「さて、と」
せっかくの夏休みだが、今日は我がチームの練習はお休み。どうして貴重な夏休みに合宿にも行かずトレセンに残っているのかというとめでたく設立が認められて貰い受けたチームルームを使える状態にしなければならないからだ。古いロッカーや機材を新しいものと入れ替え、棚に並んだ本や置物を整理し、溜まりに溜まった埃と泥と砂を箒で掃き出し雑巾で拭けばおしまい。
「んふふ、ふふふふふ」
「口元、弛みまくってますね」
「デレデレしちゃって」
「......」
かつては伝統あるチームが使っていたせいもあって、少しだけ古びたチームルーム。だが、今日からここが我らの城だ。一国一城の主というわけでもないがチームを持つというのはトレーナーとして目標のひとつだった。トレーナーちゃんに追いつき、背中を追い越していくための第一歩が今から始まる。
「ナァ」
「なあにシャカール? 今日の私は気分がいいからPCパーツのひとつやふたつ買ってあげても構わないよ、んふふ」
「3人しかいないけどチームとして成り立ってンのか?」
「..............................あ」
「どォせ会長サマに目溢ししてもらったやつかコイツは」
「夏の選抜レースで新入生を拾うので合宿はありません。いま決めました」
「ふざけンな計算が狂うだろうが! 俺の海外遠征は!」
「そこらへんで予算ないから今年はトレセンメインで高負荷トレーニングを中心にやるつもりだったし予定調和というかなんというか。ただ1泊2日のリフレッシュ休暇がなくなるだけであって」
「死活問題、じゃ、ないのっ!」
「ギブギブギブギブギブ!」
流れるように脚を蹴り倒されていつか以来の腕ひしぎをスカーレットにキメられる羽目になったのは、なんというか。
「幸先不安ですねぇ......」
フクキタルの一言が、グサリと心に突き刺さる1日だった。
それから数日、帰省や休暇や合宿で人も少なくなったトレセン学園。トレーニングに使う生徒が減ったこの時期に夏の選抜レースが行われる。朝イチで練習コースのスタンドの最上段に陣取り機材を広げていく。カメラ撮影にスカーレット、タイム計測にフクキタル、データ化にシャカール、分析に私と万全の体制で挑む我らが新生チーム。
私ももちろん卒業生ではあるがれっきとしたドリームトロフィー選手ではあるので特例で名簿に入れていいのはルドルフに確認済み。となればチーム設立のためのあと1人、フクキタルの卒業を考えれば2人を目処に新メンバーをとっつかまえたい。
「......とはいうものの」
「目立ったヤツはいねェな」
「やっぱりアタシがイチバンね」
「それは違うと思いますが」
選抜レースで基本1番規模が大きいのは春、次いで秋だ。春は入学直後とうわついた雰囲気で大きく盛り上がり秋は夏休みの特訓の成果を見せようと張り切るウマ娘が多く盛り上がる。共通していうならレースシーズンの始まりでモチベーションの高さにもつなっているということだ。
対して夏と冬は長期休み期間に行われることが多いのだが、この時期というのは天候が暑さや寒さなどであまり良くはないことが多い。サマーレースや有馬記念と仮定するならベストな状況なのだが、次の選抜レースを見越して練習に重点を置き出走を避けるウマ娘も多い。つまるところコンディションをうまく作れないウマ娘が多く参考にならなず、そもそもの話不作というわけだ。
というかG1レベルの才能ばかりに囲まれたせいで私の目が肥えすぎているせいもあるな。重賞クラスならしっかり目指せる才能持ちもいるはずだ。思い込みと偏見は頭から外してかないと、と目を擦る。
朝からいるがそろそろ最終レースも近いな、と更新された出バ表をタブレットで見ると不思議なことに見覚えのある名前を見つけた。この名前、見覚えがある気がするな。今日のレース番組表を遡ると、第一レースとはいえ同じ名前があった。
「......空き枠に出てるヤツ、第一レースで走ってるぞ」
「1日2レース走るつもりか、バカだな」
「無茶するわね」
「大丈夫なのでしょうか?」
「ンなわけあるかい。ちょっと止めてくるわ」
ルールの抜け穴をついたかそれとも係員のミスか、ともかく1日に2回も本気でレースをするなんて前代未聞だし何より危ない。運営本部のテントの下に急いで駆け込み、係員に声をかける。
「すみませんいいですか、今から走るレースで当日登録枠で出るレースの子なんですけど、1レースで走った子じゃないですか」
「え、あ、本当です! 出走を取り消しますか?」
「お願いします。私は本人止めてきますんで」
