皇国の艦隊   作:パイマン

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まあ言うまでもないけど、これそういうゲームじゃねぇから!


中編

 人間の兵士に艦娘の武装を施すことで、これを深海棲艦に対抗し得る新たな戦力とする試みは古くから行われていた。

 艦娘を兵力として分析した場合、最大の短所がその絶対数の少なさだった為である。

 艦娘達の『建造』と呼ばれる生産方法や、『開発』による専用装備の製造過程はそれを行う『妖精』に一任され、完全にブラックボックス化されていた。

 極一部の海軍上層部のみがその詳細を知っていると噂されているが、一体上層部の何処までが把握出来ているのかさえ明らかになっていない。

 彼女達を統率する提督達にも例外はなく、建造され、あるいは派遣された艦娘達の性能を把握し、人心を掴み、これを率いて戦果を上げることだけが重要とされていた。

 そんな不鮮明な情報の中で、軍の誰かが艦娘とその武装が別個の存在である点に目を付けた。

 彼女達の装備を、人間の兵士が使用することは出来ないかと考えたのだ。

 結論から言って、その試みは失敗した。

 着眼すべき点が武装の性能ではなく、それを自在に操る艦娘自身の特殊性にこそあると、後になってようやく気付いたのだ。

 彼女達は『人型』であって『人間』ではない。

 強力な火砲を携えた歩兵が徒党を組んで、広大な海上を艦船の機動力によって走破し、物量によって敵を圧倒する――その戦術的構想は机上の空論となった。

 しかし、それらの研究は僅かながら成果を残すことに成功していた。

 新城が身に着けている装備も、それらの産物である。

 便宜上『みずぐも』と呼称された戦闘靴は、人間を水上に浮かせるほどの浮力を生み出す、艦娘達の『足』と似た機能を持っていた。

 理論上は、これによって水上を走ることが出来る。

 しかし、『走る』とあるように、これ自体に艦娘達が標準的に持つような艦船並の推力は備えることは出来なかった。靴自体の機能よりも、操作性の問題だった。

 加えて、両足を使う以上全ての運動にバランスが求められる。

 硬い地面ではなく不安定極まりない水の上である。これを克服するには訓練も当然だが、何よりも適正が必要だった。

 人が、ただ水の上に立つだけではなく、戦場として駆け回る為にはまだまだ解決すべき問題があった。

 新城が貫頭衣のように纏う白布は、靴と同じように全面に水に対して浮力を得る性質を持っていた。艦娘の着る衣服と同じ素材である。

 人間が水の上で転べば、そのまま沈んでしまう。その際に、この布を体と水の間に挟むことによって水没を防ぐのだ。

 防いだ後、起き上がる必要もある。しかも、想定される状況は時間的にも精神的にも余裕の許されない戦闘の最中。やはり、これにも訓練と適正が必要だった。

 そもそも海上という環境自体が、二本足の生物の活動場所として適さなかった。

 常に変化する風、波、晒される紫外線、広大な海上での方向感覚、長時間の航行――。

 結局のところ、人間が人間のまま海の上で戦うなどという構想は、その発想そのものが間違っていると結論せざるを得なかった。

 艦娘とは、それら全てに無条件で適応した『人間の形をした船』なのだ。

 研究の末に生まれた数多くの装備は、ある程度適性があって訓練を積んだ兵士を水の上に立たせる程度のことしか出来なかった。

 そして、新城直衛には適正があった。

 彼は与えられた時間的余裕の中で訓練を続けた。

 彼は、海の上で戦争を始めようとしていた。

 かつて、陸でそうしていたように。

 

 

 

 

「敵に対して白兵戦を仕掛ける」

 

 司令官が告げた作戦に、四人の艦娘達は皆一同に呆けたような表情を浮かべた。

 

「――司令、白兵戦とは敵艦に肉薄して戦闘を行うということでしょうか?」

 

 最初に我に返ったのは不知火だった。

 口調こそ一貫して丁寧だが、そこには形ばかりの敬意しか払われていない。

 実際の内心がどうかまでは分からないが、少なくともその態度がこれまで仕えてきた上官の反感を買ってきたことは事実だった。隙のなさすぎる言動から見下されていると思うのだ。

 上官に嫌われていることを知りながら平然としている態度についてはなおさらだった。

 複数の提督の下にたらい回しにされた結果、放逐された場所が新城直衛の下だった。

 

「後方の敵艦隊に可能な限り接近し、不知火、電の二名による艦砲射撃の後に、白兵戦装備を持つ天龍、龍田、僕で突撃を仕掛ける」

 

 不知火が抱いている本当の疑問を察しながら、新城はまったく平静に作戦の詳細を補足した。

 それを聞き、不知火は僅かに眉を顰めただけだった。

 しかし、その瞳には不満の色が明らかに浮かんでいた。

 

「本気ですか?」

 

 本当ならば『正気ですか?』と問いたいに違いなかった。

 

「司令さん。私、白兵戦をする艦娘なんて聞いたこともないんだけど~?」

 

 不知火の内心を代弁するように龍田が言った。

 顔には小馬鹿にしたような笑みが浮かんでいた。

 彼女もまた、かつての上官と折り合いがつかず、天龍と共に所属していた鎮守府から異動させられた艦娘である。その原因の一つに、このような斜に構えた態度があることは間違いなかった。

 しかし、他人に嫌われることと態度の悪さならば、新城直衛もよほど自信のある男である。

 龍田の態度を咎めることもなく、話を続けた。

 

「前例がないわけではない。君達のような一部の艦娘に白兵戦用の武器が標準装備されているのは、そういった戦闘も想定されている為だ」

「あくまで想定で、理論上の可能性ですよ」

「陸軍で白兵戦を経験した僕から言わせてもらえば、深海棲艦相手の白兵戦は十分可能であり、これによる利点も幾つか考えられる。

 まず一つは近接状態に持ち込むことで、敵の部位をより精密に狙えるという点だ。深海棲艦は砲撃や爆撃に対して強固な装甲を持っているが、全身がそうではない。どんな艦種にも必ず急所が存在する」

「……確かに、当たり所がいいと一発で沈められる時もあるな」

「それがまさに急所だ。現行兵器にも装甲の薄い箇所、重要な機関が集中している箇所など、弱みとなる部分は存在する。遠距離では認識の困難なそれを狙う」

 

