俺だけにウマ娘のステータス画面が見えている 作:酒池肉林太郎
内定式もほど近い時雨の日。
俺は一人トレセン学園の校舎に訪れていた。
何のことはない。
せめて内定辞退の旨は理事長に直接会って伝えた方が良いと思っただけだ。電話で一方的に伝えるのは流石に気が引けた。
案内図に従って理事長室に向かっている途中、雨中の競技場で一人泥だらけで疾走している生徒を見かけた。
見覚えのあるウマ娘だ。
スレンダーな体型に栗毛の長髪。
どこかで見たな。
そうだ、サイレンススズカだ。
この前学園で開かれた選抜レースで他をぶっちぎって話題になっていたのは記憶に新しい。
俺はいつの間にか足を止めて彼女の練習を眺めていた。
雨の中を切るように走るサイレンススズカのフォームは流石に美しいの一言だが、妙にぎこちない。
彼女ならもっと巧く、そして速く走れそうなものだが。
長さからしてマイル走か。
勝負どころをレース終盤に合わせたセオリー通りの走りだ。
だがあの時見た迫力はどうにも見えない。
それ以前に、彼女本人からいまいちやる気が感じられない。
なんだ。
何が原因だ。
そうか、
「走り方が合ってないんだ」
そんな言葉が、独りでにふと口をついた。
「え?」
聴こえてしまったのだろう。
近くで息を整えていたサイレンススズカが俺へとゆっくりと振り向く。
顔を汗で濡らして、目を瞬かせていた。
失言だ。
どうにも昔から独り言の癖が抜けない。
今のは言わなくても良いことだった。
気まずくなった俺は早々と体を翻して、その場を後にする。
「あの…」
鈴を小さく鳴らしたようなか弱い声に、思わずふと足を止めた。
「今の…どういう意味だったんですか…?」
「悪い。聞かなかったことにしてくれ」
「あ…待っ…」
きゅっ、と。
弱々しくとはいえ、後ろから服の袖を摘まれたのは予想外だった。彼女の大人しそうな雰囲気からは強引な印象は見えなかったからだ。
「初めて、会いますよね…?…なんで、分かったんですか…?私が今の走り方を苦手にしてるって…」
俯く彼女は表情こそ見えないが纏う空気が暗く澱んでいる。袖をつまむ指先は小さく震えていた。
「分からないん、です…。以前は走るのが楽しくて仕方がなかったのに…。走り方を変えてから、嘘みたいに体が重くなって…」
一拍置いて、彼女は絞り出すように言った。
「怖いんです。このまま走りが、嫌いになることが…」
「………………」
事情はよく分からんが大きな悩みを抱えているようだ。
だが、いくら俺がここに在籍する予定だったトレーナーとはいえ、今初めて会った見知らぬウマ娘に、そんな込み入った相談をされても…。
しかし彼女も彼女で常識がなさそうな人柄には見えない。
育ちが良さそうな品の良い顔立ちだ。
なりふり構っていられないほどに思い詰めているということだろうか。
…それにしても近くで見るとやはり美人だ。
ウマ娘は何故か美人が多いな。
「え?」
唐突に、サイレンススズカは目をパチッと見開かせた。心なしか頬がほんのりと赤い。
「どうした?」
「え?あ、え?あ、いや、なん、でもないです」
まあいい。
もうトレーナーは辞するつもりでモチベーションもクソもなかったが、ここで会ったのも何かの縁か。アドバイスくらいはしてやろう。
目を凝らす。
【サイレンススズカ】
【調子】
絶不調
【体力】
21/100
【ステータス】
スピード:D
スタミナ:E
パワー :E
根性 :F
賢さ :E
【バ場適性】
芝 :A
ダート:G
【距離適性】
短距離:D
マイル:A
中距離:A
長距離:E
【脚質適性】
逃げ:A
先行:C
差し:E
追込:G
強い。
なんだこれは。
メイクデビュー前の平均なら一回り以上低くてもおかしくないというのに。
だが、思った通り尖った性能だ。
さっきの走り方だと本人の資質を活かしきれていない気がする。
