深夜、木々の生い茂る暗い道にもかかわらず、意外なことに人探しは順調に進んでいた。
「すいすい進むけど……行き先に目星でもあったんか?」
「ぁ……いえ……これは……」
あまりにも迷いなく歩みを進める夕莉に横島は首を傾げたが、夕莉が探し人の『写真』を持ったままな事に気付いた。
「あー……もしかして精神感応……」
「……影見を……影見を知っているんですか……?」
横島が呟いた言葉に夕莉が問いかける。
「あ、いや、影見ってのは知らないよ。似た能力のサイコメトリーってのを知ってるだけ」
曰く、人によって見える物、見え方などは異なるらしいが人や人の強い思念が宿った物に触れた際に人の過去を読み取ることができるようだ、と横島は答え、夕莉は息を呑んだ。
横島が答えた内容は、夕莉が密花から教わったことと同じだったからである。
だから、気になった。自分や密花の他にも普通ではない力を持った人がいるのかを。横島は明らかに異能の存在を知っているようだったから。
そして、少しずつ疑問が大きくなる。この人はやっぱり本当に霊能力者であり、退魔師なのではないだろうか、と。
「その、退魔師の方にもいるんですか……? そういう人は……」
「いるよ。まぁ、俺が知ってる人は退魔師ではなかったけどな」
「……」
一方の横島は夕莉にそんな力があることを知って大層驚いた。
何しろ横島の知る精神感応能力者は近くにいるだけで考えやら過去やらを全部自動で丸裸にしてしまうような物騒な力を持っており、その能力者自身が制御出来ない異能に苦しんでいたから。
幸いにも、夕莉はそこまで極端に強い精神感応ではないみたいだったが……
横島が最も危惧したのは、能力を使うことで霊を集めてしまうということ。
「その力には気をつけてな。精神感応ってのは霊を集めやすいから」
「っ……やっぱり、そうなんですか……」
「その力の使い方を教わった人からは?」
「居なくなってしまった人を探すのに使うのは気をつけるようにと言われています……良くないものを呼び寄せると……」
今は横島がいるからいい。例え霊が夕莉の精神感応に呼び寄せられても対処することができるから。
だが、夕莉一人で使用する際には危険が大きいため、横島は心配したが、一方で人探しに有用な力であることも事実ではある。
現に、影見の力を使って、冬陽の寄香を頼りにすることで道にも迷わず行方を追うことが出来ていたのだから。
夕莉の目線の先では──
冬陽の寄香に宿る思念が像を結び、白い影となって夕莉を導いている。それを二人は付かず離れずの距離で後を追っている。
横島には見えず、夕莉には見える。道に迷うことのない影の様子は、早く見つけてくれと急かしているようでもあった。
「まぁ、今はいいんだ。もし、霊が集まってきても俺がなんとかしてあげられる。ただ……一人で使うのは止めておいた方がいい。それを覚えてて欲しいんだ」
「霊に近付き過ぎてしまった人は、霊と関わらない生活が出来なくなってしまう……そんなの夕莉ちゃんも嫌だろ?」
そう、横島は寂しさを含ませた優しい笑みで夕莉に注意を促した。
夕莉には横島が本当に心配して言ってくれているのだと分かっていた。ただ──口には出さなかったものの、夕莉は私は再び霊と関わらない生活に戻ることができるのだろうか、と漠然とした不安を感じていたのだった。
影を追ってゆくと、泥濘ばかりの森から抜けた。
そこは地滑りの災害がなければ、本来は繋がっていただろう石畳の敷かれた参道。
夕莉曰く、この参道は幽ノ宮という日上山の信仰の中心地に繋がっているらしい。
参道には等間隔に灯籠が並んでいたが、この山には管理するものがいないはずであるのに、灯籠には火が灯っていた。
その明かりは幽玄さを醸し出していたが、闇の前にはあまりにも儚く、闇の深さを強調させるばかり。
道中、夕莉の探し人を追っていると、冬陽が残したと思われるメモの幾つか、『冬陽の残したメモ1』*1、『冬陽の残したメモ2』*2、『冬陽の残したメモ3』*3を拾った。