 新城の作戦に対して、天龍は肯定的だった。

 一瞬言葉に詰まった後、龍田が質問を続けた。

 

「肝心の急所をどうやって見分けますか?」

「それについては各自の経験や感覚で判断してもらう他ない。資料によると、深海棲艦の人型部分は人間と同じように骨格と内臓で構成されているようだ。狙い目はここだな。僕ならば、腹を刺して抉るか顔を潰す」

 

 電の顔から更に血の気が引いて青くなっていくのを無視して、新城は続けた。

 

「そう上手くいくでしょうか?」

「火力が足りない為、砲撃戦は完全に敵の分野だ。ならば、別の分野になるまで距離を詰めた方が逆に有利になる。そもそも白兵戦による敵の撃破は、副次的な戦果として見込んでいる。本命は、突撃によって混戦に持ち込むことだ」

「つまり、敵の注意を引くことが目的、と」

「僕達の目的は現在交戦中の艦隊の戦線離脱を支援することである。もはや戦術的勝利は在り得ない。敵の包囲網を崩し、味方の艦隊と合流して、速やかにこの海域から退却する。敵艦隊の隊列を壊乱させることが出来れば、撃破は必須ではない」

「まともに戦う手段もなく、最悪囮になるというわけですか?」

「如何に不利な戦況とはいえ、ただ無抵抗に蹂躙されるのは僕の好みではない。

 これも僕の陸での経験によるものだが、敵の殲滅を目的としない場合、数の不利を逆手に取るには敵味方を混ぜ合わせた状況が一番だ。生き残る為には命を捨てた方がいい」

 

 新城は、わざと強烈な表現で最後を締め括った。

 あれこれ理屈を捏ねて安心させるよりも、死地に赴く為の覚悟を決めさせることが重要だと知っているからだった。

 混戦によって敵が同士討ちを恐れる利点や、夜間における視認の困難さが白兵戦下では味方することも考えている。いや、目の前の聡い少女達ならば既に察しているかもしれない。

 しかし、結局のところ最も重要なことは――『任務の達成』

 それに限られるのだった。

 火力が足りない。よって、突撃するしかない。

 それ以外に、目的を達成する手段はない。

 新城直衛は軍人であった。

 

「他に何か質問は?」

「あのっ、提督自身まで突撃に加わるというのは……その」

 

 電が口ごもりながら言った。

 質問というよりも、ただ純粋に新城のことを案じている様子だった。

 

「員数が足りない。火力は無理でも、せめて手数は増やしたい」

「人間のアンタが海の上でまともに戦えるのか?」

 

 天龍が試すように尋ねた。

 

「最低でも囮は一つ増える」

 

 新城は平然と答えた。

 自らはこの場に残って艦娘達だけを行かせたとしても、作戦が失敗すれば艦隊を全滅させた敵から輸送艦の足では逃げ切れない。今、この場で命を捨てねばならないのは新城も同じだった。

 しかし、それを前提として理解していたとしても、超然としすぎた態度だった。

 死を恐れていない。

 少なくとも、外面はそのように装っていた。

 

「気に入ったぜ、アンタの案に乗った。戦いが始まったらオレの傍にいな、敵は皆殺してやるよ」

「そうか。では、世話になろう。だが僕のことは司令か提督と呼べ、莫迦者」

 

 獰猛に笑う天龍を、新城が戒めた。

 二人の様子を、龍田が面白くなさそうに見つめていた。

 不知火が小さくため息を吐き、電は緊張のあまり真っ青になって吐き気を堪えていた。

 

「さぁ、他に確認すべき事項はあるか? ない? ならばよろしい、行動開始だ。急げ。僕らは戦争をしているのだ」

 

 

 

 

 新城の艦隊は作戦通りに行動を開始、いまだ続く艦隊戦の場へと静かに接近していった。

 限りなく速く、そして何よりも静かに。新城が率いる天龍と龍田は、戦場へ浸透するように進んでいく。

 率いるといっても、実際は新城が天龍に牽引される形で海上を移動していた。推力を用いた移動が出来ない為だった。

 二人のすぐ傍に、補助の為に龍田が就いている。

 砲撃戦による光の瞬きが、いよいよハッキリと見え始めていた。音も聞こえる。

 新城は闇を睨みつけつつ、自らの立てた作戦を反芻した。

 夜戦の危険性を電に告げたが、今の新城達にとってこの闇は完全に味方となっていた。こちらが静かにしている限り、敵はまず気付かない。戦闘の最中となれば尚更だ。

 奇襲は、まず成功するだろう。

 海軍のノウハウが通じない艦娘の運用方法の中で、白兵戦については前々から構想していた。

 人型に納まったその身軽さから、自分が率いていた歩兵部隊のような運用が可能なのではないかと最初期から考えていたのだ。

 しかし、結局その構想は海という環境を知ることで頓挫した。

 遮蔽物の存在しない広大な戦場となる海の上では、敵を待ち伏せする伏撃や白兵戦による奇襲が可能になる状況がまず作れない。

 こちらの被害を抑えつつ敵に損害を与える為には、より遠くから、より強力な攻撃を行うことが重要になっていくのだ。

 砲撃、爆撃、雷撃――あらゆる長距離攻撃を遮蔽物もなしにかいくぐって敵に接近する意味などほとんどない。

 部下の前で挙げた白兵戦の利点など、こじつけも良い所だった。

 しかし、嘘は言っていない。

 状況は例外的に、新城の考えた作戦と一致していた。こればかりは幸運だとしか言いようがなかった。

 味方にこちらの動きを知らせていないことも、無意味にそうしているのではない。

 仮にこちらが援軍に向かうことを知らせたとして、上位の権限を持つ相手の提督はどう判断するだろうか? こちらの発案する作戦に素直に乗るか?

