助けたい、寄り添いたいのは私のはずなのに、どうして。
「どうしていかせてくれないんですか、サブトレーナーさん!!!」
『なんということでしょう、サイレンススズカは大丈夫でしょうか。大欅の向こう側で何が起こったのか、場内は騒然としています。そして先頭は代わってサイレントハンター、エルコンドルパサーの2名に変わりした。オフサイドトラップら後方集団もここで上がっていきますが、サイレンススズカは大丈夫なのでしょうか。そしてコースの外側、誰か侵入しています。サイレンススズカを助けようとしているのでしょうか!』
「スズカさああああああああああああん!」
「止まれェェェェェェェェェェェェエッ!」
3コーナーの向こう側。受け止めようと手を広げたサブトレーナーさんとスズカさんがぶつかって、そして......
そこから先はあまり覚えていません。
ターフを踏み締めて走ったこと。
トレーナーさんが叫んでいたこと。
スズカさんがコースに倒れていたこと。
サブトレーナーさんが頭から血を流していたこと。
それで、それで、それで。
『ありが、とう』
『すまない』
「スズカさん、スズカさん、スズカさん......」
「スペ。大丈夫か?」
「トレーナーさん」
「スズカはたぶん大丈夫だ。アイツが身体を張ってスズカの左足を守ってくれた」
「そうですか、よかったです」
何がいいのか悪いのか、よくわからない。ぐるぐると言葉にならないよくわからない気持ちが胸の中にずっと渦巻いている。
「私のトレーナーさんは、どうなんですか......?」
「フクキタル。実はあいつなんだが」
「ま、まさか!」
「元気だよ。スズカを受け止めた時に派手に転んだせいで頭を切っただけ、見た目ほど重傷じゃない」
だが、とトレーナーさんは悔しそうに手を握りしめました。
「問題は、それ以外だ」
「それ以外?」
「競走中には何人たりとも立ち入るべからず。このルールはレースを公平に行うためでもあるが、安全のためでもある。いかなる事情があるとしても、アイツの行いは正しいとは言えない。本人が1番それをわかってるだろう」
「それってつまり......」
「アイツはトレーナーとして、戻ってくるかどうか」
◇◇◇
「掠っただけなのに派手に包帯巻いて。あのヤブ医者め」
「悪態をつけるほど元気そうで何よりだ」
「こんなの1人寄越してうちのチームは誰も見舞いに来ないとは......酷いと思わない?」
「スズカの方が心配なんだろう。まだ意識は戻らないようだし、察してやってくれないか」
頭はまだ痛むしターフに叩きつけられた衝撃はまだ身体から抜けていないが、スズカと比べれば健康そのものだ。ジャージは転んだせいで芝と土と、ついでにスズカの勝負服に何処か引っ掛けたおかげで切ったのか、噴き出た私の血で酷い有様になった。お陰で病院着を着ているけど尻尾と耳が出る服装を人前でするなんて久しぶりだ。
「んでルドルフ、私の処分は?」
「友人として見舞いに来ただけだ。私からは何も言わないよ」
「ふーん。それより上か」
いくら人命救助の名目があってもレース中にターフに侵入するなんて許されるはずがない。それがウマ娘とくれば前代未聞だ、どう処分したものか1日2日で決まるはずもない。なんにせよトレーナーライセンスが取り消しになることは間違いないだろう。となれば大人しく自主退学して実家に帰ってしまおうか、それとも用務員でも何でもいいからどうにかして学園に居続けようか。そう考えていると椅子を出してベットの隣に座ったルドルフが喋り出した。
「しかし、よくあの瞬間に飛び出したものだな」
「ん?」
「あの瞬間に動いていたのは君だけだよ。あんな事があって、15万人の観衆誰もが動けなかったというのに」
「私だって事前に教えてもらわなかったら動けなかったさ。運が良かったんだよ」
「事前に? 誰かがこの事態を予見していたと、そういうことか」
「フクキタルの占いさ。ここだけの話フクキタルには愉快な神様がついてるから当たるんだ。これは他言無用で頼むよ。本当に大事な時しか当たらない」
「なるほど。それは興味深い」
「彼女が嫌な予感がするって言われたから、腹括って飛び出しただけさ。スタートだけには自信がある」
「確かに。昔と何も変わらない走りだったよ。だけど......」
「だけど?」
「なぜ、飛び出したんだい?」
「なぜ、飛び出した......?」
質問の意図がわからずおうむ返しに言葉を返した。よくよく思い返してみれば、なんで飛び出したんだかわからない。フクキタルの占いなんて7割当たらないんだし、帽子を脱ぐ必要もなかったし、残り700mくらいなんだからゴールするまでのたった4、50秒を耐えればなんのお咎めもなくことは済んだはずだ。
何もなかった、か......?
