「流石高いバス、快適だぁ」
ふかふかな座席に暑すぎず寒すぎない快適な空調、足を伸ばす事ができる広いスペース。いつものミニバスとは大違いで、気持ち座席を深く後ろに倒しながら思わずつぶやいてしまった。
「スピカはこうではないのかい?」
「ま、人数も少ないしねえ。ウチは中古レンタルバスさ。弱小チームはバスなんて買うわけにはいかないからね。お陰で合宿期間も例年より長く取れる」
「......チームによっては夏合宿期間に差異があると?」
「そうだね。同期から今年は3日だけとか、来年に向けて今年はやめるとかは聞くけど」
「それは由々しき事態だな。理事長に一律夏合宿の予算を配布できないか検討するよう提案するよ」
「そんな金のかかることを軽々しく言わんといてくれる?!」
「余剰予算は足りている。全チームの夏合宿の予算を負担しても赤字になる事はないはずだ。確認しているからな」
サラッとトレセン学園と学園の全チームの予算を把握しているルドルフに若干の恐怖を感じながら、身体の力を抜いて座席に身を任せると、ふかふかで柔らかい座席が私の身体を余すところなく支えてくれて、思わず声が漏れる。
「おおう、フカフカ......」
私が今乗り込んでいるのは高級バスだが、これは私がリギルに籍を移したままだからというわけではない。書類上でもちゃんとスピカ所属に戻っている。現に後ろでは神経質そうにパチパチとキーボードを叩く音がするし、ふんぎゃろはんぎゃろと聞き慣れた妙ちきりんな祝詞がするし、誰かと1番を言い争う声がする。
じゃあトレーナーちゃんが頑張りすぎたのかというと、そうでもない。現に我々の宿泊先は前の年も使ったオンボロの代わりにご飯の量と質に特化したいつもの宿だ。
まあ、簡単に言うと。
「ちょっと! あんたズルしたでしょ!」
「してねえし!」
「なんでこうもただのババ抜きで熱くなるんですかねー。あ、アタシいちぬけ」
「いつものことですので。わたくしもあがりですね」
「なあああっ!?」
「こぉらぁスカーレットにウォッカ、騒ぎすぎだよアンタたち! 周りの人の迷惑を考えないかい!」
「「ご、ごめんなさい!」」
スカーレットとウォッカが喧嘩して、ナイスネイチャが呆れ、メジロマックイーンがため息を吐き、ヒシアマゾンが立ち上がって怒鳴りつけ2人が息をそろえて謝る。
「今年は騒がしいね、いいことだ」
「いいことなのか......」
「楽しい夏になりそうだ」
今年の夏合宿はスピカ・リギル・カノープス合同。ネタバラシをするとメディア公開練習と取材にかこつけておハナさんの脛をかじっているだけだ。この高級バスも、宿も、練習機材もリギルがいつも使っているものを今回頼み込んで使わせてもらっているというわけ。他にもメディアから取材費としてある程度予算をもらっているので、例年よりお金を使った練習もできるというわけ。
「ま、頼れる財布は頼っておかないと。練習機材のレンタルもつけといていいですかねトレーナーちゃん」
「ん? いいんじゃねえの?」
「聞こえてるわよ。それくらい自腹切りなさい」
「うげ、聞いてたのかよ」
「おハナさんのケチ! ちょっとくらい融通してくれたっていいじゃないですか!」
「そこの男のツケを今請求してもいいのよ」
「すみませんでした」
「トレーナーちゃんおハナさんにいくら借りてるんですか」
「......給料3ヶ月分」
「マジで言ってます? 情けない大人ですねぇ」
いつの間にか森を抜け、空のように青い海が窓の外に広がっていた。
もうすぐ、私にとっての最後の夏が始まる。
◇◇◇
「調子はあまり良くはなさそうだな。怪我は治っているんだろう?」
「スズカのことかい? カルテ上は万全さ」
砂浜の端で別メニューをこなすスズカを見ながらその様子を書き留めていると、ルドルフが寄ってきて声をかけてきた。わざわざ振り向くほどでもないからノートに書き込む手を止めずに答える。
「骨もつながった、腱も完治、カルテ上は健康そのものでコンディションは良好だ。なんなら今から重賞を走らせたって構わないくらい万全」
「しかし、本調子でないように見えるのだが」
「どうにも全力疾走ができないらしんだ。気持ちの問題だけど、あんな怪我をしたんだから無理もないよ」
