「......っああ! 遠い、遠すぎるって!」
「やっぱり鈍ってるね」
「これどうにか仕上がるかね?!」
「それをどうにかするのが君の仕事じゃないのかい?」
「確かに!」
ターフに倒れ込んで、ゼーハーと大口を開けて肩で息を吸って吐く。こうでもしないと酸素が足りないくらいわたしは疲れ切っていた。今年夏のドリームトロフィーの舞台は中山2500mというあの有馬記念と同じセッティング。8月末の本番に向けて夏合宿が現役さながらの追い込み期間になり、その一環として合宿前にシービーと一対一で模擬レースを行うことになったのだが、見ての通りボロ負けだ。
何回もレースを走っていれば背中の遠さで距離もわかるくらいになる。さっきの背中の大きさからしてひいふうみい......
「4バ身、かぁ」
「中山だと2.5〜3てところかな。トレセンのカーブは緩やかだから速く走れる」
「やっぱりヒラ勝負じゃ勝てないや。シービーは強いな」
勝てない。尽く勝てない。タイムも現役と比べれば見る影もないしレース勘も鈍っている。現に追い込んでくるシービーの距離を測り損ねて最後の仕掛けをミスしてしまった。ミスしなければ外を少し多く回せて、距離ロスで1バ身稼げた筈だ。
いざ勝とうと思えば、特に頭の方も鍛え直さねばるまい。これからのことを考え込んでいるとシービーが励ますように背中を叩いて言った。
「エースってフィジカルだけだったらそもそも凡だしね」
「そこの
「あはは、煽るなんて。思ったことを言ってるだけだよ」
「天才には人の心がわからんのか」
「そうかな、そうかも」
「あのなぁ」
「けど凡な身体能力でアタシに勝ってるんだよね。だったら──それは、君の頭がいいってことじゃないかな?」
指を鳴らしながらシービーはキメ顔でそう言った。何か言いたいことがあるのだろうがこいつのいうことはいまいちよくわからない。ひとつ言えることがあるとすれば私の記憶ではシービーは大学受験を通れるほど頭がいいわけじゃなくて、未だにシービーが大学生をやってることが信じられないことくらいだ。
「頭が良いってなにさ、成績がいいってこと?」
「そうじゃなくてレース中のことさ。アタシは走ることで精一杯だから考える余裕とかはなくてね、本能に導かれるまま、楽しい方、面白い方へ感覚で走るだけなんだ。
けど、君は違う。ゴール板を駆け抜ける最後の一瞬まで、身体だけじゃなく頭も勝利のために振り絞っている。現に『ヒラ勝負じゃ勝てない』なんて言ってさ。もしヒラ勝負じゃなかったら勝算があるように言うじゃないか」
「多人数となればセオリーもやれることも増える。それを使ってなんとか五分にはできるけど、みんなやってることでしょ?」
何を当たり前のことを言っているんだか、と肩をすくめた。
私がやっていることは簡単だ。みんながやっていることを愚直に追い続けて、みんながやってないことをやっている奴から借り受けているだけだ。天才的なセンスとか、飛び抜けた才能とか、レース中に成立した偶然とか、不確定で自分のできないことをとことん削ぎ落として『誰でもできること』を詰め込んで、みんながただやろうとしていないことをやっているだけだ。不思議と誰も全部やらなかった、だから私は全部やった。それでやっとひとつ勝てるだけなんだから、才能はどうしようもないね。
そう言うとシービーは少し驚いたような顔をした。そしてイタズラを思いついた子供のように少し笑って問いかける。
「それって、誰にでもできることなのかな?」
「誰にだってできることだよ」
「私にはできないよ」
「じゃあシービー以外の誰だってできることだ」
「......天才には、人の心がわからない、か」
「なにさ。自分は天才じゃないとでも言うつもり?」
「お互い様ってことだよ」
「はぁ?」
「アタシはもちろん天才だけど、君も実は天才なんじゃないか、ってね」
「まさか! 私は凡人だよ」
「努力することも才能さ。マルチタスクをこなすことも、レースの時に周りの状況を把握できることも」
まだ倒れたままでやっと身体を起こしたところに、シービーが手を差し伸べてく、その手を私ががっちりと掴み引いて立ち上がる。いつのまにか落としていた私の帽子の汚れを払って手渡そうとしてくれたところに、シービーは一言付け加えた。
「そして何より、負けず嫌いなこともね」
「?」
「んじゃもう一本行こうか!」
「はぁ?! こっちはもうヘトヘトなんだけれど」
「アタシは君と走るだけで楽しいんだよ。このままいつまでだって走れちゃうんだ! それとも、負けっぱなしで終わるつもり?」
「......っし、もう一本」
「そうこなくっちゃ!」
