一般病室の扉は本当ならできないことなのだが、備え付けの椅子とリボンと、あとなんやらでなんやかんやすると外側から開けられなくなるという。そのなんやかんやを成し遂げた侵入者、もとい私の同期の3冠ウマ娘『ミスターシービー』は残っていた椅子に座りニコニコとコチラを見ていた。
「元気そうで何より」
「ルドルフの差し金か?」
「そう邪険にしないでよ。戦友の見舞いに来ただけさ」
「怪しい」
「しょうがないなぁ。ルドルフに聞いたのは事実だよ。でも来いとは言われなかったから勝手に来たんだ」
相変わらず考えが読めない親友をじっと睨みつけると、やれやれと肩をすくめてネタバラシをした。とりあえず紅茶でも淹れるよ、と気まずい空気を変えようとするようにシービーは席を立った。何を買ってきたのかとテーブルに置いた箱を開けて、思わず笑ってしまった。
「ガトーショコラとは」
「チョコ、好きだったろう?」
「よく覚えてたね。同じチームでもなかったのに」
「なんとなくさ」
適当なティーパックをコップに放り込みお湯を注いだだけの紅茶をお供に、紙皿に乗った飾り気のないケーキをプラスチックフォークで食べる。
甘さを抑えることで生地に練り込まれたビターチョコレートの苦味を引き立てるバランスの良さ。どっしりとした生地はしっとりともして口触りも良かった。サッパリとした苦味をまだ薄い紅茶でも流し込んで一息つくと、じーっとシービーがこっちを見ているんだからとりあえず返事を返す。
「美味しいよ」
「それは良かった」
「どこで買ったんだ?」
「作ったのんだよ。今時レシピも材料もすぐ買えるしね」
「作ったの? シービーが?」
「そうだよ」
「驚いた。てっきり料理とは無縁だと思ってたんだが」
「年月を経れば人は変わるものさ。一人暮らしは料理ができないといけないからね。それに、なかなか楽しかった」
ルドルフの言葉を借りれば日進月歩とはこの事だ。人は日々進歩し、知らない間に大きく変化している。私が現役の頃のトレーニング法が効率が悪いと駆逐されたように、シービーもターフで一緒に走っていた頃とは別人のようだった。
「料理に興味ないと言ってたシービーがまさかケーキを作ってくるとは。変わったもんだね」
「学生時代だってやろうと思えばできたよ? 興味なかっただけで」
「どうだか」
鼻で笑うように答えると、シービーはコップを置いて少し詰め寄るように顔を近づけて言った。
「君はどうなのかな? 何か変わった?」
「なんにも」
朝同じ時間に起きて、同じだけ朝にランニングや軽いトレーニングをして、同じように朝ごはんを食べて、同じ時間から同じだけレースについて学び、同じように練習時間になればチーム室へ足を運び、終われば同じだけ汗を流し、今日の練習を振り返ってからぐっすりと寝る。仲のいいやつがレースに出ると聞けば応援に出かけて声を枯らし、ライバルが出走するレースになれば偵察に行き対策を練る。レースが決まれば全力を尽くして勝てるように努力し、終われば反省会をして次の目標を考える。
自分が走るのか自分の担当ウマ娘が走るのか、そんな些細な違いを除けば何もやることは変わらない。成長するためとかしたからとかではなく、私は夢をトレセン学園で叶えにきただけだ。
「やる事も変わらないし、中身も性格も変わんないままだよ。案外私は頑固で融通がきかないらしい」
「アハハハハハハハ!」
「何がおかしいのさ!」
「まさか今の君がそれをいうなんて! これが面白くなくて何が面白いんだってば! あーおっかしい!」
ひー、とらしくなく腹を抱えて大笑いするシービー。脚をばたつかせて笑い転げるシービーを睨み付けると笑いながらその理由を話してくれた。
「昔だったらターフに飛び出してないだろう? 少なくとも、ほとんどのウマ娘は飛び出せないさ」
「そうか? 私はだれか飛び出すと思ってたよ」
「無理だね。レース中のターフに飛び出すなんてのはウマ娘には到底できない。例外はキミと、スペシャルウィークくらいじゃないかな?」
「チームメイトが怪我をしたとなれば飛び出すだろう普通。レース中でも外ラチギリギリ、かつコーナー大外なら競争に影響なんてほとんどない」