メモは暗い森の中、人目のつきにくい場所にも落ちており、普通であれば見つけ出すことは困難だっただろう。しかし、これも夕莉の影見の力が発見を可能としていた。
「メモを残したってことは、誰かが見つけてくれることを期待してるんかな?」
「そうかもしれませんね……」
言葉とは裏腹に本当にそうなのだろうか、と夕莉は内心疑問に思う。
この深く、暗い森の中、友人を探している彼女の気持ちは如何程なのだろうか。通常の精神状態であれば一人で山に入って捜索活動など出来ないことであるし、相当追い込まれての行動であることは疑いようがなかったはずだった。
冬陽のメモには、春河との思い出が書かれており、春河が一人で自殺しようとするわけがないと確信を持っている様子だった。
日上山には『神隠し』の話が付き物であるし、春河が『日上山に誘われやすい性質』で、誘われることで山に入ってしまったのかもしれないとも書いてある。
そして、神隠しにあった人はどうなってしまうのだろうか、と。
「春河さんって人をとても大切に思ってるんだな。……相当思い詰めてるみたいだし、早く見つけてあげないと心配だ」
「はい……私が氷見野さんに会った時も、春河さんを早く見つけたいと心配で憔悴してる様子でした」
「……そうか。将来有望な美少女が困っている……タダオちゃんが今、助けにいくからな〜!」
おちゃらけた様子で、わっはっは、と快活な笑い声が暗い森に広がってゆく。
唐突に笑い声をあげた横島に夕莉は驚いたが、夕莉には横島が不安を吹き飛ばそうとしてくれているように感じていた。だが──
「メモには一緒に終わるってありました……氷見野さんは……もしかして、春河さんと心中する気なんでしょうか。なんだか……なんだか、遺書、みたいでしたよね……」
「そんなん、思ってても言ったらあかーん!」
夕莉がポツリと零した言葉に反応し、滂沱の涙を流しながらツッコミを返した横島。
場の雰囲気に当てられているのか、夕莉はどうにも暗い考えばかりが出て来るようだった。
冬陽はメモを残すことで、彼女の気持ちを誰かに知っておいてもらいたかったのだろうか。
それとも、春河を探すのに危険が伴うことを知っていて、無意識のうちに、何かが起こったときのために足跡を残そうとしたのか……それは、冬陽のみが知ることだった。
□
夕莉の影見の力を使い、冬陽の手紙やメモを寄香に、冬陽の行方を追う一行。
道中、急な雨が降り、夜ではあるが時期的に温かいこともあって、辺りは濃い森の緑と水気を含んだ土の匂いでむせ返るほどだった。
二人は天気の様子を見るために一時、雨宿りすることにした。
(ゆ、ゆ、ゆ、夕莉ちゃん、服スケスケやんけ! 服にオレンジのシルエットが、が、が……)
そんな中、横島は雨で濡れ、雨に濡れ、肌に貼り付いた髪、服の透けた夕莉にドギマギしていた。
見ないように、見ないようにと精神を落ち着かせているが、視線は本能的に動き夕莉の姿を視界に入れてしまう。
昔の横島であれば、すぐにでもルパンダイブをかまして飛びついていたに違いない。
飛びつかなかったのは、彼がいくらか大人になったことの証なのかもしれなかった。
だが、いくら見ないようにと気をつけてはいても、やはり女性というものは男性からの視線には敏感なものだ。夕莉は腕を組んで胸を隠して恥ずかしそうにし、やや居心地の悪い思いをしていた。
冬陽を見つけることができたのは、二人が雨宿りしていた形代神社と呼ばれる、人形の供養を習わしとしていた神社を通り過ぎた時だった。
冬陽は彼女の大切な幼馴染である百々瀬春河を探して、彷徨っていた。
夕莉のように影見の能力もなく不知の森を抜け、彷徨う怨霊への対抗策も持たずに、ここまで捜索を続けてこれたことは奇跡に近かったのかもしれない。
だが、その奇跡も長続きしない。
冬陽の足元には、雨が降ったことで近くの池などの水源から漏れて流れてきたのか、小さな川が出来ていた。
(……?)
