零 〜濡鴉の巫女と異境のクラウン〜   作:mimick

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再会

 春河を救出し、一路骨董喫茶くろさわに向かう一行。既に辺りが明るくなり始めているなか、目指すカフェの窓からは光が漏れていた。

 

 疲労困憊の春河を連れてカフェに入ると、多少持ち直したのか、不安げな様子で夕莉達の帰りを待つ冬陽と、横島とは面識のない二人がいた。

 

「春河っ……!」

 

「冬陽……ごめんね……ごめんね……」

 

 互いの顔を見て安堵したのだろうか。

 

 崩れ落ちた春河を抱き締める冬陽。二人は感情が振りきれたのか、溢れる涙を堪える様子もなく泣いていた。

 

「えがった……えがったなぁ……」

 

 そんな二人を見て感動してか、えぐえぐと鼻水を垂らしてもらい泣きする横島。

 

「夕莉、お疲れ様。大丈夫だったか?」

 

「はい……蓮さん来てたんですね」

 

 

 夕莉に声をかけたのは蓮と呼ばれる男性だった。

 

「あぁ、少し気になることがあってな」

 

「そうですか……」

 

「それより……彼は?」

 

 蓮が面識のない男性について尋ねる。

 

「……あの人は横島忠夫さん。探し人の春河さんと密花さんを探すのを手伝って貰ったんです」

 

 未だに抱き合う春河と冬陽を見て感動している横島を夕莉は呼んだ。

 

「夕莉」

 

「あの……紹介しますね、こちらが放生蓮さん。作家さんをしています。後ろにいるのがアシスタントの鏡宮累さんです。蓮さんは密花さんのご友人で、その……よく探し物の依頼をしてくれます」

 

 夕莉が口ごもった背景には、蓮がよく物を無くすという理由があったが、そのことには触れなかった。

 

 密花が隠されてしまった物は普通に探しても見つからないのだから仕方ないのだと微苦笑していたのが思い出された。

 

 そうして紹介されたのはボサボサの髪に無精髭を生やした二十代前半くらいの男性と、整った容姿を持つ性別不詳の若者だった。

 

「あっ、どうも横島忠夫っす。よろしくっす、放生さんと……えっと、累、ちゃん? くん?」

 

「あの……呼び捨てでも結構です」

 

「たはは……そっか……(女なのか、男なのかどっちなんだ!? 何となく男装っぽいけど……)」

 

 こういった嗅覚は鋭い方だったが、センサーが鈍ったか? と、どうでもいいことでへこむ横島。

 

 そして、何となく気になるこの二人も日上山にまつわる霊障に関わっているのだろうなと直感した。

 

「ど、どうかしたんですか……?」

 

「たはは、何でもないよ」

 

 夕莉は何故か気落ちした様子の横島に近寄り声をかけた。

 

 二人を見て蓮は思う。あまり人に関わろうとしない夕莉が彼に対しては信頼を抱いているように見えた。いや、抱こうとしている、かもしれない。

 

 横島という青年の名は、密花からも夕莉からも今まで聞いたことはなかった。恐らく、知り合ったのは割と最近のことではないだろうか、と推測した。

 

 密花からも詳しくは聞いていないが、夕莉はもともとは密花に依頼された探し人で、複雑な過去を持っているということは知っていた。

 

 夕莉が気を許せる何かを彼は持っているのだろう。

 

 様子を伺っている蓮に気付いたのか、夕莉が尋ねた。

 

「そういえば、今日はどうしたんですか? 密花さんはまだ戻ってはいませんが……」

 

「あぁ、資料を見せて貰いたいんだ」

 

「資料ですか……? わかりました」

 

 蓮が求めるような資料ならば、事務所にあるだろうか。夕莉の隣で話についていけず、置いてきぼりになってるのか、疑問符を浮かべている横島に説明した。

 

「蓮さんは弔写真を題材とした作品を執筆しているんです」

 

「うへぇ……死後写真っすか……」

 

 横島は渋い表情だったのに対して、蓮は横島からさらりと死後写真という言葉が出てきたことに感心した。

 

 そういう風習があったと知らなければ、出てくるはずのない言葉だ。もしや、民俗学でも学んだ経験があるのだろうか、と。

 

