「勝、つ......?」
「ええ。勝てばいいんです。そうすれば悩みもなくなるというものですよ」
「でも、私は」
何か言いかけたあとちらり、とスズカさんは左脚を見ました。表情は伺うことは出来ませんが怪我の恐怖と苦悩、私と同じ状況に直面しているであろうことはすぐに理解できました。
怪我で思うような走りができなくなってしまったのではないだろうか、元のように走ってまた怪我をしてしまわないのか、今度怪我したら、もう二度と走ることは、と、そう考えていることでしょう。
ですが物事は単純に考えた方が良いこともありますよ。
「走ってみたんですか?」
「え?」
「レースをしてみたのかと、そう聞いているのですよ。スズカさんの運勢はこのところずっと上向き。あとは、踏み出す勇気が一歩あればいいのです」
誰かの悩みを聞くときは笑顔で、そう占いの本で読んだつもりだったのですが今回ばかりはあまりいい意味で捉えてはくれなさそうでしょうか。私は自分のミスを誤魔化すように、スズカさんをより強く抱きしめました。
私のトレーナーさんは不器用で、とってもネガティブで、ついでに私の占いも全く信用してはくれません。でも目の前の人が悩んでいるなら隣に座って一緒に悩みに向き合ってくれる、優しい人です。
「私のトレーナーさんに何か言われて迷っているなら、その迷いと真剣に向き合うべきです。トレーナーさんはとても真面目な人で、スズカさんがレースに勝ちたいというならトレーナーさんは真摯に向き合ってくれます。トレーナーさんが走るなとスズカさんに言ったのは、スズカさんがレースにうまく向き合えていないことを察したのでしょう。
あの人は『勝ちたい』と思う限り手を差し伸べ、一緒に考え悩み、歩みを合わせてくれる。そういう人なのですから。
走ることが怖いのか、負けることが怖いのか。今のスズカさんは、どちらなのですか?」
「走ることが、怖い......?」
「私は怪我をしてからずっと、走ることが怖かったです」
私が怪我をして、トレーナーさんが消えてしまって、私は私の脚と一人で向き合いざるをえませんでした。リハビリはすぐに終わりましたが、この怪我は再発しまた爪や脚に怪我をしてもおかしくはないと、そうも言われていました。
それが問題ではなかったのです。
「走ることで、自分の価値がなくなってしまったことがトレーナーさんにわかってしまうのが、トレーナーさんに見捨てられることが怖くてたまらなかったのです」
「見捨て、られる」
「トレーナーさんが勝つことに意味を見出すタイプだと思ってましたから。勝てなければ、意味がないと思ってしまったのですよ、私は」
だからタキオンさんのところにも行きましたし、占いだってたくさんしたんです。けど、結局私の脚はどうにもならなかったのは変わりませんでした。
「それに、もう勝てないだろうとも自分ではわかっていました。自分の身体のことは自分が1番わかっているもので、私の脚は2度と元には戻らないしトレーニングにも影響が出ましたもので体重調整も難しくなってしまって。迷惑をかけぬよう引退してスピカを脱退しようと考えたことも一度や二度ではありません」
「そんなの、知らなかった」
「言いませんでしたからね。恥ずかしいじゃあないですか、そんな理由でやめてしまうなんて」
「......相談してくれたって、よかったのに」
「そうですね。でもそんな情けない私でもトレーナーさんは勝つためにどうすればいいかを模索し続けてくれました。トレーナーさんは、レッドさんも、私も、そしてスズカさんも見捨てはしませんでした。レッドさんは今中央に戻って新しい道を進んでいますし、私だって合宿前の練習とレース日程は全部トレーナーさんが残してくれていたものを少しアレンジしたものです。お陰でG1で2着と大健闘出来ましたしね。ぶいぶい」
「でも、勝てなかったのでしょう?」
「んぐ、それを言われると耳が痛いですが」
スズカさんのキツイ一言に思わず耳を絞ってしまいました。現に菊花賞以来勝てていないのも事実ですし、先頭は誰かに譲り続けて、多分走ることを止めるまでそのままでしょう。でも、私は奇跡を信じることを諦めません。努力すれば、勝利することがたとえ大大大大吉くらいの幸運が必要な確率でも勝てるというのなら、私は走ることを選びます。だって、その隣にはトレーナーさんが居てくれるんですから。
「でもいつかは勝てるかもしれないじゃあないですか。わたし以外の全員がうっかりミスをして最終直線でバテバテになって、私だけスタミナがたくさんあったら勝てますよう。他にももしかしたらがあります。勝負に絶対はありませんとも!」
「けど、それは勝ったって言えるの?」
「随分と自分の脚で勝つことに拘るんですね。頭使って走るのもなかなか悪くないですよ。試してみたらどうです?」
「......バカにしてる」
「してないですよう!?」
こほん、と気を取り直すように咳払いをします。スズカさんに必要なものは支え合う仲間ではなく、背中を押してくれる誰かでした。トレーナーさんは随分と乱暴でしたが、私も違う形でまた背中を押してあげましょう。それが私のやるべきこと、やりたいことなのですから。