 分からない。

 分からない、が。新城達に囮と殿を押し付けて、自分の艦隊を無事に離脱させることを優先する可能性は大きかった。むしろ、判断としては常識的ですらある。

 僻地に配属された小規模な艦隊を犠牲にして、自身の主力艦隊を無事に回収出来るのならば迷いようもない。無駄な危険を冒す作戦に耳を貸すとは思えなかった。

 新城は人柄も顔も知らない相手を、そこまで信用する気にはなれなかった。

 よって、応答をしなかった。

 味方の艦隊にはこのまま戦闘を継続してもらい、その隙に自分達が背後の敵を叩き、退路を確保する。然る後に、共に退却する。難しいとされる撤退戦を、合流した味方の火力で支えながら。

 詰まるところ、新城は自らの作戦を成功させる為に、味方の艦隊の方こそを囮として機能させようとしたのだった。

 この考えに、艦娘達四人の内誰かは気付いたかもしれない。しかし、誰もそのことについて言及しなかった。新城が任務から逸脱することなしに自身の艦隊も救おうとしていることにも気付いたからだった。

 思考を弄んでいた新城は、天龍の動きが止まったことに気付いた。

 予定していた位置に辿り着いたのだ。

 遠くに戦場が見える。陸ならば、まだ大砲などの距離であり、歩兵が戦う距離ではない。

 しかし、人の形に軍艦の砲塔を備えた艦娘にとっては、既に接近戦の間合いだった。

 

「装填、砲撃準備。復唱の要なし」

 

 天龍と自分を繋ぐ牽引器具を外した新城は、小さく言った。

 龍田が装填を終えたのを確認して、新城は状況を見計らった。

 彼自身も艦娘の装備を改良した銃を持っていたが、砲撃に加わるつもりはなかった。

 銃自体の射程距離はともかく、人間では到底当てることの出来ない距離だからだった。

 代わりに望遠鏡を取り出すと、闇の中の戦場へと向けた。

 距離が近づいたおかげで、幾分か様子が伺える。

 深海棲艦の異形の姿が隊列を組み、前方に向かって攻撃を繰り返している。挟撃された艦隊の無防備な背中に。

 戦況を確認した新城の口元が引き攣った。

 敵の数は予想以上だった。駆逐艦も含めれば、こちらの三倍以上はいた。戦艦が吐き出す幾筋もの火線と空母から飛び出す異形の航空機の群れが、更にその数を圧倒的なものに見せていた。

 わずかに呆然としていた。が、自失はしない。代わりに自問が生まれた。どうするつもりだと自分に問い掛けた。本当にあれに突っ込むつもりか?

 畜生。引き攣った口元を無理矢理笑みの形に捻じ曲げる。考えてみれば、これまで戦った深海棲艦は駆逐艦や軽巡洋艦が少数ばかりだった。

 しかし、見ろ。あの化け物どもの威容を。人ならざる深海棲艦達。海の魔物。そんな奴らの中でも格下の手勢ばかりと戦っていた自分が、あの戦場に手を突っ込もうとしている。

 新城は歯を食い縛った。歯の根が合わなくなって鳴り出すのだけは避けたかった。自分がこれまで経験した実戦、その全てで今と同じような恐怖を感じたことを思い出した。

 なんたる小心!

 なんたる情けなさ!

 何もかもが嫌になってくる。

 準備を命じたまま、黙り込んだ新城を龍田が訝しげに見つめた。

 攻撃開始には命令が必要だった。状況を見計ることはあっても、何かを待つ必要はない。新城の決断一つなのだ。

 伺った新城の横顔には、歪んだ笑みが浮かんでいた。恐怖を誤魔化した為の歪みだったが、龍田はそれを誤解して受け取った。気を取り直して前を見据えた。

 ただ一人、新城の恐怖を誤解なく察している者がいた。

 天龍だった。

 彼女は、不安定な海上で体を支える為に無意識に自分の肩に置かれた新城の手が、震えていることに気付いたのだった。

 天龍はその震えについて何も言わなかった。

 ただ、そっと新城の手に自分の手を重ねた。

 その瞬間、彼の中で全ての決断が下された。

 間髪入れずに新城は叫んだ。

 

「打てぇ!」

 

 龍田の14cm単装砲が轟然と火を吐く。闇が消えた。

 たった一発きり。武器としても弱い部類に入る単装砲だったが、砲声と衝撃が新城の全身を恐ろしくも力強く叩いていた。

 砲弾が敵中に叩き込まれる。

 

「着弾確認」

 

 新城の肉眼では見えないものを捉えたらしい龍田が呟いた。

 しかし、効果があったかは分からない。

 数秒の間を置いて、後方から砲声が連続して響き渡った。

 龍田の砲撃を合図にして、不知火と電もまた砲撃を始めたのだ。

 やはり効果があるかは分からない。威力も数も十分ではない。

 その砲撃に新城が期待する効果は別にあった。

 再び望遠鏡を凝視し、敵集団の旗艦が――指揮官が何処にいるのか、それだけに集中していた。

 突撃を行うにしても、最初の一撃で最も効果的な箇所を狙わなければならない。

 そのおおまかな見当はすぐについた。突然の横合いからの砲撃に乱れ始める隊列――混乱しているように見える――の中から、比較的乱れの少ない範囲を見つけ出す。

 野戦経験の豊富な新城にとって識別は十分可能なことだった。

 再度、後方からの砲撃。新城は自分が間違っていないことを確かめた。目を付けた連中の周囲だけ、混乱が少ない。統率する者がいる証拠だった。

 

「突撃準備」

 

 新城は命じた。

 天龍が刀剣を、龍田が薙刀を構えた。

 新城自身も銃剣を装着して長槍と化した銃を片手に携えている。もう片方の手は、天龍の肩をしっかりと掴んでいた。

 天龍が肩越しに振り返った。物欲しげな目付きだった。

 

「欲しいかい、天龍」

 

 新城の口元がこれまでより大きく歪む。

 

「僕も同じさ」

 

 提督と艦娘の願望は完全に一致していた。

 新城は背筋を伸ばして、後方の不知火や電にも聞こえるような大声を張り上げた。

 

「――目標、敵後方艦隊! 総員、突撃にぃ、移れェ!」

 

