俺だけにウマ娘のステータス画面が見えている   作:酒池肉林太郎

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書きたいこと書いてたらちょっと長くなってしまいました。
ご容赦を。


サイレンススズカ③

 小さい頃から、誰もいない場所を静かに走るのが好きだった。

 独りで走るのが好きだった。

 自分の鼓動が好きだった。

 誰にも邪魔されない静謐な景色が好きだった。

 

 それが、サイレンススズカの望む世界だった。

 

 日本一のウマ娘養成機関。

 トレセン学園に入学して他のウマ娘達とレースを経験してもその考えは変わらなかった。

 

 スタートから先頭を維持したままゴールラインを突き破る。それがスズカのスタイルだった。いわゆる逃げと言われる戦法だ。

 

 大勢とレースをするのは少し煩わしかったけれど、それらを差し置いて独走する感覚は嫌いではなかった。周囲を置き去りにしてレースを終えた後に聞くクラスメイト達の歓声はスズカの全能感を十分に満たしてくれた。

 

 元来他者との競い合いが苦手なスズカだったが、いつの間にかトゥインクルシリーズでの大成を目標としていた。

 

 先頭の景色を独り占めしたい。

 あの静かな世界に浸りたい。

 口にこそ出さなかったが、スズカのレースへの根源的欲求はそこにあった。

 

 そして、本格化を迎えた選抜レースの日。

 圧倒的な走りを見せたスズカはとあるトレーナーの目に止まった。

 

 チームリギルを率いる名指導者で知られる女性のSトレーナーだ。

 

「お前はまだ資質や才能だけで走ってしまっている部分がある」

 

「望むなら、私がみっちり走り方を教え込んでやる」

 

「そうすれば、どんなレースだって先頭を走ることが出来る」

 

 もっと、速く。

 今以上に速くなれば、一体どんな景色を見ることが出来るのだろう。確信に満ち満ちた目に惹かれたスズカはその誘いを二つ返事で承諾した。

 

 この時点でのスズカの模擬レースの戦績は依然として無敗。更なる高みに登るために、スズカは内に秘めた静かな闘志に薪をくべる。

 

 Sトレーナーと今後の打ち合わせをしているとき、ふと近くを歩く男性が目に留まった。

 

 コートを身に纏う痩身の男性だ。

 黒い短髪に憮然とした表情。

 やや暗い雰囲気を纏いながらも、眉目秀麗なその顔立ちは離れていてもはっきりと分かった。

 

(………綺麗な人)

 

 そういえば、今までの人生で男性を意識したことなんて初めてだ。小学生の頃なら男っ気が無いわけではなかったが、それよりも圧倒的に走ることが好きだった。

 

 などと益体のないことを思いつつも、その数秒後は、スズカ頭の中はこれからのレースのことで一杯になっていた。

 

 

 半年が経った。

 

 Sトレーナーは噂以上に敏腕だった。

 運動と肉体に関する豊富な知識は勿論のこと、選手に合わせた緻密な練習スケジュール。マインドコーチングによる怪我の予防。栄養管理士さながらの知識に基づいた食の健康管理。

 

 自分が強くなる実感はあった。

 元々健康面で特に問題のなかったスズカだったが、指導の元で生活を送ることによって身体の調子が劇的に良くなった。無論、フィジカル面も飛躍的な向上が見られた。

 

 無駄なものが削ぎ落とされ、必要なものだけが身についていく感覚があった。

 

 全てが順調に思えた。

 この調子ならどんな相手でも置き去りに出来る。

 

 だが、走りを『逃げ』から『先行』に変えてからというもの、レースの結果は散々だった。

 

 身体が重く、足が回らない。

 大地を蹴ろうとしてもどうしても空回る。

 そういうレースが増えて、必然的に抜かれることも多くなった。

 

 最初のうちは不安ではなかった。

 そもそも戦法とは一朝一夕では身につくものでは無い。

 

 一通り走行理論を勉強した限りでは、逃げは博打の要素が強い。序盤にマークされれば終わりだ。そして、それが出来るだけのウマ娘がトゥインクルシリーズにはゴロゴロいる。

 

 今の戦法ではこの先通用しなくなる時が来る。

 この世界、やはり王道は先行なのだ。

 それ故に、素質の高いスズカならばこの走りを身につければいつか最強になれると、トレーナーの言葉を強く信じていた。

 

