どの中学校、高等学校にも多かれ少なかれ怪談話があるようにトレセン学園にも七不思議というものがある。
ひとつ、西校舎のトイレには幽霊が出る。
ひとつ、第7ダンスルームの鏡を合わせ鏡にしてはいけない。
ひとつ、第2グラウンドでは夜の2時にトラックを2周すると怪物が追いかけてくる、などなど。
私が現役の時にもあったし、シャカールなんかに聞いたら内容が殆どが変わっていたが7つしっかりと揃っていた。変わらなかった一部というものはこうだ。
ひとつ、学園本館の最上階には開かずの扉がある。そこを開けたものは誰も帰ってくることはないという。
なんてことはない。トレーナー(まだ研修中だが)になった時にネタバラシされたがその『開かずの扉』のある部屋は学園理事長室だ。生徒が滅多に立ち入るものでもないし人目につきにくい。さらに理事長というのは忙しいらしく日本どころか海外まで出張することもあるという、だから先代理事長も含め理事長というのは理事長室に篭るか出張しているかのどちらかで扉から人が出入りするなんてことは滅多になく、それを目撃することは奇跡に近い。
そしてもうひとつ。学園長が直々に生徒と面会するのは大抵がろくでもないことがおきたときで、本人はその内容を語りたがらないからだ。
意を決し、ひとつ深呼吸をしてからその壮麗な蹄鉄の意匠が彫られた木製扉を2度叩く。
「失礼します。トレーナー鏑木です」
「了承! 入りたまえっ!」
そのろくでもないことといえば、たいてい退学か退職だ。
椅子に座って待つでもなく、彼女は堂々と扉の前に立ち扇子を広げて待っていた。薄青色とレース模様のあしらいがされた特注だという扇子には墨痕逞しい文字で『歓迎』と書かれていた。
理事長の前ということもあり今日の私はジャージではなくスーツの正装姿。いつものスポーツキャップは手放すわけにはいかなかったが、被っていたそれを取って深々と頭を下げる。
「お久しぶりです、秋川理事長」
「うむ、久しいな鏑木トレーナー。そこまでしなくとも良いぞ。今日は秋川やよいという人物と話すのだろう?」
「......そういえばそうでしたね、やよいさん」
「うむ」
機嫌良さそうにパタパタと扇子で自分を仰ぐ理事長。この人と対面するのはいつぶりだろうか。式典を除けば、確か......
「最終面接以来ですか」
「そうだな。あれからもう2年は経つとなると、年月の経つ速さを実感するところであるな。たづながいれば茶を出させるところだが今日は不在ゆえ勘弁してもらいたい!」
「......彼女忙しいんですか」
「私が今ここにいられるのもたづなが仕事を請け負ってくれたおかげだ」
まぁ座ると良い、と中学生だという小さな小さな理事長は接待用ソファーに座るよう私に求めた。断るわけにもいかないので座ると、彼女は自分の高座の椅子に座るでもなく私の対面側に腰を下ろした。
「たづなさんの仕事というのは、秋の天皇賞のことですか」
「否定っ! 特待生やスカウトの最終選抜である。本来なら私が同席することになっていたが無理を言ってこちらにきさせてもらった。急に君から連絡が来た時は驚いたのだぞ?」
「その節は申し訳ないです」
「しかぁし、私も物事の重要度はわかっている。今回ばかりは君の方を優先するべきだと直感した、それだけのことだ」
緊急、と書かれた扇子を広げてみせた秋川理事長。たしかに1トレーナーから急に連絡が来れば何事だろうと思うだろうし、実際のところそうなのだから直感は当たっている。
「しかし、天皇賞秋のトラブルの対処も彼女を忙しくさせている理由の一つである。南坂トレーナーにも問いただすが、彼女......ステイゴールドのレース後の物言いはいささか問題があると認めざるを得ない!」
「......はぁ」
「あのような暴言に近い発言はトレセン学園生徒としての自覚に欠けた振る舞いである! 有り余る闘志は当人との間でぶつけ合う、レースで昇華すべきなのだが、それを口にし人々を不快にさせるのは甚だしいことである! 学園側としてはそれを注意し、トレーナー側にもそういった振る舞いを正すよう心がける事を通達してゆくつもりである」
