俺だけにウマ娘のステータス画面が見えている   作:酒池肉林太郎

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ゴールドシップ①

これはルドルフと喫茶店で会話をした以前の話。

生徒の一人に勉強を教えていた時に、それは起こった。

 

 

 

「トレーナーさん、ってさぁ」

 

問題集に視線を向けたまま、ナイスネイチャが図書室の静謐を乱さないように囁いた。

 

「見ただけで選手の能力が分かるって本当なの?」

 

「なんだ突然」

 

「いや、本当だったら凄いなー、って思って」

 

口を動かしながら、彼女は淀みのない速度で回答欄にアルファベットを書き綴る。

 

どこまで話すべきか。

何回か接した感じ、彼女はみだりに人の秘密をバラすようなウマ娘ではない。そもそも俺が出来ることに関しては皆それなりに知ってるようだし、元々周囲が認知している程度の情報なら話してもいいだろう。

 

「全部が全部じゃないが、ある程度のことは分かる」

 

「ふうん。じゃあさ、あそこにいる生徒のも分かったりするの?」

 

ナイスネイチャがシャープペンシルでさり気なく指し示す先には、ちょうど読書中のウマ娘の姿があった。

 

「あいつは長距離で先行が得意だ」

 

「じゃあ、あの人は?」

 

「中距離の差し」

 

「んじゃ、あの『バクシンバクシン』叫んで図書委員に怒られてるデコの人は?」

 

「あいつは短距離の先行。逃げも得意だ」

 

言われるがままに答える。

あのデコは恐らく図書室にいる中で1番速い。

名前は確かサクラバクシンオーだったか。

 

ナイスネイチャは興味があるのか無いのか、「ふーん」とだけ呟いて、薄桃色の唇にペンシルのノックを当てた。

 

「そんなに分かるんだったら、スリーサイズとかも視えたりするの?」

 

「お前…」

 

「そ、そんなにムッとしないでよトレーナーさん。ほら、スマイル、スマ〜イル?せっかくのイケメンが台無しですよ〜?」

 

軽口を叩いて、指で口端を持ち上げて笑顔を象るナイスネイチャ。筋肉と骨格を調べるついでにその辺の情報もやろうと思えば割り出せるのであながち間違いではない。

 

尤もこれは誰にも言うつもりはない。

一回この事実をうっかりばらしたせいで死ぬほどいじられた経験がある。あの時のタキオンは本当にパワーボムで黙らせようかと思うほどに調子に乗っていた。

 

「…基本的に直接視ればどんな感じで走れるかは大体分かるし、直接見なくてもレースの映像を何回か観れば知りたい情報はほぼ割り出せる」

 

「エスパーじゃん」

 

「あくまで推察してるだけだ」

 

尤も後者に関しては俺じゃなくても出来るはずだ。

強いて言えば強過ぎる選手に会って、そいつが未だ見たこともないほど高い能力値を有していた場合、若干視え方に揺らぎは生じるが、それも誤差の範囲だ。

 

「ちなみにナイスネイチャの得意不得意と能力は────」

 

「あ、いい。アタシのは視なくていいから」

 

ナイスネイチャが途端に真顔になって拒否する。

何故かは知らんが、こいつは自分のレースの話になったりするのをあからさまに嫌がる。もしかして走ることが嫌いなのだろうか。とにかく踏み込んではいけない領域のようなものが見え隠れするウマ娘だ。

 

「そ、それよりほら、アタシあの先輩が気になるな〜。ほら、見える?あの銀髪の人」

 

ナイスネイチャは誤魔化すようにそう言って、俺達から離れた位置にいるウマ娘をそっと指差した。

 

そこには銀の長髪をしたスタイルの良い美人のウマ娘がいた。体格が良く、座っていても女にしては比較的長身なことが伺える。着席の姿勢は美しく、ピンと背筋が伸びている。広げているのは新聞だろうか、一見した限りでは独特の気品ある空気を漂わせる大人っぽいウマ娘だ。

 

「ゴールドシップ先輩って言ってさ。あんまり大きな声じゃ言えないけど、奇行で有名なんだ」

 

「ああ、あいつが…」

 