 だが負けが重なるうちに心が揺れた。

 誰かに抜かれる度に脚が重くなった。

 派手なデビューを飾った分、期待外れだと、無様だと、心ない嘲笑に晒される機会が増えた。

 

 そんなことが続いて、ふとこう思った。

 

〝サイレンススズカなんて、本当は大したことのないウマ娘だったんじゃないのか〟。

 

〝田舎で独りで走っているのがお似合いだったんじゃないのか〟。

 

 もう随分と長く、あの景色は見ていない。

 

 

 冬の雨の日。

 スズカは独りトレーニングに勤しんでいた。

 Sトレーナーには止められていたが、これ以上負けを重ねると彼女の沽券に関わる。自分のせいで誰かが恥をかくのは嫌だった。

 

 自分を見出してくれたあの人の期待に応えたい。

 またあの景色が見たい。

 自信を取り戻したい。

 その一心で、スズカは知らずにオーバーワークを重ねていた。

 

 そんな時、競技場の隅っこで見覚えのある顔を見つけた。

 

 長身の男性。

 選抜レースの時に見た顔だ。

 自分でも意外なほどあっさりと思い出すことが出来た。どこか謎めいた雰囲気で、それがスズカの関心を引いた。

 

 そして何を考えているのか、男はスズカをただじっと見つめている。

 

 もう、10分以上も。

 

(…落ち着かない)

 

 露骨だ。

 練習中はいつもそんなこと気にならないのに、彼の視線で動揺している自分が解析出来ない。

 

 学園の中にいるということは関係者?

 自分と大きく歳が離れているようには見えない。

 精々が2〜3歳上。

 はだがすごいきれい。

 でも目つきは少し悪い。

 大卒の新規職員?

 だとしたら童顔だ。

 もし、彼が新しいトレーナーとして入るのであれば────。

 

(な、何考えてるの、私…)

 

 走行中に馬鹿なことを考えた自分を戒める。

 怪我でもしたら大事だ。

 案の定タイムは酷いものだった。

 今レースに出れば最下位争いが妥当だろう。

 

 デビュー戦までまだ時間はあるが、一体その時までにどれだけ調子を戻せるか。

 そもそも、戻せるのか。

 自分は一生このまま凡庸に果てるのではないのか。

 

 いっそのこと戦法を完全に元に戻したい。

 だがSトレーナーからはまだその許可は降りていない。

 でも今自分がどこにいるのかが分からない。

 どうすればいい。

 どうすればまたあの時のように走れる。

 

 優秀な指導者の元、最高の環境で訓練を積んでいるのに────。

 

 なぜ、自分だけ。

 

(嫌…)

 

 好きで好きでたまらなかったのに。

 今は走るのがひたすらに辛い。

 

 更に言えば最近では息が切れるのも早い。

 以前はマイル走など何本やっても平気だったというのに。

 

 もうこれ以上やっても体を痛めるだけだ。

 帰ろう。

 クールダウンに移ろうとした、その時。

 

「走り方が合ってないんだ」

 

 ふと、そんな言葉が耳をついた。

 

「え?」

 

 荒い息のまま顔を上げる。

 そして、男と目が合った。

 ゴールを切ったことでいつの間にか彼に接近していたのだ。それこそ、声が聞こえる距離にまで。

 

 男はスズカが意識を向けたことに驚いたのか、能面のまま背を向けて、そのまま早い足取りでその場から去ろうとする。

 

「あの」

 

 ほぼ反射的に声をかける。

 男はピタリと足を止めて、肩越しに振り返った。

 

「今の…どういう意味だったんですか…?」

「悪い。聞かなかったことにしてくれ」

「あ…待っ…」

 

 袖を摘んで引き止めたのは自分でも意外だった。

 だがこの人なら自分の現状を打開するヒントをくれるかもしれない。

 そして今この時を逃せばこの男にはもう二度と会えない。

 そんな直感がスズカを動かしていた。

 

「初めて、会いますよね…?なんで、分かったんですか…?私が今の走り方を苦手にしてるって…」

 

 問題はそこだ。

 学外の人間が一目でスズカの実情を見抜くには何か理由がある。自分でも分からないが、その確信があった。

 

「分からないん、です…。以前は走るのが楽しくて仕方がなかったのに────」

 

 スズカが垂れ流した一方的な不安や悩みを、男はただ黙って聞いていた。いつもならばスズカとてこんな突拍子もない真似はしない。彼女のメンタルはそれほどまでに疲弊していた。

 

 ただひたすらに怖かった。

 まさに藁をも掴む思いの相談だった。

 

 男は数秒間スズカを正面から見据えて、一言。

 

「……………………やはり美人だ」

「え?」

 

 不意にスズカの顔が熱くなる。

 完全に予想外の返答だった。

 今はそういう話の流れではなかったはず。

 この前読んだ恋愛小説の中にあった、「心臓が早鐘を鳴らす」という一文が脳裏をよぎる。

 

(な、なんで?どうして、いきなりそんなことを言うの…?)

