この世の最悪を詰め合わせたような悪夢じゃないか。
俺の命より大事な弟が殺された。
どうして身体が半分になってるんだ。一目で即死と分かる状態に現実を受け入れられなかった。四人がかりで二人死んで、食らいついて、それでようやく討ち取れたもの。首魁を除けば最強の鬼はこれほどまでにおぞましいのか。
変幻自在の城で繰り広げられる月との攻防。たった一つ残されたものが零れ落ちていく。
何もできなかった。
弟さえ生きていれば他に何もいらなかったのに。
過去のような未来のような、それでいて現実感の強い悪夢で飛び起きる。
「クソ……寝起き最悪だ」
***
真夏の夜に呼び出しを受ける。下弦の肆と遭遇したから救援に向かえ。
よりによって今日かよ。行くけど。
そういや『無欠の再来』から一年近く経ったな。思えばあっという間だった。
鴉の誘導を元に辿り着く。
血の臭いがむわりと吹き付けて吐きそうだ。
既に十人近くの屍が転がっていた。
全滅だ。間に合わなかったか。
人間だったものが真っ二つに割かれている。
みぎとひだり。俺の血管もブチ切れそうだ。
「悪趣味過ぎんだろ」
臓物がはみ出てもうグチャグチャだ。
一人だけ立っている姿が見える。月明かりに照らされた水色髪の少年。これが十二鬼月。瞳に書いてある。
少年は返り血も気にしていない様子で話しかけてきた。
「君の顔は知ってるよ。柱だよね?」
分かった、こいつは死ぬべきだ。俺が殺す。
「前から思ってたけど若くて美味しそうだね」
くたばれ。脈打つ怒りは心臓の音すら感じ取れる程。
「ちゃんと半分こにしないと。この前は殺し損ねちゃったから」
奴の言葉一つ一つに青筋を立てながら緑色の刀で斬りかかる。
―風の呼吸 壱ノ型 塵旋風・削ぎ
クソッ、避けられた。
「綺麗な武器だね。どこから盗んできたの?」
何言ってんだか。正真正銘俺の刀だ。
「鬼に話すことなんざねえよ。皆殺しだ」
言葉を、動きを、研ぎ澄ませろ。
「アイツが幸せになる為の世界に鬼はいらねえ」
吐き出せるのは暴言ばかり。それで構わない。
この棘で弟を守れるなら。
「俺は風柱の「僕の世界に君はいらない」」
人の話を! 遮るんじゃねえ!
鬼が歪な微笑みを浮かべて指を振り下ろす。
指先から人間大の高さに成長した刃が飛来した。
なるほど、これを食らって真っ二つにされたわけだ。許せねえ。
横に飛んで回避しつつ飛び込む。
刀を振るうが腕で庇いつつ後退された。鬼はこれができるから厄介だ。斬ってもすぐ戻りやがる。十二鬼月なら猶更の速さだ。
「柱くん雰囲気変わったよね。もしかして髪切った?」
湿気った空気が気持ち悪い。
「……それにしても暑いな」
汗が額を滴り落ちる。熱帯夜は嫌いだ、さっさと終わらせたい。
「今日は特に暑いよね、わかるよ。君の頭も冷やせたらいいんだけどあいにく氷とか出せないし」
再び鬼の指から刃が振る。まともに食らえば左右に分割まっしぐらだ。流石は下弦の肆、速度も威力も段違い。だが本質的には単調な技だ。横に飛んで避ければいい。
口で言うのは簡単だがこの速さを避けられなかった屍が転がっているのが奴の実力だ。
俺は風だ。風になるんだ。
「いいからさっさと死ね」
「そのきつい口調どうにかしたら?」
「黙れ」
弟は優しいやつだった。
「嫌われるのが正しいって信じてたな、俺は」
夢の中ではそれが精一杯だった。
突き放して危険から遠ざけたつもりでいた。
俺は弟に戦いの素養なんてないと吐き捨てた。嘘だった。
本当は才能があるとかないとかの話じゃなかった。刀なんて持たずに安全な場所で生きていてほしかった。
その結果が『アレ』だ。
もう繰り返さない。あの日何も出来なかったけど今はきっと違うはずだ。
今度こそは死なせてたまるか。今度? あの日って何だ?