俺も名前だけは知っていた。

長距離の追い込みが強い珍しいタイプのウマ娘だ。激戦区であるURAのG1で何度か勝利を挙げる彼女の名はアメリカにいた頃でも耳にしたことがある。

 

変人呼ばわりされていたことまでは初耳だが、こうして生で見るのは初めてだ。

 

「まあ、強いウマ娘は癖がある奴も多いからな」

 

「いや、あの人はそういう可愛いレベルじゃないよ」

 

少し恐ろしげにそう言うナイスネイチャはともかくとして、そういえばゴールドシップの情報は戦績でしか把握しておらず、レースは映像でも見たことがない。

 

いい機会だから情報収集も含めて一度視ておくとしよう。スズカと当たる可能性だって大いにあり得る。

 

俺はゴールドシップに向けて目を凝らした。

いつもやっているように、視覚に意識を集中させる。

次の瞬間、耐え難い激痛が俺の頭を走った。

 

 

 

【履歴書】

 

氏名   ゴールドシップ

生年月日 20XX年3月6日

現住所  東京都府中市日吉町X-X-X

     日本ウマ娘トレーニングセンター学園

     栗東寮 XXX号室

電話番号 080-XXXX-XXXX

 

【学歴・履歴】

平成2X年4月 日本ウマ娘

       トレーニングセンター学園 入学 

平成2X年5月 チームリギル 加入

平成2X年7月 宇宙へ

平成3X年2月 理事長室で打ち上げ(焼肉)

平成3X年3月 日本ウマ娘

       トレーニングセンター学園 停学

令和X年4月  日本ウマ娘

       トレーニングセンター学園 停学明け

令和X年5月  理事長室で打ち上げ(焼肉)

 

【資格・免許】

普通自動車免許

危険物取扱者乙種第4類 公認会計士

TOEIC Listening &Reading Test 7兆点取得

 

好きなもの 他人の金で食う焼肉

 

趣味 魔封波

特技 魔封波返し

 

【志望動機】

私は幼少の頃よりボランティアに興味があり、今まで数多くの奉仕活動に参加して来ました。学生時代に貴社がかねてより推進しているCSR(環境保護)活動の存在を知ると同時に激しく感銘を受け、「私も社会貢献を通して世界の環境保全の一助となりたい」という気持ちが芽生え、今回貴社の新入社員として就職を希望した次第であります。学生時代に私が専攻していた分野の観点から鑑みましても貴社の商品開発に対して利益を齎す可能性がある人材になり得ると(〜中略〜)

平伏せゴミ共。

 

 

 

 

「………………」

 

「────ナーさん」

 

「………………」

 

「──レーナーさん…?」

 

「………………」

 

「────さん。トレーナーさん!」

 

ナイスネイチャの声で我に返る。

視界の端で火花が弾けていた。

今、確実に5秒くらい意識が飛んでいた。

 

「トレーナーさん。なんか今放心してたけど、大丈夫?」

 

「あ、ああ…」

 

ゆっくりと頷く。

ナイスネイチャの言葉を肯定する反面、頭痛の残滓がまだうっすらと側頭部あたりを撫ぜていた。

 

「それで、どうだったの?」

 

「え?」

 

「いやほら、トレーナーさんから視たゴルシ先輩の選手としての実力」

 

…ああ、そうか。

そういう話だった。

俺は今あいつの能力値を外見的情報から算出し正確に割り出…いや何かおかしい。

今変なもの見えた気がする。

なんかこう、A4用紙みたいなのが視界一杯に広がった記憶がある。それに何が書いてあったかすら曖昧だ。

 

とにかくナイスネイチャの質問に答えなければいけない。トレーナーとしての情けない姿は見せられない。

 

「そ、そうだな…」

 

「うんうん」

 

「あいつは長距離で追い込みが得意だ。実力は完全に上位レベルだろう。最前線で活躍してるだけはある」

 

「お、本当に分かっちゃうんだ。すごーい」

 

「まあ、これぐらい造作もない」

 

「く〜一回言ってみたいなぁ、そんな台詞」

 

有名選手の分析としては薄っぺらな情報だが取り敢えず間違ったことは言っていない。確かそういう選手だったはずだ。

 