 

 本当に、意味が分からない。

 雰囲気から軟派な男性には見えなかったが…。

 今まで会ったどれとも違うタイプの異性を前に、スズカはただひたすらに困惑した。

 

「どうした?」

「え?」

 

 なぜ、そんな台詞をそちらが言うのか。

 だが男は本当に解せないといった顔をしている。

 解せないのはこちらの方だ。

 

「あ、え?あ、いや、なん、でもないです」

 

 どうやら思い違い…いや、確かに言った。

 言った自覚がないということだろうか。

 分からない。

 この人が何を考えているのか分からない。

 

 そんなスズカをお構い無しに、男は唐突に本題に入った。

 

「走りを変えてからどれくらい経ったんだ?」

 

 結論から言うと、スズカの期待は的中していた。

 やはり男は只者でなかったようで、スズカが抱えていた現状を正確に言い当てられた。

 

 今の走り方が合っていないことも。

 自分は逃げが向いていることも。

 それは心のどこかで、スズカ本人が誰かに肯定してもらいたいことでもあった。

 

〝お前は運動強度を持続する時間が長い〟

 

 それどころか、スズカ本人でさえ知り得ない情報まで口にされた。

 自分が逃げや中距離を得意としている理由なんて、正面から向き合ったことはなかった。

 丸裸にされた気分だった。

 

「指導者から才能に頼り過ぎてるとか言われたんじゃないのか」

 

 何故、そんな事まで分かるのか。

 スズカはいつの間にか胸の内に込み上げる熱いものを感じていた。

 

「………は、はい。言われました」

「俺は頼ってもいいと思う」

 

 静かに、だが力強くそう言われてまた鼓動が速くなる。初対面だが、彼に褒められることに嫌悪感はなかった。

 

「下手にセオリーを身につけるより一つのことに集中して磨きをかけた方が良い」

 

 一拍。  

 

「もっと自分を信じろ」

 

 今度は芯から、顔が一層熱を帯びる。

 会ったばかりのスズカに対してこれだけ真剣且つ的確に助言をくれる人はそういない。

 もはや疑いようもなく、彼は掛け値なしに優秀で、心の根の優しい青年だと思った。

 

 ここを逃すということはスズカにとって大きな機会損失になり得る。色々な意味で。

 

 少なくとも名前を聞いて、今後も相談に乗ってくれるように話を通さなければいけない。

 

 だが、その考えはあっさりと打ち砕かれることになった。

 

「俺は内定を辞退する」

 

 その一言で、また目の前が真っ暗になった。

 

「じゃあな。このことは担当さんとか、他の人にはあんまり話すなよ」

 

 それだけ言い残して、男は競技場から姿を消した。

 もう二度と会えない。

 そんな予感を漂わせながら。

 

 

「それで、泣きながら私の部屋を訪ねてきたというわけか」

 

 そう言って、Sトレーナーはスズカの前に熱い湯呑みを差し出した。

 

 あの後、スズカはふらふらとした足取りのまま、考えが纏まらないまま職員室まで訪れてしまった。

 

 怒られる覚悟でオーバーワークのことも含めて自分の不調を全て説明すると、彼女はただ一言「今まですまなかった」とだけ応えて、特に説法を説くことは無かった。

 

「そいつは本当に内定を辞退すると言ったのか?」

 

 そいつ、というのはあの男のことだ。

 どうやらSトレーナーには思い当たるところがあったようで、彼の簡単な外見だけ伝えると、すぐにピンと来たように話が通った。

 

「はい…。事情が変わったと」

 

「そうか…」

 

 いつもは無表情のSトレーナーが、珍しく憂うような面持ちで目線を落とす。

 

「ご存知、なんですか?」

 

「結構な有名人だ。ウマ娘のことが一目見て全て分かるとかいう、超能力じみた力を持ってる。期待の新人だと教員の中でも話題だ」

 

