諦めはウマ娘を殺しうるか?   作:通りすがる傭兵

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第66回 ジャパンカップ:一世一代の逃走劇

 

 

 

『さあ今、シンボリルドルフが収まりました。2週間前に菊を制覇したとは思えない仕上がりです。好走を期待しましょう。さて。全バ収まって係員が散っていきます。さあ、第-回......』

 

 場内に響き渡る実況のアナウンス。ウォーミングアップの返しウマも終わり、あとはゲートインして発走を待つばかり。身体はしっかりとあったまってるし狭い視界にもやっと慣れた。枠番は6枠10番と中盤につけているから悪くない。スタートセンスには自信があるから大外さえ引かなければ絶対に抜け出せる。

 

 あとはシービーの枠入りを待ってスタート。1番人気が仕上がったタイミングでレースは始まるいつもの慣習、こういった細かいところでも下位順位は不利だが今日だけは感謝するよ神様。薄茶の枯れた芝はいつものターフより固く滑るが問題ない。府中は天皇賞ついこの間走ったばかりで感触はよく覚えている。特にどこは走りやすいのか、走りにくいのかは脚と頭が忘れるはずもない。開催レースが進み多少バ場が荒れても荒れやすい場所、荒れにくい場所なんてほとんど変わらない。

 

『今、スタートしました!』

 

 スタートダッシュは完璧、いつもより姿勢を低く脚を使って一歩抜け出すように速度を乗せていく。隣にも後ろにも気配はないから予想通り逃げは私以外不在、ハナを単独で取れたのは上場の滑り出しだ。

 場内のアナウンスはいつもより耳をすまさないと聞こえないが、大方予想通りだろう。ルドルフは中段、アイツ(シービー)は最後方ポツン。アメリカとフランスの有力バが先行集団にいる。

 

 向正面まではとにかく飛ばす事を心がける。距離をとって中段有力バ警戒のスローペースにならないよう無意識にスタミナを削り、それでいて2番手に距離をつけること。

 

『カツラギエースがハナを切って逃げる逃げる! 追走するのはウィン、緑の勝負服シンボリルドルフがその後ろにつけています。ミスターシービーはいつもの様に最後方、おそろしい末脚はいつ炸裂するのか!』

 

考えるな、考えるな、考えるな。

 

後ろはどうでも良いんだ。

最終直線まで私の相手は時計と自分の脚。

 

どれだけ走れるかを見紛うな。

そして、どれだけ相手を幻惑できるかを考えろ。

 

 2コーナーにさしかかったところで軽く足を捌いた。普段ならスパート時にやることが多い手前かえをして、足の回転を遅く広くから遅く狭く切り替える。

 

隣には誰もいない。背後にも、前にもいない。一人きりの世界で風を切って走り続ける。

誰も見なくていいし、誰の様子を窺わなくてもいい。

 

(誰の様子も見なくてもいい、楽といえば楽だけど)

 

 自分の息遣い、踏み締める蹄鉄の重み、高速で流れていくターフの景色、遠い歓声と狭い視界。

 

レースとはこんなにも孤独だったものだろうか。

 

 沢山人がいるはずなのに、まるで誰もいない様な世界。

聞こえてくるのは短く息を吐く音と衣擦れの音だけで、それすらもどんどんと遠くなっていった。

 感覚が研ぎ澄まされていく。踏み締める(ターフ)の感触、地面を抉って捉える蹄鉄の重みと鋭さ、風を巻いてたなびく衣装、スタンド前の歓声すら誰がなんて言っているのかも聞き分けられる。

 

「......ける」

 

 誰か(わたし)が呟いた。胸に何かが燃えている。その炎は、胸から腕へ、脚先へ、頭へ、全身へと燃え広がっていく。

 

炎は言っている。私を見ろ、私が主役だ。

このレースの先頭は、このレースの支配者は私だと。

 

「圧しきれ」

「ねじ伏せろ」

「世界だろうと」

「三冠バだろうと」

「何もかも」

 

(誰か)が私の背中を押す。

お前()の努力は、これまでは、その全ては無駄じゃなかった、この瞬間のためにあったのだと。

 

「私こそが──日本総大将(ACE)だ」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

『さあ残り600m、カツラギエースの逃げが鈍ってきた! 世界の強豪たちが追い込んでくる!』

 

 カツラギエースの脚が最終直線入口で止まった、後続先行集団が彼女に追いつき、追い越さんと虎視眈々と狙っている。

 懸命に誰も彼もが身体に鞭打って走っていた。最後の体力の一絞り、根性の一欠片まで使い果たそうと全力を出していた。

 

 観客席に詰めかけた誰しもがそれぞれに夢を重ねた。中段で控えたシンボリルドルフが直線バ群の中から抜け出してくれる、最後方のミスターシービーが全員を撫で切りにしてくれる。海外の強豪に届かずとも2着3着に手が届くと誰しもが祈っていた。

 

「エースっ......!」

 

彼女の担当トレーナーも、観客席後方で祈っていた。

愛バに想いを託し、最終直線の彼女の勝負根性を信じていた。

 

『ルドルフだルドルフだ、ルドルフが抜け出してくる、ミスターシービーはまだ中段! 先頭はまだカツラギエースが粘っているぞ! 府中の直線は長いぞ!』

 

 緑の勝負服(シンボリルドルフ)が追い上げる。水色の勝負服(ベッドタイム)が食らいつく。白と緑の勝負服(ミスターシービー)はまだ中段。

 

