「ついにきたか、身震いするね」
「トレーナーが武者震いしてどうするんですか」
「いいじゃないのよ武者震いくらいしたってさあ」
4月4日、阪神レース場メインレース『G1大阪杯』。11人とG1にしては比較的少数での出走となった本レースの観客席に私とグラスワンダーはいた。といってもたこ焼きのパックとペットボトルのお茶を持ちながらの私服姿と、おおよそ出走するものの格好ではない格好なんだけど。
「やっぱり本場のたこ焼きはうまいね。紅生姜がバッチリ効いてるしタコが大きくて食いでがある。これ食っちゃうと中山の売店のがしょぼく見えるね」
「悪口はやめましょう。失礼ですよ」
「はいはい」
最後の一つを爪楊枝で口の中に放り込んで、空容器をすぐそばのゴミ箱へ放り込む。そして人混みをかき分けつつ、ラチの近いスタンド最前列へ。
「やっぱ人はそこまで多くないなぁ。普段よか楽だね」
「い、いつもこのようなことをしているのですか?」
「レースは最前列で応援するものさ。スピカはずっとここが定位置だよ」
慣れない人混みに戸惑うグラスの手を引いて隣に抱き寄せる。リギルは昔からここよりずっと後方のレースコースを俯瞰できるポジションに座ってるからスタンド最前列なんて滅多に来ないんだろう。あそこはレースのお勉強にはなるけど、観客席としては60点、せっかく現地に来てるんだもの、生きたレースを感じるなら最前列が相応しい。
「しかしあんだけの啖呵切ったというのに、まさか怪我してしまうとはついてないね」
「申し訳ありません。私の不注意で」
「いーのいーの、車に石を跳ね飛ばされたんじゃ仕方ないさ」
申し訳そうに俯くグラスの右目には白い眼帯がつけられていた。つい先日に彼女は登校中に車が跳ねた小石が目の上に直撃する怪我を負ってしまったのだ。幸い眼球に傷はなく、失明やら視力の低下など生活に影響の出るものではなかったが傷が塞がるまではレースはドクターストップ。当然、大阪杯も出走を見送り怪我を治すことに集中する。
最近どうにも不幸が続くとは思わないが、運命があるとすれば随分とグラスに当たりが強いもんだ。ジュニア最優秀を取らせるだけしておいてクラシック半期を怪我で棒に降らせ大レースの前には不運な怪我、作為的だったら悪意がすぎるし、偶然だったら間が悪いにもほどがある。
不満をどこぞの三女神に心中でぶちまけながら顔を顰めていると、心配そうな声でグラスワンダーが見上げつついう。
「悩んでいるようですが、今日はスピカの皆さんは大丈夫なのでしょうか。追われているのでしょう?」
「シャカールからのタレ込みで今日はスピカの面々は来ないそうだ。なんでも、遠征費がなくて応援に行くならスペの春天と宝塚に。と、フクキタルが断ったらしい。引率でトレーナーはついてきてるだろうけど、他はいないよ」
グラスワンダーの言葉に適当に返す。おおかたこの件はフクキタルが気を遣ってくれてるんだろうけど、ウチは万年お金がないってのも事実だ。
「スペちゃんも結果を残していますし、スピカはそれなりに活動費を貰っているはずです。それでもお金が足りないのですか?」
「数年に渡って継続的に結果出さないと予算は降りてこないんだ。うちは他にも用具の買い替えと慰労会やらで派手に使うのが原因だけどね。お陰でチーム財布は常に空っぽだ」
主に
そんなことを話しているうちに発走時間になったようで、ざわめきが静まっていくと同時に響くファンファーレ。春のうららかな日差しも相まって眠くなりそうだけどあのファンファーレを聞けば反射的に身が引き締まる。
「今日やることはレースを見ること。っても宝塚記念に出走するような面子は多くはないから、グラスにとっては無駄足かもしれないんだけど」
「トレーナーさんがケジメをつけにきた、そちらが重要なのでしょう?」
「......ついてこなくてもよかったのに」
「期間限定とはいえ、二人三脚で歩むのがトレーナーと担当ウマ娘ですよ」
「なるほどね」
『さあ始まります春のG1『大阪杯』。注目のグラスワンダーの負傷欠場も相まって出走は11名と例年より少ない人数での開催となりますが気迫は負けず劣らずでしょう。
天候は晴れ、バ場状態は良。
1番人気にはサイレントハンター、直近3レースで2着、3着、4着と掲示板を確保した実力者、今度こそ1着がほしいところです。昨年のG1レースでは数々の涙を飲みました。今年は雌伏の時から目覚めるか、3枠3番です。
2番人気にはマチカネフクキタル。言わずと知れた一昨年菊花賞ウマ娘、今レース唯一のG1バとなります。昨年は怪我により不調でしたが、今年は得意の中距離で2着と復活の兆しアリ、期待しましょう。5枠6番です。
3番人気にはミッドナイトベット。昨年末の香港遠征では見事結果を残しました。得意のマイルから距離を伸ばした2000mで見事結果を残すことはできるのでしょうか、彼女の追い込みに期待しましょう。8枠11番に──』
ゲート前、思い思いに身体を伸ばす中、フクキタルはさっさと係員に背中を押されてゲート入りしていた。ウォーミングアップを見る限りここ最近じゃだいぶ仕上がっているほうだろう。前回のマイル戦では11着と惨敗したが原因は距離不適性によるもの、2000の中距離なら十分に1着も狙える実力はきっとある。地の才能、実力じゃフクキタルが頭一つ抜けているとはいえ怪我の影響がどこまであるか。