 新城の体は一気に前方へと加速した。

 彼自身の脚力ではない。掴まっている天龍が最大船速で突撃を開始したのだった。

 凄まじい速度の中で、新城は振り落とされまいと必死になった。

 実際に艦娘と同じ戦場に立って、改めて実感する。彼女達は人間を超越した戦闘兵器だ。移動に追従するだけで精一杯なのだ。

 転べば死ぬ。必死にバランスを保った。

 艦娘達は人間では考えられない運動性能によって、そもそも転倒しない。彼女達が海に沈む時は死んだ時だけである。

 作戦通り、不知火と電は手を休めることなく砲撃を継続して三人の突撃を援護している。

 天龍は方向を僅かに修正し、そして更に加速した。

 その瞬間には、新城は自分から手を放していた。

 慣性で水上を滑りながら、急激に減速していく。

 それを天龍とタイミングを合わせて加速した龍田が追い越していった。

 先んじて戦場に飛び込んだ二匹の美しい獣が接敵し、進路上に立ち塞がっていた深海棲艦『軽巡ヘ級』二隻に突撃した。

 奇しくも、人型の深海棲艦である。二人がそれらに突撃する様は、歩兵戦闘を経験した新城の目には酷く馴染み深いものに映っていた。

 銃を前方に突き出し、天龍の残した加速の勢いに乗りながら敵中を駆け抜ける。

 何度か経験したが、やはり水上は不安定すぎる足場だった。陸で雪の上を走る以上に足をとられやすい。

 急激な方向転換など不可能だった。

 新城は最初から定めていた標的目掛けて身体ごとぶつかっていった。

 少女のような人型の肉体に巨大な異形を帽子のように被った姿の『空母ヲ級』――新城が指揮官だと判断した深海棲艦だった。

 

『――ヲ゛ッ』

 

 呻き声のような奇妙な音が、敵の口から洩れた。

 新城の接近に気付き、丁度良く身体を向けたところへ銃剣が突き刺さった。

 予想外の手応えだった。銃剣が柔らかいものへ沈み込むような感触が両手に伝わる。剣先は空母ヲ級の人型の部分、その腹部を捉えていた。

 艦娘達の突撃はともかく、人間である自分の攻撃が通用するかは半ば賭けだった。

 装甲に弾かれた場合は、そのまま零距離での射撃を試すつもりだった。

 しかし、事前の見立ては驚くほど的中し、人型の部分に装甲の硬い感触はなく、刃は容易く敵の体内に到達し得た。

 新城は事前に宣言した通りのことを行った。

 握っていた銃身を捻った。刃が体内を撹拌し、敵は何かを絞り出すような音を口から吐き出した。腹部から血が噴き出す。驚いたことに赤い血だった。

 新城は銃剣を引き抜いた。更に出血は酷くなった。

 人間ならば致命傷だ。

 そう判断したのが間違いだった。

 次の標的を探して姿勢を変えた途端に、腕を掴んで引き戻された。

 目が合った。

 瞳が光っている。照り返しではなく、眼球自体が不気味な発光をしている瞳だった。

 青白い少女の顔が、何の表情も浮かべずに新城を見つめていた。

 銃剣は上を向いている。片腕を掴まれている。臓腑の奥深くから絞り出される奇怪な叫びと共に、新城は銃床を首筋目掛けて突き出した。

 空母ヲ級の首は半ば潰れ、少女の形をした頭が奇妙な角度に垂れた。

 新城は彼女の上半身に足をかけ、銃床を抜こうとした。離れない。わけの分からぬ呻きを洩らしつつ、新城は同じ動作を繰り返した。視野が狭まる。呼吸と動機が無闇に激しくなる。

 自棄になった。銃身から手を放す。無意識のうちに両手を胸に擦り付けて、手のひらにこびりついた何かを拭おうとした。

 全く意味のない行為だった。しかし、理由はある。

 美しく幼い少女の顔を持つ生物の首をへし折った時に感じた、妙な柔らかさのある手応えはあまりにも気色が悪すぎた。

 最後に覗き込んだ顔が、天龍、龍田、不知火、そして電の顔にも見えた。

 行為に没頭する新城は気付かなかった。

 腹から臓物と血を出し、首が垂れたままの空母ヲ級がゆっくりと立ち上がろうとしていた。

 

「天龍様の攻撃だ! うっしゃぁっ!」

 

 雄叫びが耳朶を打つ。

 新城が我に返った時、既に駆けつけた天龍が軍刀を振るって空母ヲ級の顔面を横に割っていた。

 敵は崩れ落ち、今度こそ絶命して海の底へと沈んでいった。

 

「轟沈っと。へへっ、やるじゃねぇか! 生身で空母を墜とした男って自慢出来るぜ?」

「……助かった」

「ああ、言ったろ」

 

 天龍はにっこりと笑った。新城を励ましているようだった。

 自分が愚かな真似をしていたことに気付いた。銃は敵と共に沈んでしまったが、まだ腰には鋭剣が残っている。武器に執着する必要はない。

 そもそも人間が白兵戦で深海棲艦を討ち取るには限界があると悟った。攻撃が通じたとしても生命力が凄まじい。そんな当然のことにも思い至らなかった。

 

「敵はどれだけ倒せた?」

「思った以上に上手くいったぜ。軽巡二隻を始末して、駆逐は数えるのも面倒になっちまった。この周囲は一掃出来たぜ」

「上手く敵の横合いから肉薄出来たからだ。正面からの戦いではこうはいかない」

 

 嗜めながらも、新城は天龍の目覚しい働きに感謝した。

 おそらく、自分があれだけ間の抜けた真似をしても生きていられるのは、天龍と龍田がそれ以外の敵を片付けてくれたからだ。

 敵が奇襲に対して体勢を立て直す前にどれだけ討ち取れるかが問題だった。

 拙速こそが肝となる作戦だったが、白兵戦の経験がない二人の実力は未知数だった。

 しかし、それも明らかになった。素晴らしい素質があり、そしてそれが戦場で目覚めたのだ。

 天龍の額には返り血がこびりついていた。

 新城は猫にそうするように、額を揉む形でその血を拭ってやった。本人も意識していない、まったく自然な動作だった。

 天龍は一瞬驚いたような顔をしたが、目を細めてそれを受け入れた。

 訓練された猛獣が、自らの殺戮を主人に褒められて喜んでいるような姿だった。

 龍田が戻ってきた。こちらも顔と薙刀が敵の血に塗れている。

 不知火と電の砲撃は止まっていたが、離れた位置で未だに戦闘を続ける味方の火砲の光が闇を断続的に消していた。

 その光に照らされた天龍と龍田の姿を見た新城は、奇妙な感動を覚えていた。

 ここは控え目に見ても地獄だ。しかし、地獄には地獄なりの残酷で美しいものが存在する。それがこの二人なのだと思った。

 