「わかりました。アナウンスの準備しといてください。そのレース出走5分遅らせてください! トラブルです!」
ゲートインが始まるギリギリのタイミングだが間に合った。係員の指示でゲートから出されて不満を漏らすような声を出すウマ娘を押し退け、最内で出走を待っていた鹿毛のウマ娘をとっ捕まえた。
「......なんデスか?」
「ちょいとお前ついて来い。話があるから」
「今カラ走ルので、無理デス」
「朝っぱらに走ってるヤツに枠なんか挙げられるわけないでしょう。バ場も距離も姑息に変えて誤魔化そうったってそうは行かないんだからね。自分の身体をもっと省みないといかんでしょう。説教だよ説教!」
「待って欲しいデス!」
「言い訳無用!」
若干イントネーションの違うそのウマ娘の襟首を掴んで練習コースの外へ引っ張り出した。人間なら抵抗できたかもしれんがこちとら同じウマ娘、それにウマ娘の扱いは散々技かけられてきたからどうすれば動けないかはよく知ってる。抵抗しようとする手を適度に払い除けながら、柵を越えて階段を登り観客席の隅っこ、私たちの根城のすぐそばまで連行してきた。
「.......なんなんデスカ?」
「なんでと言われても無茶を止めるのはトレーナーの仕事だよ。1日2レース走るなんて怪我するから止めたまで」
「私は大丈夫デスかラ、気にしナイで下サイ」
「それでもだ」
留学生なのか、日本人離れした青い目と彫の深い顔つきをしたそのウマ娘は私の発言に無言で不満を露わにするように睨みつけてきた。彼女がそこまでして選抜レースに出走したかったのか、横紙破りまでして誰かの目にとまりたい理由にはおおよそ心当たりがつく。
「春にスカウトされなかったろ」
「っ!」
「なるほど、アタリだな」
返事はないが、俯いてしまったあたり正解か。トレーナーの絶対数が少ない以上、このように選抜レースであぶれたり、トレーナーにスカウトされなかったウマ娘がいるのは珍しくない。こういうのは大方自分の本格化の時期を見間違えてるというのが通例だ。落ちこぼれで入れるほどトレセンの敷居は低くない、ないのだが。
(時期が悪いな)
合格が決まるのは1月から2月にかけて。だが合格から入学までに大きく身体が変化するウマ娘の伸び代を把握するのは難しい。たったの1ヶ月でおおきく成長してしまうウマ娘もいるがそうでないウマ娘も少なくはないのだ。
「データあったぜ、トレーナー」
「ありがとうシャカール。今春の選抜は......8着、か」
「バカにしテいるんデスか」
「........................」
シャカールが持ってきたのはレース映像や通過タイム、出走メンバーとその現在とを軽くまとめてあるデータだ。レースは9人立ての8着、ブービーの子は距離を変えてさっきレースに出てたし、この子より上の子はほとんどスカウトされてる。レベルはかなり高いところに放り込まれてしまっただけだな。
何より、バタつくような走り方が自分の走りに伸び代があると教えてくれている。春はダート、夏の1レースは芝。2つ走って平均レベルに好走してるのはいい材料だ。
「君、目標は?」
「勝てればなんでもイイ。故郷に帰らナイタメには勝たないトいけない。アソコには、帰りたくナイ」
「......訳あり、か」
口振りから察するによほど実家が苦手と見える。だがそれだけの原動力があるということだ。私の好みと少し違うが困ったやつに手を差し伸べるのも仕事のひとつ、だが、これはあまりよろしくない。
「その目標だとスカウトしてやりたくないな」
「何故デス?」
「目標ってのは具体的でないといけない。勝てればなんでもいいと言ったが、それはメイクデビューなの? 勝ちたいだけなら地方のほうが勝てるけど、なんで中央に来たわけ?」
「ココはターフがあるカラ。アメリカでターフに価値はナイ。でも、私がターフの方ガ走レル。日本はターフに価値があって、ダートに価値がナイ」
「それは穿ち過ぎた意見すぎるし、君の脚はそうじゃない」
膝を折り、がっしりとトモを掴んだ。撫で回すと流石に蹴っ飛ばされるからやらない。しゃがみはするが、目線は絶対に外さない、外したほうが負けな気がする。
「筋肉質の良いトモだ。体重も順当に増えてるし伸び代も絶対にある。走りの幅はまだわからんが、いい末脚のウマ娘になれる。ターフとダート、両方取りに行ける才能がある」
「......勝テルならどっちでもイイ」
「どっちでもいいじゃないどっちもだ。なんでもいいどっちでもいいとか言ってると気持ちも切れるのが早いぞ。あとサポート科にいる方が日本には長く居ることができるのに、何故やらないんだ?」
「ソレハ」
「知らなかった、は聞きたくないぞ」
