──胎内洞窟。
日上山全域に広がるとされている溶岩洞窟だ。山中には、多数の入り口が確認されており、その全てが内部で繋がっているといわれている。洞内には大量の水が流れており、通り抜けることができる場所は一部しかない。
かつて、日上山では水を御神体として祭っていたとされていることから、山を体と見立て、体内に神を宿すという意味で、胎内洞窟と呼ばれるようになったと伝えられている。
そのため、洞内は神聖な場所であり、入り口には注連縄などが施され、立ち入りは制限されていた経緯がある。
日上山観光化の際に行われたトンネル工事が洞窟の一部に繋がってしまい、トンネル内に大量の水が流れ込み、多くの死者が出るという事故が起こったこともある。それ故に、当時は「祟り」と騒がれたそうだ。
形代神社の拝殿から続く地下への道。
横島と夕莉は、胎内洞窟へと梯子を用いて降り立つ。洞窟内は意外と明るく、居並ぶ石灯籠には火が灯されていた。
洞窟内部は当然のことながら日が入ることもなく、ヒンヤリとしており、壁面はどこも水気で濡れているように感じられる。
曲がりくねり、先の見えない道筋が奥まで続く。足元には大量の水が流れ、その水の流れが横島と夕莉の道行きを阻もうとしているかのようだった。
流れ込んだ水によって、所々では腰下まで浸かってしまうほどの嵩がある。洞窟内に流れる水は夏場だというのに冷たく、あまり長く浸かっていたら体が冷えてしまうだろう。
「夕莉ちゃん、足元滑るから気をつけてな」
「はい……ありがとうございます」
横島と夕莉はそんな胎内洞窟へと辿り着き、人探し──冬陽の友人である百々瀬春河を山から連れ戻すために洞窟の奥へと歩を進めようとしている。
実際にここまで来てみれば、洞窟内では日上山のいたるところから集まり、勢い良く流れ込んできている水の音が轟々と反響し、耳が痛いほどだった。
横島が脚に感じる水の冷たさも、夏場とは思えないほどに鋭く、感覚が鈍ってしまうほど。そして、水流によって壁面が削られてはいるとはいえ、岩肌であることには変わりなく、不意に触れれば肌を傷つけることもある。横島は夕莉に注意を促した。
二人が水流を掻き分け洞内を進んでいくと、いたるところに木彫りの装飾がされた黒い箱が置かれていた。これが子ども霊たちの言っていた匪なのかもしれない。
それら見あたる匪は全て堅く閉じられている──これら全ての匪に人柱が籠められているのだろうか。
ふと、洞窟内に反響するように、どこからか声が聞こえてくる──声の元を探れば、二人の視線の先で黒い匪を背負った男の霊が何事かを呟いていた。
『あの黒い水に触れてはならぬ……』
『それは黄泉から溢れ出た黄泉そのもの……』
黄泉──日本神話における死者の国を示す言葉だ。漢語においては「黄泉」は「地下の泉」を意味しており、それが転じて地下の死者の世界という意味になったという。
また語源については様々だが、黄泉が坂の上、つまり「山の上」にあるとされたことからヤマが訛り、ヨミになったという説もある。
それは日上山にも通じる部分があるだろう。
現に横島たちはまだ知らなかったが、日上山には黒キ澤という伝承もあり、『みやまにくろきさわありにし あるいはこのよのばしょにはあらぬ』という言葉が伝えられている。
山にあるという「くろきさわ」。それは、この世にあって、この世のものではない、という意味か。つまりは、日上山にあるとされる黒キ澤は隠世である黄泉に通じる境界なのだという。
