ハルウララ奮闘記 ~有馬記念を勝ち抜くまで~ 作:新人トレーナー
「…………っ」
「……ねぇ、やっぱりやめようよ」
甘く見ていた。いくら蹄鉄が高いとはいえここまでとは思ってなかった。
ウマ娘の競争がビジネスとなり、関連するもの全てが経済的に価値のあるものとなった現在。当然靴や蹄鉄も含まれるため、原価だけを見ればぼったくりと言わざるを得ない価格まで跳ね上がっている。どこで買おうと同じで、今いる日本一のウマ娘ショッピングモールも例外ではない。
それでも大丈夫だろうと。僕だってもう社会人だぞと。先立ってある程度親から費用は貰ってるんだぞと。思っていたのだが。
20cm用の蹄鉄はショップにはない。オーダーメイドの注文になるが、生産量の少ないダート・芝共用で、数年使えるように最高級の合金工具鋼製を選んで見積もりを出してもらった。
100万円。嘘だろ。安めの車が買えるぞ。
確かに通帳には100万と少しある。だがこれからウララのトレーニングにどれだけ金がかかるかわからない。担当を持ってからの出費はほぼ全てトレーナー持ちだ。食事のメニューを考えるかもしれない、トレーニング中の水、おやつ、遠征費、寮の家賃、挙げだしたらキリがない。
親にだって無理を言って限界まで出資してもらってこれだけだ。いや、『これだけ』で済まされる金額ではないのはわかってる。
「……もう少し安くなりませんか」
「芝用なら流通量も多いので一気に半額ほどになるのですが、お客様の挙げられた条件だとどうしてもこれぐらいになりますね」
もう苦虫を嚙み潰したような顔しかできない。グレードを落とすのも手だが、交換する度にたとえ同じ蹄鉄でも使い慣れたものと新品ではどうしても違和感が出る。それは極力与えたくない。過去にそれで何人ものウマ娘が涙を流したと聞いた。
新人が背伸びするところではないのかもしれない。しかし蹄鉄は絶対に必要だ。それに見栄を張った手前『お金がありませんでした』なんてみっともなさすぎる。
使うしかない。親には持つことを断固拒否されていた魔法のカードを。
「……カードで。36回払いでお願いします」
「かしこまりました。登録をしますので少々お待ちください」
店員が僕のクレジットカードを持って歩いていく。学園に来るのに合わせて作ったカードがこんなに出番が早いとは。金利合わせて毎月いくら払うんだこれ。消費税込みで3万は確実に飛ぶだろう。
トレーナーは意外と薄給だ。無論担当が重賞レースで勝ちまくれば豪遊だってできるが、初めの内なんて普通の企業の普通の大卒と変わらない。むしろ担当が活躍できなければ給料据え置き、ボーナスカット、降給だって当たり前にある業界だ。なんとしてもウララを育て上げなくては。
「カードってなに?」
「そうだなぁ……選ばれた大人にしか使えない、いくらでも買い物ができる魔法のカードだよ」
「すっごーい! ……でも、わたしにそんなにお金使ってもいいの?」
まぁ、言われてみればそうである。新人一年目、初めての担当、能力未知数。リスクが高いと言わざるを得ないのは間違いない。だが何というか……
「ウララにならいいかなって」
「……!」
結局はこれになる。値段とウララ、何度視線を行ったり来たりしたか。でもその度に昨日の一人で走りこんでいたウララの姿が脳裏によぎる。レースで必死に頑張る姿が、負けても笑顔で話しかける姿が、泣きながら悩んでいた姿が。
この娘なら。父親みたいなことを思ってしまう。
「――よーし、がんばるぞー!」
「ウララ、静かに」
「あっ……」
ウララの元気すぎる声で店内中の視線が集まる。幸いすぐに元の空気に戻るが、隣にいた僕の心臓にはとても悪かった。勘弁してくれ、注目されることには慣れてないんだ。
勢いのまま立ち上がって座りなおしたウララは少しバツが悪そうな顔をしている。そんな頭を軽く撫でて話しかける。
「期待してるよ」
心からの言葉だ。スタミナはないがスパートは光るものがある。どれだけ足りないところを無くせるか。ある意味僕自身に対して言ったのかもしれない。
ウララの耳が真横に垂れる。多くのウマ娘が安心している時の動きだ。こくんと頷くと合わせて耳がゆらゆら動く。
手を離した後は何となく話がしにくい雰囲気になってしまった。残念ながら女の子とのトークスキルは今まで磨く機会がなかった。そんなのがあったとしてもウララに通用するかどうかはわからないが、ゼロよりはよっぽどましではなかろうか。