「......走ルコトは、捨てらレナカッタ」
少しの沈黙の後、彼女は言った。
「走ることガ好きだッタ。走ってイルとみんなに褒めてもラエタ。デモ今ハそうじゃナイ。勝タナイと褒めテくれナイ。ダカラ......」
「......だから?」
「ダカラ逃げタ。先生が日本へ行クコト進めてくれた。デモ、結果残さナイト帰らないトいけナイ。ダカラ結果残さないと、イケナイのに」
彼女は、俯いたままこう言った。
「ワタシは、弱い......強ク、なりたいノニ」
彼女の敵は故郷なのだろう。幼い頃、多分小学校の頃の苦い思い出が彼女を故郷から追いやった。その原因が家族か友人か、周りの声かはわからないがもっと心を開いてもらわないとわからない。
わかることは彼女は自分の弱さを認めさせられたウマ娘だ。けど彼女は本番のレースで打ちのめされた訳じゃない。彼女はまだ自分の強さってのをわかっていない。
「ならウチに来い。自分の弱さを認めてそれでも前に進みたいヤツを、まさしく君のような存在を。
「バ、バカ?」
「そう、バカさ! 走るのを捨てられず、かといって故郷のレースには勝てないから新天地を自分で選択したんだろう? まったく、どこまでも走りたいってことじゃないか! うんうん、実に最高だよ君は!」
「エ、エ?」
かなり好みのウマ娘が出てきてテンションが上がる。困惑したように彼女は周りに助けを求めるように目を合わせるが、すまんがどいつもこいつもそんな奴ばかりなんだ。
「相変わらず無根拠なスカウトしやがって、論理性の欠片もねえな」
「そう? 情熱があってこそのウマ娘じゃない」
「チームが賑やかになりますねっ! これで存続ですよっ!」
「エ、アノ、エッ?」
「是非君をチームに迎え入れたい!」
「アノ、エッ、え、エエエッ?」
「こういう逸材が夏に落ちてるなんて最高だ! こうまでされると今年こそはルドルフに勝てる気がする、テンション上がってきたぁ!」
「アババババ」
「トレーナーさん泡吹いてますよ?!」
「おっと失礼。テンション上げすぎた。大丈夫?」
「アババ......」
いつのまにか肩を掴んで揺すっていたらしく目を回していたその子を落ち着くように座らせてしばらく。私たちの目の前では、彼女が出走するはずだった最終レースが始まっていた。
「ごめんね、さっきは舞い上がり過ぎちゃって」
「イエ、大丈夫デス」
「ならよかった。それはそうとして君をスカウトしたいのは本気だ。さっきのは冗談でも、舞い上がっただけでもない」
「......私ヨリ強イウマ娘は沢山いるのニ?」
「そうだね。それでも君がいいかな」
「ナゼ?」
「実力だけが全てじゃない事を知ってるからね」
実力だけでレース結果が決まるのならトゥインクルシリーズはもっと殺伐として、面白くないものになっているだろう。運や偶然を排除するのであれば日本ダービーに対する憧れはもっと小さくなり、スーパークリークなどの繰り上げてG1の舞台に偶然上がり、なおかつ栄光を掴むようなエンターテイメントは発生し得ない。人気薄のウマ娘がレースに勝つ大番狂わせもなくなってしまう。何より実力不足を頭と作戦でどうにかする私の走り方が否定されてしまうじゃないか。
「大事なのは心だ」
「ココロ?」
「気持ちだ。根性とか負けん気とか、要はハートさ」
「ハート......」
「まぁ見てなさいよ私が走るところを、そうすればわかる。
ちょうどここにチケットもある。来な」
「Summer Dream Trophy ?」
「なんだ、知らないのか。ま、留学生だもんな。構わんさ。
今年のは1枠1番。まあ見てな、驚かせてやるよ」
◇◇◇
それから数日後。
彼女はフクキタル達と阪神レース場にいた。
「待っていましたよ、コチラです!」
「ヒトゴミで前に進めナクテ、ゴメンなさい」
「いえ、気にしないでくださいな。いつも混み合うんですよ」
人でごった返す中をかき分け、最前列にもみくちゃにされながらたどり着いたそのウマ娘の制服はぐちゃぐちゃになっていた。その隣にいる先輩達も同じようなものだ。
「......1枠1番」
アメリカから渡ってきた彼女には、日本のどのウマ娘がすごいかなんてわからない。ただアメリカと同じように『3冠ウマ娘』が優れていることや、G1をたくさん勝ったウマ娘は強いことは知っている。
そのウマ娘は22戦10勝、うちG1を2勝していた。素晴らしい成績であることは間違いないがやはり他のウマ娘と比べると少し見劣りする成績だった。トゥインクル・シリーズを引退した伝説のウマ娘達が揃うオールスターレース。彼女は数日のうちにドリームトロフィーが大まかにどういうものなのかを理解していた。その上で1枠1番に注目しろ、とは一体なんなのかを考えていた。ただ実績におとるウマ娘が勝つ姿を見て自信を持てというのは無理がすぎる。ほかに何か理由があって然るべきだと。