走ってみないことには、わからない。
『さあ、全員がゲートに収まって──スタートしました!』
「はじまりましたね」
『さあ行くのはやはりサイレントハンターじわっとあがって先頭に立ちます。ランフォザドリームが2番手、マチカネフクキタルは4番手に収まって中団が続きます。以下──』
「先行か。やっぱり手堅いレースをしてくるね」
「なにか不満でも?」
「いや、定石通りの王道策だ。私だって同じ事をさせる」
あっという間に1〜2コーナーを抜けていくバ群。レース場中央の大型液晶には3、4番手をキープして先頭逃げウマを伺うフクキタルの姿が映っている。
「だが」
「ですが?」
「そんな策を使わんでもブチ抜いて勝てる脚が魅力だったんだよ、フクキタルは」
向こう正面をすぎ、1000mをあっという間に通過する。
......フクキタルの懸命に走る姿をずっとみていたい。だけどレースは必ず終わりが必要で、ゴールがなくちゃいけない。
『残り600mを通過、先頭は依然サイレントハンターですが中団からマチカネフクキタルが押し上げて先頭に立つかと言ったところ』
最終コーナーでフクキタルがアタックをかけた。位置をじわりじわりと押し上げ、先頭の背中を捕らえんとチャンスを窺う。歯を食いしばって走る賢明なその姿は有馬のそれと劣らぬ覚悟を含んでいることは明らかだ。
「......」
芝と土を蹴り上げる他ウマ娘と比べておとなしいフクキタルの走りは、土を無駄に蹴り上げて力をロスする事なく伝える技術を持っているということ。やはり経験の成せる技か、速度があるためにコーナーを若干膨らみながらも2番手で最終直線に突っ込んだフクキタル。しかし前後共に差は1バ身に満たないほどでほとんどない。
ならば末脚のキレるウマ娘が勝つ。
菊花賞と同じスローペースの直線勝負だ。
『サイレントハンターが粘っている、ランフォザドリームもきているかミッドナイトベッド追い込んでくるサイレントハンターに続きました間からマチカネフクキタルが伸びてくるか残り200を切りました』
「いけ、いけ、フクキタルっ、勝て、勝つんだっ!」
単独2番手、先頭まであと2バ身が届くかどうか。
懸命に首を下げて走るフクキタルは、あの頃と変わらない。
だがあの秋の輝くような恐ろしい末脚だけが、フクキタルの走りから居なくなってしまっていた。それでも柵を握りしめて、あらん限りの声を張り上げる。
『さあ先頭は逃げるサイレントハンター! 追いかけるはマチカネフクキタル! ミッドナイトベッド、後方突っ込んでくる7番ですが先頭はサイレントハンターかマチカネフクキタルか今ゴールイン!』
「いけ、いけ、いけ......」
先頭の背中には、彼女はついぞ届かなかった。
「3着いや、2着でしょうか」
「......2着だね。200m先だったらわからなかったが」
『2番手争いは僅かにマチカネフクキタルか、ですが押し切りましたサイレントハンターG1にやっと手が届きました!』
「よっしゃーっ!」
中世狩人のようなフードの勝負服を着たウマ娘が拳を突き上げ高らかな勝利を宣言するそばを、セーラー服の少女が通り抜けていく。ほどなくして確定の文字と共に掲示板に表示された着差は『クビ』。6番マチカネフクキタルの大阪杯は1位とクビ差2着で終わったのだ。
「最後、一杯になっていたように見えましたね」
「先行策は難しいんだ。そもそもフクキタルは差しの方が得意、多少はこなせるとはいえ先行策をやってきたウマ娘にはどうしても一歩劣る。もし一か八かにかけて後方待機を選んでいたら......どうだったろうな」
たらればを考えるのは人間の常だが、そのたらればが叶うのは物語だけの話であって現実は物語のように何もかもうまくいくとは限らない。教え子との再戦の約束は叶わないし、ライバルのいないレースで勝利し相手に対して自分の実力を見せつけるよくある展開にはならない。
怪我からの奇跡の復活なんてできないんだろう。だとしても前を向くことはできる。負けても、次に向かって努力することは誰にでも許されること。そのために誰かの背中を押すことだって誰でも持っている権利だ。
私は、フクキタルに向かって拍手を送った。
大きく勝者を讃える歓声が聞こえるスタンドでこの拍手が彼女の耳に届いたのかどうかはわからないことだが、それでも私はするべきだと思った。
「......!」
一度何かに気がついたようにピンと耳を立ててから、そしてゆっくりと観客席の方を向いて、彼女はいつものように笑顔を見せて指を指す。次こそは勝負ですからね、そう言っている気がした。
漫画のように次の機会が都合よくあるかはわからない。でも、私はまたフクキタルと戦いたい。心の中でいつものように皮肉っぽく笑って返すのだ、『私が勝つさ』と。それはまた彼女も同じらしい。グラスもまた胸に手をあててこちらを見てひとつ呟いた。
「......負けられませんね」
「荷物は軽い方が楽なのにどうも背負い込みたくなるね。とりあえず5月の復帰戦。勝ちに行くぞ」
「はい」
そういえば、連載開始から1年経ちました。
82を12で割ると平均月7話くらいのペースで連載してるってことですよ。優秀ですねぇ!
最近の連載ペース、あの、その......
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