「あのーすいません」

 

不意に真後ろから声がかかる。

そこにいたのは二人組の生徒で、その片方が周りに迷惑をかけないよう、小さな声で続けた。

 

「スズカ先輩のトレーナーさんですよね?よかったら私達にも勉強、教えてくれませんか?」

 

手に持っていたのは数学の教科書だった。

 

「ああ。構わな────」

 

「ちょ、ちょっとトレーナーさん!」

 

頷こうとした瞬間、ナイスネイチャが俺の二の腕を何度か叩いた。先ほどまでとは打って変わって不満気な表情だ。

 

「今アタシ!アタシが教えて貰ってるから!ほ、ほらここの文法分からないから教えて!ね、早く!昼休み終わっちゃうから!」

 

確かに先約のナイスネイチャを放置して他の生徒に構うのは失礼な話だ。

 

申し訳ないが女生徒二人は断りを入れ、その後は付きっきりでナイスネイチャに勉強を教えて昼休みは終了となった。

 

ゴールドシップはいつの間にか図書室から姿を消していて、結局彼女が何者か分からないままその日は終わりを迎えた。

 

その夜俺は薬を飲んで早めに寝た。

 

 

翌日。

俺はサイレンススズカとのトレーニングの一環で府中の公園に訪れていた。

 

今日のトレーニングは公園のランニングコースを20周、ダッシュとジョギングを交互に繰り返すインターバル走を行ってタイムを計る。

その後軽食を摂って筋トレ。

最後にフォームチェックをして締めを予定している。

 

練習を開始したサイレンススズカを見送り、空いた時間で今後の筋トレメニューをブラッシュする作業に入る。

 

一度作った身体は簡単には変えられない。スズカの状況に合わせて細かく修正していく必要がある。失敗は許されない作業だ。これだけは何度やってもやりすぎということはない。

 

と、そんなとき。

公園の端っこで、この前見かけたゴールドシップの姿を見かけた。

 

「…………っ」

 

無意識のうちに小さく唸る自分がいた。

別に面識がある訳でもないのに、この前の記憶が蘇ったせいで凄まじく居心地が悪くなった。

 

いや、いかん。

平常心だ。

 

今日は黒髪の背の低い少女と二人でいる。

あの外見、小さい方は恐らくライスシャワーか。

二人ともジャージ姿で、彼女達も練習目的で公園に来ているようだ。

 

「おっしゃライスゥ!今日も気合入れてトレーニングすっぞ!」

 

「う、うん!」

 

「今日のメニューは肺活量の強化だ!アタシらはスタミナが重要だかんな!」

 

昨日の物静かな印象とは対照的に、ライスシャワーに向けて言い放つゴールドシップ。今のやり取りだけで彼女の性格が姉御肌というのが何となく分かった。

 

しかし、肺活量のトレーニングか。

この前のあれは………いや、あれは気の所為だとして、あのレベルの選手がどんなトレーニングをやるのか少し興味がある。

 

尤も、持久力を付けるなら有酸素運動だ。

やれることは限られて来るだろうが、妙に興味を惹かれるのは何故だ。

 

「今日はこいつを使って練習を行う!しっかりついて来いよライスゥ!!」

 

そう言ってゴールドシップがバッグから取り出したのは、白く長い管のようなものと、スイカサイズの金属球だった。

 

見たことない練習器具だ。

一体何をする気だ?

 

「このボウリング球の中に息ふーってして空気圧だけで破壊してもらう!分かったかオラァ!!」

 

いや無理だろ。

 

「出来るまで今日は帰れねえからなライスゥ!」

 

じゃあ今日は帰れないだろ。

 

「百聞は一見にしかずだ!アタシが実践してやるからそこで見てな!」

 

ゴールドシップは気勢良く言い切って、白いチューブをボウリングのフィンガーホールに差し込み、静かに「ふーっ」と息を流し込む。

 

次の瞬間、ボウリング球が音を立てて真っ二つに砕け割れた。

 

「え、えぇ…!?」

 

ライスシャワーが戦慄した顔で当惑の声を漏らす。

本当に割りやがった。

いやそうはならないだろ。

なんなんだあいつは。

何をすればああなるんだ。

ウマ娘の可能不可能の領域を普通に超えているだろ。

 