この娘はどうか知らないが、気まずい状態でいると店員がカードを持って戻ってきた。
「申請が通りました。店頭受け取りになさいますか? それとも配送いたしましょうか」
「配送でお願いします。住所は――」
ウララに届けておくことにする。僕が買うとはいえ実際に使うのはウララだ。自分で付けれるだろうしその方が効率がいい。……いやまあどんなものかは一度見ておきたいが。
その後は細かい足のサイズを測ることになった。ウララが連れていかれ、30分が経つ頃に戻ってきた。ずっと測られて不満そうなのが顔を見るとわかる。
予想以上に時間を取られてしまったがこれで蹄鉄はいいだろう。別のショップにいき、これまたオーダーメイドで靴を買う。こちらも無茶な条件を付けたら無茶な金額になったので蹄鉄と同じことになった。もう後には引けない。
しめて130万円+α。これが3年かけてごりごり僕の通帳から消えていくわけだ。せめてこれが払い終わるまではウララが走り続けられるようにしないと。
今日のトレーニングで無くなった水や人参も買い足しておかなくてはいけない。普通のスーパーでも売っているが、特化したモール内の店のほうが安く買える。学園関係者たちも大勢買いに来ており、それに混じる形で補充に成功した。といっても僕が手に持てる限界までで1週間もしないうちに消えてしまいそうだが。
これで未来の通帳も財布も空。初日でこれほどの大仕事とは、トレーナーというのは本当に大変だ。
「ウララも持つよ。ちょうだい」
「いいよ、これも僕の仕事だから。それに帰ってもトレーニングはするから、それまでに疲れたらいけないだろ?」
「そっかぁ。じゃあよろしくね」
半分本音で半分嘘の言葉を吐きつつショッピングモールを後にする。いくら人間より力があるとはいえウララぐらいの娘に持たせるのは罪悪感が半端ない。生徒会長とまではいかないが、せめて高等部の娘ぐらいであれば手伝ってもらいやすくはなると思う。ウララも高等部になればそんな風になるのだろうか。
心なしかこの数時間でげっそり瘦せてしまった気がする。世のセレブ達はこんな金額の買い物を毎日続けているのかと思うと訳が分からなくなってくる。この世界はなんて不平等なんだ。
「帰ったら何するの?」
「ウララはスタミナがなさそうだから、まずは水泳だな。靴も蹄鉄も無いからしばらく走るのはお預け」
「えー!? 走っちゃダメなの?」
「軽いランニングぐらいなら今の靴でやってもいいかな。でも、するときは僕に言ってからね。昨日みたいに一人でトレーニングは絶対だめだぞ」
軽く念を押しておく。昨日の様子から少し無理をしているようにも見えるからだ。誰も見てないところでトレーニングをして故障して引退しましたなんて、ウララを送り出した人にどんな顔をすればいいかわかったものじゃない。これだけは絶対だ。
「はーい。……わたしってどこがだめなのかな」
「レースでも途中でばててただろ? 持久力がまだまだ足りてないから、そこをまずは鍛えていこうと思ってる。安心して、短い距離ならウララはちゃんと速いから」
「……えっとね、そうじゃなくてね」
「ん? まだ全部はわかんないけど、そこまで駄目なところは今はないぞ?」
「……そうじゃないの」
だめだ、何を言っていいのかさっぱりわからない。なんで質問したのか、僕のどこがいけなかったのか、何もかもがわからない。人との会話はこれだから苦手だ。今日で二回目の沈黙だが重さが全然違う。さっきは居心地が悪いぐらいだったが今は消えてしまいたいぐらいにきつい。
あれだけ元気だったウララがしょんぼりと、一言も話さず僕の隣を歩く。すぐに言葉が返せなかった時点でもう会話は絶望的だ。いくら鈍い僕でも、僕の何かが悪かったことだけはわかる。ただそれがすごく辛い。
お互いめちゃくちゃ気まずい雰囲気の中、寮まで体力を使い果たしながら這う這うの体でたどり着く。重いのは当然だが、ちゃんとコミュニケーションが取れなかったストレスがやばすぎる。
「……先にプールに行って着替えてて。置いたらすぐに行くから」
「……うん」
俯いたままのウララを見て吐きそうになる。こんな思いをさせるためにトレーナーになったわけじゃないのに。この程度が僕の実力なのだろう。
……うだうだしてても仕方ない。まだまだウララとは始まったばかりじゃないか。
そう思わないとやっていけない。荷物以外の何か別の重さも背負いながら寮へ戻ることにした。