『ルドルフが来ている! ルドルフ頑張れ!』

 

 実況も声を張り上げる。シービーはもう届かない位置で足踏みをしている、日本の希望はシンボリルドルフとカツラギエースに託された。

 

『カツラギエース粘る! カツラギエースが頑張った! カツラギを追ってルドルフ! ベッドタイム、カツラギも来ている! 外からマジェスティーズ!』

 

 海外のウマ娘たちが追い上げる。ルドルフの外からマジェスティーズプリンスが必死に首を伸ばして追い上げ、内からはベットタイムが粘る。ベッドタイム、シンボリルドルフ、マジェスティーズプリンスが横に並んでわからない。

 

しかしカツラギエースは、未だ先頭。

 

『カツラギエースが勝ちましたっ!』

 

 実況がそう言い切った瞬間に、カツラギエースが府中のゴール板を一番に飛び込んでいた。

 

勝ちタイム2分26秒3。

時計自体はレコードには遠く及ばない凡庸なもの。

それでも、日本が世界に届いた瞬間だった。

 

 

◇◇◇

 

 

ざわめく府中の観客席。勝ったのは10番人気の期待されてなかったウマ娘。海外の強豪でも2人の三冠ウマ娘に決着がついたわけもなく、ノーマークの凡な逃げウマ娘がハナを切ってそのまま逃げ切った。

 

『2番手はシンボリルドルフかベッドタイムかマジェスティーズか判定を待ちます。しかし、勝ったのはカツラギエース! 日本トレセン生徒で初、ジャパンカップを制しました!』

 

 実況の声に一拍遅れて、最初はまばらに、そしてだんだんと拍手の音が大きくなっていく。

 

「......た」

「やった、やった、やった......!」

「みーたか見たか! やってやった! やってやった!」

 

 汗だくで少しふらつく足元ながら、彼女が観客席を振り返り拳を震わせる。そしてターフに目当ての人物を見て駆け寄った。

 

「見たかシービー! 完ッッッッ然に完膚なきまでに叩きのめしてやったぜ、ハッハッハーッ!」

「見てたよ。いやあ、やられたね」

「んー? もーっと悔しがってもいいんだよ? にゃっはっは、なんたって世界レベル? ですから私! 挑まれる側は気分がいいねぇ!」

「いい性格してるよ」

「どーも! やっぱり勝つのは最ッ高だね! 有マどうするよ!」

「出るに決まってるだろうて。君は」

「もっちのローンよ! 挑戦者として受けてたってやろーうじゃなーいの!」

「痛い痛い」

「わっはっはっはっは!」

「痛いってば」

「イダダダダギブゴブギブ!?」

 

 試合(レース)が終われば勝者なし(ノーサイド)。別れた勝者と敗者も、一度レースが終われば互いに健闘を讃えあう、とはならないのがターフでのルール。

 10着の三冠ウマ娘の周りをぐるぐると回り、挙句の果てに組み伏せられる10番人気の1着の光景を目に焼き付ける1人のウマ娘。

 

「私を見てくれないのですか」

 

敗北を知ることでウマ娘は強くなる。

ウマ娘というのは、誰も彼も負けず嫌いなのだから。

 

 

◇◇◇

 

 

「それ領域(ゾーン)だったんじゃないかな」

 

 パフェのスプーンで行儀悪くこっちを指しながら、シービーはそう言った。私はブレンドコーヒーを啜りながら今までに言ったことを振り返る。

 

「ランナーズハイでなーんも覚えてないだけかと思ってたけどそうなの?」

「領域なんてカッコいい言い方してるだけどランナーズハイでかつ集中力が極限まで高まった状態、でしょ?」

「確か、に?」

「私あれ嫌いなんだよね。だってなーんも思い出せないもん。レースの楽しいことが思い出せないなんてつまんないでしょ?」

「シービーらしい考え方だよ。その言い分じゃ領域に入れてた(真面目にやってた)らルドルフにも勝てたろうに」

「どうだろうね。あ、おかわりくださーい」

「私もコーヒー同じのを」

「畏まりました」

 

 質問の答えをはぐらかすように通った店員さんに手をあげて図々しくおかわりを頼むバカを見ながら、私もまたコーヒーのおかわりを頼む。

 

「JCのことを話した理由として、今度のレースでもシービーにこれやってもらう......わけにはいかない」

「なんでまた」

「だって逃げの駆け引きの面白さ一切わかんないじゃん。楽しくないことやらせても凡走するだけってのは知ってるしね」

「なるほどね」

「だから逃げの駆け引きとか、やり方とかは一切教えない。最低限は覚えてもらうけど、それ以上は求めない」

 

 届いたコーヒーに砂糖を入れながら、シービーの目を見て伝える。

 

「シービーにやってもらうのは破滅逃げ。中盤まではラップを刻んで、あとは好きに走ってもらう策も下策も良いところ。

 後続が潰れるのが先か自分が潰れるのが先かを祈る、トレーナーとしちゃやらせたくない作戦だよ」

「なるほど、それはそれは」

 

 鼻についた生クリームをなめ取って、彼女は愉快そうに口角を吊り上げた。

 

「とおっても、楽しそうじゃないか」

 

 

 

「ところで学園の近所のカフェにパフェが置いてあるのはなんでだろうね」

「定食屋らしいよ」

「やたら料理が充実した喫茶店じゃないの?!」

「ウチは洋食屋ですよ。お待たせしました、モカチョコレートパフェです」

「あ、どうもどうも」

 

 

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