 

 

 死後写真もしくは弔写真──それは、死者を弔う為に撮られた写真であり、19世紀、まだ写真が珍しく高価だった時代に西洋でも行われていた風習だ。

 

 遺族は亡くなった家族や恋人の姿を、その美しさを失われる前に写真に収め、留めおいた。

 

 美しくも物悲しい写真たちの風習は日本にも伝わり、死者の写真が撮られていたという。

 

 まだ写真が高価だった頃は、庶民にとって写真を撮影できる機会は、死後が最も多かったとされることも日本で弔写真が撮られるようになった理由に挙げられるだろう。

 

 現代でも「弔写真」と呼ばれ、撮影された写真はわずかながらに残されている。

 

 そして、横島はそれにまつわる騒動などを何度か経験していた。

 

「もしかして、この辺りにはその風習が?」

 

「あぁ、興味があるのか?」

 

 勿論、死者の写真を撮ることは現代ではタブー視されており、それらの風習が残っているわけではないのだが。

 

「え? えぇ、まぁ……」

 

 興味があると思われたのか、それから蓮の講釈が始まった。

 

 曰く、日本での例は多くはないが、過去、西洋では流行となったこともある。

 

 曰く、西洋での弔写真とは遺族の悲しみを和らげるためにも必要とされた背景があった。

 

 曰く、日本各地にも伝播し、残されているが、特に日上山周辺には多く残っている。

 

 等々……そして、この地域ではまた別の意味合いもあったようだ、とも。

 

 

 興が乗ってきたのか、普段口数の多くない蓮にしては珍しく講釈にも熱が入ってくる。

 

 古くから弔写真が伝わっていた土地と言うこともあり、ここ日上山の位置する水籠地方には写真にまつわる逸話も多い。

 

 多くは「写真に魂を吸われる」といった迷信と似て、写真自体を怖がるものだが、中には当時の風習や、人々の考え方が垣間見えるのだという。

 

 特に、『消える』*1や『写真花嫁』*2の二編は、写真の構造や特性を理解しており、物語としての怖さも備えているという。

 

 

「まぁ、当時の誰もが写真に魂を吸われる、そう信じていたわけではないだろうが、そのような風潮の中で撮影された写真とは、どのような意味、想いが込められたものなのだろうな」

 

「……時を止め、魂を取り出し、封じ込める」

 

「もし写真にそのような効能があることを期待して撮られたのだとしたら、それは、思い出の記録や、弔いというだけではない、根源的な、独特の死生観に根ざしたものなのかもしれない」

 

 過去に思いを寄せるように目を閉じた蓮は、所持していた弔写真を横島に見せた。

 

 当然だが、どれも死後に映されたものであったが、その中の一枚、特に目を惹かれる写真があった。

 

 それ自体は死後に撮影されたものではない、白無垢姿の美しい女性の写し身。

 

『一緒に終わってくれますか?』

 

 写真が動き、そう語りかけてくるような生々しさがある。

 

 そして、横島の霊感がその写真に酷く注意を語りかけていた。いや、実際には横島はその写真に何が込められているのかに気がついていた。

 

「これは……」

 

「それは……ただの花嫁の写真にも思えるかもしれないが、俺は幽婚を目的に撮られたものじゃないかと考えている」

 

「……幽婚すか」

 

「知っているのか? 見かけによらず博識だな君は」

 

「たはは……」

 

 人付き合いのあまり得意でない蓮は度々、不要なことまで口にしてしまうことがある。

 

「先生、横島さんに失礼ですよ」

 

「あ、あぁ……すまない、そういうつもりはないんだが……」

 

 累に注意された。

 

 幽婚とは死後婚。冥婚とも呼ばれる。若くして亡くなるなどして、生前に伴侶を得られなかった者に、死後に伴侶を添えることで冥福を祈る風習。

 

 絵馬などに婚礼の光景を描き奉納する、人形や写真などを相手に形式的な婚礼を挙げるなど、地方により違いがあるという。

 

「日上山でも巫女と幽婚を行う風習があったとされるが……どんな意味があったのかは詳しくはわからない……俺はそれを知りたい」

 

 一方──横島への熱弁を離れた場所から見ていた累はどこか気落ちしたように夕莉に囁いた。

 

