俺が錆兎を想うようになったのはいつからだろう。
沈む俺を叱咤してくれた時か。
最終選別で命を救われた時か。
いや、違う。
出会った時から錆兎は俺の特別だった。
失いたくない。隣にいて笑っていて欲しい。
この感情が分からなかった。皆がそれを恋と呼んだ。
そうか、俺は錆兎に恋をしているのか。
気づけて嬉しかった。同じ気持ちじゃない事が悲しかった。
一方通行の恋は胸の内にしまっておこう。
そのつもりだった。
『義勇は錆兎が大好きなんだね』
『派手に隠す気ねえだろ』
『祝言の日を楽しみにしている』
他の面々からもこの通り。
相思相愛だと二人以外の全てが思い込んでいる。
傍目にすらこれだけ分かりやすいなら錆兎が俺の想いに気づいていないはずがない。
なのに錆兎は俺の慕情を否定してくる。つまり錆兎に俺への恋愛感情はないという事だ。
やんわり諦めろとそう言いたいのだろう。
だが俺は錆兎の元を離れたくない。
『俺達はただの親友だ』
その言葉は、嫌がるお前に欲望をぶつけるような事はしないから隣にいさせてくれという懇願だった。
親友を失う痛みに比べたら失恋程度どうってことない。
いつかお前が誰かと結ばれた時、俺は笑顔でいたい。
今はまだ難しいけれど。
錆兎が食事に誘ってくれた。
上質な着物を纏って、化粧で傷を隠して。二人で出かける為に錆兎が美しくなってくれた。
というのは自惚れで真菰と双葉さんに無理やり弄られただけのようだが、それでもこの姿を見れたのが嬉しくて口元がにやけてしまう。
だがこんなに美しいと錆兎はどこかの男に奪われてしまうかもしれない。
いや、奪われるというのは違うな。錆兎は好きになった相手としか付き合わない。
錆兎が選ぶんだ。そして断られる事はまずないだろう。
ああ。錆兎が選ぶのはどんな男だろう。
まず『傷物だけど貰ってやる』なんて態度の奴は論外だ。顔の傷を気にしない相手が良い。
錆兎は強いが自分の限界が分からない時があるから気づいて止められる人が良い。
錆兎が望む相手なら顔にはこだわらないが、二人並んでも見劣りしない器量だと尚いいかもしれないな。
それなら仕方ないと思えるから。
まあ錆兎なら相手が余程酷い男でない限り上手く行くだろう。
唯一の条件は『錆兎に選ばれる事』。それだけのことを誰も達成できていない。
そもそも結婚する事が錆兎の幸せなのか? 見知らぬ誰かに行き遅れと言われようと女一人で生きていける人生の方が良いかもしれない。
錆兎の幸せとは何だ。考えていても埒が明かない。
「ご夫婦ですか?」
「同じ家に住んでいる」
食事処の娘に夫婦かと聞かれて肯定するような事を言ったのは迂闊だった。
浮かれていた。迷惑だっただろう。だが錆兎はやめてくれとは言わなかった。
珍しく自分の事を『私』なんて言っている。だが少し無理をしているようにも見えた。
無理に女らしさを目指さなくても良いと思う。錆兎がやりたいなら止めはしないが。
今日は無理やり着せられただけだがいつか自分からこうした装いをして振り向かせたくなる相手が錆兎にもできるのだろうか。
胸が痛んだ。
***
日差しが強まり始める初夏の朝。
錆兎は朝からの任務だった。
鬼退治ではないから危険はあまりないとのことだが義勇は錆兎の事ならいつだって心配だ。
「身の安全を第一にしてくれ」
「分かった分かった」
「俺達はまた二人で食事に行くんだ」
「そうだな」
「錆兎、これを受け取ってほしい」
あるものを手渡した。
「何だ?」
「お守りだ。藤の花が入っている」
「助かる、貰っておこう。俺の出番が必要な鬼だと気休め程度にしかならないだろうが」
「中身は胡蝶達だ」
ただの花ではなく含まれる成分を濃縮したので効果は大きい。
「なら安心だな」
他にも藤以外も鬼の毒になり得るかの研究なんかもされている。
