「とは言ったものの、まだ勇気が出ないわけで」
はぁ、とベンチに座ってため息をついた。
トレセン校舎の影になるように作られた喫煙スペースはトレーナーしか寄り付かず、鼻のいいウマ娘は尚更寄り付くことはないほぼ人間専用の場所。私はそこでウマ娘の追跡はほぼない逃げ場所候補の一つに逃げ込んで缶コーヒーを啜っていた。
「どう謝ったもんか」
どう謝ってもまずスカーレットは怒り狂うだろう。彼女は責任感のあるタイプ、担当をほっぽり出した上で逃げたとなれば1にも2にも私を糾弾し自分の心中をストレートにぶつけてくることだろう。
どうしようもない、次。
フクキタルはどうするだろう。というかシラオキ様が怖い。予想できないものほど恐怖感を煽るものはない。フクキタル自身はいつもの3倍は泣き喚いて怒るだろうが、あの不思議な声が今となっては恋しいのだから不思議なものだ。
呪われなきゃいいけど、次。
スペシャルウィーク。彼女の様子は怖くて見ていない。リギルの同期2人の会話を盗み聞きする限り、スズカさんに過保護気味なようだかそれ以外は普段となんら変わらないらしい。
わからない。そもそも自分に対してどんな思いを抱えているのか、今考えて見ても予想できるはずもないだろう。
スズカ。
......何もかも予想できない。自分のことをありのままに伝え素直に許しを乞う。これは決めていることだ。
「そういえばシャカールはどう思ってるんだろう?」
チーム内で他人に噛み付くことはあれど、案外物静かな彼女は私のことをどう思っているんだろうか。考えてみても明確な答えはついぞ思い浮かばなかった。
「案外、何にも知らないんだな」
予想できないのは、その人となりを理解していないからだ。
私は真剣にスピカの皆と向き合えていたのだろうかといえば、そうは言えないだろう。
「......けど、シャカールに一番会いたいんだよな」
冷静に物事を客観視できるのがシャカールの利点だ。レースであっても人間関係であっても、良い方向に転がすには状況を客観視し適切な手を打つことが大切。
だけど、こう望み通りに物事が運ぶわけもないだろう。その建物の影からシャカールが歩いてくるなんてことが。
「......ッぱり喫煙コーナーかよ。鼻が曲がりそうだ」
「あるやんけ!」
「アアン?」
大声と煙草の匂いに不快そうに目をしかめたシャカールがなぜか目の前にいる。これが幸運なのか不幸なのかはわからないが、ピンチでありチャンスだ。携帯を取り出しスピカの面々に連絡しようとしているであろうシャカールに駆け寄って腕を掴んで頼み込む。
「少しだけ、待ってくれないか?」
「話でもあんのかよ」
「今のスピカを知りたいんだ」
「......イイぜ。場所は移させてもらうけどな」
◇◇◇
場所を使われていない空き教室に移し、椅子に座る。シャカールがいつものようにステッカーをベタベタに貼ったパソコンをカバンから取り出し電源をつけるのを確認してから口を開いた。
「スピカの皆の様子は、どうなんだ?」
「オイオイ、そんなアバウトな質問じゃあ答えられねェ。的確かつ具体的に質問しろや」
「......サイレンススズカの脚はどうなんだ」
「最初にそこかよ。いいぜ」
何やら打ち込んでからパソコンを回して画面を見せてくれた。そこにはレントゲン写真やカルテなどが数枚重ねて表示してある。おそらくスズカの脚の病状だ。
「再建手術は無事に成功した。今はまだ車椅子だが4月にはギプスも外してリハビリが始まる見込みになってる。順当に行けば来年1月あたりに復帰レースになるだろォな」
「走りに対する影響は」
「綺麗に折れてた。主治医の話を借りれば、前より硬くなるだろォってな」
「......走れるのか?」
「脚が治っても走れるかは別問題だ。そォだろう?」
「そうだな」
怪我が完治したとても万全に走れるかはわからない。怪我に対する無自覚な恐怖と不安にこれから彼女はいつまでも立ち向かわなくてはならない。フクキタルのように、だ。
「彼女は、何か言ってたか?」
「オマエにか?」
「なんでもいい。答えてくれ」
「オレは聞いてねェし知らねえ。本人の口から聞きやがれ」
けんもほろろ、とりつく島もないといった有様だ。
だが聞きたいことは山のようにある。
「フクキタルの様子は最近どうなんだ?」
「普段通りだぜ」
「普段通り?」
「練習メニューの強度は以前より軽くなっているが、特にこれといって変わった様子はないな。次走は2月の京都記念だな」
「2200m、適性範囲のG3か。練習タイムは?」
「誤差の範囲」
「伸びず、か。厳しいね」
「あとは脚を気にする仕草は平均20回増加してる。古傷が痛むんだろうさ」
「そっか」
