「おハナさん相談があります」
「なにかしら」
「宝塚までグラスを借りたい」
「理由は?」
「スペシャルウィークを完膚なきまでに叩きのめすために」
「しょうがないわね、いいわよ」
「デスヨネー」
シャカールとの話をした日の夜、時間を見計らっておハナさんを飲みに誘い居酒屋で話を振ったがすげなく断られてしまった。ほかに当てはないし......ん?
「良いんですか?!」
「私も本意ではないのだけれどエルコンドルパサー、彼女の海外遠征のサポートをしないといけないのよ」
「会見で言ってたアレですか」
「長期遠征ともなるとタイキのようについていくわけにもいかないの。それに今回は日本でもはじめての海外長期遠征、全力でバックアップしてあげたいのよ」
ため息をつきながら焼き鳥をかじるおハナさん。彼女には申し訳ないがこれは私に運が向いているとしか言いようがない。
「じゃ、任せてもらっても良いんですね?」
「出走プランとレースはこちらで選ばせてもらうわ。けど宝塚に出走することは約束する。これで良いかしら」
「是非!」
「けど、グラスに許可を取ってからよ。彼女の承諾がなければ、今の話は無かったことにする、良いわね」
「大丈夫です。私、人を丸め込むのはうまいので」
「子供だからって舐めてると痛い目見るわよ。高等部はもう大人なんだから」
「は、はぁ」
「話はこれで終わりかしら。じゃあ遠慮なく飲ませてもらうわよ、貴方の奢りで」
「......えっ? 私の?」
「沖野君に貸してる分があるのよ。本人は返すつもりがないだろうし貴方から返してもらうことにするわ」
同じスピカでしょう? とさも当然のように言い放ちながら店員さんを呼びつけ、そこそこ値が張りそうな銘柄のお酒を注文し始めたおハナさん。今まで居酒屋とは無縁だったが、かくも酒盛りは財布に優しくないことを身をもって知る羽目になった。あとおハナさんが世間一般に言われるウワバミということも。
「請求書はトレセン学園、チームスピカで」
「はーい」
「......抜け目ないわね」
「私のツケじゃないんで」
◇◇◇
「お断りします」
「デスヨネー」
翌日、リギルチームルームでおハナさんを挟む形で会うことになったグラスワンダーはキッパリと言い放った。
「彼女を信頼できないかもしれない気持ちはわかるわ。けど」
「いえ、鏑木トレーナーが素晴らしいトレーナーであることはここ数日のトレーニングで身をもって実感しています」
「じゃあなぜなの?」
「彼女のことが信頼できないからです」
言わんとすることは理解できる。ついこの間まで他所のチームにいたトレーナーが我が物顔でやってきて家主が居ないうちにチームに取り入ろうとしてるんだ、拒否反応を示すのも無理はない。
だが、こっちもこっちで担当したい理由がある。
「契約期間は宝塚記念まで。条件を達成できなければなんでも言うことを聞く」
「条件は」
「宝塚記念で1着を取ることだ。スペシャルウィークを下して」
「それは貴方に言われるまでもありません」
不機嫌そうに耳を寝かせてしまったグラスワンダー。どうにもこの言葉は琴線に触れなかったようだ。
とはいえ、とはいえ、だ。
「トレーナーの充分なサポートなしにその脚で走り続けるつもりか。トレーナーとしてそれは認められないぞ」
「自分の身体のことは自分がよく理解しています」
「ンなわけないでしょう。一度怪我したらそれは常態化するし、庇って別のところに負担をかける。自分だけでそれに気がつくのは無理だ」
ひとつ息を吐いて自分を落ち着かせる。ここでああだこうだと理屈を捏ねても意思を曲げなさそうな彼女にはおそらく逆効果になる。ならどうするべきかはひとつ。
「理由は?」
なにか彼女をそうさせるのかを、知るべきなのだ。
「私のことが気に入らない理由を教えて」
彼女は少し間を置いて口を開いた。
「私をスカウトしてくれたのは東条トレーナーです。
私にはじめてのG1勝利に導き、私がジュニア級最優秀ウマ娘に表彰されたのは東条トレーナーのおかげです。
私が怪我をしてからも病院に付き添い、怪我の様子を毎日確認し、リハビリメニューから復帰レースまで、全て東条トレーナーがやってくれました。そして有馬記念での勝利も、トレーナーのために走ったからです。
外様の貴方に割って入る余地はありません。
私は東条トレーナーの担当ウマ娘です」
絞られた耳は不満を隠さず、一文字に結ばれた口元はこれ以上話すことはないと、目つきは若干細められ怒りを露わにしている。
