ハルウララ奮闘記 ~有馬記念を勝ち抜くまで~   作:新人トレーナー

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水泳

 バシャバシャと水をはじく音だけがひたすら響く。話している者もいるが、すべてかき消されるほど音量も数も多い。

 

 防水仕様のタブレットPCを抱えているトレーナーがそこかしこでデータを見たり指導したりしている。50mプール場、しかもそれが4つある広さなのにどこを見ても同じような光景が広がっている。

 

 水中で動き続けるのは見た目以上に体力を使う。心肺機能を鍛えるために老若男女問わず利用している手段でもある。楽しく且つスタミナを鍛えるのに効果的だということで昔からウマ娘のトレーニングに使われてきたそうだ。

 

 今はウマ娘の更衣室出入口の近くの壁に寄りかかってタブレットを弄っている最中だ。学園のデータベースにアクセスして記録を何となしに眺めている。水泳のタイムは参考程度にしかならない。強いて言うなら息止めの記録だろうか。一息でどのくらい泳げたかという記録だ。

 

 現在の一位はぶっちぎりでシンボリルドルフの624m。化け物としか形容しようがない記録に苦笑いしか出ない。

 

 ……なんて現実逃避をしてみる。どんな顔で話せばいいんだろうか。仮に謝るにしても自分の何が悪かったのかわからない状態でしたって意味がない。

 

 初日からこんな調子で僕は大丈夫なのだろうか。うだうだしながら無意味に頭を回転させていると水着に着替えたウララの姿が見えた。周りを見渡し僕を見つけるとすたすたと歩いてくる。完全に伏せた耳や足取りからわかるようにあまり元気そうではない。

 

「…………」

「…………」

 

 口をぱくぱくさせながら最初の一言を探す。ごめんなさい? 頑張っていこう? 早速泳いでいこう? 一体何が適切なんだ。

 

「……わたし、泳いだことないの」

「……え?」

 

 頭の中で何かが崩れていった。まさか今落ち込んでいるのは泳ぎが不安だったから?

 

「これ足つかないよ、おぼれちゃうよ!」

「ふぅー、まじか……」

 

 ウララはしっかり切り替えていたようだ。比べればの話だが、一応大人の僕だけが悩んでいたらしい。全身から力が抜けてその場に座り込んでしまう。この姿勢はウララに教えてもらわなくてはいけないか。

 

「……ビート板借りてこようか。一緒に行こう」

「びーとばん? 何それ?」

「水に浮くちょっと大きい板だよ。それを掴んで泳げば溺れたりしないから」

「へー、すごいね!」

 

 他に泳いでいる娘は誰も使っていないため目立つかもしれないが、ウララぐらいの娘なら恥ずかしがることはないだろう。見た感じ今いるのは高等部の娘ばかりで見るからに泳ぎに慣れてそうだ。

 

 これからトレーニングを続けていくうえでも水泳はできなければ非常に困る。泳ぎを拒否されないだけでも十分だ。

 

 備品室に行って貸し出しているビート板と耳栓を借りる。ビート板は小学校以来に見たがこんなに小さかっただろうか。なんだか懐かしいな。

 

「泳げるようになるまではここで借りてくるんだぞ」

「はーい。これって本当に浮くの?」

「浮かなかったらここにはないよ」

 

 プールの端に行ってウララに振り返る。ウマ娘の水泳には必須のアイテムをつけさせないといけない。

 

「これから泳いでいくわけだけど。これ、耳に付けて」

「……みみに?」

 

 ウララの耳の中には今は何もない。ウマ娘の耳は構造上人間より穴が大きい。水が大量に入り込み人間以上に外耳炎になるリスクがあるため耳栓は絶対に付ける必要がある。

 

 ただ問題なのは、慣れるまで大抵のウマ娘は嫌がるということ。ウララは大丈夫だろうか。

 

「これ、中に入れるの……?」

「うん」

「えー、やだやだ!」

 

 だろうと思った。耳の中にも毛が生えている関係で違和感がすごいのだそう。

 

 渡した耳栓を返してくるので、受け取りざま耳に付けようと近づけていく。

 

「これしないとすごく痛くなるぞ」

「でも、だって……」

 

 嫌がりはするが後ずさりはしない。気が変わらない内にそこそこ急いで耳の中へ押し込んでいく。後の微調整は本人に任せよう。

 

 触れる度にあちこち耳が跳ねて手こずったが、何とか付けさせることができた。耳も頭もぶんぶん振っているところから見るに相当嫌なんだろう。こればかりは我慢してもらうしかない。

 

「なんかへんだよ、音もおかしいよー!」

「慣れるから。ほら、泳いでみようか」

 

 いやいや言いながらも言う事はちゃんと聞いてくれる。物分かりの良い娘といえば聞こえはいいが、ストレスを溜め込んでしまいそうで心配にもなる。後でさっき買った人参をあげておこう。

 

 ビート板を浮かべると梯子を降りながら掴み、そのまま段々とウララの体が沈んでいく。そしてある程度まで来たところでぴたっと止まってしまった。初めてで足がつかないプールはハードルが高いかもしれないが、学園にはこの規格のプールしかないのだから仕方ない。

 

 壁際にスポーツバッグとタブレットを置き、僕も水に入って立ち泳ぎでウララの反対側に回って手を差し出す。小さいころからスイミングスクールに通わせてもらった親に感謝だ。

 

「持ってあげるから。ちょっと梯子から離れてみようか」

「うん……」

 

 ウララは不安げに頷いて僕の手を握る。手が梯子から離れたところで少し内側へ引っ張ると、抵抗感もなくすっと動く。気が付けば片手がビート板にしがみつくような恰好をしているがちゃんと浮けているようだ。

 

