俺だけにウマ娘のステータス画面が見えている 作:酒池肉林太郎
スズカの2戦目のレースも無事に終わり、本格的に夏の暑さが顔を見せ始めた7月の上旬。マイル走で撮影したスズカのレース動画を編集していた午後の昼下がり。
俺はS先輩に呼び出されていた。
「下見?」
そのまま聞き返すと、S先輩は静かに頷いた。
「ああ。いつも使ってる長野の宿に、今年から新館と新競技場が増設されてな。合宿で行う予定の合同練習が現地でも可能かどうかとか、諸々含めて調べて来て欲しい。まだメニューを修正する時間はあるからな」
「なるほど」
つまるところ合宿場の現調、という訳だ。
ことによっては予定が狂う場合もあり得る。
結構責任重大な仕事だ。
「…とは、言ってもだな」
先輩は不自然に目線を逸らすと、ふと窓の外を眺めた。
「ウチの学園から参加するのは30名弱なので、練習の際のスペース的な問題はそれほど考慮する必要はない。ここはかなりデカイからな。宿場から届いた敷地図を見る限り、今のところ特に問題は無いという確認も取れている」
「はあ…」
「付け加えると浴場や食堂を使う際に発生する他の客との兼ね合いなんかは駿川さんが打ち合わせ済みだ。あとやることと言えば現地の写真撮影と、レクリエーションで行う肝試しのコースの確認くらいか。これらの提出は三日後で良い」
つまり下調べは殆ど終わっているということか。
しかも随分と猶予のある話だ。仮に現調に一日かかったとしても、念押しの最終チェックくらいならもう少し早く終わると思うが。
「その間、スズカの面倒とお前の業務は私が引き継ごう」
「え?いえ、それは流石に…」
言い換えればこれから三日間、俺の仕事はその終わりかけの現地調査のみということになる。
一日で終わるような仕事に三日与えられ、その間俺の業務は全て先輩が請け負うということだ。先輩に対して業務報告は細かく行っている為、三日くらいなら確かに任せられる。尤も、必然的に時間は持て余すだろう。
「まあ…つまり、だ。合宿前に少し休んでおけというのが理事長の意向だ。スズカのレースも終わったばかりだから少しは余裕もあるだろう?」
…なるほど。
遠回しに気を遣われている訳か。
ここ最近、流石に働く姿を周囲に見せ過ぎた。
疲れが溜まっていると思われたのだろう。
確かに暇な時間もテイオーを担当する準備なんかを行なっていた。
思えば4月から3ヶ月、ほぼ休んでいない。
確かにオフの日を作った方がいい頃合いではある。
実質的に有給や公休すら消費せずに休みを貰うようなものだ。俺の立場からすれば都合のいい話ではある。規律的にはあまり良くないが。
しかし理事長、休んで欲しいなら休んでくれと直接そう言えば…いや、ちょくちょく言われてたな確か。
そもそもそんなこと上司に言わせるべきではないか。
これは普通に俺が悪い。
「そういう訳だから、明日早速現地に向かってくれ。あと付き添いで生徒会から一人同行させるからそのつもりで。掛かった交通費やら現地での飲食、その他経費は法人名義のクレカを渡すからそれで済ませ。あと一応手当も下りるから申請は忘れずにな」
とにかく難しいことは考えず一日ドライブして適当に写真を撮った後、残りの二日は好きに過ごせ。
先輩が最後にそう締めて、話は終わりとなった。
○
翌日の早朝。
俺は学園の駐車場でスズカと二人で待機していた。
朝と言えど季節が季節なだけに気温はそれなりだ。
交通手段は新幹線か社有車の二択だったが天候を鑑みて車にした。
「練習の方しっかりやっておきますから、この機会にトレーナーさんはゆっくり休んで下さいね」
スズカには昨日の内に事情を説明済みだ。
朝練は予定通り行ったので、授業が始まる前に見送りだけでも、と付いて来てくれた。律儀な奴だ。
「それはそうと、トレーナーさん。先ほどから何を待っているんですか?」
「ルドルフだ。二人で行くからな」
「え?」
「それよりスズカ。土産で何か欲しいものがあれば…」
「あ、あの、今回の下見、会長とお二人で行くんですか?」
「そうだ。言ってなかったか?」