「はい、次お前な」

 

「む、無理だよぉ…!意味分かんないよぉ…!」

 

言う通り俺も意味が分からない。

どうやらライスシャワーの方はまともな神経をしているようだ。

 

「バカヤロー!この程度出来ねえとブルボンには勝てねえぞ!お前ルマンドになるんじゃなかったかよ!?」

 

「そ、そんなこと言ってないよぉ…!そもそもゴールドシップさんはなんでこんなことが出来るの…!?」

 

「毎朝炊き立てのご飯にヨーグルトかけて食べてるのがよかったのかもな」

 

仮に真実だとしても死ぬほど食い合わせ悪いだろそれ。

 

「仕方ねえなあライス。んじゃちっとハードル下げてやるよ」

 

「だ、だったらライス、普通のトレーニングがいいなあ」

 

「あはははは!なーに不安そうな顔してんだよライス。安心しろって」

 

ゴールドシップは朗らかな笑顔から一転して真顔でこう言った。

 

「お前は今から熊と戦ってもらう」

 

どういうことだよ。

 

「い、嫌ぁ…!ライス熊さんとは戦えないよぉ…!そ、そもそも、こんなことしてたらまたお姉様とマックイーンさんに怒られちゃうよぉ…!」

 

「ライス。辛いかもしれねえが、強くなるには時には…………ん?」

 

と、その時。

それまで饒舌だったゴールドシップが何かに気付いたようにはたと口を止めた。

 

「おいテメェ!何見てんだコラァ!」

 

気付かれた。

そんなに露骨に見ているわけでもなかったのに。

逃げ…いや。俺が逃げる理由はない。

俺はここでスズカを待つ必要がある。

別に後ろめたい気持ちがある訳でもない。

 

ただ俺は他の生徒の練習を少し眺めていただけ────いや何だあいつ小刻みにピョンピョン跳ねながらこちらに近づいて来やがる。挙動が意味不明だ。

 

「ゴルシちゃんのスナップをニューヨークタイムズに売りつけようたってそうは行かねえぞォオオオオオオオ!!」

 

「ご、ゴールドシップさんよく見て!この人はトレセン学園のトレーナーさんだよ!」

 

「ああ!?何言ってんだよライスゥ!こんな若ェ兄ちゃんが天下の中央のトレーナーなわけ…」

 

顔がよく見える位置まで近づいた途端、それまで憤っていたゴールドシップの表情が唐突に能面のそれへと変貌した。

 

「…お前、この前図書室でアタシのことジロジロ見てた奴か」

 

気付いていたのか。

今俺の視線を悟ったこともそうだが、見掛けによらず相当に鋭い。

 

「なんだ?スカウトか?アタシとライスはもうボスと甲子園行く約束したから引き抜こうたって無駄だぞ」

 

「いや、そういうつもりは無い」

 

「じゃあ何だ?やっぱニューヨークタイムズか?」

 

「取り敢えず落ち着け」

 

正直落ち着いていないのは俺の方だったが生徒の手前気丈に振る舞わなければいけない。たとえそれがどんな得体の知れない生物であってもだ。

 

「二人がどんな練習をしてたのか少し興味があっただけだ。他意はない」

 

「ふーん。じゃあさ」

 

ゴールドシップは広場に停車していた一台のキッチンカーを指差して、

 

「たい焼き奢ってくれよ」

 

なんでだよ。

そういう話の流れじゃなかっただろ。

 

「ご、ゴールドシップさん、駄目だよ。他のトレーナーさんに迷惑かけちゃいけないって、この前お姉様に言われたばかりだよ…!」

 

言いながら、ゴールドシップの腰あたりを揺するライスシャワー。だがその迫力は心許ないものだった。

 

「でもゴルシちゃん今猛烈に甘い粉物食べたいんだよ。な?いいだろ兄ちゃん」

 

「俺は今担当のウマ娘と練習中だ。悪いがまた今度に────」

 

「奢って!たい焼き奢って!奢って奢って!ねえ奢って!たい焼き奢ってよぉお"お"お"お"お"お"っ!」

 

