大きな、大きな夕陽。
赤く照らされた一面の空と海。
切り立った崖にペタリと座り込むのは、大人になりかけの少女。
座り込んだ崖の真下には海がある。
もしも彼女が下を覗けば波が岸壁に打ち付け、白く飛沫を上げていたことだろう。
その少女の表情からは生気が抜け、まるで抜け殻のような印象があった。
彼女──不方夕莉は泣き方を忘れてしまった少女だった。
かつて、事故により家族を失ってから、ずっと孤独で、夕莉の本当の状態を理解してくれる人など、つい最近までは誰もいなかった。
一度事故で死に近づいたことを切欠としてか、見えないはずのものが見えてしまうという異常、それらの恐怖に怯え……
周囲にはそんな自身の現状を正しく受け入れ、理解してくれる存在もいない。
それは心の防衛反応だったのかもしれない。いつの間にか夕莉の心は鬱ぎ、泣くことが出来なくなっていた。
しかし……新しい出会いが、彼女にとって小さな救いとなった。
夕莉が孤独感を感じ、もはや生きている意味すら見い出せずに自殺を考えた時、生きる意味を与えてくれた人――密花がいた。
密花は茫洋と海を眺めたままの夕莉を背後から抱き締めて言った。
『あなた1人では死なせない』
『死にたくなったら、一緒に死んであげる』
例え、それが心中を意味する言葉で、貴方が死ねば私も死ぬという脅しだとしても。
責任感の強い夕莉にとっては、自殺を躊躇ってしまうのに充分な理由になり得たから。
だから、夕莉本人の心情を抜きにすれば、一時だとしても確かに彼女は救われたのだ。そして、そのお陰で今、夕莉は生きることが出来ている。
だが、そんな夕莉の恩人とも言える人は、突如として夕莉には何も告げずに行方不明になってしまった。
今、彼女が出来ることといえば、恩人の行方を探すことのみ。
暗い森のなか密花の持っていた『射影機』を片手に彷徨い、彼女の行方の手掛かりとなるかもしれない、寄香が導く残影を追うことだけ。
そして――そこで夕莉は彼に出会うことになる。
□
日の落ちた世界。
暗く、鬱蒼と生い茂る森に一人分の足音がなる。
虫たちすら寝静まっているかのように、不思議とあたりからは鳴き声が聞こえることはないが、近辺に滝があるのか轟々と激しく水が流れ落ちる音が妙に耳に残った。
『日上山』
そこは密花と夕莉が住む地方にある、標高700m程度の小さな山だ。
昔はとある民間信仰の霊域だったと言われているが、今は建物が幾つか残るだけで、その教えを伝える者はいない。
湧き出る水と、豊かな緑の残る美しい自然、温泉など豊富な観光資源に恵まれているため、観光地化を目指し開発が行われた時期もあったが、工事中に事故が頻発したことや、大規模な地滑りに見舞われたことから開発は中止となり、放置されたままになっていた。
かつてはその信仰により死ぬ者しか入れない霊域だったことや、現在においても死を望む者が度々山に入り、行方不明になることから「自殺の名所」「心霊スポット」などと呼ばれている。
夕莉はそんな自殺志願者くらいしか立ち入らないような山の森にいる。それは、彼女の恩人の手がかりを手に入れるためでもある。
暗い森の中。如何にもな雰囲気に汗ばむ掌。
その夕莉の片手には射影機が握られている。
もともとは夕莉の恩人、黒澤密花の所持品であったのだが、行方不明の密花が持ち出したはずの射影機を、日上山の入山道付近──かつては入山者が身を清める場所であった禊ヶ淵の水中に沈んでいるのを見つけていたからだ。
射影機は上流から流れてきた可能性が高く、夕莉はやはり密花はここにいるのかもしれないと感じていた。
夕莉がここ、夜の日上山に来たのには理由があった。
□
夕暮れ、窓の外から夕日のオレンジ色が射し込んでいる。
ここは密花の経営している骨董喫茶くろさわ。
内装には西洋のアンティークを思わせるティーカップ、振り子時計などが置かれ、お洒落な空間を作りつつも、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