速い速いと言われているが、最高速度が優れているというより、最高速度を維持出来る時間が彼女の強さの秘密だったんじゃないんだろうか。
おまけに絶不調。
色々あるが走りにキレがない大きな理由はこれだろう。メンタル的にも相当参っていそうだ。
「走りを変えてからどれくらい経ったんだ?」
「……半年、くらいです」
「その前はずっと逃げだったのか?」
「………はい」
ならば不調の答えは大体想像出来る。
自分に合わない走りに変更し、それが原因で思うように結果が出せず、そのストレスで段々と調子を落としてるんだろう。俺じゃなくても分かるはずだ。
担当のトレーナーがそこを見落としているとは思えない。そこに目を瞑ってでも、今のやり方で伸ばした方が今後大成すると考えての方針か。
「身体の重さは単純に調子の問題だから練習を続ければいずれ良くなる。ストレスのかかることは極力控えたほうが良い。自由時間を多めに取れ」
会ったばかりだというのに、俺の話を聞くサイレンススズカの顔は真剣そのものだった。
「けどそこを踏まえても脚を溜める走り方は合ってない」
いや、あんまり言い切ると怪しまれるな。この娘を指導している先輩トレーナーさんの面子もある。オブラートに包んでおくか。
「ような気がする。お前は運動強度を持続する時間が長い。逃げが向いてる。大逃げとか、そっちに目を向けてもいいと思う。例えリスクを負ってでも」
率直に言えば彼女は脚質的に逃げ以外の適性が低い。トップスピードで勝負するべきではないんだ。
この能力値なんだから華々しい戦歴なんだろうが、その実一芸特化タイプの選手だ。
なんでも出来る万能手ではない。
他のウマ娘と比較しても戦法が少ない筈だ。
「指導者から才能に頼り過ぎてるとか言われたんじゃないのか」
「………は、はい。言われました」
「俺は頼ってもいいと思う」
頼るべきだ。
でなければ最悪平凡な功績で選手生命を終えてしまう。
「下手にセオリーを身につけるより一つのことに集中して磨きをかけた方が良い。もっと自分を信じろ。俺がお前のトレーナーなら…そうだな」
そこでようやく、サイレンススズカが俺を食い入るように見つめていることに気付いた。
「…と」
口が滑った。
何を言ってるんだ俺は。
もうトレーナーは辞めるんだ。
今更なんの未練がある。
「い、今、私が走っている姿を見て、なんでそこまで分かるんですか…?」
「いや…別にそんなんじゃ…」
にわかに興奮した様子のサイレンススズカを誤魔化すように、曖昧にかぶりを振って目線を逸らす。
喋りすぎた。
ウマ娘のポテンシャルや能力を視覚情報に変換し数値的に捉えられるのは俺にだけ許された超必殺奥義だ。
俺はこれを最大限利用して彼女を日本一のウマ娘に導くはずだった。出来るはずだった。
目的を失った今、もう使う理由も意思も無い。
「お、教えてください。あなたは誰の担当なんですか?どこのチームなんですか?この学園のトレーナーさんですよね!?」
「厳密には違う。俺はまだ部外者だ」
「も、もしかして、4月に新しく就任する新人トレーナーさんですか…!?」
食いつき方が異常だ。
これ以上はまずい。
「あ、あの、もし宜しければ、これからも私にアドバイスを頂けませんか…!?」
「無理だ」
「ど、どうして…!?」
「少し事情が変わった。俺は内定を辞退する」
それまでの食い気味の態度から一転して、サイレンススズカは腕をダランと垂らして、まさに忘我といった様相のまま呟いた。
「………そん、な」
「じゃあな。このことは担当さんとか、他の人にはあんまり話すなよ」
それだけ釘を刺して、その場を後にする。
雨も強くなって来たし、今日はもう帰ろう。
窓の外から他の教員らしき人が俺を見ている。
目立ち過ぎたな。
仕切り直しだ。
なんだか調子も狂ってしまった。
視線こそ向けなかったが、俺が競技場から去るまでの間、サイレンススズカはずっとこちらを見つめている気がした。