礼儀! といつのまにか書きかわった扇子を見せながら彼女はそう語った。なんだか話が脇道に逸れているような。
「最近の若者は礼儀に欠けると聞く! トレセン学園はレースウマ娘を育成する場所とはいえども、社会に出たのちのことも考えて共同生活を送り、互いに礼節を持って接する事で将来のためにも」
「本題はそうじゃないでしょう」
「失礼! つい熱くなってしまった。君が私を呼んだ以上、君から話があるのだったな鏑木トレーナー」
「本日はこれを渡しに来ました」
私は懐から封筒を取り出し両の手で持ってそれを理事長に差し出すと、理事長は信じられないというように目を見開いてこちらを見上げた。
「......驚愕。これは退職届ではないか」
「はい。今日はこれを渡しに来ました」
「提出する意味をわかっているのか」
「分かっています」
「熟考! 考えなおすべきだ! サブトレーナーとはいえども初年度から担当したマチカネフクキタルをG1勝利へと導いた。この実績は評価に値することである! 自己の才能を客観視した上でこれを私に手渡そうと言うのか鏑木トレーナー!」
「その上で、です。秋川理事長。レース中にウマ娘がターフに侵入した前例を許すわけにはいきません」
「むぅ、その件は理事会でも問題になっているが人命救助の為なら不可抗力、私自身は君の行為を不問とするところではある。気にする必要は全くない」
「理事長が許しても、世間や後輩に示しがつきません。それに、私は特例で学生でありながらトレーナー実習生になることができてるんです。問題を起こした以上、取る責任は通常より重くなくては」
「む、むぅ......」
「それに自分にはトレーナーは不向きだとわかりましたから」
「いや、しかしだな」
ブツブツとしばらく何かをつぶやきながらも、彼女は顔をあげ両の手で私の退職届を持ち、問いかけてくる。
「門戸を叩くものあれば、そこから去るものもある。才能があっても、それを活かすことを拒むと言うのなら、私は引き止めはしない」
「......ありがとうございます」
「が、後悔しているのであれば引き止める義務がある! 改めて聞く、この学園を去ることに後悔はないのだな!」
「ありません。これっぽっちも」
そしてそのまま私は回れ右をして、理事長室を去った。
トレーナー室の荷物は纏めてあるし寮はもう引き払ったところだ。あとは......
「チーム室の荷物、取りに行かないと」
最後の最後に、1番足が遠のく場所が残っている。
だけど今の時間ならちょうど授業中、さらに沖野さんもトレーナー室にいるだろうし行くなら今しかない。誰も知らないままにどこかに行くことができる。
「でも置き手紙くらいはしておかないと」
探さないでください、とかなんとか言っておかないと地の果てまで追いかけてきそうなんだもの。シャカールあたりは割り切ってくれそうだが、スカーレットは諦めが悪い。マックイーンを抱き込ませれば名門メジロの力で全国隈無く探されてもおかしくはない。普通に生活してたらある日ウマ娘がやってきて麻袋に詰められて学園に逆戻りなんてまっぴらごめんだ。その憂いを立つためにもスピカの面々が納得する終わりかたを模索しないとならない。もし仮にシラオキ様のオカルトパワーで呪われたりしたらどうにもならないしどうしようもない、最悪それだけは避けないと。
「だとしてどう書くものか。最近手紙なんて書いた試しがないしなぁ。メールで全部済ませちゃうし」
「別に形式ばらずに思ったことを書けばいいんじゃないかな?」
「それが1番なのかな。この際封筒もないし、メモ用紙に鉛筆とかで許してもらおう」
「それで許されるとは思わないけどね。行為じゃなくて内容の方でだけど」
「私にできることはそんなものだよ......ん?」
ちょっと待て、私は今誰と話してるんだ? 声のする真後ろを振り向くと見知った顔で見知った姿の人物が小さく手を振っていた。
「なんでいるのさ」
「来たかったからに決まっているだろう。学園の外周柵を飛び越えてね」
突飛なことをさも当然のように言い放ったのは、私のよく知る常識外れのバ鹿ウマ娘。
「や、こないだぶり」
ミスターシービーがどういうわけが私の目の前に立っていた。