香ばしい匂いがする。
嗅いでるだけで腹の虫が鳴り出しそうな、美味しそうな匂いだ。
これは間違いなく料理の匂い。
料理の匂いを嗅いだのなんていつぶりだろうか。
転生してからはゲロマズ魔物飯ばっかりで、料理なんて全っっっく縁がなかったなぁ。
こんな幸せな匂いがするなんて、きっとここは天国に違いない。
そう思いながら目を開けると、何故か白い糸で縛られている自分の姿が目に映った。
……なんで俺は天国で縛られてるんだ?
俺にそういう趣味はないんだが。
はっ!?
まさかここは天国じゃなくて地獄で、幸せな香りに包まれつつも食べられないという拷問の最中なのか!?
「お、やっと起きたみたいだね。今ご飯仕上げちゃうから、ちょっと待っててねー」
あ、はい。
待てと言われたので待つ。
今の声は天使だろうか?
それとも悪魔?
可愛らしい女の子の声だったから天使だと思いたい。
いやでも、どこかで聞いた声だったような……。
まだぼんやりとした頭で辺りを見渡す。
四人の幼女達が、どう見ても下層の化け物ども以上のスピードで追いかけっこに興じているのが見えた。
その近くでは、人間の上半身が生えた白い蜘蛛が、赤ん坊と男の人と一緒に武器を振り回している。
あ、あの蜘蛛から生えてる上半身、クラスメイトの若葉さんに似てるな。
髪とか肌とか白いけど。
え?
なんだこれ?
真面目になんだ?
天国とか地獄とか、そういうカテゴリーで別けられないようなカオスっぷりだぞ。
もしかして夢か?
ああ、なるほど夢か。
道理でいい匂いがするし、照りつける太陽なんて偉大すぎてお目にかかれる訳がないものが見える訳だ。
「ほい、出来た。皆ー! ご飯にするよー!」
さっきも聞こえた少女の声。
それに反応して、カオスな面々が食卓についた。
人の手が全く入ってないように見える森の中に不自然に設置されたテーブルの周りに全員が集まる。
あの武器の素振りさせられてた赤ん坊とか、今にも死にそうな顔してるけど大丈夫なのだろうか?
まあ、夢だから関係ないか。
「はい。君もどうぞ」
あ、どうも。
さっきの声の少女が俺の前にも食事を持ってきてくれて……
「ブヒッ!?」
その姿が記憶の中にある最強の敵と一致して、思わず驚愕の声を上げてしまった。
いやいや落ち着け。
少女に敵意は見えないし、そもそもこれは夢だ。
夢は深層心理を反映してるとかいう話を聞いた事があるような気がするし、だったら深層心理に刻まれるくらいのインパクトがあったこの少女が出て来ても何の不思議もない。
……その理屈で言うと、あのカオスな面々の説明がつかないんだが。
「まあ、そりゃ混乱するよね。説明は後でちゃんとしてあげるから、今はご飯食べよっか。君かなり消耗してるから、食べないと死んじゃうよ?」
「はい、あーん」と言って、縛られて動けない俺に漫画みたいな骨付き肉を差し出してくる少女。
少女の言う通り、頭は混乱してごちゃごちゃとした色んな考えが脳裏を過っていたが、目の前に差し出された料理によって全ての思考が吹き飛んだ。
見た目年下の少女にあーんされる羞恥心すら忘れて、肉にかぶりつく。
……美味しい。
涙が出る程に美味しい。
肉も迷宮の激マズ食材と違って良いもの使ってるし、ちゃんと調味料とかで絶妙な味付けがされてる。
それに何より、前世以来の温かい飯。
こんなん泣くわ。
今確信した。
これは夢なんかじゃない。
この幸せな味が夢ごときで再現できる筈がない。
しばらくの間、俺は夢中で料理を食べ続けた。
少女は甲斐甲斐しく、俺に料理を食べさせ続けてくれた。
「さて。それじゃあ、お腹も膨らんで落ち着いたところで、まずは自己紹介と行こうか。はじめまして。私はアリエル。魔王やってるんだけど、まあ、そういう情報を一度に詰め込んだら頭パンクするだろうし、今はスルーしていいよ」
魔王という単語がスルーされるのを初めて見た。
それはともかく、この少女はアリエルさんと言うらしい。
年下に見えるが、料理をくれた恩人なのでさん付けだ。
そして、名乗られたからには名乗り返さなければ失礼というもの。
しかし、オークには人間の言葉を発声できる声帯が備わっていない。
アリエルさんはそれを察したのか、
『ああ、ごめんごめん。こうしないと君は受け答えできないよね』
口を動かさずに、俺の頭の中に直接声を伝えてきた。
これは……
『念話のスキルだよ。正確にはその上位の遠話だけど。こうすれば声が出せなくても、頭の中で思った事を相手に伝えられるって訳さ』
ああ、そういえばアリエルさんのスキルの中にあったな遠話。
直接戦闘には関係しなさそうだったし、もっとヤバいスキルが大量にあったから印象が薄かった。
なんにせよ、こんな便利なスキルがあるなら素直に使わせてもらおう。
『はじめまして。俺は士道力也と言います』
「うんうん。士道くんね。落ち着いてるし、バーサーク状態も解けてるみたいで何よりだよ」
ん?