「味方の艦隊の様子は分かるか?」

 

 新城は龍田に尋ねた。

 後方から攻撃していた敵は撃滅したが、この位置からでも肉眼では様子は分からない。

 

「大破2が轟沈2に変わりました。艦隊の数は残り4となり、更に大破2、小破1が追加です。加えて、前方の敵艦隊に別の援軍が到着したようです」

 

 龍田は報告した。

 悲痛な響きはなかった。ただ悪態を叩きつけるような声だった。

 

「なるほど」

 

 新城は冷然たる表情でそれを受け止めた。

 顔も知らない沈んでいった者達を悼む気持ちはなかった。

 味方を救う為に決死の行動を起こした結果死んだ者があり、そして今まさに自分を含めて更に死んでいこうとしてる。なんとも現実的だな、と思った。

 

「そいつは素敵だ。面白くなってきた」

 

 そう静かに応じた新城の顔面には、邪悪な笑みがはりついていた。

 それを正面から受け取った龍田の顔から一瞬表情が消え、やがて復活した。

 その顔付きには、新城直衛に対する明らかな敬意が表れていた。

 

「ええ、まったく楽しくなってきましたわ、提督」

「他に楽しい話は?」

「今の内に下がらなければ、私達も含めて全滅しますね。今のところ、それが一番いい話です」

 

 新城は視線を移した。

 後方にいた不知火と電がこちらと合流しようと、向かってくる姿が見える。

 二人には戦況を確認し、突撃による奇襲が失敗するようならば撤退を、成功して退路が確保出来た場合は改めて味方に通信を送るように命令を下していた。

 間もなく、艦隊は撤退を開始するだろう。

 もちろん敵は追撃してくる。

 大破によって足の遅くなった味方もいる。

 

「天龍、龍田。海ではどうか知らないが、陸の兵隊は走るのが商売だ」

 

 新城は新たな命令を下した。

 

「その商売をしようじゃないか。不知火、電と合流の後に味方艦隊の撤退を援護するのだ。今度は状況が違う。無闇に突っ込まないよう、注意しろ。僕の命令に従え。いいな?」

 

 天龍と龍田は驚くほど素直に応じた。

 

 

 

 

「すっごいです、提督!」

 

 合流した電が開口一番にそう言った。

 新城に対する尊敬の念に溢れた笑顔だった。

 

「こんな作戦、誰も考えたことありませんでした! しかも、それを成功させちゃうなんて……本当にすごいですっ!」

 

 凶相が形容し難い表情に歪んだ。

 もしかすると生まれて初めてかもしれない、新城直衛に対する真っ直ぐな称賛を受けて、一体どんな顔をすればいいのか分からないのだった。

 わけの分からぬ呻き声を喉の奥で鳴らして、結局新城は電から視線と話をはぐらかせることしか出来なかった。

 同じく合流した不知火に向き直る。

 

「これより味方の撤退を援護する。大破している者や、孤立している者を可能な限り救助しろ。もちろん、僕も参加する」

「つまり、こちらから味方の艦隊と合流するということですか?」

「その通りだ」

 

 わずかな迷いも見せずに新城は答えた。

 その命令に、不知火は表情には出さずに驚いていた。

 味方の援護をするという命令に疑問はない。元々、行動を起こしたのもその味方からの支援要請を受けたからだ。

 しかし、現状でその命令は既に果たしていると言って良い。

 後方から攻撃していた敵艦隊を撃滅し、退路を確保した。敵の撃破が副次的な戦果であると事前に想定していたことからすれば、この時点で十分過ぎるほど戦果を上げている。

 あとは、味方がここまで後退してくるのを待つか、この場でそれを援護すればいいのだ。

 課せられた義務は果たしている。

 不知火が驚いたのは、新城がその義務を越えて、自ら更に危険を冒そうとしていることについてだった。

 味方を救助する為には、前進しなければならない。当然、敵に追い立てられる味方と接触するのは、いまだ続く戦場の最中ということになる。

 自分達の倒した敵が決して弱いとは言わないが、主力艦隊と正面から殴り合っていた敵艦隊は更に危険な戦力を有しているはずであった。しかも、今はそこに新たな援軍も加わっている。

 

「難しいですが」

 

 不知火は言った。

 そこには新城の真意を図る意味があった。

 

「だからどうだと言うのだ」

 

 新城の顔に浮かんでいたものは、傷ついた仲間を一人でも救い出そうとする決死の覚悟でもひたむきな健気さでもなかった。不知火が息を呑むほどに、より凄惨なものだった。

 

「莫迦と勇者は命の値段が違う。不知火、その程度の勘定は誰にでも出来るはずだ。違うか?」

「はい。申し訳ありません」

「急げ、時間を掛けるほど死んでいく。味方も、僕達もだ。行動を開始する。電」

「はい!」

 

 電はすぐさま応じた。

 

「君は僕と共に行動しろ。いや、違うな。僕が君の世話になる、牽引してくれ」

「分かりました、任せてください!」

 

 

 

 

 後方の敵を全滅させた為、味方の艦隊と合流するまでの間には奇妙な空白が出来上がっていた。

 何処か遠くの戦場のようにも思える、艦砲の音を聞きながら、新城と電は海上を走っていく。

 他の三人は、既に最大船速で先行させていた。

 

「しかし、この方が効率が良いとはいえ、いささかみっともないな」

 

 自分よりも体格の小さな少女に牽引されるという状況に、新城は小さな声でぼやいた。

 小柄とはいえ、新城を引っ張りながらの電の航行速度はいささかも衰えていないように思える。少なくとも、自力で海の上を走るより遥かに速い。

 新城が自らの足で海上を走る場合、文字通り両足を交互に踏み出して『駆ける』形になる。

 戦闘靴が持つ浮力で水面と靴底を反発させるのだ。多少コツが要るが、この反動を利用した走り方は意外にも陸でのそれよりずっと速い。

 しかし、当然のように足腰に負担が掛かって体力も消耗する。広大な海を長距離移動出来る方法ではないのだった。

 加えて、やはり艦娘達の航行速度や航行距離には到底及ばない。

 人が馬や車に勝てないことと同じだった。

 