有馬の後遺症はそこまでないが怪我はよくもなっていない。これからの行動指針を担当として考えるのであればG3、G2をめどに1勝を目指していくことになる。一度はG1に届いたんだが、きっとそれまでの幸運のツケなんだろうか。
......幸運と不運は紙一重、どうしようもない現実を見た上で、彼女がこれからどうするか。シラオキ様はそこん所どう考えているのやら。
「その、フクキタルがよく虚空に話しかけてるとか急に雰囲気が変わったりとか、ラッキーアイテムが増えたとかそういうのはないのか?」
「2、3個小物が増えただけだ。初詣の学業守りやらレース守りだよ」
「いつものごとくか」
「アア」
「スペはどうなんだ?」
「それなンだがな......」
今まで淀みなく答えていたシャカールの手が止まる。異変に不安を感じて、思わず唾を飲み込んだ。
「なんかあったのか?」
「俺には判断しかねる事態になってるだけだ。沖野トレーナーは静観するみてェだが、いつかは対処しないといけねェ事になるだろうな」
「詳しく」
シャカールが無言で何枚かの写真を表示した。どれもこれも車椅子や病衣姿のスズカをスペが気遣う微笑ましいものばかりで、一般の人が見れば彼女の優しさに胸を打たれるだろう。
「......何やってんだよスペシャルウィーク」
だがここはターフの上で、彼女達はシニア級でやっと矛を交える機会を得たライバル。
タッチパネルを操作し、スペシャルウィークの写真ファイルを漁る。普段の練習風景や休憩風景などさまざま背景で同期の黄金世代やスピカの皆と映る中、一時期からぱったりその姿を消しスペとスズカのツーショット写真ばかりで、その日付は12月の終わりからだ。これはスズカの退院めどが経ってからずっとなのか?
「その通りだよ」
「エスパー?」
「オマエの考えてることの70%くらいは予想できる」
シャカールはさも当然と首をコキと一度鳴らして、それからじっと私の目を見つめて言った。
「......良くねェ傾向じゃねェのかこれは。たしかに私生活の物事や家族の有無で成績向上したデータは例がないわけじゃねえ。だとしても、自分の時間を大幅に削って介護するのは同室のよしみを越えてる。同じチームメイトとして見過ごせねえぞ」
「良くないね。非常に良くない」
トゥインクルシリーズは仲良しこよしの運動会じゃない。スペシャルウィークの生まれが特殊で、同級ウマ娘なんて見たのがこの学園にきてから初めての事情があったとしてももう彼女はクラシック戦線を駆け抜けたあとだ。
そんな甘えなど許すほど、私は優しいトレーナーじゃない。
「どォする?」
「
「どォやって?」
「ンなもんレース以外にないでしょうが。ウマ娘の言葉はレースで語れ。こないだやっと思い出せたことをスペにも思い出してもらう」
予定変更だ。ウジウジスピカに戻るかどうかなんぞ知ったことか。自分のことよりまずスぺを叩きのめして性根を正す必要がある。
「今月中にスピカに戻るつもりだったけど夏合宿まではリギルに残るわ。トレーナーちゃんにはそう伝えといて」
「アァ? ンな無茶苦茶な。オレ達はどうすりゃ良いんだよ」
「トレーナーちゃんには話通して頑張ってもらう。そもそも君ら自分で練習できるタイプだし、デビュー前の段階なら私なしでもどうにかなる」
「レッドのことも放置じゃねェだろうな?! 戻ってきて負け続きじゃまた地方行きだぞ!」
「アイツこそ心配不要だ、やること山積みで忙しくてたまんない。それに、私に指導ライセンスがないんだなこれが」
「ライセンス......ってことは」
「いい師匠のもとで頑張ってる頃だろうさ」
トレセンの外れにあるサブグラウンドにハードルを飛び続けるウマ娘が1人。身体中に絆創膏を貼って傷だらけで転んだりしながら、それでも彼女は飛び続ける。
「いい調子だな」
「なんとなくコツは掴んできましたッス!」
「大丈夫か?」
「ハイっす佐々木部トレーナー! やっと感覚がわかってきた頃合いっすよ!」
「オペラの人を見るセンスは脱帽モンだな......」
芝、ダートに次ぐ第3の舞台、障害レース。競技人口も少なく花形とは決して言えない日陰舞台。ハードルや竹柵などの障害を飛んで走る過酷極まる長距離ランの舞台にレッドキングダムは踏み込もうとしていた。
「先輩が遊んでる間に見せてやるッスよ。ッフッフッフ!」
「遊んでないんだ、ちょっとお腹が痛いだけで......!」
「そ、そっちの先輩じゃなくてスペ先輩の事っす!」
佐々木部トレーナーの隣では、メイセイオペラがお腹を抱えて横になっていた。
「まさか東京の水がここまで合わないとは......! だが、勝ってみせる。フェブラリーSだけは」
岩手の星『メイセイオペラ』、中央挑戦。
「G1の栄光を、岩手に持ち帰っておうっ!?」
「ちょ、それはまずいッス!!!」
「うわっ! 吐くな吐くな!」
......果たして、結果は。