「わ、分かった。奢るからあまり騒ぐな。他の人の迷惑になる」

 

 

食い物を与えてやるとゴールドシップは意外なほど大人しくなった。

 

「お婆ちゃんの味とおんなじじゃねえか」

 

無表情でゴールドシップが口にするそれはたい焼きではなく回転焼きだった。購入する際に「やっぱこっちがいい」と促されて注文を切り替えたのだ。

 

無論俺の分はない。スズカが練習中の手前、俺だけ何かを食べるなんてあり得ない話だ。

 

「ご、ごめんなさいトレーナーさん。ライスの分までおやき買って貰って…」

 

「いや、気にするな」

 

ゴールドシップと違ってライスシャワーの方はまともそうでまだ好感が持てる。確かこいつは模擬戦での成績も良かったはずだ。少しおどおどした態度が目につくが、モラルも実力も高い優等生と見ていいかも知れない。

 

「つーか、ライス。お前今妙なこと口走らなかったか?」

 

「え?」

 

「おやきとかなんとか」

 

ゴールドシップの疑問は心底どうでもいいものだったが、俺も若干引っかかっていたことではあった。

 

「あ、うん。これね、ライスの住んでた街では、おやきって名前で売られてたんだ」

 

ふーん、と興味が無さそうに食い続けるゴールドシップ。

 

「トレーナーさんのところでは、なんて呼ばれていたの?」

 

「え?」

 

急に話題を振られたので少し面を食らった。

もしかして気を遣ってくれているのだろうか。

 

「俺の地元だと確か今川焼きだったような気がする」

 

「あ、ライス知ってるよ。これの元々の名前は、今川焼きなんだって」

 

「そうなのか。詳しいな」

 

「え、えへへ…」

 

というか地元で決まった呼び方があったのかすら曖昧だ。子供の頃あいつの家でおやつとして出て来た記憶もない。地域で色々と呼び方に違いがあるのは有名な話なので知識として知ってはいるが。

 

「ゴールドシップさんの街では、なんて呼ばれていたの?」

 

「ん?アタシんとこ?」

 

ゴールドシップはごくんと飲み込んで続けた。

 

「モソソクルッペだったよ」

 

どこ出身なんだよお前は。

 

「つーかこれダイエット中のマックイーンの前で食ったら17倍くらい美味いんじゃねえのか?ちょっとライスで検証してみるか」

 

「な、なんでわざわざライスにさせようとするの…!?そんな酷いこと、ライス出来ないよぉ…!」

 

「そっかー。残念だなー。しかしたまに食うとうめえよな、カウカウプリウェンペ」

 

お前さっきそれのことモソソクルッペって言ってただろ。

 

 

「そっかー。兄ちゃん、スズカのトレーナーなのか」

 

食後。

ゴールドシップと軽い雑談をしながら、俺はスズカの帰りを待ち侘びていた。

 

「スズカは中距離だとクソ速えだろ?2200mぐらいまでは絶対垂れねえんだよあいつ」

 

結構鋭い意見だ。

確かにサイレンススズカは最高速度を維持したまま減速しないのが特徴の選手だ。それだけでも十分強いが最後の直線だと更に加速する。後列に影すら踏ませず、レースを駆け引きにすら発展させずに終わらせる様はまさに圧巻と言っていい。

 

「よく知ってるな」

 

「だってあいつも元リギルだし。なー?ライス」

 

「ら、ライスが入った頃には、スズカさんもう居なかったから…」

 

「廊下に立ってろ」

 

「な、なんで…!?」

 

…しかし、サイレンススズカの奴遅いな。

もう何周かしてもおかしくない時間だが…。

トラブルでもあったのだろうか。

様子を見に行くべきか。

 

「それはそうとよ、スズカってどんな練習やってんだ?」

 

「ん?」

 

「アタシらのも見学してたんだしちょっとぐらい教えてくれよー」

 

…まあ見られて困るようなものでもない。

大人しくサイレンススズカの練習メニューが記入されているページを開き、手帳を差し出す。

 

「あんまり人には喋るなよ」

 

「わぁーってるって」

 

ゴールドシップはライスシャワーに見えるように屈み、パラパラと素早くページをめくって「ほうほう」と仰々しくひとりでに頷いた。

 