「先生は……あの写真の方にご執心なんです。キレイだけどなんだか少し悲しそうな女性……そういうタイプの女性は苦手だったはずなのに……」

 

「累さん……」

 

 寂しげな視線の先。蓮が珍しく饒舌になって横島に写真の魅力や水籠地方の風習について語っていた。

 

 

 

「ゆ、夕莉ちゃん、そろそろ二人が落ち着いたんじゃないかな」

 

 蓮の一向に止まらない話を一端切るかのように、そう横島が指差す方向を見てみれば、二人は何が可笑しいのか今度は笑い合っているようだった。

 

 蓮はまだしゃべり足りなそうにしていたが、横島はうまく話をそらせてホッとしていた。

 

「横島さん、先生がすみません……」

 

 申し訳なさそうに謝る累が少し不憫だった。

 

 

 □

 

 

「どうしてあそこに?」

 

 蓮が春河に尋ねた。

 

「夕日が見えたから……夕陽が近づいてきて……だんだん慣れてきて……融けるみたいで……」

 

 全身から力が抜けたかのように話す春河。

 

「融ける……」

 

 そう小さく囁くように要領をえない内容を話す春河。冬陽と再会した時とはうってかわって茫洋とした表情を滲ませていた。

 

「春河……」

 

 先ほどとは明らかに変質した春河の様子に冬陽は心配そうに彼女の手を強く握った。

 

「とにかく君は帰ってきたんだ。無事で良かった」

 

「……春河ちゃん、気をしっかり持つんだ。そうだ、これを身を離さず持ってて。冬陽ちゃんにもあげた御守りだよ」

 

 そう話し、彼女に渡したのは小さな巾着で、冬陽に渡したものと同じものだった。

 

 無論、中に入っているのは横島の作り出した文珠であり、もし中身を出して玉を見れば『癒』の文字が浮かんでいたことがわかっただろう。

 

 それを茫洋としたままの春河の手のひらにそっと置いたのだった。

 

「夕莉ちゃん、彼女らはしばらくは店の外には出さない方がいいかもな……今、二人を帰せばまた山に行ってしまうかもしれない」

 

「そう、ですね……少し狭くなりますが二人には同じ部屋に泊まっていってもらいましょうか」

 

「あぁ、それがいいと思う」

 

 そのやり取りの様子を蓮の側で見ていた累は、横島が今回のような不可思議な現象になんとなく慣れているように見えていた。

 

 ひとまず、気分の落ち込んだ春河のことは冬陽に任せて四人はその場をあとにするのだった。

 

 ――ただ横島には気掛かりが一つ。

 

 シャワーを浴びて黒い水を洗い流し、服も洗濯して乾かしたというのに、春河からは死者のような黄泉の匂いが消えてはいないことが気になった。

 

 穢れを纏っているのだ。彼女は紛れもなく生者であるというのに……

 

 

 □

 

 

 喫茶の奥の住居スペース。

 

 夕莉は物思いしながら、古い木造の廊下を歩く。

 

(蓮さんと、累さんに、密花さんのことを話さないと……あと、横島さんに今後のことを相談しなきゃ……)

 

「横島さん」

 

「お、どした?」

 

 縁側から外に声をかけると、小さな中庭に張られたテントの中から横島がひょっこりと頭を出した。

 

 横島は中庭の空きスペースにテントを張っていた。日上山で初めて会った時に背負っていた大きなバックパックに入っていたのだろう。

 

 横島からテントを張ることについては、既に相談されていた。

 

 本来の家主である密花は行方がわからないし、かといって部屋数に余裕があるわけでもない。勝手をしてしまったことは、密花が帰ってきた時に謝ろうと思い許可を出したのだ。

 

 

 テント周辺は落葉もなく綺麗に掃除されており、横島がしたものだと思われた。

 

 また、お湯でも沸かすつもりなのか、アウトドア用のガスバーナーコンロがテント脇に置かれていた。

 

「あの……春河さんのこと、手伝ってくれてありがとうございました」

 

「いやぁ、知っちまったらほっとけねーしな。夕莉ちゃんのことも心配だったし」

 

 春河の捜索は元々は密花と夕莉の仕事だ。

 