そのちょうど、足先、冬陽がかがめば届くほどのところに何か光るものが落ちているのに気付いた。
しかし、あたりは暗く、冬陽自身も禄な光源を持たないままに日上山に来てしまっていたため、それが何かよく見えてはいなかった。
冬陽がそれを直に手にとって確かめると、それは古い匕首──湿度の高い森の中で、ずっと放置されていたとは思えないほど状態は良く、切れ味のよさそうなものだったのである。
手に取った匕首に冬陽が戸惑っているとふと、冬陽は視界の端、小川の向こう岸に白い影を見た気がした。
「春河?」
声を上げ、目線を向ければ、そこには確かに人影があり──女がいた。
しかし、その姿は彼女の探し人である春河などではなかった。
その影は白い襦袢姿の女で、現代であればそうそう見ることのない服装をしており、フラフラ、と所在なげに立っているのだった。
そうして──女は不意に、手に持っていた何かをゆったりと首筋にあて、ズリッ、と一気に滑らせる。
冬陽の目に映るのは血、血、血。
女の首からは大量の赤が溢れだし、たちまち白い襦袢姿を赤で染めあげてゆく。
──う……うぁ……ゔゔ……
唸り声が聞こえ、切り裂かれた首からは大量の血が流れ、切り口からはゴポゴポと気泡が立っていた。
「……っ」
唐突の出来事に動揺を隠せないでいる冬陽。視界が狭まり、頭が痛くなるほどの酷い耳鳴りがした。音が聞こえてきそうな程の心臓の鼓動が身の危険を伝えている。
そして彼女が動揺を静められないままでいるうちに。
冬陽の匕首を持ったままの右手は一人でに彼女の首へと伸びて──
「!」
それは、まるで誰かに操られるかのようで。
冬陽の右手は彼女の意思に反して、いくら抵抗を試みようとも自由になることはなかった。
「い、いや! やめてっ……」
恐怖とパニック──冬陽は今にも、首を描き切ってしまいそうな、絶望のなかにあった。
そして、冬陽は気がつかなかったが、いつの間にかあたりには霧が立ち込めており、その奥には冬陽が死を迎える瞬間を、じっと見つめる何者かの影があったのだ。
「氷見野さん!」
夕莉が首に匕首をあてている姿を懐中電灯で照らし、その様子に気づくと悲鳴をあげた。
一方、横島が見たのは、冬陽に背後から縋り付く怨霊の姿。怨霊は冬陽の腕の自由を奪い、彼女を死に誘おうとしていた。
「ダメだ夕莉ちゃん! 憑かれてる!」
『六根清浄 急急如律令』
それは、六根──眼、耳、鼻、舌、身、意の感覚を清浄にし、至急完全なものにせよ、という命令。冬陽に憑いた霊を引き剥がし、その呪縛から解き放とうと動く。
横島が札を構え、呪文を唱えて息を吹くと、札は風によって吹き飛ばされた紙のように一息に飛び立ち、冬陽へと張り付いた。
──バチィッ!