ここでは時間の流れさえ、ゆっくりになっているような気がする。
夕莉は密花から、時を刻む振り子の音と、時折鳴る時報の音が好きだと聞いていた。
時刻があっていないのにもかかわらず、狂った時計が置かれているのは密花の趣味によるものだった。
また、喫茶の名の通り飲食も可能で、密花の好きなコーヒーの残り香が染み付いた場所でもある。
そんな、店の主である密花は現在、どこかへ出かけたまま戻らなくなっている。
当然、夕莉は心配するのだが、どこに出かけたのか手がかりは何もなく、彼女はただただ密花が戻ってくることを待つことしかできないでいた。
そんな不安と奇妙な停滞感を感じながら店の番をしていた時、「密花に人探しを依頼した」という女性──氷見野冬陽が訪れたのだった。
冬陽が探して欲しいと依頼していたのは、冬陽の幼馴染である百々瀬春河という人物。
「人探しだから受けるか考えさせて欲しい、ということでしたけど……」
彼女は、春河は山に行ったのかもしれないんです、と小さく囁くように言った。
冬陽がいうには春河を見た人がいて、彼女は日上山に入っていくところだったという。
そう囁く冬陽は不安と心配で消耗し、整った顔には疲労の影が強く現れていた。
目は光を灯していないかのように虚ろで、青白くすら見える肌、生気の感じられない雰囲気が冬陽の魅力を著しく損なっていた。
「でも……その山、『日上山』は自殺の名所なんです……」
「春河が……私に何もいわずに……そんなとこ行くはず、ないんです……」
どうして、とその思い詰めた様子に、夕莉は何と声をかけたらよいのか迷った。
ありえない……冬陽はそう話していたが、彼女は春河が日上山にいるということを確信している様子であった。
ただ、自分に何も言わずに日上山に向かったことだけが信じられないでいるようで──
「すみません、黒澤が戻り次第――」
夕莉は密花が現在留守にしていて、いつ戻るのかもわからないことを伝えようとした。
「いえ……遅くなるなら結構です」
そう早口で返された言葉もか細く聞こえ虚ろ。夕莉と対話していても、果たして相手を認識しているのかどうかも怪しく思えるほど。
今にも死に向かって行きそうなほどに……
「……自分で確かめます」
「あ……」
そう夕莉が伝えようとすると、冬陽は自分で春河を探しに日上山へゆくと言い、フラフラと立ち去ってしまった。
人探しの依頼。
それは夕莉が密花から気をつけるようにと、以前に注意を受けていたものだ。
密花の失踪と冬陽の人探しの依頼との間には、何か関係があるのだろうか?
冬陽が立ち去った後、気になった夕莉は密花の行方の手がかりを探すために密花の部屋に入った。そこで『氷見野冬陽の手紙』*1と『二人の女子高生の写真』を見つけたのだ。
夕莉が写真を見れば、大人しそうな冬陽ともう一人、仲が良さそうな女性の姿が写っていた。
「密花さん……もしかして、この人を探して日上山に?」
そうして――夕莉は密花の行方の手掛かりを得るため、冬陽を日上山から連れ戻すために、日の落ちた日上山を訪れるのだった。
□
夕莉は以前、密花から射影機の使い方や、影見の力について教わっていた。
とある日、夕莉は居候先の主人であり、影見の力を持つ女性、黒澤密花とともに、日上山にある廃旅館を訪れていた。
夕莉に影見の力を感じた密花は、その力の使い方を教えようと、影見の仕事に連れ出していたのだ。
「夕莉」
密花の声でハッと我に帰る夕莉。
二人は失せ物探しの依頼を受け、夕日で赤く照らされた水籠温泉一縷荘を訪れていた。
「探し物は多分ここよ」
そこは日上山に古くからある温泉旅館。
元々は古くから山にあった建物を改装し、旅館として開業したが、日上山の観光地化の流れに伴い、コンクリート造三階建の新館が増設された経緯がある。
その後、山全域で起きた大規模な地滑りにより、本館である旧館部分が埋まり、そのまま再建されること無く廃業となった。