 だとすれば間違いなく彼だ。

 彼がまさに先程やった芸当に相違ない。

 幸運なことに名の知れた人物らしい。

 素性を突き止めたのだからもう一生会えないということはないだろうが、どの道この学園に来ないのであればどうしようもない。

 

「確かにあの男なら、今のお前をどうにか出来るかもしれんな」

 

 Sトレーナーの呟きに、スズカの耳が反射的にピクリと跳ねた。

 

「言いたいことは大体分かった。スズカ、あの男がお前の担当になれるよう私が進言する。内定辞退なんてバ鹿なことも、取り消すように理事長に掛け合って貰おう」

 

「え?」

 

 提案は破格のものだった。

 確かに今、スズカはそういう期待をしていた。

 今後そうなればいいな、と考えを膨らませていたのは事実だ。

 だがそれはあくまで想像の域を出ない。

 何より、彼女の立場はどうなる。

 仮にそういう話の流れになるとしても、スズカ本人が頭を下げて言うべきことだ。

 

「でも、それは…」

「いい。何も言うな。お前が今後どうしたいのかは理解しているつもりだ」

 

 それはつまり、彼女の手の元を離れるということだ。付け加えるならば酷く衝動的な感情で。

 

 今までSトレーナーがスズカに対してかけてくれた時間は決して薄っぺらなものではなかった。むしろチームリギルのメンバーの中で最もスズカを気にかけてくれたと言っても過言ではない。

 

 スズカは人目も憚らず口元を両手で押さえ、静かに涙を流した。

 

「ごめん、なさい…。私、期待に応えられなくて」

 

「むしろ謝るのは私の方だ。慣れないことをさせてお前に無理をさせてしまった。本当にすまない」

 

 Sトレーナーは「だが」と次いで、

 

「これだけは約束してくれ。あいつの元で必ず大成すると。お前ならトリプルティアラも夢じゃない。いずれはシンボリルドルフを超えるほどの逸材だと私は信じている」

 

 トレーナーからの問いかけに、スズカは強く、強く頷いた。

 

 

 そして三日後。

 スズカは何故か理事長室に呼び出されていた。

 話の内容は大方想像出来た。

 スズカ本人と彼が、今後どうなるかの話だろう。

 

「感謝ッ!トレーニングで忙しい中来てもらってすまない」

 

「い、いえ…」

 

 豪奢なエグゼクティブデスクに座すは秋川理事長。

 その横で、駿川秘書が静かに佇んでいる。

 

「それでその、お話とは」

 

「うむ。君の今後のことだ。結論から言うとあの男は君のトレーナーになることが決定した」

 

 表情にこそ出さなかったが、スズカの心臓が一際大きく跳ねた。言葉では表せない多幸感が脳を包む。顔が綻ばないよう、徹底して無表情に努めた。

 

「我儘を聞いていただき、ありがとうございます」

 

 深く、深く腰を折って低頭する。

 理事長は「不要ッ!」とだけ言い放って、

 

「君の調子の件は私も聞き及んでいる!こちらとしても当然の処置だ!」

 

「ですが、あの…」

 

「ん?なんだね?」

 

 だが手放しで喜ぶ訳にもいかない。

 まだ一つの懸念が残っている。

 

「何故あの人は、内定辞退を?」

 

 そもそも、あの男は何故学園を去ろうとしていたのか、と言う疑問だ。そこが明瞭になっていなければ今後スズカにとって大きく不安がつきまとう。

 

 ここをわざわざ出ていく人間は少ない。

 何か大きな理由があるはずだ。

 

「尤もな疑問だな。説明しよう」

 

 理事長は扇子で掌を叩くと、ゆっくりとワーキングチェアから立ち上がり、窓の外の景色を眺めた。

 

「彼が幼少よりトレーナーとして特別な力を持っていたことは知ってるな?」

 

「はい。まるで、超能力みたいでした…」

 

「肯定。まさしくそうだ。あれは外界からの刺激を本人固有の特異な知覚に変換して捉える。神経学の分野でしばしば共感覚(シナスタジア)と呼ばれているものだ。真似しようとして出来る芸当ではない」

 

 聞いたこともない話だった。

 技術というよりは能力という表現が最も的を射ている。

 

「更に15歳でアメリカのトレーナー専門学校に留学して飛び級で院まで卒業している。観察眼を抜きにしても経験も知識も全てが一流。まさにウマ娘を育てるためだけに生まれてきたような男なのだ」

 