青白い電流のような発光。
冬陽に取り憑いていた霊が札に籠められた霊力により弾かれ引き剥がされると、ようやく彼女の右手は自由を取り戻し、その手の中からは匕首が零れ落ちた。
途端、緊張の糸が途切れたように冬陽はくずおれる。
「っ!」
咄嗟に、崩れ落ちた冬陽を支えようとして腕を伸ばし、夕莉は不意に彼女に触れた。
そこで、彼女自身でも制御出来ない影見の力──精神感応の一端により彼女の……いや、彼女達の秘めた過去を視たのだ。
□
5人の女学生が手を繋ぎ、池の中へとゆっくりと歩を進めてゆく。
女学生の呼び方通り、彼女らはセーラー服を纏っていたが、明らかに水辺で遊ぶような溌剌とした雰囲気ではなかった。
むしろ、5人の表情は暗く、諦観、恐怖、不安、後悔といった感情がない交ぜになった沈んだ顔をしており、水の冷たさがその感情を更に強く意識させているようにも見える。
池から流れる、水流の先には轟々と音を唸らせる滝。
彼女たちの目的は心中だった。
滝から身を投げ落とした女学生達が岸辺で横たわっている。
淵には3人の体が力無く浮かび、ピクリとも動くことはない……岸辺に辿り着き生き残ったのは2人だけだった。
『どうしてかな』
『わたしたちだけ生き残っちゃった』
『みんなで死のうねって約束したのに』
『この続きいつにしよっか』
生き残ることができたのは幸運だったのか、それとも不幸だったのか。
そう呟いた人物は冬陽であり、幼馴染である春河の手をそっと、握った。
その手は長く冷たい水に触れたせいか、青白く冷え切っている。
それはまるで死人のようでもあり、先にある暗い死を暗示しているかのようだった。
□
ハッとして意識が戻った。
それは秘められた、他人が安易には知ってはならない過去。視てしまった、その内容に夕莉は動揺を隠せないでいた。
「夕莉ちゃん!? 気をしっかりもってくれ! まだいる!」
「は、はい!」
しかし、目の前には匕首を片手に襲いかかる女の怨霊が。今視た冬陽の過去について思い返している余裕などこれっぽっちもない。
怨霊のその顔は生者を妬むもので、冬陽を死に誘うことが出来なかったことに、苛立っているようにも見えた。自身が繰り返す苦しみを、お前にもわけてやる、と言わんばかりに女の形相が険しくなってゆく。
横島は二人の前に立ち塞がり退魔札を飛ばす。
「疾っ」
退魔札がシュルリと飛び、怨霊に張り付いた。
女は悲鳴をあげ、退魔札が張り付いた箇所からは、青白く光る大量の青い燐光がバチバチと舞い上がる。
そして、女の怨霊は力尽きたように、崩折れ消えかけるが──横島は怨霊が消える前に再び札を胸元に掲げ、何事か小さく呪文を囁くと、女の霊魂は札へと吸い込まれてゆくのだった。
横島が掲げたのは吸魔札。
霊魂を札へと吸い込み、簡易的な封印を可能とする代物だった。
強力な霊に対しては抵抗が大きく、封印できないことが多いが、弱った霊に対しては抜群の効果を発揮するゴーストスィーパー御用達の道具である。
「怨霊は?」
「札に封印したんだ。あとでちゃんと浄霊させてあげなきゃな」
手には複雑な文字の描かれた札が一枚。
「それより、気をつけて。まだ何かいるみたいだ」
横島の視線の先、霧の向こう側から近づく者がいる。
『もう山から出ることは出来ない』
『ここで水に融けるのです』
霧の中から聞こえてくる声。現れたのは、濃密な死の気配を纏った巫女の姿だった。
頭には飾りである天冠、水濡れになった白衣を纏い、はだけた胸元が大きく開かれている。
そして、不思議なことに巫女の目は黒い布で覆われていた。
横島の第六感に引っかかる死の匂い。本来であるならば清廉な気配を持っているのだろう巫女は、黄泉の──死の穢れを色濃く漂わせていた。
──シャン……
──シャン……
巫女が歩みを進めると、どこからともなく神楽舞で奏でられるような鈴の音が響いてくる。鈴の音は高く、空気中に溶け、消えてゆく。
鈴の音に合わせて巫女が舞い始め、ユラリ、ユラリ……白衣の袖が振られる度に死の穢れが巫女を中心として集まり、穢れの気配が一層濃くなってゆく。
──シャン……