 それが、横島が手伝いを申し出たことにより、夕莉の負担は大きく減った。特に横島は霊障に関する専門家ということもあってか、襲われた場合の対処にも慣れていた。

 

 夕莉はもし横島がいなかったら、どうなっていたのだろうと思うと背筋がゾッとした。

 

 まず間違いなく1人で日上山をさ迷うことになっていただろうし、冬陽と春河を無事に助けられたかもわからなかった。

 

 横島がいてくれて本当に良かったと、夕莉は安堵していた。

 

「それに……この事件はちょっと根が深いかもしれない。放っておいたらトンデモナイことになりそうだって霊感が囁くんだ」

 

 真剣なトーンで話されたその言葉に夕莉の表情は強張る。

 

「あぁっ、すまんっ。脅かすつもりやなかったんや~。堪忍したってな?」

 

 横島はおどけた調子で、両の手を合わせつつニヤリと笑い、ウインクした。夕莉は何も心配することはないと言う。

 

「あの、それで、今後のことなんですが……」

 

 密花や他の行方不明者の捜索のこともある。またすぐに日上山に入らなければならないだろう。その時にまた横島に手を貸してもらえたら、と夕莉は伝えた。

 

「もちろん! ワイにも密花さんの捜索手伝わせてくれ。まさか……ワイを……置いてくつもりやったんか〜!?」

 

 心底、私傷つきましたみたいな反応をした横島だが、夕莉の心理的負担を慮ってのことだったのだろう。

 

 それが夕莉には、何だかホッと安心したような、からかわれているような微妙な気分にさせる。

 

 ただ、そんな横島を見ていると自然と温度のある笑みが浮かんでくることに彼女自身、気付いてはいなかった。

 

 

 夕莉がカフェスペースに入ると、そこには累が椅子に座って休んでいた。

 

 累も夕莉の存在に気づき、夕莉さん、と声をかけた。

 

「先ほど先生と話したんですが……密花さんが戻るまで、私と先生もできるだけここに顔をだすようにします」

 

「迷惑かもしれないけど……あんな先生でも、気休めくらいにはなるでしょうから」

 

「はい……ありがとうございます」

 

「いえ、本当に。夕莉さんとしては横島さんの方が頼もしく思ってるのかもしれませんけどね」

 

 累は僅かに笑みをたたえた様子で話す。

 

「そ、そんなことは……」

 

 慌てて否定しようとするも、累はわかってますとの澄まし顔。

 

「密花さんの捜索、私と先生も協力します。何でも相談してください」

 

「密花さんはきっと無事です。あの人は……しっかりした人ですから。うちの先生とは違います」

 

 

 累との会話も終え、蓮のいる事務所に向かう。もしかしたら、疲れて寝ているかもしれないとのことだった。全く人の家で……とぼやく累は用事があれば叩き起こしていいという。

 

 蓮の普段の行いもあるのだろうが、全くもって容赦のないアシスタントであった。

 

 案の定、蓮は事務所のソファーで横になって寝ていたが、酷くうなされているのが気になった。

 

「蓮さん……寝るにしても靴は脱いでくださいね」

 

 ここ畳部屋だし……そう呟く夕莉。累の蓮に対する対応が雑になった要因の一端をみた気がした。

 

 ひとまず起こそうと蓮に触れた時に、恐らくは魘される原因だろう蓮の夢を彼女は視てしまった。

 

 

 □

 

 

 菊の紋様の施された小刀──

 

 篝火が煌々と焚かれ、厳かな雰囲気が醸し出された儀式の中。

 

 まだあどけなさの残る少年が、少女の背に小刀を突きつけている。

 

 少年から見える少女の髪は綺麗な曇りのない白で、肩口付近で切り揃えられていた。

 

 髪と着物の隙間からは、白い肌が見えており……

 

『俺が……殺したのか……』

 

 低い男の声──蓮のものだ。

 

 これは記憶なのだろうか。

 

 白い少女が少年に振り返る。

 

『見るな……見るな……』

 

 少女の赤い瞳が少年を見据え――

 

 

 

「っ」

 

 視えてしまったものに、触れた手を引っ込めた。

 

 あれは、何だろうか? 