「大体のウマ娘は自分の後先を思い浮かべてしまうよ、レースの規則破りは2度とターフを走れなくなるのと同義だからね。少なくとも私にはあの時飛び出す勇気はない。キミだって次に自分が出るジャパンカップが控えていたのなら飛び出さないだろう?」
「それは──」
そんなことはないとは言えなかった。あの時照準に定めていたジャパンカップ、10番人気だろうとなんだろうと私は勝つ気でいた。そのための秘策も用意していたし、それはトレーナーと2人で捻り出した渾身の一矢だ。あの時に出走取り消しリスクを背負ってまでスズカを助けに行ったかと改めて問われれば、そうなってみなければわからなかった。
黙り込んでいるとシービーがさらに踏み込んでくる。
「キミがサイレンススズカとどんな関わりがあったかは知らない。けど彼女に自分の走りを重ねたわけじゃないよね?」
「違う」
彼女のように影さえ踏ませないほど圧倒的だったわけじゃない。私は弱くて、シンボリルドルフのようなレースセンスと勝負感があるわけじゃかったし、ミスターシービーのように並外れたスタミナも桁外れのパワーもなかった。だから1mでも短い距離を1cmでも先に走るために、それでも足りない部分を相手のミスで補う......その選択肢として選んだのが大逃げ。
私の大逃げと彼女の大逃げは違う。
私は計算づくの泥臭く、必死な作戦であり。
彼女のそれは誇り高く、望むままに走った結果だ。
「違うんだ、だけど」
言えば終わりだ。
届かない夢ほど残酷なものはない。
叶わない願いほど自分を苦しめるものはない。
ウマ娘というのは本能で競いたい、走りたいって本能がある。それをやっと捻じ伏せて外からレースを見られるようになったところなんだ。
「......これ以上は、言わせないでくれ」
「どうだか」
彼女は鞄からあるものを取り出し私の目の前に置いた。それは私が捨てたはずの勝負服のひとつ、星型の刺繍が入った白いサンバイザー。
「これって」
「部屋から
「捨てた筈じゃ」
「その時にくすねてきたんだよ」
シービーは笑いながらそれを自分で被った。毛先が跳ねた彼女にはあまりにも似合わないようなソレを見せつけるように鍔を指先で跳ね上げて聞いてきた。
「どう? 似合う?」
「......バカみたいに似合わないけど」
「だと思った」
クスクスと笑うシービー。何がしたいのか、何を考えているのか、相変わらずわからない女だ。そして私のサンバイザーをつけたまま、彼女はなんでもないことのようにこう質問してきた。
「久しぶりのターフは、楽しかった?」
「......楽しかったよ」
青い芝の香り、熱気立ち込めるレース場の雰囲気、秋の乾いた風を切って走る高揚感。久しく味わっていなかった、レース場で観客を背に全力疾走することの楽しさ。そればかりは否定はしないし、できない。
「戻ってこれば、また楽しめるよ」
「......でも、キミがいない。ルドルフもだ」
「いるじゃないか」
「私はドリームトロフィーには進めないからだよ!
G1を2つじゃ2人には並ぶことすら叶わない!」
ドリームトロフィーに在籍するためにはG1級レースを3勝以上か同等と認められる成績を取る必要がある。レコードタイムの記録、同一G1レース連覇、URA特別表彰、海外遠征での入着などがあるが私はそのどれも成し遂げていない。
「今現役に戻ったところでスペ達と潰し合いになる! かといってドリームトロフィーには進めない! それに今回の騒動だ! 私はもうターフで走ることは叶わないんだ夢見せんなよ!」
「......」
「もうやめてくれ、ここが私の居場所なんだ、ここに居させてくれ、私を引き摺り出すな! 叶わない夢を見るほど残酷なことはない、だったら夢を見ないままがいいんだ!」
耳を畳んで手で覆い隠し目を瞑る。
もう何も見たくないし、何も聞きたくはなかった。
「放っておいてくれ......」
息を吐く音がして、そして誰もいなくなった。
これでいい、これでいいんだ。
競走ウマ娘としての私は要らない。
私はただのトレーナーだ。そうであるべきだ。
そうでありたいと、私は願ったんだから。