「いえ、お役に立てるなら幸いです!」

 

 聞こえていたのか、と新城は顔を顰めた。

 作戦の成功以降、電が彼に向ける感情は手に取るように分かるほどの敬意に満ち溢れている。

 しかし、自分の部下から尊敬と信頼を勝ち取ったことを誇るような気持ちは全く湧かない。愛らしい少女からの好意という意味でならば、尚更である。

 経験や付き合いの浅い新兵が、こうして好意的に、あるいは全く逆の批判的に新城を誤解するのはよくあることだった。そして、そのいずれも彼にとっては迷惑このうえないことだった。

 

「それに、提督はみっともなくなんかありませんよ。かっこいいです!」

 

 新城はため息を吐いて、戦場に辿り着くまでの僅かな間に、目の前の純粋で無知な少女の誤解を解こうとした。

 

「電。君は僕を尊敬しているのか?」

「えっ!? あ、はい! そうです!」

「そうか。しかし、それは大変な誤解だ。僕は人道や道徳に則って判断を下したわけではない。ただ当たり前の勘定をしただけだ」

 

 不知火に対して告げた内容を反復するように、新城は言った。

 まったく嘘偽りのない本心だった。

 

「はい。分かっています」

 

 電は肩越しに新城を見上げた。

 子供らしい、明るい笑顔だった。

 

「でも、あなたは命を懸けて助けようとしています」

「味方だからな。敵は助けない。いや、まあ捕虜など様々な状況はあるが」

「はい。すみません」

「別に君の考えを非難しているわけではない」

「ありがとうございます。でも、わたしは提督が誰かを助けることの出来る人だと知って、嬉しいんです」

 

 新城は、もう何も言うことが出来なくなった。何を言っても、繕っているように聞こえてしまうと思った。

 砲声が徐々に大きくなり、視界に移る水平線が赤く燃えている。

 戦場が近づきつつあった。先程まで、新城が血に酔い、殺戮に狂っていた戦場が再び訪れようとしている。あそこでは『まともなもの』など何の価値もない。

 しかし、目の前にあるものは何処までも『まともなもの』だった。

 平穏の中にあって、美徳とされる尊いものだった。

 

「えっ、なんですか? 提督?」

 

 新城は、電の頭を撫でていた。

 子猫にそうするような、自然で優しい手つきだった。

 

「いや、僕は戦場でなんて贅沢をしているのだろうと思ってね。ありがとう」

「は、はい? いえ……その、どういたしまして?」

 

 戸惑う電を見て、新城は束の間笑い声を上げた。

 妙な納得と安堵感を覚えていた。このまま帰って、飯を食って寝てしまいたい気分になった。

 しかし、そうもいかない。

 ここは戦場なのだ。仲間との交流や束の間の平穏を味わうことで、その現実を忘れ、あるいは逃げようとした者から死んでいく。それを新城は十分に理解していた。

 いよいよ、砲声が大きくなる。いや、砲撃の熱量と衝撃が戦場の空気を通して肌に感じられるほどの距離だった。

 既に、死地に足を踏み入れている。

 電と共にその最中を突き進むと、途中で引き返してきた不知火と会った。肩には、大破した艦娘を担いでいた。

 

「状況はどうだ?」

「動けない状態の者は、この一人だけです。他の者は、前方の敵を牽制しつつ、後退しています」

「よし、先に下がれ」

「この先に一人、味方の戦艦が残っていますが、退却に応じようとしません」

「分かった。そいつを連れて、僕達も後退する」

 

 不知火の言った艦娘は、すぐに見つかった。

 事前の情報通り、戦艦クラスの艦娘だった。

 前方の敵艦隊に対してたった一人で仁王立ちし、大口径の連装砲を撃ちまくっている。

 その砲撃は、人の形をした火山が噴火したかのようだった。

 軽巡洋艦クラス以上の艦娘を初めて見た新城は、その圧倒的な戦闘力に感嘆を抱いた。同時に呆れてもいた。陸で砲兵の運用に頭を悩ませていたのが馬鹿馬鹿しくなった。

 同じ艦娘で、ここまで差があるものかと思う。共に戦ったことで天龍達の強さを実感出来たが、目の前の彼女一人だけで自分の艦隊の火力を凌駕しているだろう。

 しかし、如何に単体で強力な火砲を備えようと、所詮は多勢に無勢だった。

 周辺には敵の残骸が無数に浮いているが、前方からは援軍を得た敵の大艦隊が更に迫りつつある。

 加えて、その艦娘自身も大破状態だった。砲塔の一部が損壊して黒煙を上げ、肉体も負傷している。よく見れば、右足が足首まで海に沈んでいた。

 文字通り、沈没しそうになるのを必死で堪えているのだった。

 それでも尚、怯むことなく敵を見据えて佇む姿に、新城は嫌な予感を感じた。

 得てして、こういった蛮勇を発揮する輩が死地で選ぶ末路というものは決まっている。

 

「ビッグ7の力、侮るなっ!!」

 

 再び、連装砲が爆炎を吐いた。

 凄まじい砲声と衝撃に顔を顰めながら、電と共に歩み寄る。

 

「救援に来ました! 仲間の皆さんも撤退を始めています、早く行きましょう!」

「おおっ、よく来てくれた! 艦隊の皆を頼む!」

「既に僕の部下が支援にあたっている。君も早く後退するんだ。これ以上ここに留まると、逃げ切れなくなるぞ」

 

 新城は現実をもって説得しようとした。

 事実、敵影はここから肉眼で見えるほどの距離にまで近づいている。

 

「私はここで殿を務める! ここは任せて、お前達も先に下がれ!!」

 

 その艦娘は振り返りもせずに叫んだ。

 

「危険だ」

 

 電が何かを言いかけるより先に、新城が口を挟んだ。

 

「それに意味がない。敵の追撃を抑える必要があるのは、この海域を離脱するまでの間だけだ。深海棲艦は自身の領域を逸脱して追ってはこない。早急な戦線離脱を優先すべきだ」

 

 新城の言うとおりだった。

 その存在が発見されて以来、深海棲艦は生息海域をまるで侵蝕するように少しずつ広げていっている。その侵攻を防ぐことは容易ではなく、艦娘達の力をもってしても敗退は幾度となく繰り返されていた。