「聞いていません、けど…」
そうか。
まあ誰と行こうが些事ではある。
「土産の話に戻すが、お前甘いもの好きだったか?」
俺の言葉を遮る形で、スズカは神妙な顔で答えた。
「トレーナーさんが何事もなく無事帰って来ることが一番のお土産、ですかね…」
「そ、そうか」
いきなりお母さんみたいなこと言ってきたなこいつ。
そんなに疲れてるように見えるのだろうか。
まあ土産は適当に選んでおくか。
職員以外だとスズカとテイオー、あと友人という意味合いでタキオンとグラスにも買っておくか。
今度指導するから、という建前もあるし問題ないだろう。
土産をタキオン経由でグラスに渡してもらうという心算だ。機嫌も−100が−99くらいになるかも知れない。
「おはよう、トレーナー君」
そんな益体のないことを考えていると制服姿のルドルフがやって来た。持っているのは肩掛けカバンだけで、半袖姿だ。そういえば夏服のこいつを見るのはこれが初めてな気がする。六月頃までは合服だった筈だ。
「久々だなスズカ。見送りかな?」
「は、はい」
「そうか。君とトレーナー君は本当に仲が良いな」
「え?」
「いつも一緒にいると生徒の間でも噂になっている」
確かに練習以外も部室で一緒にいたりすることが多い気がする。こいつは基本的に練習以外の時間は勉強に充てているので、俺みたいに教えてくれる人がいた方が効率が良いと思ってるんだろう。
「そ、そんな、私はただ…」
「尤も、最近はテイオーもよく一緒にいるらしいが」
「……………」
スズカは唐突に真顔のまま無言になった。
相変わらずこいつは何を考えているか分からない時がある。いや、基本的には走ることを考えているんだろうが。
「…そ、それはそうとこの前のレースは圧巻だったな。ダービーには出るんだろう?この調子で頑張って欲しい」
「あ、ありがとうございます」
俺以外の前だと基本的にはマイペースなスズカが少し緊張している。ルドルフは全ウマ娘の中でもトップクラスの実力だ。こいつでもそれなりに畏怖はあるのだろう。
それにしても、スズカのダービーか。
大きな目標であり、一つの区切りでもある。
時期的には来年の5月か。
そこを乗り越えたあとはG1で何勝かして賞金総額が規定を越えればルドルフ達のいる上位リーグへの出走が認められる。尤もそれは先の話ではあるが。
「じゃあトレーナー君。そろそろ行くとしようか」
「ああ」
ルドルフに促されて、遠隔で社有車のロックを解除する。助手席にルドルフが乗り込んで、軽く出発の挨拶を済ませて俺達は学園を後にした。その時見送るスズカの顔が、少しだけ寂しげに見えた気がした。
○
平日の中央自動車道は思ったよりも車通りが少なかった。
アメリカの道路に慣れてしまった手前、日本はもっと狭くごちゃごちゃしているイメージがあったが、こんなものか、というのが率直な感想だった。どうやら首都圏の高速道路だとあまり違いはないらしい。
出発してからは基本的にルドルフと雑談の繰り返しだった。ルドルフが質問して、俺が簡単に答える。それが何度か続いて、そのうちスズカの近況についての話になっていた。
「光が視える、か」
ルドルフが小さく呟くように反芻する。
会話の内容はスズカのレース中に起こる特異な現象についてだった。
「確かに上位リーグにはそういうウマ娘も何人かいる。いずれも幾つもの重賞を勝ち取った強豪だ」
その辺は俺も映像等でなんとなく確認していた。
規模こそアメリカの方が大きくはあるが、恐らく質に関してはURAが勝っている。基本的に選手のレベルは母数に準じて上がっていくので、かなり特異な現象だ。
「ただ、キャリア2戦でそこまで行ったウマ娘は、あまり聞いたことがない」
ルドルフの言う通り、ゾーン体験は基本的に能力が円熟したウマ娘ないしアスリートに〝偶発的〟に発生する現象である。
だが話を聞く限り、恐らくスズカは生まれつき光が視えている。完全なギフトだけであの領域まで自覚なく登っている。
本来ならデイライトは極限まで集中した状態で初めて視えるものだ。そこが他のウマ娘と決定的に違う。