まあいい、とにかく決めてんだよ。弟は俺が守るってな。
「君も半分にして送ってあげる」
鬼が作り出した線の隙間を縫って左右に移動しつつ進撃。
「わあ速いねぇ」
「僕ね、弟がいるんだ」
そうかよ。だから何だ。
「あの子には美味しいもの食べさせてあげたい。だから君は死んで」
「その言葉そっくりそのまま返してやるよクソ野郎」
帰ったら一緒に西瓜食おうぜって約束してんだよ。ここで死ぬわけにいくか馬鹿。
空間や精神に干渉する厄介な術使いも多い中でこいつは単に『指から刃を発射して人間を縦に真っ二つにする』だけだ。戦法もずっと変わらない。
やってる事は力押し。
いくつもの型を放つが決定打には至らない。
だがこの速度、俺なら避けれる。もっと速い奴と散々稽古した。
一気に飛んで距離を詰める。
指さえ注意して見ればいい。
そう思っていたのが間違いだった。
新たな刃はどこからともなく現れた。
俺の真横から。空気の揺らぎで気づく。
「僕が縦にしか斬れないと思った?」
「奥の、手……」
全てはこの一瞬の為と思い知らされる。
「わかった。君、前より弱くなってるんだね」
「ふざ、けんじゃ、ねえ」
刃が近づいてくる。
これは……斬られる?
半分に?
駄目だ。よりによって今日死ぬわけには。
だって絶対悲しむだろアイツ。
悪夢の瞬間を思い出す。
認めてたまるかこんな終わり方。
落ち着け。咄嗟の事態に対応できずして何が鬼殺隊だ。
ただ向きが違うだけだろ。
とはいえ飛び上がった直後。俺の身体は空中に。このままだと着地前に斬られる。
腕をひねって緑刃を鬼の術に叩きつける。
鬼が作った武器なら日輪刀が効くはずだ。
試みは成功した。俺の身体は両断されることなく着地。
「ったく、誕生日なのに最悪だ」
吸い込む息が暑い。この時間に許される気温じゃねえだろ。
「ハァ、ハァ……」
極限状態の訓練なら受けてきたが、死の恐怖をここまで強く感じたのは初めてだ。
「柱って凄いね」
もう一度斬り込む。刃がどこからでも飛んでくることを想定して。
鬼への怒りを乗せた風になれ。
「その頸よこせクソ野郎。……師範が西瓜用意して待ってんだよ」
「すいか。夏の風物詩だねえ。僕も弟と一緒に食べたことあるよ。弟は塩を振る派だったなあ。僕はそのまま」
どうでもいい話は無視。師範の動きを真似て踏み込む。あの人を俺に憑依させる。
考えが何となくわかるから出来る芸当。
多分根本は似てるんだ。
厳しさの中に隠した優しさは紛れもなく『兄』のそれだったから。
「俺は風柱の継子、時透有一郎だ!」
師範の暴風を再現しろ。
弟の道を邪魔する奴は全部切り刻め。
―風の呼吸 参ノ型 晴嵐風樹
「死ねぇ!」
勢いのままに頸を、取った。
落ちる。これまで何百人も殺してきたであろう外道をようやく討ち取れた。
消滅する前の頭部が話しかけてくる。
「あれ。もしかして双子だった?」
だから何だ。鬼と話す事はない。
「僕もなんだ。いつもお饅頭とか色々半分こしてた」
真菰さんの言葉を思い出す。頸を斬っても完全に消滅する所を見るまで安心してはいけない。
「食べ物は何でも半分こにしてたんだよ」
十二鬼月の瞳から何故か一筋涙が落ちる。鬼でも死ぬのは怖いか。自業自得だ。
「全部思い出したんだ。
理解した。してしまった。
「ハッ、全くだな。最悪じゃねえか。弟殺して喰っただと? ちっとも笑えねえ。さっさと地獄に堕ちろ、二度と戻ってくるな」
鬼が完全に塵と化した事を確認して鴉に頼む。
「米寿、終わったから隠呼んでくれ」
「ワカッタ!」
鬼を倒した安堵で疲労がどっと押し寄せる。
ふらついて地面に座り込んだ。
程なくして使いがやってきた。
「有一郎様!」
「鬼は殺した。他は見ての通りだ。後は頼む」
「かしこまりました」
これで少しは無一郎に近づけただろうか。
あいつの方が強い事なんて最初から分かってた。
それでも守りたい。たった一人の弟だから。
俺が望むのはそれだけだ。