 しかし、実際に戦術的敗北を喫した場合、撤退自体は比較的容易に成功した。

 それは深海棲艦の習性に関係する。彼女達は、何故か自らの生息領域を越えて活動をすることがなかったのだ。

 よって、その領域自体は常に変動しているものの、撤退を行い、一定の境界線を越えた時点で敵からの追撃は終了する。

 今回のように敵の挟撃を受けて退路を断たれでもしない限り、艦隊の損害を考慮して一時撤退を選べば、全滅はまず免れることが出来るのだった。

 より多くの味方が生き延びる為には、決死の覚悟で殿を務めるよりも、文字通り逃げることが重要なのである。

 

「ここに残って支えるよりも、後退しつつ、その火力で敵へ遅滞行動を行え」

 

 新城の言葉は、まったく建設的な意見だった。

 しかし、艦娘はその言葉を無視した。

 彼女は頑なに前方の敵を見据え続けていた。

 

「君はここで名誉ある討ち死にが望みか? 負け戦で撤退の失敗した戦艦に名誉が残っているかは知らんが」

 

 隣で聞く電が青褪めるほど強烈な表現を、新城はあえて使った。

 それでも、その艦娘は振り返ろうとしなかった。

 

「……仲間が沈んだのだ。私の目の前で、二人も。戦友だった」

 

 暗く深い場所へ沈み込むような声で、ぽつりと言った。

 

「何が旗艦だ。何がビッグ7だ。私は責任を取らねばならない。沈んでいった彼女達の為に、私は最期まで戦い抜かねばならない。さあ、分かったら行け!」

 

 悲壮の覚悟を決めた勇ましい後ろ姿を、新城は冷めた目で見つめていた。

 

「なるほど。つまり、君は死して無能な護国の鬼となることを望むわけか」

「なんだと!?」

 

 艦娘は激昂して、振り返った。

 

「貴様、死んでいった者を侮辱する気か!?」

「沈んでいった君の仲間とやらの顔さえ僕は知らない。ただ一つ言えることは、死んだ者がこの世の何かを動かすことは出来ないということだ。ならば生きて姑息な弱兵と誹られた方が、僕としてはよほど好みだ」

 

 そう告げる新城の表情を目の当たりにして、艦娘は言葉に詰まった。

 その一瞬、彼女の持っていた覚悟は確かに新城直衛という男の持つ意志に呑み込まれたのだった。

 それでも何かを反論しようと口を開きかけ、それを遮るようにすぐ間近に砲弾が着弾した。

 爆風がなぶる中、新城は挑むように前を見据えていた。

 

「さて、ここで僕が死んだ場合、君が足を引っ張って死んだことになるのかな。提督を死なせた艦娘か。栄誉ある最期として記録されるといい」

「――くそっ! 貴様、あとで覚悟しておけよ!」

「電、彼女は僕が支える。君が牽引してくれ」

 

 新城は素早く指示を出した。

 戦艦クラスは体格にも反映されるのか、同じ艦娘であっても電との体格差は大きかった。男でも小柄である新城より、更に背が高い。

 その体格差を、新城が間に支えとして入ることで埋めるというものだった。

 電は了解を返そうとした。

 再び砲弾が落下したのは、丁度その時だった。

 しかも、今度は接近した敵艦隊の一斉砲撃だった。

 周囲で着弾の爆発が滅茶苦茶に起こり、さすがに今度は新城も立ってはいられなかった。

 水上に倒れ伏す。纏っていた布が間に挟まり、浮力を発生させて水没を防いだ。

 数秒後に我に返り、衝撃でまだぼうっとしたまま、不安定な水面からなんとか身を起こした。

 慌てて全身を確認した。服や外套はあちこち破れているが、幸い手足を欠損するなどの重傷は負っていない。あれほどの爆発の中で奇跡だと思った。

 周囲を確認すると、元々水没しかけていた右足が更に膝半ばまで沈み始めている艦娘の姿があった。

 慌てて引き上げる。

 

「電、無事か!?」

「はいっ、ここにいます!」

 

 新城の呼びかけに応えて、電が手伝った。

 

「被弾したのか!?」

 

 電の装備の一部が爆発したかのように黒焦げになって欠損していた。

 

「大丈夫です!」

 

 新城の心配をよそに、力強い返事が返ってくる。

 実際のところどうなのかは分からないが、悠長にしている暇はなかった。

 次に砲撃を受けた時、また運よく無事に済むとは限らない。

 それ以前に、敵が近づきすぎていた。早くここから離れなければ、逃げ切ることが出来なくなる。

 もはや沈まないように堪えるだけで精一杯な艦娘の身体を新城が支え、その新城を電が牽引する形で退却を始めた。

 

「装備を捨てろ、重すぎる!」

「く……くそっ! 栄光ある我が艦砲が!」

「電、行けるか!?」

「い……っ」

 

 二人を引っ張り、電は移動を始めた。

 最初は緩やかだった航行速度が、やがて一気に加速する。

 

「電の本気を見るのですっ!」

 

 背後から迫る敵の気配と遅れて響く三度の砲声を聞きながら、新城達は今宵の地獄から脱出を開始した。

 

 

 

 

 いまだに水平線から日の出は見えない。

 しかし、時刻からしてもうじき夜が明けようとしていた。

 戦場の音は、もう聞こえない。

 新城達は、無事に港へ帰り着くことに成功していた。

 

「提督。ご無事で何よりです」

「不知火か」

 

 港から陸地へと上がった新城を一番に迎えたのは、不知火だった。

 海域から離脱して港に辿り着くまで、一時間以上掛かる航行距離だったが、不知火は全く疲労した様子はなかった。しかし、当然ながら新城の方は疲れ切っている。

 自分の足で動いてはいないとはいえ、不安定な水上で常にバランスを取りながら長時間牽引され続けていたのだ。ある意味、陸軍で経験した長期間の行軍よりも辛い。全く変わり映えしない周囲の景色に狂いそうになった。

 その場に座り込みたくてたまらなくなる。

 しかし、指揮官としての意地と見栄があった。

 新城は立ったまま、不知火に訊いた。

 

「天龍と龍田はどうした?」

「同じく、無事に到着しました。しかし、両名とも被弾しており、現在チェックを受けています」

「大丈夫なのか?」

「一応の検査です。おそらく小破ですらありません」

 