そこから逆算するにスズカはただ走っているだけで日常的にゾーンに到達している可能性すらある。
あの全能感がスズカにとってよくある日常なのだとしたら、脚質の合わない練習をするだけで大きく調子も落とすだろう。まあ、そこまで考えが及ぶトレーナーはまずいない。
「確かにあいつは、他と良い意味でも悪い意味でもスケールが違う」
そしてマイペースな奴でもある。
最近、それがようやく分かってきた。
最初の方おどおどしていたのは、何だかんだ調子が悪かったのが原因だろう。
俺が知っている中ではグラスが近いかも知れない。
今でこそ目が合ったら即どこかへ立ち去るグラスだが、仲が良好だった頃は空いた時間にお茶を点ててくれるようなのんびりした奴だった。
今のスズカは殆ど好調と言って差し支えないコンディションだ。
初めて会ってから半年近く。
指導し始めてから3ヶ月。
理事長がヨイショしたのもあるが、あのスランプ状態から短期間でここまで元に戻せたのは運が良い。
「それが、君がスズカの担当になった理由か?」
端的に問われて、俺は何気なく返した。
「いや、あいつの担当になったのは成り行きだ」
俺の意思ではない。
その辺はルドルフも理事長から聞いてるんじゃないだろうか。いや、スズカ関連の話はみだりに話さないと言っていた。伏せておこう。
「だがまあ、あいつの担当になれたのはラッキーではある。スズカは言うことは素直に聞いてくれるし、別に喋っていても…」
ふと、口を噤む。
トップ層の選手とはいえ、ルドルフも一応は生徒だ。
俺の立場であまり深く本音まで話すものではない。
こいつは雰囲気が大人びていて思考も近いせいかつい隣人感覚で接してしまう。
そんな態度を気取られたのか、ルドルフは厳格な表情を崩して柔らかく微笑んだ。
「意外と、そういうことも思ってたりするんだな」
「そりゃ俺だって一応…」
「いや、悪い悪い。君はほら、時々機械みたいな一面があったりするじゃないか」
確かによく言われる。
いや。
よく、言われていた。
あまり表情が変わらないと。
これでも結構、直した方だとは思うのだが。
「前に話した時も思ったが、君は随分スズカを買っているんだな。ならテイオーはどうだ?」
「あいつだって普通に天才だ。お前もよく知っているだろ」
「そうだな。愚問だったか」
ルドルフはどこか自慢気に笑う。
あれは天性のバネだ。
その反動で起こる骨の問題は俺がなんとかしてやれる。つまり無敵だ。負けはないだろう。
クラシック期間、スズカのレースとあまり被らせないようにしておこう。潰し合いになってしまう。スズカを早めに上位リーグに上げるのも有りだ。
「10月からチームを担当するんだろう?何人か目星はつけてあるのか?」
「別に俺が直接選ぶわけではないが…。敢えてデビュー前のウマ娘から選ぶなら…」
トレセンには怪物みたいなウマ娘がゴロゴロいるので正直迷う。だがデビュー前ともなれば話は別だ。今は七月。4月に入学・編入して来た生徒達はもう既にスカウトされていて、今残ってるのは少ない。
実力者ともなれば尚更だ。
オグリはべテランに引き取られたみたいだし、スペシャルウィークやマックイーンなんかもすぐに決まったらしい。あとはエルコンドルパサーにセイウンスカイ。ダイワスカーレットにウオッカ。資質の高い選手を挙げればキリがないが、全員契約済みだ。
だとすれば。
「グラス辺りかな…」
テイオー以外のデビュー前だとあいつが1番見所がある気がする。
タキオンはまあ…あいつはいい。
あまりやる気もないようだし。
本気でやるなら見てやってもいいが。
「グラスと知り合いだったのか?」
「え?」
ルドルフは目を瞬かせながら問いかけて来た。
「君は基本的にフルネームで呼ぶだろう」
「………ああ。アメリカに居た頃に少しな」
「そう、か。意外と顔が広いんだな」
「そうでもない」
小さくかぶりを振る。
この話題は避けるか。
グラスに対してあまり話したくないし、そもそも俺の友達が絶望的に少なすぎるので話すことがない。
