「こんなことだろうと思ったよ」
「と、トレーナーさん、これは」
「......一緒に走るよ、こっちも走り足りないんだよね」
砂浜に出て懐中電灯をつけてみれば予想通りスズカはランニングをしていた。スズカは慌てて手を振っているが、私はもとより咎めるつもりはないと肩をすくめて走り出した。
タッタッタ、サクサク、乾き始めた砂をテンポ良く踏んで走るのはやっぱり気分がいい。ウマ娘の本能に走ることが含まれるとはよく言うが、走ると理由もなく気分が晴れて肩の荷が降りた気分になるからやっぱりそうなんだろう。トレーナー養成学校にいるときも毎朝のランニングは欠かさなかったし、台風やら試験期間などでどうしてもランニングができないとき非常に腹立たしかったし、ストレスの溜まる1日だった。
そう考えるとスズカの苦悩とストレスは如何程だったか想像もつかない。ベッドに寝たきりがほぼ半年ほど、リハビリ期間で歩くことしかできなかったのが3ヶ月、レース基準の最高速はいまだに出せないまま。スズカの立場にもし私がなったとしたら脚が疼いてところ構わず全力疾走してしまいそうだ。
「なんで、スズカは走れないんだ?」
ふと、そういう疑問が浮かんだ。
先頭ジャンキー、走りたがりとまで言われ目を離せば走っているとまで言われているスズカが「一度の怪我」をそこまで恐怖してしまうものなのだろうか。「怪我をする恐怖」よりも「走りたい本能」が勝るものではないのか。私は怪我とは無縁だったからわからないと言えばそれまで、だがここまでとなると他の原因があるように思えてならない。
彼女が恐れるものはなんだ。本能より恐れるものがあるとすればそれは一体なんだ。
......もしかして彼女も。
「私と同じか」
「どうかしましたか?」
なら試してみる価値はある。ゆっくりと速度を落とし足を止めると、スズカも従うように足を止めた。外せば責任問題になりかねないけどもとよりトレーナーとウマ娘は一心同体。担当違いは多めに見てくれよな三女神様。粘着くような蒸し暑い夏の空気を吸い込み意を決して、言った。
「明日の練習なんだがスズカ、レース形式のトライアスロンをやろうと思うんだが、
──1着でなかったら、引退した方がいい」
「..................え」
スズカが私の言葉を理解するのに数秒はかかっただろう。そしてそれを噛み砕くことはできなかったのか、どもった困惑の声を漏らす。
「な、え、え、ど、どういう、こと、ですか」
「言葉通りの意味だ。スズカはターフから去るべきだ」
「わけが、わからないです」
「私だって同じことを言われればそうなる、でもさ」
深く息を吐いて気持ちを整える。私が今からスズカにしようとするのはとてもひどいことだ。ともすればスピカを2つに割るようなことになるがそろそろ独立したって文句は言われないさ。それに......今のスズカには、私はもうむしゃくしゃしてしょうがない。
「伝説は伝説のままにしておくべき、そう思わない?」
「でん、せつ?」
「そう、伝説。数少ない大逃げで成績を残した伝説のウマ娘『サイレンススズカ』。金鯱賞の圧勝劇、宝塚記念の芸術的逃げ切り、毎日王冠で後のG1ウマ娘含むクラシック級の有望株2人をちぎった実力、そして大欅の向こう側に消えた衝撃。
スピードに魅入られ、先頭に魅入られた彼女は神話のイカロスが翼を焼かれたように脚を失いました。実に泣ける悲劇的な結末じゃあないか。
その後彼女が走って惨敗したなんて、蛇足だろう?」
「......あなたは、なにが言いたいんですか」
精一杯に目を釣り上げて睨みつけてくるスズカ。おおよそ怒ったことのない彼女が今彼女なりにキレていることを伝えようとする様は少し微笑ましさすら覚える。そうだそれでいい、取り繕うようば言葉も行動もいらない。私はスズカの本音が聞きたいんだ。
「『闘志無きものは去れ』と先人は言った。スズカ、今日最後の練習で私に言ったことを覚えているかな?」
「もうすこし、走りたいと言いました」
「そう、そうだ。スズカの走りに対する情熱は多分消えてない、そこは評価に値するけどスズカはこう言うべきだった、こう言わなくちゃならなかったんだ。『今の練習をもう一回やります、みなさん併走よろしくお願いします』ってね。なんで言わなかったん?」
「それは......」
「もう一回走っても先頭は取れないと思ってしまったんだろう?」
怪我したウマ娘が本来のパフォーマンスを発揮できず思うような走りができないまま引退してしまうことはよくある。トレーナー研修でも担当ウマ娘が怪我をした場合、トレーナーとして重要視するのは怪我をした後の身体との付き合い方、メンタルケアに重点を置く。
だが今回の場合スズカは当てはまらない。ウマ娘の怪我の多くは筋肉や腱の損傷、関節の炎症、爪や脚そのものへのダメージと取り返しのつかないものが多いがスズカは骨折だ。骨折は取り返しがつく怪我だ。しっかり治れば、パフォーマンス低下はほぼなく復帰できる。だからスズカの不調は心理的な恐れ由来に違いない。怪我の再発に対する恐怖、最高速を出した時またああはならないかという不安。
......気持ちはわかる。
理由は違えど、私も勝つ未来を見ることができなくなり、だから一度は学園を去った。
「勝てないと思う奴が、走るな」