「わ、綺麗な字だね、ゴールドシップさん」

 

「このメニュー、なるほどな。要はⅠ型筋繊維とⅡ型筋繊維を偏りなくバランス良く鍛えるってことか。はっ、バカボンのパパでも分かるぜ」

 

正解だ。

少し驚いた。

熟読すればその辺のトレーナーでも意図は分かるだろうが、今の斜め読みみたいなやり方で理解したというのだろうか。言ってることはちょくちょく意味不明だが会話の節々から知性を感じる女だ。

 

「詳しいんだな」

 

「ああ。ためしてガッテンで同じこと言ってた」

 

「そ、そうか」

 

まあ大事なのは知識の出所ではなくその真偽だ。

的を射た意見なのは間違いない。

 

「おやおや、面白いことをやっていますねぇ」

 

と、その時だった。

見知らぬ中年男性が突如としてゴールドシップの背後から現れ、彼女が手に持つ俺の手帳を覗き込むように首を傾けた。

 

「この練習メニュー、一見無茶をやってるように見えるぐらいハードですが、よく考えられている。サイレンススズカさんの身体には合っていますよ」

 

「ほう、分かるのか?」とゴールドシップが感心したように応える。知己の仲だろうか。

 

「このメニュー配分だと、次の目標レースはマイル走と言ったところでしょうか。いや、見据えているのはその先ですかな?」

 

「おいおいそんなことまで読み切るなんて、流石だぜとっつぁん」

 

「いえいえ、それほどでも。では引き続き練習頑張って下さいね」

 

「おうよ!」

 

ゴールドシップと短いやり取りを交わして、見知らぬ中年はすぐに去って行った。

 

「今のがお前のトレーナーさんか?」

 

「いや。誰だあいつ?」

 

知らない人かよ。

勝手に変なおっさんを召喚するのはやめろ。

 

「つうか今のおっさん見たかよ兄ちゃん?シャツにハンガーの跡めちゃくちゃくっきり付いてたぜ!?」

 

ゴールドシップは堪えきれないと言った様子で腹を抱えながら笑った。

 

「ファモスファモス」

 

なんだその笑い方は。

もっと普通に笑え。

 

「あー笑った笑った…。っておい見ろよライス。あの犬可愛くねえか?」

 

「え?どこ?」

 

「ほら、あの犬」

 

あれはどう見ても猫だろ。

 

 

「────んでよ。気付いたら全員レッドカードで退場になってたんだ。おもしれえだろ?」

 

駄目だ。

さっきから10分くらい話を聞き続けているが1ミリも理解出来ん。ライスシャワーはこいつと親しいようだが頭がおかしくならないんだろうか。

 

頼むサイレンススズカ早く帰って来てくれ。

いくらなんでも遅すぎる。

ライスシャワーには悪いが1秒でも早くこの空間から消え去りたい。

 

「こんなところにいたのか、ゴールドシップ」

 

聞き覚えのある声が背後から木霊する。

振り向くと、そこにはSさんがジャージ姿でこちらに歩み寄って来ている。その手には竹刀が握られていた。

 

「お、お姉様…」

 

ライスシャワーが慄く。

チームリギルがどうとか言っていたが、そうか。

この二人はSさんの教え子か。

 

「お、ボスゥー!」

 

「練習を抜け出すのはまだ許せるが、ライスまで巻き込むのは感心せんな」

 

「なーに硬いこと言ってんだよボス!今からサッカーやるからボスも一緒にや────ヴァッ!!?」

 

一瞬。

一瞬だった。

Sさんの身体がブレたか思うとゴールドシップの身体が僅かに浮き上がり、そのまますとんと地面に倒れ伏してしまった。

 

Sさんはボディブローを放ったかのような体勢のまま静止している。一撃で沈めたのだろうか。怖い。

 

「うちの生徒が迷惑をかけたな、後輩。ライス、帰るぞ」

 

「は、はいお姉様!」

 

Sさんはピクリとも動かなくなったゴールドシップを担ぎ、そのまま踵を返して公園の出口へと向かった。

 

先輩はやはり只者ではない。

あの人から学ぶことはまだまだ多そうだ。

 