闇へと溶けるように消えてゆく、鈴の音。神楽を思わせる舞は気配に反して美しく、神聖ささえ感じさせる。
現に、横島は危険な場所にいることも忘れ、暫し呆け、ただ巫女の舞を眺めてしまっていた。
決して、舞いで揺れる大きく開かれた巫女の胸元を凝視しすぎて呆けていたわけではない。
全く持ってけしからんチチだ、という思いは……なかったとは言えないが。
──シャン……
鳴り響く玉の涼やかな音が、また。
巫女が再び袖を振り、空を仰ぐ仕草をすると、集まった穢れの気配が弾けようとして──
「うげっ!」
慌てて横島は大きめのサイキックソーサーを展開して防御態勢をとったが……
──ジジッ……カシャッ
穢れが弾けようとした瞬間、あたりをほんの一瞬だけ白い光が包む。巫女は仰け反り、霊体からは青い燐光が散った。
横島が咄嗟に背後を見れば、夕莉が射影機を巫女に向けて構えていた。
どうやら、穢れが放たれようかという瞬間を狙い、射影機で写し撮ったようだ。
「っ、鳥枢沙摩明王に帰命したてまつる! 鉤をもって、策をもって汝が権威のもとに縛らんことを!」
横島が我に返り、いち早く呪文を唱える。
天台密教において中心的役割を果たす五大明王として伝わる鳥枢沙摩明王。
あらゆる不浄を焼き清める仏の化身の権威を借りて、あらゆる不浄の存在を焼き清める呪法だ。
古代インドにおいてはアグニと呼ばれた炎の神であり、聖なる炎で不浄を清浄と化す権能を持つと言われている。
『オン クロダノウ ウンジャク』
力を持つ言霊。呪文を唱えるとともに、横島が持つ札が紅蓮の炎に包まれ、飛翔した。
『忌火……!』
その力ある火を忌火と呼んだ巫女の表情が恐怖に歪む。
札は大きな炎となり、その中心に巫女を取り込み、その身を激しく燃やす。
『あぁ……あぁぁあああ……』
それは断末魔。
炎が燃やすべき巫女の不浄が尽き、炎もだんだんと小さくなってゆくと、権能の火はついには消えてしまう。
後に残ったのは、うずくまる清らかな雰囲気の巫女。巫女からは黄泉の気配は完全に払われていた。
巫女は呆然とした様子で黒い水が払われた自身の手を見て、そして横島に黒いベールで覆われた視線を向けた。
『夜泉が……払われた……』
『強い霊力……忌火を自在に操るお力』
『……マレビト……いえ……神官様……どうか儀式を……お山を……お救いください……』
そう顔を伏せ巫女がそう言い残すと、横島を神官と呼んだ霊体は霧に融けるように消えていったのだった。儀式、忌火、巫女、そして日上山──わからないことばかりだ。
「あ、あれ? おっかしいなぁ」
そして一方で、どうやら横島は今の結末に納得がいかなかったらしい。
鳥枢沙摩明王の力を借りた炎は穢を打ち払うのみならず、煩悩や未練、苦しみすら焼き尽くし昇天を促すものだ。それほどまでに浄化の炎は強力なもので、横島もその権能を頼んでいたのだから。まして、横島は闘勝戦仏の弟子であり、仏教とも縁が深いため五大明王と実際に対面した経験すらあって、効果は折り紙つきのはず。
巫女は確かに正気を取り戻していた様子だし、彼女が救いを求めていたのならば浄霊はこれで済んでいたはずだった。
(もしかしたら、成仏できない理由があるのかも)
横島には、そうとしか思えなかった。
□
「氷見野さん帰りましょう?」
「でもここに春河がいるんです」
横島が怨霊を退けている一方で、夕莉と冬陽は形代神社へと退避していた。
神社の境内には、過去に供養のために持ち込まれたと思われる人形たちが無数に置かれている。
冬陽が探す春河はここ、形代神社にいるという。彼女自身にも明確な理由わからないが、春河はここにいるとわかるらしい。
そう話す冬陽は疲れ果て神社の境内に力尽きたように座り込んでしまう。その表情にも隠すことのできない暗い影を落としていた。
冬陽は形代神社をどこか焦点の合わない目で見つめる。
彼女の表情が晴れるとしたら、それはきっと春河が帰ってきた時だろうか。
「……百々瀬さんは、私が探します」
それは夕莉なりの決意だったかもしれない。元来、真面目で頼まれごとや困った人を放ってはおけない性格の彼女だ。
その言葉は意外にもスルリと出てきたものだった。