「それ以外で目ぼしいのだと難しいな」
「まあ、今チームに入っていないウマ娘の方が貴重だからな」
うんうん、と頷くルドルフ。
その時ふと、俺の脳裏に過去の記憶が過った。
「…ただ、デビュー前の選手でこいつは絶対にスカウトしたかった、って奴なら昔いた。といってもかなり前の話だが」
「中央の生徒か?」
「確かそうだったはずだ」
「君にそこまで言わせるとは、余程の選手なのだろう。しかし数年前か…だとすれば今は」
「いや、会ってしばらくして探したが、トゥインクルシリーズからは居なくなっていた」
あれは確かアメリカに渡って半年くらいした時の出来事だったか。勉強が一区切りしたから日本のレースにも目を向けようとネットで検索をかけたのだ。
「結局地方も含めて登録されていたウマ娘を全て探しても彼女は見つからなかった」
恐らく怪我だ。
あの健脚、それ以外に理由が見当たらない。
今思えば、あいつもまた光が視えていたような気さえする。
「…そう、か。残念な話だが、トレセンには去っていく生徒も多いからな」
「ああ」
ルドルフの言う通り、結果を残せなかったウマ娘は除籍か地方へ飛ばされる。ここは華やかな見た目とは裏腹に残酷な世界だ。
それを理解しているからこそ、ナイスネイチャは早々に見切りをつけているのかもしれない。
…妙に暗い雰囲気になってしまった。
会って間もないが、ルドルフは意外とこういう話で傷つきやすい。
話題を変えるか。
テイオーやスズカはいつもどんな風に話題を提供していてくれたんだったか。
そこから合宿場のある避暑地までの道程。
およそ2時間、なんとか沈黙が起こらない程度に会話をつないで、俺達は目的地へと到着した。
○
野外運動の合宿は基本的に避暑地などで行われる場合が多い。
集中して練習を行うならばトレセン学園よりトレーニングに適した施設はそうそうないだろう。
だが日本の酷暑の中で練習を行えば当然効率は落ちる。対策は必要だ。
その反面、標高の高い山の斜面に展開されたこの町は夏のピーク時でも平均気温は27度。東京よりかは段違いに気温が落ちて熱中症のリスクもぐんと下がる。
駐車場に車を停めて外に出ると、気温はやや肌寒いくらいだった。程近い位置に見える合宿場は二棟存在し、新館と思われる建物は観光地によくあるリゾートホテルっぽい佇まいだ。
白い外壁に山型の建築デザイン。
広く展開する芝生の庭園にはパームツリーが立ち並んでいてプールらしき施設も遠くからでも見える。
リゾートホテルっぽい、というかリゾートホテルだこれは。パンフレットは見て来たが想像以上に豪華だ。
まあ、天下のURAの稼ぎ頭達が利用する宿場だ。
特に驚きもない。アメリカに居た頃もベガスで保養とかやってたしな。
金はあるのだ、この母体は。
「トレセン学園の方々ですね。お待ちしておりました」
受付まで行くと、まずスタッフにレストランまで案内されて昼食を用意された。
飯が出るとは聞いていたがホテルだけあって豪華なメニューだ。合宿中は全てバイキング形式になるらしいが、食にあまり関心のない俺が食ってもはっきりと旨いと思える内容だった。やはり食事には気を遣っている。
特に茶色のグネグネしてる奴は旨かった。
あれは本当に旨かった。
今度茶色のグネグネしてる奴がスーパーで売ってたら購入しよう。
「そういえばトレーナー君」
食後のコーヒーを飲みながら今回のやることを確認していると、ルドルフが思い出したように口を開いた。
「君が今日車の中で言っていた行方知らずのウマ娘。名前はなんというんだ?」
「…気になるのか?」
「いや。もしかしたら私も知ってるかもしれない。なにせ、君が目をかけるくらいの選手だからな」
そう言って、ルドルフはコーヒーカップを優雅な動作で傾けて唇を濡らした。
確かに一理ある。
だが、知ったところで良い答えが返ってくるとも思えない。あいつは惜しい人材ではあったが、もう過去の人物だ。引退しているのが確定している以上聞くことはない。残酷な最後だった可能性もある。
…いや、居なくなったと知って名残惜しかったのも事実だ。これで決着が付くなら、それもいいかも知れない。