日の本にはこうした黄泉に通じる場所がいくつか存在しているとも言われており、この日上山もいくつかある黄泉へと通じる境の一つなのかもしれなかった。
□
夕莉が射影機を使い、春河の寄香を頼りに影を追っていく。
横島には見えない、夕莉が見る景色にはフラフラと洞窟内の奥へ歩いてゆく春河が映っている。それは過去の記憶の残滓が結んだ幻影だった。
夕莉は、彼女自身が持つ影見の異能を使い、場の物に残された意思を読み取っているのだ。
形代神社に残されていたり、道中で回収した春河のメモ(一*1、ニ*2)を読む。このメモが春河の寄香の一つとなり、春河のもとへと導いてくれるだろう。
夕陽──日上山の頭上にかかる夕陽は、死に魅入られた者を誘う。誘われた人物は神隠しにあってしまうと言われている。
春河には夕陽が見えていたのに、冬陽には見えていなかったという。それが意味する所は、春河のみが日上山に、死に誘われていたということなのだろう。
それは女子高校生の集団自殺で、春河のみが三人の友人の死の間際の想いを受けとっていたからだろうか。
『みんなの心が……いろんな気持ちが入って来て』
春河の心の中には友人たちの死の記憶──悲しみ、諦め、恐れ、様々な感情で溢れている。これらの想いを抱えたまま生きていくことの、何と辛いことか。
『だから、この心を持っていかないと……水の中へ……水の底に……深く……深く……』
寄香が映す春河の幻影が立ち竦み、そう囁いた。
友人たちの想いを抱えて黄泉へと渡る。それが唯一正しく楽になれる方法だと、春河はそう思っていたのかもしれない。
春河のメモにもあった、ずっと最期の1日前の雰囲気とは──春河はずっと死にたいと考えていたのだろうか。明日にもこの世からいなくなるのではないか、とずっと心の中に秘めて。
これが最期だから、と──死の間際が見えてきたことで、逆に今までを振り返る余裕が出ていたのかもしれない。それが生きることを諦め、ある種、覚悟が決まった境地にあるのだとしても。
本当の最期、その時初めて人は人生を真剣に振り返ろうとするのかもしれない。だが、彼女は冷静だっただろうか。本当に、冬陽を置いていくことに後悔はなかったのだろうか。
□
開けた場所に小さな池が出来ており、数個の黒い匪が置かれている。
内一つの匪は半開きになっており、隙間からは生気の抜けかかった白い腕が垂れ下がっていた。
春河の腕だ。
夕莉がゆっくりと匪の蓋をあけると、そこにはぐったりとして、黒い水に浸かっている春河がいた。
「春河ちゃん!」
「春河さん……っ!」
心配そうに春河をみる夕莉と横島。夕莉が春河を匪から出そうと、彼女に触れたとき、春河がここ胎内洞窟に至るまでの道行きを視た。
□
──夕暮れ。日上山中から頭上には夕陽が見えている。
『私はみた……あの夕日を……』
その夕陽は過去、冬陽を含めた友人達と心中を図った時に見たものと同じものだった。
綺麗で、でもどこか物悲しくて、労るように優しい。
『私たちだけが生き残ったときに……』
夕陽に惹かれるように、その光を追って歩みを進め──いつの間にか木々ばかりだった辺りの景色は一変し、仄暗い洞窟の中を進んでいた。
思考が鈍くなっているのか、その違和感に気づかないままに──洞窟の奥に辿り着けば開いた黒い匪があった。
洞窟内で日が射し込むことなどあり得ないことなのだが、春河はオレンジ色の光に眩しそうに目を細めた。
黒い匪の隣には、夕陽のごとく輝く鏡を掲げた老婆が立っていた。
意識が朦朧とする……
ふと、気がつけば春河は匪の中に入り込んでおり……
──ガタンッ!