 不知火の見立てを証明するように、新城はこちらへやって来る天龍と龍田の二人を見つけた。

 改めて、周囲を見渡す。

 当然ながら、港と言ってもここは新城達が所属する基地ではない。

 撤退を支援した艦隊が所属する鎮守府の一角である。

 すでに到着していた艦娘達は、大破した者を優先して施設へ運び込まれていた。

 さすがに本来の形を持つ母港本拠地である。提督と部下の艦娘以外は妖精くらいしかいない新城の基地とは違い、人間のスタッフや他の予備艦隊の艦娘達を何人も見掛ける。

 誰もが、半壊状態で命からがら帰還した主力艦隊の対応に大荒わだった。

 新城は、今更になって共に帰還した電と大破した艦娘のことに思い至った。

 

「不知火、こちらの事情は説明してあるか?」

「はい、簡潔ながら」

「ならば、何人か手配してくれ。救助した最後の一人だ、大破している。それと、電も被弾したようだ」

「分かりました」

 

 指示を出したあと、新城は後ろを振り返った。

 さすがにここまでくれば戦場での勢いもなく、大破した艦娘はダメージを受けた身体で膝をついていた。倒れないのは、最後の意地なのかもしれない。

 すぐ傍で、電が腹を押さえて蹲っていた。

 装備に被弾した状態で二人を牽引し、ここまで辿り着いたのだ。無理をしていたのは間違いない。

 新城は電に向けて歩き出した。

 もはや、彼女を一人の兵士として認めている。

 働きをねぎらってやるつもりだった。

 

「電」

「……提督」

 

 掠れた声で、電が言った。

 顔を上げる。

 その顔を見て、新城は強い違和感を覚えた。

 何処かで見慣れた顔だった。

 

「わたし、がんばりましたよね……?」

 

 電が崩れ落ちるように、ぐったりと横たわった。

 新城はようやく気付いた。

 彼女の顔に浮かんでいたものは、戦場で何度も見てきたもの――死相だった。

 

「しっかりしろ!」

 

 新城は電を抱き起こした。

 

「療兵! 療兵! 急げっ!」

 

 辺りを見回して、必死になって叫んだ。

 しかし、駆けつける姿が見えたのは天龍と龍田の二人だけだった。

 他にもこの鎮守府に所属する数名の艦娘が見えるが、皆突然の事態に呆然としているばかりだった。

 新城は彼女達に激しい苛立ちを覚えた。

 腹の底から叫ぶように何かを命じようと口を開きかけ、そこでようやく我に返った。

 まるで負傷兵に対してそうするように療兵を呼びつけたが、それが何の意味もないことに気付いたのだ。

 療兵を呼べば、どうなるというのか。

 例え、死ぬほどの重傷だったとしても、それが人間だったのならまだ処置の仕方は心得ていた。

 しかし、今自分の腕の中で死のうとしているのは人間ではない。艦娘という存在なのだ。

 彼女を、どうすればいいのか分からなかった。

 どうすれば助けることが出来るのか、全く分からなかった。

 

「いいんです」

 

 生気の失せた顔で電は言った。

 自らの死を受け入れた者が見せる、特有の笑顔を浮かべていた。

 新城にはそれがよく分かっていた。

 

「もう、助かりません」

 

 力を失った手が地面に落ち、それが覆い被さって隠していた傷をあらわにした。

 それを見た新城は、喉の奥で呻き声を上げた。

 電の小さな身体に、おそらく砲弾によるものと思われる黒い穴が空いていた。傷口が炭化しているのだった。

 被弾したのは装備ではなかった。彼女自身だったのだ。

 新城は彼女の完遂した行動を思った。

 腹に砲弾で穴を空けられた状態で、自分達を一時間以上牽引し続け、無事にこの港まで送り届けたのだ。

 凄まじい事実だった。

 天龍と龍田が新城の下へ駆けつけた。

 しかし、もはや何の意味もなかった。

 

「提督、電の本気……ちゃんと見てくれましたか?」

「もちろんだ、電」

 

 新城は優しく応じた。

 

「君は任務を果たした。ん? 少し疲れておるようだな」

「大丈夫です、提督。大丈夫……」

 

 それが自分自身のことなのか、あるいは別のことなのか、新城には分からなかった。

 もはや、彼女が助からないことは誰の目にも明らかだった。

 電は、ここではない何処か遠くへ向けるような目をして、小さく呟いた。

 

「次に生まれてくる時は……平和な世界だといいな……」

 

 電は意識を失った。顔に浮かぶ死相は明らかなものになっていた。

 新城の目尻が引き攣った。

 電が自分の為に行ってくれた献身が、健気な言葉が、臓腑に突き刺さる刃のように感じられていた。

 

 ――指揮官は戦場で死傷する部下の親兄弟について、考えてはならない。

 

 そのことを新城は知り尽くしていた。

 いちいち、ああこいつの親兄弟はと思っていては、どんな命令も下せなくなる。優れた司令官であることは、冷酷であることと同義なのだった。

 ならば、目の前の少女の死はどうだろう?

 人ならざる艦娘。海軍の中には彼女達を人間ではなく兵器だと割り切る者もいる。

 間違いではない。彼女達に仲間や同類はあれど、血の繋がった親兄弟やこの世に残す家族はいないのだ。

 電を喪うことで、遺され、悲しみに明け暮れる者はいない。

 それならば、人の死より幾らかマシではないか。

 背負うものも、軽いのではないか。

 そんなはずがなかった。

 そのような思考が可能であるわけがなかった。

 新城は戦場で部下を失うことに慣れていた。

 いや、慣れてしまった。

 恨まれることも、憎まれることも、畏敬されることも同じだった。

 しかし、彼は知らない。

 子犬のようにただ自分を慕い、命令に従い、そして死んでゆこうとする部下への責任の取り方だけは。

 

「許しは乞わない」

 

 力の失われつつある少女の小さな手を握って、新城は言った。

 彼の言葉を、天龍と龍田、駆け戻ってきた不知火、そしてその光景に偶然遭遇するに至った他の艦娘達、全てが聞いていた。

 

「だが、後悔だけはさせない」

 

 

 

 暁型4番艦・駆逐艦『電』は夜明けを待たずに死んだ。

 

 

 


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