「正直、その娘の顔までは覚えてないが…」
「うん」
「名前はルナだ」
「ん"───────ッッッッ!?!?!?!」
ルドルフが凄い勢いでコーヒーを吹き出した。
幸い俺には掛からなかったが、本当に凄い勢いだった。やはり皇帝はコーヒー吹くときも一流なのか。
「だ、大丈夫か?」
「ご、ごほっ…ごほっ…!い、いや、なんでもない…!少しむせただけだ…!」
「そうか…」
気管支にでも入ったのだろうか。
こいつでも案外、こういうヘマは起こすんだな。
「…で、ルナの話なんだがな」
「え?」
「この際だ。もう少し詳しく話すか。ルナについて」
「ちょ、ちょっと待ってくれトレーナー君────」
○
俺がルナと出会ったのは確か15の夏。
地元のトレセン学園の合同合宿の見学で訪れていた時、練習しているところを見つけたのがきっかけだった。
ルナは俺の知り合いと一対一の勝負を行なっていて、一目で格の違いが分かった。まだ本格化前で選抜レースにも出バしていない時期だったが、ルナの走りはとにかく凄まじかった。
脚質的にルナは短距離は得意な方ではなかったはずだ。だがそれでも、ルナはスプリンターに対して短距離で勝利を収めていた。普通のスプリンターじゃない。当時俺が気にかけていた、実力を兼ね備えたウマ娘に対してだ。
俺は大学の頃にいろんな国のレースを見せて貰ったが、未だにあの娘より速い本格化前のウマ娘を見たことがない。
ルナは歳の割に賢い娘で、喋り方からして同世代とは別格の雰囲気を漂わせていた。実際チェスを教えたらすぐにルールや定石を覚えて勝負が出来るようになっていた。
どうやらかなりの上流階級らしく、両親には帝王学を教えて貰っていたようだ。だが自分の強さを誇示しようとする気もなく、周囲の人間に対して気配りが出来る、人格的にも優れたウマ娘だった。
ルナとは結局合宿以降会う機会はなかったが、今思えば惜しいことをしたと思っている。もう少し仲良くなって連絡先でも交換していれば、引退の際に何か力になれたかも知れないが。いや、それは傲慢な話か。
顔は覚えてないが、顔立ちはかなり整っていたような気がする。気品はあって、眉はキリッとしてしていて…髪と目は思い出せない。
あの時の見学、サブトレの体験なんかもやらせてもらって結構忙しかったからな。正直業務以外のことは殆ど忘れてしまった。
だがそれでも、ルナの走りだけは鮮明に覚えている。
あいつがあそこから成長した姿は俺ですら想像が出来ない。
「まあ、こんな感じだ」
俺が話し終えると、何故かルドルフは俯いて沈黙していた。当然顔は見えないが、耳と尻尾が落ち着かない様子だ。
なんだ。
どういう反応なんだこれは。
「どうした?」
「え?!」
俯いていたルドルフが顔を上げる。
顔が真っ赤だ。
目線も落ち着かない。
ルドルフらしくもない態度だ。
「ルナについて何か心当たりはあるか?」
「あ?あ、ああ…。そう、だな…」
こうやって、ルドルフに詳しく聞いていることが自分でも意外だった。どうやら俺は俺が思っているよりあのウマ娘の今が気になっているらしい。
「る、ルナちゃん、か…。ど、どうだったかな…」
挙動がおかしいな。
体調は…いや、視る限りでは特に異常はない。
だったら精神由来のものか。
流石に感情までは読めないからな。
今ルドルフが何を考えているのかさっぱり分からん。
「………………ああ、そうか…。そういえば、そうだった…」
ルドルフが顔を手で覆い、何やらぶつぶつと呟く。
何を言ってるかは聞こえないが、この反応、やはり知っているのだろうか。
「と、時にトレーナー君」
「なんだ?」
「私の子供の頃のニックネームはなんだと思う?」
「どうした急に」
なんだその質問は。
今どういう状況なんだ。
言ってはなんだがゴールドシップ並みに唐突だぞ。
「悪いが、何も言わずに答えてくれると嬉しい」
ルナとルドルフのニックネームになんの関連性があると言うんだ。
駄目だ分からん。
そもそもルドルフはルナについて何か知っているのか?