西塔が「豆を投げたら一瞬怯んだ」と言っているが豆を投げたから鬼を追い払えたのか単に何を投げても怯んだのかは不明だ。
「錆兎の好きに使ってくれ。鬼に投げてもいいし他人に渡してもいい」
藤のお守りを使わずとも充分に強い彼女のことだから後者を選びそうだ。
「分かった」
「最近暑いから気をつけてくれ。あとは」
義勇は久々に出てきた『直感』の内容を伝えた。
「だそうだ」
「……? わかった、会ったら気にかけておく」
「頼む」
そうして錆兎を見送る。
「相変わらず格好いいな」
好きだ。
義勇も今夜は久々の任務だった。
一般隊士なら数十名は必要な任務を一人でこなし屋敷に帰還。
真菰が座って本を読んでいる。
「ええと、最終選別って育手の許可があれば年齢制限ないよね。あ、でも無断で参加した例もあるのか。場所さえ知ってれば行けちゃうもんね。それにしても『無欠』以前の死亡率高すぎだよ。練度の低い人を適当に送り出してる人もいたのかな。何十人喰った異形が生まれちゃった理由もそれ? それで二人が死んじゃったら損失が大き過ぎない? やっぱり瀬尾さん良い仕事してくれたんだな。私も頑張らなきゃ」
独り言だった。
「おかえり義勇」
「ああ、今戻った」
真菰はしおりを挟んで本を閉じる。
「別に読んでいて構わないが」
「いいのいいの、ちょっと話したかったから」
「何をだ」
「錆兎から連絡来たの。『義勇の言う通りだった、気にかけておく。しばらく戻らない』って」
「そうか。何故俺ではなく真菰に」
少し寂しい。
「次は私の仕事だから。今はその為の段取り考えてるところ」
「分かった。頼む」
「任せといてよ。それにしても世の中って広いんだね。まさかあんなことがあるなんて」
「それはどういう」
「大丈夫、良い知らせだから安心して」
真菰はそろっと立ち上がる。
「ちょっと耳貸して」
隣に寄ってくる。低めの真菰の為に義勇は少しかがむと。
「正気か?」
耳打ちされた内容に義勇は固まった。
脳が理解を拒む。
「あはははははっ。まあ信じられないのも無理ないよね。錆兎も手紙の字震えてたもん」
「事実なら良い知らせではあるが」
「でしょでしょ? 楽しみだな」
両手を合わせてにこにこしている真菰。
「浮かれて足元を掬われるなよ。真菰にも任務があるだろう」
「ん、分かってるよ。ちゃんと生きて戻るから」
「真菰は案外急な事態に弱い所が心配だ」
今は心を鍛えているから昔ほどではないが、小さい頃は咄嗟の事があるとパニックになりがちだった。
「あー……そうかも。義勇は意外とよく見てるよね」
「長い」
「ふふ、付き合い長いもんね」
「あまり根を詰めすぎるな」
「まだ大丈夫、と言いたいところだけど。義勇が言うならちょっと休憩。錆兎の話でもしようよ」
「する」
義勇は錆兎の事を語り始める。
「錆兎は強くて気高い。厳しさの中に優しさがあって、俺が後ろ向きになると叩いて前を向かせてくれる」
「だよね」
「それでいて俺は錆兎を儚いと思っている。錆兎は優しすぎて誰かの為に身を投げ打ってしまうから」
「錆兎のこと『儚い』って表現するの義勇くらいだよ」
「駄目か」
「ううん、むしろ最高」
「客観的に見て女性らしい体つきになっているが錆兎は女扱いされる事を好まない。だがこの前二人で食事に出た時は随分と美しくなって驚いた。思っていたより嫌がっていないように見えたが気のせいだろうか」
「どうだろうね」
真菰が笑っている。義勇には真意が読めない。
「義勇は本当に錆兎のことが大好きなんだね」
「好きだ」
色々な意味で。
「言っておくが俺の一方的な感情だ」
「そうだね……頑張って」
「分かった」
(いつか錆兎を幸せにしてくれる人が現れたら、俺は潔く身を引くべきなのだろう)
だが、その時まではせめて親友でいさせてほしい。