 スズカは今更になってとんでもない人物に接触していたことを自覚する。しばしばフィクションに出て来る雑な設定の天才みたいな経歴だ。

 

「彼が我が学園に就職してくれれば正に鬼に金棒。彼なら日本のウマ娘の競技レベルすら引き上げるだろう。────だがサイレンススズカ。困ったことに彼は理想が高過ぎたのだ」

 

 それまでの語り口調とは一転して、理事長は声のトーンを一つ落とした。

 

「どういう、ことですか…?」

 

「簡潔に話すと、だ。彼は失望してしまったのだ。この国のウマ娘のレベルの低さを。この学園に自分の目に叶うウマ娘がいないという事実に…。

 其故ッ!彼は黙してこの学園を去ろうとしていた!英国か、米国か。恐らくは海外での就職を考えていたのだろう」

 

「そんな…。この学園の生徒で、レベルが低いだなんて…」

 

 ともすれば一体彼はどんな怪物を育てるつもりだったのか。遥か昔、かの大陸で泰平を築き伝説に名を残したウマ娘「絶影」に並ぶ珠玉の才か。

 

 未熟な自分如き及びもつかないスケールの話だった。

 

「左様ッ!彼が掲げる目標はそれほどに高いのだ!悔しいが…我が学園の実力者でさえも彼の理想には一歩届かなかった…」

 

 理事長はそこで「しかーし!」と語調を高めて、扇子をスズカに向けて差し向けた。

 

「唯一ッ!サイレンススズカ!ただ一人君を除いて!」

 

「え?」

 

「つまるところ彼は君の才能に惚れたのだ!あの日君に会って考えを改めたのだ!君だけが!手ずから指導を行うに足るウマ娘だと、そう判断したのだ!」

 

 鼓動の高鳴りが止まらない。

 言葉に表せない興奮が、スズカを沸き立たせた。

 

「あの人が私を、そんな風に…?」

 

「肯定ッ!100年に一人の逸材だと言っていた!」

 

 そして理事長は駿川たづなに視線を移して、

 

「なあたづな?」

 

「えッッ!?!?」

 

 たづなが信じられないようなものを見る目で理事長を凝視する。だがそんな些細なことに、今のスズカが気付くはずもなかった。

 

「あ、はい!!はい!!彼はずいぶんとスズカさんをお気に召しているご様子です!!」

 

「そ、そんな…。私なんて…」

 

 頬に両手を当てると風邪の時のように熱かった。身を小さく捩らせ、うっとりと頬を朱に染めて俯く彼女は完全に恋慕を抱く者の様相を呈していた。

 

「当然彼はこの話を────」

 

 パァンッ、と。

 理事長が扇子を一気に開く。

 

「快諾ッ!快く引き受けてくれるそうだ!今から君と一緒にトレーニングを行うのが楽しみで仕方ないと言っていた!たづなからの情報だ間違いない!」

 

「ちょ、理事────」

 

「そこまで、私のことを…」

 

「安堵!何も心配することはないサイレンススズカ!君はただあの男の元でトレーニングを積むことだけを考えていればいい!そして今こそ殻を破り、最強のウマ娘を目指すのだぁああッ!!」

 

 そこから先は何を話したのかよく覚えていない。

 また彼に会えるという事実を前に、スズカは理事長の問いに対して生返事を繰り返し、最後には夢見心地といった様子で部屋を後にした。

 

 そして当然────。

 

「り、り、り、理事長!いいんですかあんなこと言って!?」

 

「他に何と言えばいいのだ!」

 

「話を膨らませすぎですよ〜!」

 

「しょうがないだろ思い付かなかったんだから!!」

 

「あとで大事になっても、私知りませんからねっ!」

 

 スズカが理事長室を退出したあと、二人の間でそんな会話が繰り広げられていたことなど、本人は知るよしもなかった。

 

 

 そして、四月。

 

 スズカは彼と再会を果たした。

 

 彼の教え子に恥じぬウマ娘になれるように、この数ヶ月ひたすらに鍛錬を積み重ねて。

 

 もう途中で何があろうと迷わない。

 

 彼なら絶対連れて行ってくれる。

 彼なら望んだ世界を見せてくれる。

 

「これから宜しくお願いします、トレーナーさん」

「こちらこそ、宜しく頼む」

 

 だからサイレンススズカは走るのだ。

 

 もう一度────。

 そして今度は彼と一緒に。

 あの景色を見るために。




次回、大人を舐めるなよクソガキ編に続く。

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