この質問に答えることが何らかの意味を持っているのだとすれば…。
ルドルフのニックネーム…。
シンボリルドルフのニックネームと、ルナとの関連性か……。
そういえば、こいつの勝負服はどこか歌劇団っぽいデザインだったな。
「分かった。宝塚だ」
「…………」
「正解だろ?」
「違う。ぜんぜん違う」
全然違うのか。
まあまあ自信はあったのだが。
「ヒントはこれだ」
ルドルフはそう言いながら、自分の前髪をそっと撫でた。
ウマ娘の前髪は一部色が変わっていることが多い。
ルドルフは基本的には濃いブラウンの長髪だが、局所的に黒髪だったり、前髪の中央部分は白だったりする。
ルドルフが指しているのは三日月っぽい形をしている白い前髪だ。ここにヒントがあるのだろう。
「トレーナー君。君にはこれが何に見える?」
「クロワッサン」
「怒るぞ」
何でだよ。
仕方ないだろクロワッサンに見えたんだから。
ルドルフの顔が本格的に険しい。
もう照れ顔でもなく、ただただ冷淡な表情だ。
スズカもそうだが女はたまに何を考えているのか分からん。
「大ヒントだトレーナー君。クロワッサンはフランス語で月を表す言葉なんだ。つまり…」
「分かった。ウルトラマンの頭に付いてる…」
「話聞いてたか?今ウルトラマンとか1ミリも関係ないぞ」
「じゃあ何だ。宝塚か?」
「宝塚は違うってさっき言ったじゃないか!」
ルドルフにしては大きな声だった。
怖いな。
なんなんだよ。
「宝塚枠はそもそもオペラオーとかフジキセキとか他にそれっぽいのが何人かいるだろ!なんで私が宝塚なんだ!」
「そんなこと言われたって、お前宝塚か宝塚じゃないかの二択だと宝塚じゃないか」
「離れろ!宝塚から!!」
「じゃあ分からないから答えを教えてくれ」
「そ…それは…」
言葉が喉に詰まったように、ルドルフは再び顔を赤くして俺から目を逸らした。
そもそも話が逸れている。
ルナの話はどうなってしまったんだ。
知っているのか知らないのかどっちなんだ。
ふと時計を確認すると13時が近い。
帰りの時間を考えると遅くとも16時には出たいのでぼちぼち周り始めたいところだ。
「…続きは後にするか。ルドルフ、そろそろ行くぞ」
「え?あ、ま、待ってくれトレーナー君…!話はまだ────」
○
案の定、下見は真面目にやっても早く終わった。
言われていた通りやることは少なかったので久々にゆっくりとした時間を過ごすことが出来たかもしれない。
運が良かったという訳ではないが、合宿を行うに当たっての改善点も何点かは見つけた。一応仕事はしたということになる。報告書を出せば多少は円滑に練習を進められるだろう。
結局、ルドルフは終始様子がおかしかった。
ぼーっとしていたかと思えば、話す時目線がキョロキョロしていたり。仕事が片付いて帰りの車に乗ってもそれは変わらなかった。
行きとは打って変わって帰路の大半は静かなものだった。夕闇に染まりつつある空を眺めながら、まあなんだかんだで悪くないドライブだったとぼんやりと思い返す。運転は嫌いじゃない。アメリカにいる頃も気晴らしにやっていた。
ルドルフとは割と話が合う方なので変に肩肘張らなくても良かったというのも大きい。まあ最後の方はよく分からなかったが。他の生徒会役員が来るものならそれなりに気を遣ったかも知れない。
…スズカは、今どうしているのだろうか。
こうして思い返せば、この3ヶ月スズカにつきっきりだったな。
いや、スズカだけではないか。
場所が場所なので異性ばかりだが、友人も増えたな。
学園に帰ってスズカの練習の終わりだけでも顔を出すのも良いかもしれない。いや、それは先輩にどやされそうだ。疲れが溜まっていたのは事実だし、大人しく休んでおこう。なんか喉も少し違和感がある。