地滑りで多くの犠牲者が出たことや、家族を亡くした旅館主人が建物内で自殺し、その霊が出るという噂などがあることから、心霊スポットとして有名になっている場所でもある。
「ここから先はあなたがやってみて。これを渡すわ」
「このカメラは見えないものを写し出す射影機」
夕莉は密花から射影機を渡され、使い方の説明を受けた。
渡された射影機と呼ばれるカメラは、見た目では、ただの美術骨董品のように見えた。
「失くしたものを探す手がかりを見つけられる」
「使い方は普通のカメラと同じ。ファインダーを覗いて、シャッターを押すだけ」
そう密花は射影機について、夕莉に説明した。そして、夕莉にも射影機を使うことのできる素養があることも。
「射影機が写し出すものは、隠世。つまり隠された世界」
「それは、常世……死後の世界に近いもの」
そして、密花は夕莉に、見えてしまったものに、あまり深く関わらないこと、と注意した。気をつけなければ、隠世に引き込まれてしまうのだという。
夕莉にとって、失せ物探しの仕事は今日が初めてのことだった。
「これが、今回の寄香……あなたの探すものの手がかり」
その言葉とともに手渡されたのは一枚の写真。
「その写真は弔写真……死者を弔うために撮られた写真ね」
夕莉は密花から失せ物を探すための手がかりとなる持ち主の残留思念の残った『寄香』──『弔写真』を受け取った。
今回の依頼は、密花の知り合いの放生蓮からのものだった。夕莉自身も全く知らない仲というわけではない。
蓮は作家をしており、今度の新作で『弔写真』を題材にした作品を書くつもりで、資料にしたいという目的があったという。
渡された弔写真もここ、一縷荘で発見されたものらしく、この弔写真を寄香に影見を行い、他にも弔写真がないか探して欲しいという依頼だ。
死者を弔う為に撮られた弔写真。
遺族は死者を弔うため、遺体を生きているように着飾らせ、化粧を施してその姿を写真に収めたという。
まだ写真が高価だった頃、庶民にとって写真を撮影できる機会は、死後が最も多かった。
弔写真は射影機の試作品を作っていた麻生博士により撮影され、日本の各地に残されているが、特に日上山の周辺に多く残されている。
それら弔写真は西洋の死後写真(Post-mortem photography)にも似ているが、日上山周辺ではまた別の意味合いを持っていた。
それは写真機という「箱」に魂を写し取ることで、永久に変わらない姿を保つ「箱入り様」になるということであり、特別に喜ばしいことであったという。
そう、密花から説明を受けると、二人はすでに廃業してしまった旅館の中の散策を開始するのだった。
一縷荘の外観は何年も人の手が入っていないことがわかるほどに、ボロボロと崩れており、窓に相当する部分には木材で囲いがされている。
「焦らないで、慎重に行きましょう。さあ、中に入って」
そう言われ、中を慎重に進み、建物内の探索を進めてゆく。
建物内には隣接している池から水が浸水しており、場所によっては膝丈くらいまで水に浸かってしまう箇所も存在していた。
内部の廊下の突き当りには、水に流されてきたのだろうか、廃材が溜まっている。
奥の少し開けた一室。
そこからは、窓から入る夕日の明かりが水に反射して部屋全体を仄かに赤く照らしていた。
そこに、茫洋と佇む黒い影がある。
不審に思っていた夕莉に影の存在が気づくと、その影はゆっくりした動きで夕莉のいる方向に足を進めてきた。
夕莉が不安に思い、密花に助けを求めようとするも──
「っ」
崩れた壁から射し込む夕日によって、苦痛に歪んだ顔が照らし出されると、フッと初めから何もいなかったかのように消えてしまうのだった。
そのような奇妙な出来事があった後も、二人は探索を続けた。
「夕莉、待って……気配を感じるわ……」
そう言って、密花が夕莉を止めると、白いモヤがかった人形の幻影がスゥっと通路を通り抜けていった。
そのモヤは寄香が見せる過去の幻影であり、「残影」と呼ばれるものだと密花から教わった。