それを言ってきたトレーナーといえば、不在だった。見回しても全身黒ジャージで帽子を被ったあの女性はいない。自然、チームメンバーなら誰か知っているだろうという結論に達する。
「私ヲ焚きつケたトレーナーはどこにいるんデス?」
「およ? 聞いてないのですか?」
「聞イテイナイ、とは?」
「......もしかして気付いてないってこと?」
「あん時は他所行きの格好だったから仕方ねェ。すぐわかる」
『昨年皇帝を追い詰めたウマ娘でありながら
1枠1番、カツラギエースです!』
「今年こそルドルフに勝ってやるからなぁーっ!」
はじまったバ場入場のアナウンス。ハナを切って最初に現れた、ターフビジョンに映ったのは揃いの白基調の勝負服にピンクと青の帽子を被った、先日自分をスカウトしていたはずのトレーナーだった。
「......な、な、な! ナゼ?!」
「うちのトレーナーはウマ娘だ。普段は隠してンだよ」
「見ておけってのはそういう事。まずは自分の走りを、ってね」
「ドリームトロフィーが近くてラッキーでしたね」
「ん、あ、いたいた、おーい!」
教え子たちを見つけたのか、手を振ってかけてきたそのトレーナーはそのウマ娘の顔を見つけると、嬉しそうにさらに大きく手を振ってから彼女の手を取った。
「君来てくれたのか! 嬉しいよ、ありがとう!」
「イエ、日本最高峰のレースヲ見に来タダケデス」
「つれないねぇ。ま、私の走りを見ればそうも言えなくなるさ。全員ぶっちぎって驚かせてあげるよ。
あ、そうそう名前、聞き忘れてたんだよね。君、名前は?」
「今更デスカ?」
「あの時はちょっとハイテンションでさ。で、教えてくれないの?」
「イーグルカフェ、デス」
「イーグル、鷲かぁ。いい名前だ。私はカツラギエース。ここにいるってことはチームに入るかどうかは私の走りを見て決めてくれるってことだよね! そんじゃ、次はライブ会場で会おう!」
「......サワガシイ人」
「普段はもっと落ち着いてるんですよ。でも、最近はずっと楽しそうなんです。いろいろ吹っ切れて、本当に」
そう言ってどこか遠くを見るフクキタルの横顔を見るイーグルカフェ。その顔は今まで見たことのないほど晴れやかなもので、きっと彼女がいい思い出をカツラギエースと作ってきたのだろう事を感じさせた。
(レースを見テ決めるコト、ダシ)
その顔をさせてくれる人はどんなトレーナーなのだろう、と胸をときめかせてしまったことが恥ずかしくて、目を逸らすように彼女は目の前のターフビジョンに目をやった。
発走時刻まで、もう少し。
◇◇◇
「今日は随分と楽しそうですね。何かいい事でもありましたか?」
「ああルドルフ聞いてくれよ! 今日こそはルドルフとの因縁に決着がつけられそうな気分なんだ。なにせチームに新しいメンバーが入るかもしれない!」
「それは、いい事ではないですか」
「まだ決め兼ねてるらしいが、ま、私の走りで決めてくれるってんなら無様な走りはできんよ。今日こそは勝つからね」
「いつまでも負けるつもりはありませんよ」
「ちょっと、アタシのこと忘れないでよ!」
「私がシービーのことを忘れられるかよ」
「お、それって告白?」
「悪夢的な意味でだアホ。こないだの冬は負けたけど今日は勝つからな!」
「私もです」
「イイね、やっぱり君たちと走れる私はなんて最高なんだろう!」
「だーかーら最悪って言ってんでしょ!? 笑ってんじゃないよ!」
「フフッ、仲は相変わらずですね」
「ルドルフまで? 全く、今日は恥ずかしいとこ見せられなってのにさぁ」
今回の設定は阪神2200m、『宝塚記念』
私がG1を初めてとった舞台だが、そこにシービーはいなかったし、ルドルフだって勝ったことがないレース。
もしかしたらトゥインクルの舞台で叶うはずだった夢。
ま、もう関係ない。別の舞台とはいえ走ることが叶ったんだ。
諦めなくて、本当に良かった。
『全ウマ娘枠入りが完了! 今年は阪神2200m、宝塚記念を舞台に伝説のウマ娘が走ります。この舞台で栄光を獲得したウマ娘も、苦渋を味わったウマ娘も、走ることすら叶わなかったウマ娘もいるでしょう。ですがそれが叶うのがこの舞台。幾多の夢を乗せて、ゲートが今、開きました!
さあスタートダッシュから大きく飛び出したウマ娘が1人いるぞ! 1枠1番、カツラギエースだっ!』
「さぁ、私の背中について来いっ!」
2年間、ありがとうございました