「トレーナー君」
唐突だった。
長い沈黙を破って、助手席で頬杖をついたルドルフが俺の名を呼んだ。
「さっきの、ルナという生徒の話だ」
「ああ…」
そういえばあの話、有耶無耶になったままだったな。
「君がこの学園に来た時、その生徒がまだ選手として在籍していたとすれば、どうしていた?」
「なに?」
また話が少し飛んだな。
今日のルドルフは本当に脈絡のないことばかり聞く。
まあ、こういう日もあるか。
「サブでもいいから、そいつのトレーナーを希望していたかもな」
本当に、たらればの話ではあるが。
そして今だからこそそう思うことだ。
当時はそんな気力一切無かった。
いや、だがそれでも。
あいつが成長していて、まだ俺が手を加える余地があるのなら、面倒を見たくなったかもしれない。
それほどの選手だった。
「そうか」
短く応える。
流石に何かおかしいと思ったので横目でチラリとルドルフの様子を窺ってみる。窓を向いていたので表情こそ正面からは見えなかったが、ぼんやりとガラスに映った彼女の顔はどこか微笑んでいるような気がした。というか、耳も尾もゆらゆらと揺れている。
よく分からんが上機嫌らしい。
こいつもこいつで、普段の業務の気晴らしにはなったのかも知れない。
それ以降、ルドルフがその話題に触れることはなかった。
あまり話したくない、というのはなんとなく伝わったので俺からも聞き辛く、結局ルナについては分からずじまいだった。次思い出した時、機会があれば今度は俺から聞いてみよう。
「今日はありがとう、トレーナー君」
ルドルフを寮まで送った時、別れ際に手を振る彼女が意外なほど穏やかな顔で、
「楽しかったよ」
意外とこいつもこんな砕けた顔をするんだな、と思った。
○
で、次の日。
朝少し身体が怠かったので体温を測ったら熱が出ていた。といっても軽いものだったが。
二日間休みを与えられていたのは幸いだった。
熱で休むなんて間抜けもいいとこだ。
この程度なら病院で薬を貰って安静にしておけばすぐに治るだろう。報告書は昨日のうちにまとめたので今は特にやることもない。
しかし風邪か。
喉に違和感は確かにあったがまさか熱まで出るとは。
思えば脳を酷使する以外で熱が出たのは子供の頃以来だ。スズカのレースが終わって緊張の糸が切れたのかも知れない。
感染対策はしていたつもりだったが。
考えられる理由は疲労による免疫力の低下か。
やはり日頃の疲れが溜まっていたのだろうか。
『先日のドリームトロフィーリーグの重賞レースでシンボリルドルフ選手が優勝を収め────』
ただぼんやりとニュースを眺める。
こうして無為な時間を過ごすのも帰国して以来か。
俺は趣味が少ないのでどうも暇を持て余す。
だがチャンネルを回してもどう楽しめばいいか分からない。
またあの喫茶店にでも行きたいが調子が調子だ。
外出は控えよう。
それだと今日の楽しみは野球観るぐらいか。
久しく観ていないが今西武の順位はどうなってるんだろう。まだ埼玉に住んでた頃はよく中継を観て一喜一憂していたものだが。
いやおっさんか、俺は。
ベッドに横になりながら過ごす午後の昼下がり。
ふと、携帯が小さく震えた。
画面を見ると桐生院さんからメッセージが届いている。
『お休み中のところ申し訳ありません。本日の夜、少しお時間空いていますか?少しミークのことでご相談が…』
ウマ娘のことでの相談か。
だがしかし間が悪いな。
流石に今は外出は控えたい。
『電話でもいいでしょうか?今少し風邪気味でして』
自分で言うのもなんだが硬い文章だな。
同期だが桐生院さんは年上なのでどうも丁度いい接し方というものが分からない。
『風邪を引かれているのですか?』
『大変な時に申し訳ありません』