全力疾走をしようとして2、3歩で行き足が止まってしまうのを繰り返すスズカを見て私は肩をすくめた。スズカはあの秋天でフクキタルと同じかそれ以上のトラウマを持ってしまった。フクキタルはまだ走れるからいいものの、スズカは一時期生死の境を彷徨い歩くことすら出来ないのではないかと言われたほどの怪我を負った。
一朝一夕でそのトラウマが払拭されようはずもなく心療内科にも通院しているらしいが、改善の兆しは見られない。
「フクキタルも相談には乗ってあげているんだがいかんせんどうしようもないんだ。怪我も原因不明ともなればなんとも言えん。準備不足だったり過酷なローテか、古傷だったり、何か言い訳がつく理由があればマシだったのにさ」
「......そうか」
「ま、トレーナーは何か考えているらしいけどね。でなきゃこんなことはしないよ」
ノートをめくって見せる。そこにはいくつかのレースがピックアップされていたがどれも同じ条件のレースだ。
「調べておいてと頼まれたんだ。同じ場所、同じ条件のレースをね」
「っ、これは」
「そう」
「東京、2000m......秋の天皇賞と同じか」
「そう。あの時と同じレースを、もう一度走らせる。出来ることならもう一度秋天にしたいんだけれど流石に復帰戦を重賞にするわけにはいかないからね。OP以下だけにしてる」
「レースは1番早いものはジャパンカップ前日か」
「そう。よりによって、ジャパンカップなんだよなあ」
日本一のウマ娘という彼女の目標を叶えるためには外せないレースが、そのジャパンカップ。スピカも全面的にバックアップするがこの間の悪さはスペにとっては不幸というしかないだろう。出来ることなら肩の荷を下ろした上でスズカの復活を見届けさせてやりたかったのだが、レース日程は変えられない。1800〜2200まで幅を広げればもう少し選択肢もあるんだがトレーナーが譲らなかった。スズカのために必要なことなんだ、と言い張っているし、何より。
『乗り越えさせなきゃ、アイツはいつまで経っても立ち止まったままだ』
そう、言っていた。
......ところでなんでルドルフは私にわざわざ話しかけにきたんだろうか。
「レースにも出ないウマ娘に目移りするのは余裕の表れかね? 皇帝サマ」
「いいや、気分転換さ。これでも練習で忙しい身でね」
「ああん?」
皮肉まじりに言うと自信ありげな声色で返事が返ってきた。横を向くとルドルフが腕を組んで立っている。わかっていたことだが、格好は学園指定の練習着ではなく明らかに自前で購入したであろう高級スポーツインナーに緑を基調としたスポーツウエア。形から入るとは言わないが、彼女の本気具合がそれだけでうかがえるというものだ。
「気合い入っているねルドルフ」
「当然だとも。君こそトレーナー業の片手間で大丈夫か?」
私も羽織っていたジャージを脱いで見せるとルドルフが思わず吹き出し、私も釣られて吹き出した。
「なんというか、似た者同士というべきかな?」
「考えることがここまで一緒とは思わなかったよ」
私が下に着ているのもルドルフと同じ高級スポーツインナー。貯金を少し崩して、この合宿のためにわざわざ買い込んだのだがまさか同じものをルドルフが買っているとは思わなかった。
「......シービーも同じ服買ってたりして」
「シービー先輩は合宿に来てないんだろう? まさかな」
「その筈だけど、アレはなぁ」
どこかしらに潜り込んで『来ちゃった』とでも言いながら物陰から飛び出してきそうな気がする。というか一度昔合宿の時の『やっと調子が出てきたんだよね』と言いながら海中から派手に登場したのが忘れられないんだよねぇ。前科一犯な訳だから、もう一度やってきてもおかしくはない。
「......後ろにいたりしない?」
「流石に警戒しすぎというものではないだろうか」
思わず振り向いてしまい、ルドルフに笑われてしまったが油断はしない。周囲全部の物影を睨みつけて誰もいないことを確認してやっと息がつけるというもの。
「やっぱないよね! まさかまた合宿に潜り組んでくるなんて「呼んだ?」いるじゃねーか!?」
パワートレーニング用の大型タイヤの中から顔を出したシービーを見つけて飛び上がる。案の定、シービーの服装は案の定私とルドルフと同じスポーツインナーだった。どうしてこうも被るかねぇ......