そして同時に、あの時ゴールドシップの能力値が見えなかったことを今はっきりと思い出した。

 

試しにもう一度視てみるか。

しかしあの時の痛みは半端ではなかった。

あのレベルの頭痛は本気でレースの予想をした時にしか来ないものだ。つまりそれだけあいつの走行能力が難解だという証左に他ならない。

 

だが俺にもトレーナーとしてのプライドがある。

見えませんでした、で終わる訳にはいかない。

ここは俺にとって譲れない領分だ。

 

目を凝らす。

 

 

 

 

【履歴書】

 

氏名   ゴールドシップ

生年月日 不明

現住所  不明

電話番号 不明

 

【学歴・履歴】

不明

某日 凱旋門賞 出場

 

【資格・免許】 

不明

 

好きなもの 不明

 

趣味 不明

特技 不明

 

【志望動機】

当時は若く、お金が必要でした。

 

 

駄目だ、やはり見えん。

この前のあれは見間違いであって欲しかったがさっぱり分からん。そもそも身体能力を視ようとして履歴書が出て来る理由が意味不明だ。

しかもこの前より視える情報が少なくなっている。

なんなんだあいつは。

本当にウマ娘なのか。

先輩、あいつの指導してて精神病まないか心配なレベルだ。

 

………仕方ない。

少し体調を崩すが本気を出すか。

鼻の穴を隠すように口元を手で覆い、歯を食い縛る。

 

頭の中にあるスイッチを切り替え、視界を自発的に白に染める。その過程で、脳に直接鉄棒を突き刺したかのような感覚が俺の神経に走った。

 

 

 

【ゴールドシップ】

 

【調子】

不明

【体力】

6450/100

【ステータス】

スピード:B+

スタミナ:S

パワー :3S

根性  :A

賢さ  :S

【バ場適性】

不明

【距離適性】

不明

【脚質適性】

不明

 

 

「────っ…」

 

小さな嘔吐感を飲み込む。

 

全てではないが、辛うじて走行能力だけは視えた。

G1五勝は伊達ではないということか。

こいつを倒すのはサイレンススズカでも骨が折れそうだ。

 

「トレーナーさん!」

 

背後からの声に振り向く。

そこには小走りで申し訳なさそうに近づいて来るサイレンススズカの姿があった。

 

「どこに行ってたんだ」

 

「す、すみません。道に迷っていたお年寄りがいて…」

 

「そうか」

 

なら何も言うまい。

サイレンススズカに限ってそんな嘘を言うこともないだろう。

 

「間がかなり空いてしまったので、インターバル走は最初からやり直し────…と、トレーナーさん?血が出ていますよ?」

 

サイレンススズカに言われて、俺もまた鼻から出血していることに気付いた。

 

能力をフルに使うといつもこうだ。

正確な理屈は分からないが頭が負荷に耐え切れずに鼻血が出ることが稀にある。ティッシュを持ち歩いていて正解だった。

 

「すぐに止まる。気にするな」

 

「で、でも…」

 

「本当に大丈夫だ。心配しなくていい」

 

軽く血を拭き取る。

その時、目の端にランニングコースを走るトウカイテイオーの姿が映った。

 

あいつもここに練習しに来ていたのか。

 

ふと、トウカイテイオーと目が合う。

こちらから小さく手を挙げると、彼女はほんの少しだけ微笑んで、その後何事もなかったかのように走り去ってしまった。

 

この前とは違って若干冷たい反応だ。

てっきり笑顔で手を振り返してくれるものだと思っていたが…。

 

「トレーナーさん、テイオーともお知り合いなんですか?」

 

「ん?あ、ああ…。たまに話す程度だが…」

 

「へえ…そうなんですか。顔が広いんですね」

 

しかし今の表情、テイオーにしてはやや暗い雰囲気だったような気がする。

練習中はいつもあの顔なのだろうか。

それだけ真剣にトレーニングに打ち込んでいるということか。

 

「…俺達も練習再開するか」

 

「はい」

 

結局この後、公園内でトウカイテイオーの姿を見ることはなかった。

 

余談だがこの日俺は38度くらい熱が出た。


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