 

 記憶、にしてもやや時代が古い気がした。

 

 しかし、夢の中の少年には蓮の面影があったのも確かだ。

 

 それに、あの白い少女は形代神社で出会った女の子……? 

 

 そういえば、前に累が言っていた。蓮はじっと見られることが苦手だと。とりわけ、女性に見つめられることは避けていると聞いていた。

 

 夕莉や密花でさえ、そうだった。

 

 蓮が女の人と目を合わせないのは、さっきの夢が影響しているのかもしれないと、夕莉は思う。

 

 

 背後でガチャリ、とドアが開く音がして、驚いた夕莉は反射的に振り返った。

 

「先生、そろそろ」

 

「ん、あぁ……」

 

 

 

「俺は帰る。夕莉も少し休め」

 

「ええ……おやすみなさい」

 

 どこか物憂げな様子の夕莉。反応が鈍いのを気にしつつも、二人は帰宅したのだった。

 

 夕莉の脳裏からは、先ほどの映像がいつまでも離れなかった。

 

 

 □

 

 

 ──狭く、暗い匪の中

 

 ──手足の自由にならない空間

 

 ──唐突に訪れた、わけのわからない状況へのパニックと恐怖心がせめぎ合う

 

 ──自身があの黒い匪の中に閉じ込められているのだと気づくのは直ぐだった

 

 ──隙間なく密閉されているはずなのに、匪に籠められた黒い水はどんどん嵩を増してゆく

 

 ──焦り

 

 ──このままでは溺れてしまう

 

 ──力いっぱい蓋を手で押し、叩きつけるも開くことはない

 

 ──ふと、暗い水面に映る影がある気がして

 

 ──荒い息づかいの私の目の前には、水死体のように青白い女の顔が浮かぶ

 

 ──それは涙のように黒い水を垂れ流す瞳で私を凝視していた

 

 

 

 

「はぁっ……! はぁっ……!」

 

 いつの間にか寝てしまっていたようだ。

 

 ……とても嫌な夢を見た。

 

 短い間に色んなことがあったせいだろうか……

 

 やはり、疲れているのかもしれない……

 

 

 寝汗をかいて服が肌に張り付いているのが気持ち悪い。

 

 気分転換のために部屋の窓を開け、少しの間風を感じて涼む。

 

 辺りは静かな夜だった。ただ夏の虫の鳴き声、カエルの鳴く声が疲弊した精神を癒してくれている気がした。

 

「ふぅ……」

 

 疲労感を隠せず、溜め息をついて窓の縁に腕をもたらせる。視線を中庭に下ろせばランプの柔らかい明かりの灯ったテントがある。

 

 ゴォーというバーナーの炊かれる音とともに、風に乗ってお腹のすきそうな、いい匂いがした。

 

 横島が、インスタントラーメンでも作って食べているのかもしれない。

 

 安堵し匂いを嗅いだせいか、グゥ、と夕莉のお腹が鳴った。

 

「私も少しお腹すいたな……」

 

 頼んだら少しわけて貰えないかなと思い、彼女は中庭を目指して自室から出たのだった。

 

 

 

*1
ある男が、古い本に挟まっていた一枚の写真を友人に見せた。その写真にはぼんやりと人の影のようなものが映っている。友人は、その影をみるなり、「あっ」と叫び、写真を置いてそのまま家を出て行った。その男が残された写真を見るうちに、だんだんと影の姿がはっきりしてきた。写真に写っていたのは、その友人だった。それ以来、その友人の行方はわからなくなったという。

*2
村でも特に評判の悪い怠け者の男が、突然「結婚した」と周囲に告げた。わけもわからず祝い事をした村の男衆だったが、その相手は誰にも見せぬという。確かめに行った者に聞くと、男はたしかに家に帰り、家の中で女と話す声が聞こえたという。ただ、中を覗いても男の背しか見えず、女は家の奥に居るのか見えなかった。数日後、その男は外に出てこなくなり、心配した男衆の一人が確かめに行った。家の中には誰もおらず、一枚の古い写真が残されていた。その写真には、顔を隠した花嫁の横に、いなくなった男が写っていた。写真を見た男は、その写真の花嫁が、笑ったように見えたのだという。

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