バーサーク状態?
「とりあえず、君の現状を説明したいんだけど、いいかな?」
『あ、はい』
そうして語られたアリエルさんの説明に耳を傾けた。
話をするに当たって、アリエルさんが俺を拘束していた糸を外してくれたので、地面に正座しながら聞く。
「まず、君は不遜のスキルのせいで暴走してたんだよ。あのスキルは強力だけどデメリットがあってね。その一つが精神汚染。スキルレベル上がっていくと、とにかく何でもかんでも経験値にしたくなってバーサークしちゃうの。私はそんな状態になって話もできなくなってた君をボコボコにして無理矢理止めた訳だね」
『え?』
何それ怖い。
でも、凄まじく心当たりがある。
あの戦いだけを生き甲斐とするような思考回路。
途中から無限地獄を脱出する事すら頭から消えてなくなり、ただ強くなる事、強い奴を倒す事だけを考えるようになった。
思い返せば、あれは不遜のスキルレベルが上がれば上がる程顕著になっていったような……。
なんという事だ!
成長が早くなるとかいう便利で優秀なスキルだとばかり思ってたら、まさか初期の鑑定とは別ベクトルの外れスキルだったとは!?
いや、それでも不遜のおかげで生き残れたのも間違いじゃないし、メリットデメリットで言えば釣り合ってるか?
「ちなみに、もう一つのデメリットは魂への負担だね。成長が早くなるって言えば聞こえはいいけど、それってつまり持ち主の事考えずに経験値やら熟練度やら詰め込めるだけ詰めてる感じだから、その内注がれる力に魂が耐えきれなくなって破裂する。だから早いところ不遜のスキルはオフにする事をオススメするよ」
『ぬぉおおおお!?』
更に恐ろしいデメリットの話を聞かされて、俺は慌てて不遜をオフにするように念じる。
やり方はこれで合ってたようで、鑑定に表示されている不遜のスキルの表示が灰色に変わった。
た、助かったか……?
「
迷宮から、出た。
そうだ。
俺は今、迷宮の外に居る。
あの無限地獄どころか、迷宮その物からすら抜け出したんだ。
アリエルさんのおかげで。
その事実を改めて認識して、降り注ぐ太陽の光によって実感を得た瞬間。
俺の目から凄まじい勢いで涙が出て来た。
「わっ!? いきなりどうしたの?」
『ありがとう、ございます……! ありがとう、ございます……! 俺を、あの地獄から救ってくれて……!』
こんなに泣くなんて、力士として情けない。
そう思うも、どうしても涙は止まってくれなかった。
『いきなりオークなんかに生まれ変わって……! いきなり襲ってきた大蜘蛛に親兄弟っぽい奴ら殺されて……! ずっと一人で死にかけながら同じ所さ迷い続けて……! まともに眠る事もできなくて……!』
ずっと辛かった。
ずっと苦しかった。
怖かったし、寂しかったし、発狂しそうだった。
力士としての矜持だと自分に言い聞かせ、恐怖無効で不安を強引に誤魔化し、不遜の精神汚染とやらを生き甲斐の代わりに使ってすがり付いて、無理矢理前向いて生きてきただけだ。
それがいきなり救われて、張り詰めていた糸が切れて、不意討ちで襲ってきた感情に涙腺が耐えられなかった。
そんな俺の頭を、アリエルさんは必死で背伸びしながらよしよしと撫でてくれた。
女神か、この人は。
なんでアリエルさんが俺を助けてくれたのかはわからない。
何か事情があるんだろうし、俺を何かに利用するつもりなのかもしれない。
だが、受けた恩は本物だ。
この人は俺の人生ならぬ豚生を丸ごと救ってくれた。
紛れもなく命の恩人である。
『このご恩は忘れません! 一生をかけてお返し致します! 必ず! 必ず!』
それだけ言い切った後、俺は泣き疲れて気絶という情けない形で気を失った。
まだ気絶無効が再起動していないらしい。
こんなに情けないのはこれで最後にしよう。
涙は出し尽くした。
精神汚染による偽りの強さも充実感も、もういらない。
今度こそ本当の意味で前を向いて、本物の強さと誇りを磨きながら、第二の生を生きていこう。
この小さな大恩人への恩返しをしながら。