そう言われると私は弱い。震える脚に気合を入れるよう叩いてスタート態勢を取る。シービーは有無を言わさずポッケに入れてあったコインを取り出し、指で弾いた。あんまりなスタートに文句のひとつも言いたくなるが、頭はもうレース前に切り替わってる。
パサ、とコインが芝の上に落ちる音。それを合図に、私はもう一度はじめの一歩を蹴り出した。
◇◇◇
「......珍しいな、休憩中に窓の外を見ているなんて」
「いたのか、ブライアン。気がつかなかったよ」
「ノックもしたんだがな」
珍しく窓の外をずっと見ていたルドルフに声をかけると、いつもは物事に対し冷静に構えるルドルフが驚いていた。
視線の先を思わず追うと、誰かが模擬レースをしているらしく2人のウマ娘がターフを走っている。今あの場所を使っているのは確かミスターシービーと、彼女の同期のカツラギエース、だったか。いつぞや冬のWDT関連のニュースで口煩くやっていたから、私にしては珍しく覚えていた名前だ。確か次のレースはルドルフも一緒に走るのだったか、そういった内容も流れていたような気がする。
「羨ましいのか?」
「羨ましい? 私が、か?」
「そう思っただけだ」
「そんなつもりはなかったのだけれど」
今日はもう仕事が手につかないな、と早めにペンを置いたルドルフ。いつもは夜遅くまで文句一つ言わずに仕事をしているというのにやはり今日のルドルフは少し様子が変だ。何度か迷ったような仕草を見せながら質問をするさまも、自信が溢れ『皇帝』らしい普段の様とは大違いだ。
「......ブライアン君はまだデビュー前だったか」
「ん、そうだが、それがどうした」
「きっと理解できないこともあると思うが、少し、相談に乗ってもらえないだろうか」
「相談? 会長がか?」
「私とてただのウマ娘だよ。他人に相談したい時くらいある」
「そうか」
今日はエアグルーヴは練習で生徒会室には来ない。当然同じチームリギルのルドルフと私はエアグルーヴの予定を把握している。あのテイオーが遊びに来るのでもなければ、生徒会室は2人きりの空間になることを知っている。
エアグルーヴはルドルフを信じ
「聞こう」
「......君は、並び立つものの存在をどう思う?」
「並び立つもの?」
「ライバル、あるいは好敵手。そう言い換えてもいいだろう」
「好敵手、か」
もとより
「......早く、早く走りたいと思うだろう」
模擬レースはもう飽き飽きした。何度も走り、何度も勝ち、何度も負けた。だがまだ足りない。
「私の実力以上を持つ存在が私に牙を剥く様を感じたい」
私を突き動かすのはウマ娘の本能だ。
「立ち塞がるものを、ことごとく打ち砕きたい」
競い合うこと。自分の実力を知らしめること。
「何より夢想した光景が実現する事がたまらなく楽しみだと、私はそう思う」
観客に溢れた観覧席。私たちを出迎える歓声。勝負服に袖を通し、お互いに相手を上回るという敵意を芝の上でぶつけ合うこと。大舞台で姉貴と走る光景を何度夢見た事だろう。
「シンボリルドルフ。コレはウマ娘の本能だ。恐れるな。
しがらみを忘れて、ただのウマ娘のように思うまま走ればいい。エアグルーヴがいたららしくないと言うだろうが」
「......彼女ならそう言うだろうね」
「アンタが目標にする相手は一度負けた相手なんだろう。生徒会は任せろ、少しくらいは持たせてみせる」
「フフ、君からそのような言葉を聞くことになるとはね」
「今度のレースはエアグルーヴも出場すると聞いている。生徒会は私だけになるが、自分が選んだヤツを信じなくてどうする」
いつか倒すべき相手。その本領を感じたい。
そのために手を貸すことを面倒だとは思わない。
ルドルフは大きく息を吐くと、席を立った。その顔は迷いの吹っ切れた探し物を見つけた子供のようにキラキラと光って見えた。
「何処に行くんだ」
「トレーナーと話してくる。練習メニューをもっと密に組み直してほしいとね」
「そうか」
「あとは
そう言って、生徒会室は自分1人だけになった。
「任せる、か」
そんな言葉を聞いたのは初めてだ。それを言わせるほど三冠ウマ娘と三冠2人を捩じ伏せたあのウマ娘は強いのか。
私はそうは思わなかった。私の脚なら全部倒せると思っていたがどうやら、そうではない。私の知らない一面を彼女は知っている。同じレースを走ったからこそ知る事ができたものを知っているんだろう。
「......楽しみだ」
一人きりだが、思わず声を出さずにはいられなかった。
「衰えてくれるなよ」
シンボリルドルフも、ミスターシービーも、カツラギエースとやらも、私の倒すべき『強者』だ。
「私の、獲物だ」
私が全て、喰い