俺だけにウマ娘のステータス画面が見えている 作:酒池肉林太郎
お楽しみ下さい。
〝それ〟が見えたのは小学校低学年の頃だった。
とある日、二つ下の幼馴染と遊んでいた時に、ぼんやり妙なものが視界に映った。
幼馴染の周囲に光る文字が見えたのだ。
〝すごい〟とか、〝じょうず〟とか。
抽象的で曖昧なそれが何なのか、その時はさっぱり分からなかった。分かるはずもなかった。
見え初めてからしばらく経って、それが何を意味しているのか唐突に理解した。彼女が「どんな走りを得意としているのか」という簡単な指標だったのだ、それは。
「───ちゃんって、短い道を速く走るのが上手なんだね」
彼女は────幼馴染のウマ娘は、キョトンとした顔で「そうなの?」と聞き返した。
ウマ娘だから走るのが得意なのは当然といえば当然だが、それでも得手不得手はあるもので、彼女は生まれつき疲れやすく、運動を苦手としていた。
だから遊ぶときは決まってインドアだった。
外での遊びは基本的に親から禁止されていた。
肺がほんの少し、悪かったのだ。
だが俺の戯言に興味を抱いた彼女の父親が試しに800mのタイムを測らせた。今思えば本当に酔狂だったと思う。
結果、当時まだ8歳だった彼女は、地元のウマ娘養成機関のメイクデビューに匹敵するレベルのタイムを叩き出した。それはしばらくして全国ニュースにも取り上げられるほどの大事件となった。
「どうして分かったんだい!?あの娘にはろくに運動もさせたこともなかったのに!」
俺の主観をそのまま伝えると、おじさんは「すごい才能だ」と称賛してくれた。
どうやら俺にはトレーナーの資質があって、彼女はスプリンターとしての素質があった。
あの日のことは良く覚えている。
「私、日本一のウマ娘になりたい」
それが彼女の子供の頃からの夢だったらしい。
両親にも明かしていない諦めていた夢を、その日初めて俺に打ち明けてくれた。
その日のうちに俺と彼女は彼女の両親に直談判。
渋る母親の反対を押し切って無理のない範囲で選手としての活動を許可された。
その日から彼女の夢が俺の夢になった。
彼女は日本一のウマ娘になる。
俺はトレーナーとして彼女を日本一のウマ娘にする。自然な流れでそう約束し合った。
となると俺も彼女も必然トゥインクルシリーズを目指すことになる。
彼女は実力的に問題ないとして、中央のトレーナーになるには少なくとも学士課程を修めてURAの試験に合格する必要がある。
倍率の高い超難関試験だ。
俺は覚悟を決め、ひたすら勉学に励んだ。
やがて彼女は地元のトレセン学園中等部に入学。華々しいデビューを飾り、たちまち世間を賑わすこととなった。
歳を重ねるに連れ、〝それ〟の見え方も変わっていった。
より多岐に、より精緻に。
ウマ娘の体調から能力、何が得意で何が苦手か。
どんなコースが得意でどんな戦法が苦手か。
自分でも気持ち悪いほどに、対象の情報を理解出来るまでになっていた。
そして中学3年のある日、海外のウマ娘の専門学校からオファーが来た。どこから噂を嗅ぎつけたのか、俺の能力に魅力を感じ、招聘を申し出て来てくれたのだ。
願ってもない話だった。
ウマ娘に関する知識をスポーツ医学の本場で学べるのだ。更に言えば成績次第では飛び級も視野に入れてくれるらしい。学生の身分でありながら現地のウマ娘のサブトレーナーも経験させてくれるそうだ。
ウマ娘の選手生命は存外に短い。
約束を守るために、早くトレーナーになれて損はなかった。
それから4年。
俺は血の滲むような努力を重ね、結果見事短期卒業に漕ぎ着けた。
一方で派手なデビューとは裏腹に肺のハンデで不調を繰り返していた彼女も、ようやく中央にスカウトされるまでに成長を遂げていた。
帰国して受けた中央ライセンス試験も難なく突破。
晴れて新人トレーナーとしてトレセン学園での内定を勝ち取り、ようやく来年の4月から彼女の約束を果たせる時が来ると確信した19歳の秋。
ある事故が起こった。
珍しくもない。
彼女がレース中転倒したのだ。
中央に行く前に地元で走る最後のレースで、走行速度は時速82kmを記録していた。
結論から言うと背骨の神経を損傷し、選手生命どころか日常生活もままならないレベルの後遺症が残った。端的に言えば永遠に車椅子生活を余儀なくされた。
彼女の夢は呆気なく絶たれた。
俺はそれでも彼女の側を離れるつもりはなかった。
共に夢を追いあった仲で、言ってしまえば惚れてたからだ。俺の青春は全て彼女のために注いだ。そしてこれからの人生、彼女の生活を支えられるなら一切の後悔もなかった。
彼女とこれからのことをたくさん話した。
例え歩けなくなっても俺がいると、俺が君を一生養うと。可能な限り希望を提示した。
だが彼女はただ一言「ごめん」とだけ呟いて、それ以外何も口を開くことはなかった。
そして、自殺した。
彼女の訃報が届いたのが2週間ほど前の話だ。
十分に励ましはしたつもりだった。
だが、彼女は俺と支え合って生きていく未来には希望を見出せなかったらしい。もう二度と歩けないという事実に絶望し、自ら命を絶った。
俺と懸命に生きることよりも死ぬことの方が楽だったのだ。
彼女は俺よりも死を選んだ。
少なくとも、俺の目にはそう映った。
そして、同時に俺の目標も絶たれた。
頑張る理由がなくなった。
色んなことがどうでも良くなった俺にトレーナーとして生きていく気力が残っている訳もなく、トレセン学園の内定辞退をぼんやりと考えていたとある冬の日。
俺は彼女と。
サイレンススズカと出会った。