『もしお邪魔でなければ、看病にお伺いしましょうか?』
看病か。
買い出しも頼めるので来てくれたら確かに嬉しいが、流石に悪いな。だが厚意を無下にするのもな…。
返答に悩む。
そのうち2分くらい経って、また桐生院さんからメッセージが飛んで来た。
『……すみません。やっぱり突然来られても困りますよね』
なんか知らんが滅茶苦茶へこんでいる。
別に来てもらって困ることもないし、承諾しておくか。買い出しなんかも頼みたいし。
『いえ、来ていただけるととても助かります。お願いしてもよろしいでしょうか?』
今度のメッセージは即飛んで来た。
『本当ですか!?』
『なら夕方頃に買い物してそちらへ向かいますね!』
こういうとき、なんて返すべきなんだろう。
無難に謝意を述べておくか。
『ありがとうございます』
『いつもお世話になりっぱなしで申し訳ありません』
『今度お礼をさせて下さい』
『鍵は開けておきますので、都合がいい時に来て下さい』
なんか俺らしくもない文章になったがこんなもんでいいだろう。実際桐生院さんにはちょくちょく助けてもらっている。
『そんな、お世話だなんて…』
『私の方こそ、トレーナーさんには助けられています』
『では今日の夕方ごろ、お伺いさせていただきます』
取り敢えず桐生院さんが来る。
部屋の掃除…は特に必要ないか。
やることもないし大人しく寝ておこう。
最近寝不足だったので、少し眠い。
数年振りに昼寝をしようとベッドに潜ると、俺の意識は驚くほど簡単に眠りへと落ちた。
○
折に触れて過去の夢を見る。
まだあいつが生きていた頃の夢を。
俺が渡米して以来、あいつもちょくちょく休みの時にアメリカに遊びに来ていた。
基本的にその日だけが俺の休日だった。
だが別段変わったことをした訳でもない。
外で買い物して、その後部屋で二人で過ごしたり。
免許を取ってからは車で遠出なんかもやった。
若い時分ながら洒落たレストランで夕飯を共にしてみたり。普通に、恋人らしいことをやっていた。
その夢を見る度に、決まって途中で夢だと気付く。
心が削られる感覚に苛まれても、それでもまだ夢は覚めない。
夢だと弁えていても尚…。
いや、夢でしか会えないと分かっているからこそ、無意識で覚醒することを拒んでいるのだろうか。
或いは、あの事実こそが夢であって欲しいと。
そんな子供じみたことを俺はまだ、未練がましく望んでいるのだろうか。
○
こういう夢を見た後は、起きた時大体汗まみれになっている。
当然気分は優れない。
情けない話だが、こういう日は決まって調子が悪い。
だが以前はもっと酷かった。
俺が俺でなくなる感覚が確かにあった。
それに比べれば今はかなりマシな方だ。
ウマ娘を担当し始めてから、徐々にだが良くなって来ている気配はある。
時間が少しずつ解決してくれているのだろう。
そう言えば聞こえはいいが、それはつまりあいつとの記憶が薄れていっていることの証左に他ならない。
「はー…」
深呼吸する。
今、時間は何時だ。
体感時間だとそろそろ来てもおかしくはない。
壁の時計を見ようと横へと振り返る。
それと同時にリビングの扉が開いた。
桐生院さんが来たと、自然にそう思った。
そういう約束をしていたからだ。
だが扉から出て来た人物は桐生院さんではなかった。
おおよそ、考えられない奴がそこにいた。
「………起きられ、ましたか」
久々にそいつの声を聞いた気がした。
だが相変わらず低く、硬い語調だ。
手にはトレーを持っていて、コップと皿が載せられていた。
状況がよく分からない。
なんで、こいつが俺の部屋にいるんだ。
「…………その。お邪魔しています」
グラスワンダーは気まずそうにそう言って、ベッドの近くにある椅子へと腰をかけた。