私がそれでもまた走りたいと思ったのは、もう一度だけルドルフと戦う勇気をシービーからもらったからだ。
恐怖を上回る未知への挑戦、自分の実力を試したいというワクワク感、誰も彼も捻じ伏せたいという勝利への執念、もっと疾く走りたいという
......レッドの、勝てなくて私の前を去ることとなった彼女の顔が目に浮かぶ。あの子は最後まで中央じゃ勝てなかった。だが最後まで希望を捨てずに『次こそは勝ってみせると』吠える気概と根性があった。あの子は最後の最後まで勝利を諦めなかったからこそもう一度戻ってくることができた。手段も、努力も、才能も、できることをすべてして今までの走りを捨ててまでも勝利に齧り付き、また挑戦する資格を得て戻ってきたんだ。
「諦めた奴が、走るな」
私は勝利、1着が全てだと思わない。だが勝利を目指してこそ競争ウマ娘なのだとは思っている。
遊びの走りの敗北になんの意味がある。楽しく走れて満足という結果にどこが満足できる。走り全てに意味があり、走りから生まれる感情の根源は勝敗。そうだよ。
走りたいだけで一位をとるようなお前が私は大っ嫌いなんだ。
勝利への努力も、1着への渇望もなく、どうやっても勝てないかもしれないライバルへの敗北感も、何もない。
ただ本能の向くまま、欲望に従うままに走る姿。
全部が全部、私と違う。
「諦めたい理由が欲しいなら私が理由になる。心も身体も、なんなら脚ももう一回へし折ってやってもいい」
お前の在り方は、ミスターシービーとよく似ている。
「腹括れ。私は明日、殺す気で走るぞ」
どうしても私はそこには行けないから、私はサイレンススズカというウマ娘が大っ嫌いで、羨ましいんだ。
「死ぬ気でかかってこい」
だからこそこんなところで消えてくれるな。
私の前からいなくならないでくれ。
「まだ走りたいなら、私を超えてみろ!」
お前の走りを、私はまだ見ていたいんだ。
「......しばらく走ってはいいけど30分だけだからな。
ちゃんとクールダウンしてから戻ってくるんだぞ」
走り過ぎないようにと釘だけ刺してからその場を後にした。1人で考えるにせよ誰かに相談するにせよ私は邪魔になるからね。
◇◇◇
夜中、帰ってこないスズカさんを待つのが良いと占いで出たのでウマホだったりタキオンさんに送る資料を作って夜更かししていると、日付が変わる頃くらいに帰ってきました。
疲れているのか静かな足音の方へ向かうと、少し暗いですがやはりスズカさんが廊下に立っていまので、廊下の電気のスイッチを押しながら声をかけました。
「おかえりなさいスズカさん。みんな寝てしまっていますがシャワー室くらいは使えますよ。冷えるといけないので早く着替えてしまいましょう。明日も早いですよ」
「フクキタル......」
「って顔色が悪いじゃないですか、急に走り過ぎですよモウッ! もう少し段階を踏んで距離を伸ばしていかないと!」
「ねえ、フクキタル」
「トレーナーさんに怒られるなら一緒に怒られますから。もうストレッチは済ませていますか?」
「......少し、聞いてくれないかしら」
「わわっ」
あんまりにも顔色が悪かったので慌てているとスズカさんがぽて、と私に倒れかかるように胸元に顔を埋めてきました。耳はしょんぼりと畳まれてしまって、何か嫌なことがあったのでしょうか。
するとスズカさんは呟くような問いかけをしてきました。
「フクキタルは、怪我をした後の走りのことを覚えている?」
「?」
「怖くは、なかったの」
「怖さ、ですか」
スズカさんの質問で、1年前のことを思い返そうと首を傾げていざ思い返せばそんなに怖かった気がしませんねぇ。なんというか「やることやったしまあいっか」感がそれなりにあったような気がします。ましてや今は勝つ事はもちろんですが走ること自体が目的になってる節がありますし......
「ああ、勝てなくなる事についてですか? まあ、それはそれで恐ろしかったですねぇ。でもいざ負けてみればそんなに、て感じでもありました」
「そんな、に?」
「スズカさんとは走りに向ける情熱も何も同じとは言いませんよ? 走り方は人それぞれ、スズカさんが逃げに特化するように抱く心情や想いもそれぞれです。
私のトレーナーさんの話になりますけど」
そう言った途端にスズカさんが私を抱きしめる力がほんの少しだけ強くなる。
「......なにか、私のトレーナーさんとあったんですか?」
スズカさんは少しの間だけ黙って、言いました。
「走るなって、言われた」
「それはスズカさんが走りすぎなのでは......無いのでしょうね、引退するべきとでも?」
返事はありませんでしたがそれが正解だということなのでしょう。一息置いて、私は口を開きました。
「スズカさんは、勝ちたいですか? これまでも、これからもずっと」
「......先頭の景色は、譲りたくない」
「勝ちたいということですね」
なら、勝てばいいじゃありませんか。
そんなシンプルな答えを、私はスズカさんに提示しました。
もうすぐ終わってしまいますなぁ、と思いながら書いてます。
終わったら何しようかな。
ついでに某サーバーで企画を立てた合作企画の作品ができました
https://syosetu.org/novel/294056/
よければ感想、評価よろしくお願いします。ミテネ