シービーの訪問から一夜が明けた時のこと。私は看護師さんに持ってきてもらった新聞を読み思わず顔を顰めていた。
「沈黙の日曜日、ねぇ......」
紙面には秋天の勝者を讃える記事ではなく、おおきくサイレンススズカが足並みを崩した時の写真と共にそんな見出しが踊っていた。
レースの顛末は人気が高かったエルコンドルパサー、ヒシアマゾン、メジロライアンらでもなく、実力者と見込まれていたメジロブライトやローゼンカバリーでもなく、その影に隠れていたオフサイドトラップというウマ娘だった。彼女はウマ娘にとっては死神とさえ呼ばれる『クッケン炎』を3度克服しターフに戻ってみせた。そして七夕賞、新潟記念と夏レースで調子を上げ伏兵のように隙を伺っていた彼女は、最終直線で先頭に立っていたエルコンドルパサーらを交わして1着を取ったという。怪我と付き合いながら5年。どういう心持ちで学園生活を過ごしたのか、一度話を伺ってみたいものだ。
そして2着といえばその更に後ろから突っ込んできたステイゴールドだったらしいのだが......
『ふざけんなこんなレース認められっかもう1回やらせろ! あいつの背中は私が1番先に追い越すんだ!』
とインタビューの席で荒れに荒れたようだ。南坂先輩の困り顔と報道陣に向かって堂々とスズカに再戦を申し込む啖呵を切っている様子が短く乗せられていた。相変わらずの狂犬ぶりというか、喧嘩っ早い性格は変わらずのようだが、良い方向に昇華され始めたらしい。
そしてもうひとつ、角度的に顔が写るカメラが無かったおかげか私の正体はいちウマ娘というだけに収まるだけだった。ジャージ姿からおおよそ学園関係者だろうか、と言われるくらいで、正体については何もわからないとまで書かれている。
だが世間的にもレース中のターフに踏み入るのは大問題であり、記事を書いたウマ娘記者からは『レース場という神聖な場所を汚した事実は糾弾されて然るべき、しかしサイレンススズカの命を救ったのもまた彼女である』と煮え切らない一文が乗っていた。テレビをつければ専門家やウマ娘達がニュースで喧々轟々と私の行為の是非を議論してることだろう。
「あの、昨日の夜のことなんですけど」
「ん?」
「すごい騒がしかったんですけど、誰か来てたんですか?」
黙々とりんごを剥いていたダイワスカーレットが、突然そう聞いてきた。
「昔の同期がなんて事してくれたんだと怒鳴り込んできて大喧嘩よ。自分の身体は大事にしろとか、なんとか」
「ヒトだったら死んでたかもしれないんですよ」
「見ての通りウマ娘なもんで」
「んもー! 屁理屈はやめてください!」
ぴこぴこと耳を動かしてからかってやると、いつものように頬を膨らましてぷりぷりと怒りをあらわにするスカーレット。昨日のことを一から十まで伝えるつもりはないし、伝える義理もない。
「昔の同期、って、トレセン学園のことですか?」
「ん? ああ、そうだね。実は重賞に勝ったことがあってね、クラシック級では実は3冠にも出たことがあるんだ」
「すごいじゃないですか!」
「掲示板外だよ。ボコボコにされた。彼女はその時一緒に走ってたクラスメイトで、同期さ」
「珍しいですね、同級生で同じ年にデビューなんて」
「よく言われるよ」
ウマ娘の本格化というのは本当に突然訪れる。その殆どが12歳ごろ〜16歳ごろに集中するが、例外として小学生高学年ごろだったり、18歳に本格化を迎えるウマ娘もいる。だから同級生であってもデビュー年も違うし適性もバラバラ、同級生で同じレースを走ることは稀で、クラスメイトとなればさらに珍しい。私とシービーとの腐れ縁は本当に奇跡としか言いようのない偶然だった。しかしスペ達黄金世代はそれが5人もいるんだからあの奇跡というか不運には霞むね。
「ところで、なんで私がトレセン学園の卒業生って?」
「トレーナーさんと仲良さそうでしたし、あの段ボール被って走ってたのって今思い返せばトレーナーさんでしたよ。尻尾と背中がよく似ていましたから」
「流石にバレたか」
「今まで気が付かなかったアタシが恥ずかしいですよ」
「変装上手くいってたと思ったんだけどな」
「アレでですかぁ?」
「ゴルシのおふざけに乗っかった形だったんだけど」
「ですよね! あんなこと思いつくのゴルシ先輩くらいだと思ってたんですよ!」
「まぁそういうことよ。んで、スズカの様子は?」
すると悲痛感あふれる様子で耳を畳んでしまったスカーレット、それだけでスズカがどんな様子かは大体わかった。
「まだスズカは目を覚まさないんだね」
「スペ先輩が来れる時はつきっきりで、スズカさんの同級生の先輩方も来て声をかけてくれるんですけど、全く」
「アレほどの怪我、1日2日目を覚まさなくてもおかしくない。トレーニングの方はどう、進んでる?」
「どうって、できませんよ。トレーナーさんだってまだ入院中ですし、沖野トレーナーも元気ないんですから」
「......無理もないか」
ゴルシやシャカールのようにある程度自立した、それこそ高等部の面子は割り切ってくれるだろう。だがスペやフクキタルはスズカと距離が近かっただけに、そう簡単に気持ちを切り替えることはできるかと言われるとそうではないはずだ。それは沖野トレーナーも例外じゃない。喧嘩別れはあっても競走中止は初めての経験だろうし何があってもおかしくない。
