100話でキリ良く終われたらいいですね。
「んーやっと終わった!」
「トレーナー姿も板についてきたようで何よりです」
「うげ、見てたのかルドルフ。おハナさんが隣にいたからなんとかできただけだよあんなの。1人だったら目を回してたさ」
リギルの用意した新幹線の指定席に相乗りさせてもらい、当日中には学園に戻ることができた。降りて身体を伸ばしていると肩をたたいてきたルドルフに言葉を返しつつ凝り固まった身体を伸ばす。
不意にルドルフが立ち止まる。不思議に思った私が振り返れば、ルドルフは笑顔で質問をひとつしてきた。
「それで、目的は達成できたんですか?」
「バッチリ。グラスに壁になってもらって明確にスペの足りないものを示してもらった。あとはスペがしっかり向き合って乗り越えられるかどうかだよ。今頃切り株で叫んでいれば見込みありってコトくらいかね?」
「だから中庭に向かうのですね。切り株ですか」
「ルドルフはあんまり縁がなかったと思うけれど私はよく使ったんだよね」
「私も使ったことはありますよ。あなたに負けた時と、秋天で負けた時に」
トレセン学園名物のひとつ、中庭にある大きな切り株。切り株は中身が腐り落ちて、1mほどの穴になっている。誰かが始めたのか、気がつけば誰かが穴の中に悔しさや失敗を叫んでいるのだ。いつしかそこは名物になり、先輩から教えてもらって私もクラシック期は何度かシービーへのやっかみと自分の走りの悔しさを叫んだものだった。
「もし、スペに見込みがあるなら多分あそこで泣いてる。そうでなくちゃ別のプランを考えないと」
「なるほど、ついて行っても?」
「聞かれなくとも行く気満々のクセに。別に構わないけど、面白くはないよ? っと、先客がいるみたいだ」
人の気配を感じて足を止めると話し声が聞こえてくる。この声はもしかせずともトレーナーちゃんだ。ルドルフに静かにするように、とジェスチャーしてから物陰に隠れ恐る恐る切り株の方を覗き込むと、予想通りの人物が2人いた。トレーナーちゃんと、スペだ。数mほどの距離を置きお互いの顔が少しぼんやりと見えるくらいの距離感で向き合っている。少しの沈黙を挟んで話し出したのは、トレーナーちゃんの方からだった。
「レースは甘くない。その中でもメンタルは重要な要素のひとつだ」
「......はい」
「スペ、今日なに考えて走ってた」
「......スズカさんの、ことです」
「お前は誰だ?」
「スペシャル、ウィークです」
「今日の競争相手は誰だった?」
「グラスちゃん、です」
スペの絞り出すような声はまさに今日のレースを悔いているからだろう。いつも笑顔で元気で明るいスペがこうも俯いている姿は胸が痛む。だが、その挫折と失敗を乗り越えてもらわなくちゃならない。頼むよスペ、私のようになってはいけないんだからね。責められているのを自覚したのか声のトーンがどんどんと低くなっているスペを見てトレーナーは雰囲気を崩すように少しだけ優しい口調になった。
「なあスペ、お前の目標って、夢って何だ?」
「スズカさんと一緒に走る、約束」
スズカとのやりとりを思い出したのかスペの目が緩み、肩を震わせる。今日はターフの上で見せていなかった涙を彼女は流していた。
「約束......スズカさんとの真剣勝負、でももうスズカさんは元のようには走れないんですよね。だったらスズカさんの走ったレースで、スズカさんの背中を追いかけるしかないじゃないですか」
「......」
「わたしは、わたしは、どうすればよかったんですか」
あの時のサイレンススズカの怪我はまさしく『死んでもおかしくなかった』ものだ。実際レースの展開次第では誰かが倒れたスズカにつまずき、転倒に巻き込まれていたかもしれないし、競争ウマ娘としての彼女はあの天皇賞で一度死んだも同然だ。調整は進んでいるらしいがまだ全力疾走できるかも怪しいと聞いている。スペがもう走れないと思い込んでしまうのも無理はない。だがそれはあまりにも悲しすぎる。スペがスズカのことを諦めているのなら間違いだと言ってやらないといけない。スズカはまだ諦めていない。なによりいちばん諦めていない人が目の前にいるんだぞ、スペよ。
「スズカを信じて待つんだ。お前がいちばんに諦めてどうするんだ、スペ。スズカと一緒に走るってずっと言ってきたんだろう、約束したんだろう? なら夢が叶うことを信じてやるのはまず約束したお前じゃないのか?」
「っ!」
「スズカの脚は必ず良くなる。それまでにお前がやるべきことは......もう一つの夢を叶えて、最高の舞台でスズカを待ってやることじゃないのか!?」
「もう一つの、夢」
「思い出せ。お前には、もう一つの夢があった筈だ! 最初にみんなの前で行った目標はなんだったんだ!」
「もくひょう、夢......日本一の、ウマ娘......」
またぐずぐずと泣き出したスペ。しかしその涙は虚しさとかどうしようもなさってから来る涙ではなくきっと悔し涙だ。
今度は人目も憚らずに泣き出したスペの声でちょうど聞こえにくくなったろうしルドルフに声をかける。
「帰ろうか」
「最後まで見届けないのかい?」
「ありゃもう立ち直るよ。夏の間はしっかり充電してもらって、秋に本調子ならそれでいい」
「随分と薄情になったな」
「違う、信頼してるのさ」
トレーナーだからこそすべてに口を出して良いはずがない。ウマ娘だって悩んで、考えて、結論くらいはしっかり出せる。
決断が正解だったか間違いだったかは重要じゃない、できるかそうでないかが重要なだけ。
一歩踏み出せたのなら、ウマ娘は走り出せる。
「それに──私達にだって、約束があるでしょ?」
「そう、か。そうだったな、すっかり失念していた」
「忘れないでよ。あのバカの勝手に取り付けた約束でも叶えてやらなきゃ」
『来年のサマードリームトロフィーでは、シンボリルドルフ、ミスターシービーの再戦を約束します。そしてこの2人に唯一勝利したカツラギエースともう一度雌雄を決する機会を。
今日よりも白熱した、最高のレースをお約束します!』
冬にシービーが15万の観衆の前で宣言した大啖呵。
あの宣言はただの言葉じゃなく、私達の約束だ。
「なにより約束はしっかり守らなくてはならないって先輩として規範を見せてやらなきゃ、チームの後輩に示しがつかないじゃないか」
「背中を見せる立場というのはこういうことだったな」
「そゆこと。肩の荷も降りたしトレーニング頑張れるよ。夏は楽しみにしておけよ、ルドルフ!」
「挑戦、受けてたとう」
「あとは、スピカに復帰するだけだ」
揃い踏みのメンバーの前に立ちただいまと言おう。彼女らはどんな言葉を返してくれるだろう、どう私のことを受け止めているだろう。彼女達の顔を見るのが楽しみでそれでいて恐ろしい。
いや喧嘩っ早いスピカの面々だしまず口より手や脚が出るかもわからない。飛んできそうなのは、
想像するたびになんだかイヤな予感がする。
「......やっぱもう少し先送りにしたくなってきちゃった」
「転部書類は明日付でもうサインしてしまったのだが」
「マジかよルドルフ」
「いけなかったか?」
「いや大丈夫だ、大丈夫なはずだ、うん」
保険証はいつも持ち歩く用の財布に入れ替えておこう......念のためだ、念のため。