残影は、追っていけば、目的のものへの手がかりにもなるのだという。
また、このような過去の影が強く残っている場所では、過去の映像そのものが見えることもあるらしい。
二人は時に狭い穴をくぐりぬけ、時に水没した廊下を通って、残影を追った。
そうして残影を追った先にあったのは光の入らない、酷く荒れ果てた小部屋。
密花が何か感じたのか、彼女が指示をした場所を夕莉は射影機で撮影する。
「これが依頼の物のようね……」
すると、目に見えない世界である隠世へ隠されていた依頼の物『アルバム』を、現実に『呼び戻す』ことができたのだった。
依頼の物を見つけ、夜になる前に帰りましょうと話す密花。こういった場所は本来、あまり長居していいような場所ではないらしい。
「夕莉……今回のような物探しは簡単だけど、人探しは難しいわ」
密花の語る表情は険しい。
「影見はその名の通り、対象の影を見てしまう」
「神隠しに遭った人の影は……追わない方がいい。見てはいけないものを、見てしまうこともあるから……」
過去に何か失敗した経験でもあるのか、ミステリアスな雰囲気を持つ密花にも影があった。依頼の最後に、密花は夕莉にそう忠告したのだった。
建物の奥から、ほとんど入り口に近いところまで戻ってきていた。
先程の奥の部屋には窓もなく、日が射し込むことがなかったのと比べれば、こちらは夕日の明かりが水面に反射してキラキラとして明るい。
どこか神秘的な静寂感すらあった。
夕莉があたりを見回し、ふとドアの朽ちた、薄暗い小部屋を覗き込み──
突然、部屋の死角からフッと姿を現し、目が落ち窪み、苦しみの声をあげる男の人影が不意に飛び込んできた。
「っ!」
夕莉は突然現れた影に驚き、たたらを踏んで後退したのだが──
足元に浸水して溜まっている水面から、音も無くのびた無数の白い手が夕莉の足に絡みついた。
夕莉は不意に足を絡め取られ、体勢を維持することが出来ず、転倒してしまうのだった。
バシャリ、と転倒したことにより大きな水飛沫が跳ねる。
跳ねる心臓。夕莉は慌てて周囲を確認しようとした。
再び前を見れば、男の影は夕莉へと覆いかぶさろうとしており……
ジジ……カシャッ──
顔を庇った際に、とっさに射影機のシャッターを押し、フィラメントをたいたことで運良く怯ませることが出来た。
夕莉が体に力をこめ、急いで立ち上がろうとするも、水面から生えた白い手が再び現れ、夕莉を水の中へと引きずり込もうとする。
藻掻き、大きな波紋が幾つも作られ──
恐怖を感じ、焦りながらも身を捩ることで、なんとか手の群れから逃れることに成功した。
その目の前には、先ほど射影機のフラッシュに怯んだ怨霊。
苦しみの声をあげ、腕を夕莉にむけて突き出す様は、まるで夕莉を向こう側に招くようにも見えた。
走る心臓の鼓動。恐怖心に耐え、震える手をなんとか抑え込む──射影機を構え、ファインダーを覗き込んだ。
襲いかかろうとする男の霊をファインダーのフレームに収めて撮影すると……
怨霊は呻き、青白い破片を体から散らして、力尽きるのだった。
そして、水面に映る、夕日に融けるようにして消え去っていった。
転倒した夕莉は水を全身に浴び、服はすっかり水浸しになってしまっている。
「はぁ……はぁ……」
突然の出来事に、呆然としており、体から力が抜け落ちた。
夕莉にとって、霊とは視える存在ではあったが、不意に現れて驚かされたり、視線を感じて落ち着かないことなどはあっても、直接危害を加えられるようなことは今までないことだった。
先程のことを思い出していると、段々と恐怖で体が震えてくる。
そんな夕莉を見た密花は、背後から抱きしめ、ごめんね、と囁いた。
夕莉に怖い思いをさせるくらいなら、やっぱり私一人でやるべきだった、と……
夕莉からは見えない、その密花の表情は悲しみと後悔に満ちていた。
そうして密花は、夕莉に危険な事に巻き込みたくないとの思いから、一人で人探しの依頼をすることを決意したのだった。