「明日の練習、私と勝負をしてくれませんか?」
「勝負? フクキタルと?」
「何を今更、ライバルなんですから当然でしょう。お互いにG1をひとつ勝ち、直接対決は1勝1敗1分けの五分じゃないですか!」
「......ふふっ」
「あーっバカにしていますね! たしかに金鯱賞の時は大差で負けてしまいましたがそれはそれこれはこれです! 明日は私の大吉開運スーパーパワーで圧倒してしまいますよ!」
「......ふふふっ」
「笑いましたね! 首を洗って待っていてください! それと明日は早いですから早く寝てくださいね、もうっ!」
「おやすみ、フクキタル」
「はいっ、おやすみなさいスズカさん」
◇◇◇
「......あー、しんどい」
「どうした、酷い顔だぞ。寝不足かぁ?」
「ああいえ、ちょっと少し考え込んでしまって眠れなくて」
結局寝たのは4時間ほどで、アスリートとしては赤点を貰うレベルでしか身体を休められなかった。あれからずっと自分の判断が間違っていたか、言葉選びが間違ってはいないかとぐるぐると後悔ばかりが頭の中を走り回っているところだ。
特にここ最近は目の疲れが酷くてたまらない、普段より乾いているような気がしてならない目の目頭を押してはいるが気休めにもならない。4時間睡眠だって学生時代はザラだったんだけど、どうしてこうも老いというものは早すぎるのか。
「んで、お前、なんでそんな格好してるの?」
「走るからですよ」
「走るって言ってたか?」
「言ってないですもの。昨日決めたんで」
「お前なぁ......大丈夫なのか?」
トレーナーちゃんが呆れ顔をしているのは私が着ているのがアスリート用の半袖ウエットスーツだからだからだろう。私の今日の仕事はペースメーカー兼道案内役で、水着は一応着るがジェットスキーから落ちた時の安全上の為、自転車もランも車で先導するはずだったから上着の一枚でも羽織って構えてればいいはずだった。
それが生徒と揃いの格好で準備体操もしているとなれば呆れ顔の一つ二つ出るのも当然と言える。
私は何かあるんだなと言いたげなトレーナーちゃんに笑いかけてた。
「最終調整ですよ最終調整。レース前にいっぱつ長めに走っときたかったんで、ちょうどもってこいでしょう」
「にしたってお前分の仕事はどーすんだ」
「誘導役くらいできますよ。最初っから最後まで先頭走ってりゃいいんでしょう?」
「スズカみたいなこと言いやがって」
「現役生どもに負けるつもりはありませんよっと、みんな着替え終わったみたいですよ」
トレーナーちゃんともいえど本当のことを言うつもりはない。言えばどやされるくらいで済むだろうが、結局のところウマ娘にしかわからない事だろうし、言ってこの問題が解決するなら苦労はしなかった。女と女、ウマ娘とウマ娘、同じターフを走るものとしてのケジメみたいなものだ。
そうこうしているうちに着替えたメンバーがゾロゾロと砂浜に現れてくる。説明もしていないんだから何をするんだと不思議そうな顔をしてるのがほとんどだが、スズカの様子といえば、
「......なるほど、やる気だね」
思わず笑ってしまうほど、気迫が漲っている。
「よぅし! みんな揃ったな?」
トレーナーが声を張り上げ、ざわつくメンバーの注目を自分に集めた。
「合宿最後のトレーニングはレース形式のトライアスロンだ。まず海をあの島まで泳ぎ、自転車でぐるっと島を一周、そのあと山の上から走って、反対側の砂浜がゴールだ」
「楽しかったねー合宿」
「早く帰って荷造りしましょ」
「お前らーっ!?」
一斉に背を向けて宿の方に戻ろうとする面々に思わずツッコミを入れるトレーナーちゃん。さんざっぱらキツい練習の最終日にどぎつい練習が来たのなら帰りたくもなる気持ちはわかる。だが、拒否権など君らにはないんだよね。
「私に勝ったらスイーツバイキングを奢ってやろう」
私の一言に、去ろうとしなかったスズカを除く全員の足が止まる。
「リギルが泊まっている高級リゾートの系列店、あそこのスイーツバイキングは低カロリー低糖質がウリで沢山食べても太りにくいのが特徴、それでいて『絶品』だ。私も昔に食べたけどあれは美味い。それをタダで食わせてやろうと言っている。私に先着したやつ全員に、だ。もちろん私より後ろのやつにはやらん」
もとより全員分の予約は先にルドルフ経由で頼んであるが、ま、こう言った方が釣れるだろうし闘争心も煽れることだろう。
「では、位置についてヨーイドン!」
若干早口で言うやいなや、私は真っ先に海に飛び込んだ。
「ああっ、ズルじゃん!」
「アタシが1番なのよっ!」
「しぇーいやったるぞーい! いぇー!」
「ちょ、おま、うわああっ!?」
「ごめんあそばせ」
「くわばらくわばら......」
息継ぎのために顔を上げ他時にトレーナーちゃんが踏み潰されるような音と悲鳴を聞いたような気がするが必要な犠牲だしあの人は頑丈だから大丈夫だろう......たぶん。