「しばらくは自主トレをするときは桐生院に見てもらうようお願いするよ。顔は知ってるね」
「あのポニーテールのヒトですよね」
「そうだね。スペのレースも近いし、沖野トレーナーが復活するまでは代理を頼むつもりだ。エルやエアグルーヴ担当のおハナさんには流石に声はかけれない」
それはそれとしてスペのレースだ。菊花賞にジャパンカップ、どれも強敵揃いで適当な自主調整では絶対に勝てない。だが3000mから2400mの強行ローテ、心身共に万全ならともかく今のスペではオーバーワークにでもなれば怪我を誘発する可能性もある。たとえ新人だろうとなんだろうと第三者の目がないと問題があった時に手遅れになりかねない。いくらスペが丈夫な身体を持っているとはいえ万が一がないわけじゃない、スズカの二の舞だけにするわけにはいかないんだ。
「菊花賞まであと1週間もない。スペには悪いがグラウンドには来てもらうように言ってくれるか」
「......素直に来てくれるでしょうか」
「来てもらうしかない。出走回避させてもいいんだがクラシックとなれば話は別、クラシックに限って次はない」
「でも大丈夫なんでしょうか? もし、レースの日までスズカさんが目を覚まさなかったら」
「覚ますさ。頭だけは打ち付けないようにしたんだから」
「そうですか」
話すこともなくなり、スカーレットがりんごを剥くシャリシャリという音が病室を支配する。私としては面会時間が終わるまでこのままでもよかったんだが、耐え切れなくなったスカーレットが私に質問をしてきた。
「あの、興味本意なんですけど」
「なんだい?」
「名前、なんていうんですか?」
「鏑木ハジメ、女の人なのにハジメって珍しいとはよく言われるよ」
「そうじゃなくて学生だった頃の、競走ウマ娘の時に使ってた名前はなんていうんですか」
「......」
触れたくないことによく切り込んでくる。私は無理やりにっこりと笑ってこう伝えた。
「ないしょ」
「教えてくれたっていいじゃないですか」
「重賞勝ったら教えてあげようかな〜」
「んもー!」
さっきよりも怒りをあらわにするが、剥いたリンゴはしっかりとくれるスカーレット。丁寧にウサギさんに剥かれたりんごを口に入れながら、私はこれからのことを考えていた。
「......そろそろかな」
「何か言いました?」
「いや、なんにも」
その日の夜、私はチームの誰にも伝えずに病室を引き払った。
病院を出てすぐにウマホで桐生院に電話をかけると夜遅くにも関わらずにワンコールですぐに出てくれた。
『もう、何ですかこんな時間に』
「頼みがある」
『なんです?』
「ケジメをつけてくる。秋川理事長の連絡先持ってたよね」
『......確かに持ってますけど』
「ちょうだい」
そろそろ腹のくくりごろだろう。学園とURAは私の素性を理解しているから今回の事件で動かないはずもない。遅かれ早かれ、私の実名と立場は公開される。なら先にこちらからやることはやっておくのがいい。立つ鳥跡を濁さず。余計なものをフクやスカーレットやシャカール、ひいては『スピカ』に背負わせる必要は何もない。
「ついでにスペの菊花賞の調整も見てやって、入れ込み過ぎないように、万全とは言わなくても最大限仕上げて。あと次走のジャパンカップの対策もよろしく、多分今回は日本勢が強いからそこ重点的に。あと有馬の予想出走者表も作って対策案と対策の対策もよろしく。スペは多分選ばれるし本人も多分でたがるから」
『ついでで言う内容ではないですよね?!』
「どーせ予想表と仮想対策案くらい練ってるでしょ、ほら隠さずキリキリ吐きなさいな」
『確かにやってますけど!』
会話の後ろでガサガサと紙を漁る音が聞こえるあたり本当に予想表と対策案は出来ていたらしい。桐生院は昔っから生真面目で几帳面だからウマ娘一人一人としっかりと向き合える良いトレーナーになれるだろう。ちょっと人数が増えるとパンクしてしまわないか不安だが、安心して任せられる。
『それで、これからどうするんです? まさかトレセン学園から居なくなるとは言わないですよね』
不快感を隠さないような、怒りの篭った口調で問いかけてくる。おそらく私のやろうとしていることにある程度勘づいているんだろう。その上でどう答えるのかと桐生院は聞いているのだ。
『本当に、居なくなるつもりですか』
「私の担当を頼むよ」
彼女の返答を聞く前に私は通話を切った。
「結局、逃げ癖がついちゃったままだ」
夜空に息を吐くと、白くなって煙のように空を登っていく。
都会特有の星空の見えない、ただ一面が黒い空にに向かって私はつぶやいた。
また大切な事を言えなかった。むかしも、今もだ。トレーナーと担当ウマ娘は一心同体であるべきだ。沖野さんもそうだしおハナさんだって、南坂先輩だって、桐生院だってそれを知っている。言えない事があれば言えない、ダメなものはダメだ。そう線引きし決断する力もトレーナーに求められる資質なのに、私はどうしてもそれが出来ない。
1人で何もかも巻き込んで自滅する、やっぱり、昔と何も変わってない。
それが最良の道だと、昔から今までずっと思っているから。私が私である限り、それは変わることはないんだろう。
「私は、ダメなウマ娘だなぁ」
やっぱり私はトレーナーには向いていない。