匪の蓋がひとりでに閉じてゆく。
匪の中は暗く、春河が力いっぱい蓋を押し退けようとするもピクリとも動くことはなかった。
匪の底からは、ゆっくりと冷たい水が入り込み、水嵩はどんどん増えていった。
『ひっ……い、嫌っ、嫌あ!』
パニックになり、叫ぶも蓋が開くことはない。
水嵩は、とうとう息を吸うことも出来ないくらいに増え、彼女の意識を飲み込んでいった。
「ぅ……」
「夕莉ちゃん、大丈夫か? また何か視えた?」
「は……はい」
「そうか……とにかく今は、春河ちゃんを匪から出そう」
夕莉は春河に呼び掛ける。
幸いにも、彼女は生きていたようで、呼び掛けた後にすぐに意識を取り戻すことが出来た。しかし、春河の目はやはり虚ろで、目元には濃い隈が浮かび、明らかに疲労困憊な様子であることがわかった。
「冬陽……」
焦点の合わない目で、夕莉を見て大切な友達の名を呼んだ。冬陽が春河自身のことを迎えに来たのだと思ったのかもしれない。
「融ける……」
夕莉と横島がゆっくりと匪の中から引き揚げる。
「春河さん……大丈夫ですか……?」
「……はい」
しっかりしてと声をかけるも、やはり疲労感が酷いのか、彼女の表情は茫洋としたままだ。
「っ、二人とも下がってくれ!」
横島が何かに気づき、二人に警戒を促すと、二人を守るように前に立ち塞がった。
横島の視線の先、周囲に配置されていた数ある匪の一つ。
匪が不自然に振動する。まるで中で何者かが暴れているかのように。
ガタガタガタ……ダンッ──と、勢いよく匪の蓋が開き……
黒い水の湛えられた匪の中から、ズルリと零れ出る姿があった。
「……っ」
夕莉はその姿を見てしまい、口元を手で隠し、衝撃を隠せない様子でいる。
フラリ、フラリと宙を漂い始めた霊の手足はダラリと垂れ下がり、不自然に伸びている。
『ううぅ、ぅ、ぅ……』
霊は水に溺れたかのように、苦しみもがき、うめき声をあげながら三人に襲いかからんとする。
「生きたまま手足を折られて箱に入れられたんか……苦しかったなぁ……憎かったろうなぁ……」
苦しみ、呻く幽霊を見て、悲しみの言葉を溢す横島。
「すぐに、楽にしてやるからな」
『おん かかか びさんまえい そわか』
『稀有なる御方、地蔵菩薩に帰命したてまつる。汝の慈悲をもって、彼方を救いたまえ』
印を組み、唱えるは地蔵菩薩真言。
仏教における菩薩の一尊であり、大きな慈悲の心で、苦悩する人々のみならず、六道全てを巡り一切の衆生を救うという。
願うは死後の安らぎ。
地蔵菩薩の深き慈悲で、救われぬ者を苦しみからなんとか救いあげて欲しいという祈願。
横島が組んだ印から溢れた光が辺り一面を照らし、横島たちや霊を包む。
暗い洞窟に現れた目映い光に目を塞ぐ夕莉と春河。
閉じた瞳に光が感じられなくなり、再び目を開くと、そこには既に苦しみにもがく霊の姿はいなくなっていた。
「あの、霊は……」
「見送ったよ。大丈夫」
そう言う横島の声は優しく、慈悲が込められているのがわかり、行く末を按じているかのようだった。
しばし瞑目した後、横島は真剣な面持ちで……
──ブエックシッ!
大きなくしゃみをした。
「は、早くここから出よう! あんまりここにいたら風邪ひいてまうで!」
肩を抱いて寒そうにする横島、その様子に夕莉は少しだけ可笑しくなって笑みを浮かべた。
□
「あなたは……」
「私は不来方夕莉、あの人は──」
ズビと鼻を数度鳴らして、ひらひらと笑顔で春河に向かって手を振る横島。
「俺は横島忠夫。……こんな所で出会わなかったら絶対ナンパしてたんだけどなぁ」
そう、ポツリと呟く。口惜しそうに唇を尖らせ、チラチラと向かう視線の先には、春河の大きな膨らみ。
「横島さん……?」
目を細める夕莉にワタワタと弁明する横島。夕莉もだんだんと横島の性格が見えてきていた。
「あなたの捜索を頼まれたんです……歩けますか? とにかく、ここをでましょう」
「はい……私を探してほしいと頼んだのは……冬陽なんですか……?」
春河も自身を探してくれている人に心当たりがあった。
「はい……カフェで氷見野さんが待っています」
春河は今にも消え入りそうに儚かった。色濃い疲労、心理的負担で今にも崩れ落ちそうになっている。
「冬陽……会いたい」
「冬陽……ごめん……私……どうして……一緒にっていったのに……」
「ごめんなさい……許して……」
侵してしまった罪を懺悔するように、謝り続ける春河を前に、横島はひとまずは本当に見つかって良かったと一息ついたのだった。