いや、ひとつあった。なんで忘れてたんだか。
「こっち側に来て欲しくなかったからじゃないかな」
「......ほう」
ルドルフの目が細められる。
あのときルドルフにも見えていたはずだ。今代の怪物、誰にも影を踏ませない孤高の逃亡者が誕生した瞬間きっと彼女はそれを歓迎したに違いない。やっと自分を倒せそうな挑戦者の存在をずっと待ちわびていたんだから。
それを歓迎しないといったら不愉快にもなるだろう。
お前はずっとひとりで居ろと言っているようなものだ。
だがな、怪物の誕生を望まないでいる誰かもいる。
「スズカの次走はジャパンカップ。それは同じチームのスペシャルウィークが菊花賞の次に出走する予定だったレースでもある。スズカはスペの挑戦を心待ちにしていた、同時にスペもスズカとの対戦を心待ちにしていたんだ」
「彼女に不足していた『競い合える友』か」
「そ。それにスズカは来年はアメリカに長期遠征の予定。そうなると戦える機会は今年のジャパンカップが最後かもしれない。彼女はライバルと戦える『たった1レース』を待ってた。
怪物は全てをねじ伏せる孤高の存在。怪物を倒すには同じ怪物になるか、数人で化けの皮を剥がすしかない。
私はね、純粋にスズカにレースを楽しんで欲しかったんだ。やっとできた競い合える友達とのレースを。
それが怪物になるでもなく、まさか怪我をするとは思わなかったけどね。フクキタルみたく栄光を勝ち取ってからじゃなく手に届きそうになった瞬間に奪うなんて。運命ってのは実に残酷だ」
本当に、無念でたまらない。
「
「そんなことを言わないでくれ」
ルドルフが私の肩に手を置いた。私に言葉をこれ以上何も言わせまいとでも言うように力を込めながら、そしていつもより少しだけゆっくりと言い聞かせるように喋り出した。
「自分の脚を、走りを卑下しないでくれ。君まで走るのをやめてしまったら私は誰と走ればいいんだい?」
「シービーのバ鹿を呼び戻せばいいじゃないか、お節介のエアグルーヴでもいい。マルゼンスキー先輩の怪我は治ったから勝負できるし、他にもドリームトロフィーで皇帝に勝とうとするチャレンジャーは山ほどいるんだぞ。私なんか」
「君ほど強いウマ娘はいないよ」
「冗談キツいよ」
「私はいつだって真剣だよ」
現役さながらのいつもは柔和なはずのまなじりが細められ、ともすれば人を殺さんとするばかりの三白眼が私の瞳をじっと見つめていた。
「戻ってこい。君はここで終わるべきではない」
どちらに彼女は声をかけたのか。トレーナーとしての私になのか、競走ウマ娘としての私になのか。
私はどちらももうやるつもりはなかった。
「......流石に今日のは堪えたんだ。夢が目の前で壊れていくのを見るのは辛いね」
フクキタルの怪我の発覚が1度目。
キングダムの未勝利地方行きが2度目。
そして今回のスズカの競走中止、これで3度目だ。
「少し、考えさせてほしい」
「......そうか。怪我が早く治り、君が1日でも早く学園に戻ってくれる日を待っている」
それではな、と短く挨拶をすると彼女は席を立った。いつもは広く存在感のあるルドルフの背中は今日は少しだけ小さく見えた。彼女の背中を見送っていると廊下に出たところでその影に赤いツインテールが揺れている。
しっかりと扉が閉まったところで、彼女はドアを叩いた。
「ダイワスカーレットです」
礼儀正しく2回扉をノックして、私からの返事を待っているらしい。
正直私はスピカの面々と顔を合わせたくなかった。2年も騙して置いて、どの口が「お見舞いに来てくれてありがとう」などと言えるだろうか。それに、スズカの怪我を覚悟を承知で引き入れたトレーナーにも、だ。怪我リスクを考え、何度もローテーションを組み直し、練習トレーニングだって組み上げた。その綱渡りのバランスで保っていたスズカの背中を何気なく押して奈落の底に叩き落としたのは、他ならぬ私だ。
今回の事件は全面的とは言わないが9割が私の責任だろう。皆に合わせる顔などない。
なので今のうちに私は病院から脱走することにした。この病室もちょうど1階、さらに駅も近いから目立つことに目を瞑れば寮に行くことも簡単だし、夜だから走る分にはもっといい。
音を最小限にとどめるようにゆっくりと身を起こし、掛け布団を外し備え付けの靴を履く。そして広い窓の鍵を開け身を乗り出し、逃げ出そうと窓枠に足をかけてあたりを見渡して、なぜか窓枠の隣に立っていたシービーと目があった。彼女はさも今来たよ、とケーキらしき袋を見せながら手を挙げた。
「やぁ、元気そうで何より。受付はこっちだっけ?」
「おわーっ!?」