「......それだけじゃないだろう」
だが、それは彼女の心持ちの底じゃない。彼女が私を信頼しないのはそれ以上の訳があっていいはずだ。
「私は東条トレーナーから直々に指名されて臨時に担当を代行してほしいと頼まれた。君の気持ちもわからないでもない。だが、他のトレーナーなら納得するよね、君は」
「......」
「君、私のこと個人的に嫌いだろう?」
「ええ。私は貴方のことが好きではありません」
グラスワンダーは即答した。驚いたように目を少し開いたおハナさんの方を一瞥することもなく、彼女は怒りを露わにしてじっと私を睨みつけた。
「貴方は自身の担当ウマ娘の元を離れ、なぜライバルがいるチームにいるのですか? 貴方は怪我をしたフクキタル先輩に寄り添ってあげるべきなんじゃないんですか。
有馬記念控室で1人だったのは、フクキタル先輩だけだったんですよ!」
「そうだ。私は彼女に寄り添ってやるべきだった」
「貴方はトレーナー失格です」
「そうだ」
「否定しないのですね」
「事実を受け入れて何が悪い」
何もかも彼女の言う通りだ。
だが、私はこんな回りくどいことしかできない。
「私は2度も諦めた。
だが、君は知らないはずだ。
ウマ娘が、ウマ娘にどれだけの言葉をレースで語れるか」
「レースで、語る?」
「私はそれを、シンボリルドルフとミスターシービーから教えてもらった」
今なら理解できる。
あのジャパンカップでシンボリルドルフは言っていた。
『私を見ろ。あなたの後輩を見ろ。私は、ここまで強くなったんだ』
あの有馬記念で、フクキタルがカメラを見上げた理由はなんだったのかもわかる。彼女が伝えたかった、本当の真意も。
「フクキタルはまだ諦めきってはいない。自分の復活も、サイレンススズカの復活もだ!」
「スズカ先輩の......?」
「彼女があの時見上げてたのはカメラじゃない。カメラ近くのサイレンススズカだったんだ。選手生命を断つような大怪我も、乗り越えられると」
これは私の勝手な妄想だ。本当なら戻ってきてほしいのかもしれない。言葉はお互い伝えなければなんの意味もない、相手がそう思っているかなんて誰も100%理解できるわけじゃない。
けど彼女の走りを見て私はこう感じた。同じウマ娘同士ならその想いに殉じてもいいはずだ。
「だがスペシャルウィークは違う。彼女はサイレンススズカが1人で立ち上がることができないと。その分自分が頑張ってあげないとって彼女の復活を諦めているんだ」
「......」
「その心を晴らせるのは、君の走りだけだ。
選手生命を断つような怪我から復帰した、諦めなかった君だからこそ伝えられるんだ。その思いを、その姿を、スペに勝つことで見せつけるんだ。
君の走りでスペとスズカの横っ面をぶっ叩くしかないんだ、このままじゃあの2人は昔の私とおんなじかそれ以下になっちまう」
あのままじゃスズカはたとえ復帰しても勝てずじまいで終わる。互いの傷を舐め合いよくやったと褒め称え合うことだろうがそこに成長も未来もない。ただ負け続け、凡百のウマ娘とおんなじにトレセン学園を失意のまま去ることになる。
私と同じだ。目の前でフクキタルにそんなザマを見せつければ、彼女も今度こそ耐えきれずに折れてしまうだろう。彼女のこれからの道を繋ぐためにはサイレンススズカの復活は欠かせない。
「なにより私の次のレースはこんな心配事抱えてたら勝てないんだよね」
最後にわざとらしく肩をすくめて付け加えたが、これも事実だ。WDT、あの冬の舞台で化け物どもが私を待っている。しかも今年の舞台は中山2500、あの時と同じ最高の舞台で挑戦者として私を向い入れ、殺しにかかってくることだろう。
こんな最高のレースに異物を挟んでたら楽しめるものも楽しめない。
レースは楽しまなくちゃな。
「ライバルとはお互いに火花を散らし合うような本気のレースをしたい。そうは思わない? グラスワンダー」
「......少し、時間をもらえますか」
「返事はいつでもいい。君の思いを聞かせてくれ」
私は席を立ちチームルームを後にした。これ以上は彼女とおハナさんの問題だ。外様の私が関わることじゃあない。
あとは、彼女が決めることだ。
「あの、鏑木トレーナーさん窓から出ていったのですけれど」
「彼女、スピカを勝手に抜け出したもんだから目の敵にされてるのよ。毎日追いかけっこしてるわ」
「は、はぁ......」
「オラマチヤガレトレーナー!」
「マテトイワレテマツバカガイルカ!」