 ここからはひたすら講座の時間だ。ビート板の持ち方、顔を水につけるコツ、バタ足の仕方。最悪これだけできればトレーニングになるところまで仕込んでいく。

 

 途中周りからの視線が突き刺さるような感じがしたが気にしない。確かにトレーナーがこんな感じで泳ぎを教えるのは稀だが、だからといってやめる理由にはならない。これを恥ずかしいなんて言っていたらトレーナーなんてやっていけないだろう。

 

 ある程度できるようになったところで、僕の手助けなしで泳がせてみる。凄まじい脚力でそこそこ大きい水柱ができること以外は上出来だ。

 

 ウララは吞み込みがとても早く教え甲斐がある。教えたことが全部できないまでも頭の中にはしっかり入っていて、こちらとしてもうれしい限りだ。

 

 50mを往復するようにメニューを伝えて僕は一旦水から上がることにする。いくらかは壁を掴んだが、流石に十数分も立ち泳ぎを続けると足が限界を迎えそうになっている。明日は筋肉痛を覚悟しなければ。

 

 上着とタブレットを置いたところまで息を切らしながらたどり着くと、足の力が抜けて壁に持たれかかりながら座り込む。まるで僕のトレーニングをしたかのようだ。

 

「富原さんもいらっしゃったんですね」

 

 声を掛けられた方を見ると桐生院と……ハッピーミークだったか。初めて見るが、こっちを見ながら何か別のものを見ているような気がする。何を考えているのかわからない不思議な娘だ。

 

「ええ。靴と蹄鉄を新しく買ったんですけど、オーダーメイドで。届くまでは泳がせようかと」

「そうなんですね。私は走ってもらいたかったんですけど走れるような感じじゃなかったので」

「まぁあれは厳しいですよね……」

 

 人気のコースから外れてしまったということだろう。ここに来る途中目に入った筋トレルームも中は人でいっぱいだったような。出だしで遠征もないこの時期に溢れるのは仕方ないのかもしれない。

 

「あ、紹介しますね。こっちが私の担当のハッピーミークです。でこっちがハルウララさん担当の富原さん」

「……よろしくお願いします」

「どうも、よろしく……」

 

 友達の友達を紹介されるような何とも言えない感じがする。微妙な沈黙が続くと、桐生院が咳払いをして話を再開してくれる。ここ最近話下手なのが目立っているのは気のせいだろうか。

 

「ハルウララさん、どうです?」

「……いい娘ですよ。呑み込みも良くて、教え甲斐があります。そちらは?」

「うーん、悪くはないんですけどね。あんまりミークから話してくれなくて。言いたいことはちゃんと話してくださいね?」

「……わかりました」

 

 会話の相性はあまりよろしくなさそうだ。ただぐいぐい行くタイプの桐生院なら心配はないだろう。ウララでさえまともに話が出来なくなる時がある僕ではないから大丈夫なはずだ。

 

 それにしても大人しい娘だ。泳いできた後なのだろう濡れた耳や尻尾を振らずに直立不動を貫いている。桐生院とは違ったタイプの優等生の雰囲気を感じるようだ。

 

「トレーナー、おわったよー」

 

 声のする方を向くと、ウララがビート板を抱え嫌そうに耳栓を抜きながらこちらに歩いてくるのが見える。……また付けるのにな。

 

 すっきりしたように耳をぴょこぴょこさせると、ようやく横にいる二人に気が付いたようだ。

 

「この二人はだれ?」

「僕の同期の桐生院さん。こっちは担当のハッピーミークさんだ」

「へー、そうなんだ。よろしくね!」

「はい、よろしくお願いします」

「……よろしくお願いします」

 

 挨拶を済ませたところでウララを休憩させることにする。泳いだばかりでまだ息が整っていない。スポーツバッグを開けてペットボトルと人参を取り出すと、ウララの目線は人参に釘付けになった。ウララの必需品になりそうだ。

 

「食べる?」

「うん! いただきまーす!」

 

 見ている方が疲れるような食いつきっぷりで人参を頬張っていく。幸せそうな顔につられて少し笑顔になりそうだ。

 

「いい食べっぷりですね。では私はこの辺りで。ミーク、あともう3セットいきますよ」

「はい、わかりました」

 

 元居たであろう別のプールへ二人は戻っていく。しばらく人参を食べる音と水を飲む音が続き、ウララの息が整ったところで話しかける。

 

「どう、疲れた?」

「うん、ちょっと体がおもいかな。でもまだ大丈夫だよ!」

「じゃあさっきの往復をもう2回、休みなしで行こうか」

「はーい。……トレーナー、もういっかい手持ってて」

「よし、行こうか。耳栓付けてね」

 

 言った瞬間にウララの顔が少し引きつった。やはりすぐには慣れないか。

 

 もう一回付けてあげようかと近づこうとするが、その前にウララが自分で耳栓を付けていく。なんだか苦手を克服した娘を見るようでうれしく感じる。顔はとんでもないしかめっ面だが。

 

「……やっぱりこれどうにかならないの?」

「付け心地はそれが一番良いタイプらしいから、それ以上はどうしようもないかな」

「そっかぁ……じゃあなれるしかないんだね……」

 

 しょんぼり肩を落とすが慰めることはできない。だがこの調子ならすぐに克服できるだろう。

 

「頑張ろうな」

「はーい……」

 

 初めは耳栓が嫌だから泳ぎたくないなんて言われると思っていたが杞憂だったようだ。思ったより気分屋ではなさそうで、僕のこれからのトレーニングにもついてきてくれそうだ。

 

 ただそれに甘えて押し付けるようなことにならないように気を付けなくてはいけない。あくまでトレーニングはウララのため。

 

 耳栓を嫌がるウララを見て、今一度僕は気を引き締め直した。

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