隠と話していた無一郎だが、その手首は乱暴に掴まれた。
「無一郎は柱だぞ。こいつの時間は戦えないお前らとは価値が違うんだよ」
瓜二つの顔と色違いの羽織。
「兄さん……?」
呆然とする弟の意向を無視して手を引く。
「さっさと修行するぞ。今日は師範との打ち合いだ」
「不死川さんの? 分かったけど引っ張らないで」
「時間は有限なんだ、経験積むぞ。お前才能だけはあるんだから」
「えっと、ごめんね?」
隠に謝って兄の言う通りについていくしかなかった。
「師範、弟連れてきた」
「おう有一郎。なんか弟元気なさそうじゃねえか」
無一郎が何かを言う前に遮られる。
「気のせいだろ」
「僕は、別に。大丈夫」
(兄さんは僕をただの戦力としか見てない)
入隊してからずっとそうだ。
『才能のない奴がある奴の代わりに死んだ方が効率的だろ』と言って叱られていた。
兄と間違えられた無一郎にまで批判が飛び火する。この時ばかりは双子である事を恨む気持ちにもなった。
この苛つきは修行にぶつけてしまおう。
辛くなったら無一郎はカナエに話を聞いてもらったり錆兎や真菰を思い出す事にしている。何もできないと思っていた自分を最初に見つけてくれた錆兎や天才だと褒めちぎりながら才能を花開かせてくれた真菰は無一郎にとって特別な存在だった。二人の大切な人だという義勇も口下手なだけで悪い人ではないのだろうけれど、如何せんあまり話したことがない。
錆兎は有一郎に追い返されてもめげずに通い続けてくれた。
『鬼殺隊の誰よりも才能がある』と褒めてくれた。
今まで無能と責められ続けたのが一転。入隊の瞬間から皆に天才だと持て囃された。
成長速度が他人と違いすぎるのは客観的な事実だけど、真菰の指導が良かったからでもあると無一郎は思っている。
入隊してから皆の幸せを壊す鬼は許せないという気持ちもどんどん膨らんでいった。
(どうしてもっと早く来てくれなかったと責められることもあるけど、それ以上に助けてくれてありがとうという声が聞けるのが嬉しかった)
助けた中には刀を取る者もいた。
勿論鬼と戦って死んでしまう人も多かったけれど、真菰の指導を受けた者が生存率が高かったのも事実だ。
錆兎の活躍で命を救われた人は本当に多い。今の隊士の中にもたくさんいるはずだ。
さらに錆兎と真菰が『義勇がいなければ死んでた』と口を揃えて言うのだから、冨岡義勇とやらは直接的にだけでなく間接的にも何百人、何千人の命を救っている事がわかる。その数字はこれからも増え続けるだろう、違う、この手で増やしていくんだ。
(僕にもこんなに出来ることがあったなんて)
家事とかは全然駄目で兄の手を煩わせてばかりだったのに。
「僕は大丈夫だよ。不死川さんとの稽古は学べる事が多くて面白いし」
無一郎の根本にあるのは『皆を守りたい』『上達していくのが楽しい』という思いだった。
鬼殺隊に入った事で無一郎は本当の自分を取り戻せたような気がしている。
「そうだ、僕も冨岡さんみたいに新しい型作ってみたんだけど。どうかな」
「型? 分かった、受けてやるよ」
―霞の呼吸 漆ノ型 朧
選別時は型と呼べるほどじゃなかったけど、今なら自信を持って言えるから。
型を見せ終わるとおもむろに近づいてきて。
「流石だな」
頭をわしゃわしゃ撫でられた。
「不死川さん!?」
褒められてしまった。
兄は不機嫌な顔で俺の師範なのにと呟いていたけれど。
「あのな、無一郎。型なんてポンポン生み出せるもんじゃねェのは知ってるか」
「え?」
義勇の圧倒的な守りだけでなく、錆兎の荒波の如き剣技も、真菰の九尾式(あれはどちらかというと既存の型の亜種か)も見てきたから皆出来るものだと思っていた。
そう伝えるとアイツら全員凄えんだよと返された。
しばらく水屋敷にいると『普通』の基準が狂うらしい。
そういえば少しだけ一緒に修行した他の人たちはやってなかったな。あれ、手を抜いてるわけじゃなかったんだ。
現在の柱達には基本五種のいずれかを使う者も多いが、派生呼吸を使う者も多い。
だから感覚が麻痺しがちになるが、そもそも『新たな呼吸、或いは型を新たに生み出せる』事自体が柱級の潜在能力と努力でようやく辿り着ける境地なのだ。
合わない呼吸を自分用に調整しても多くの場合『ちょっとだけ本家と違う』程度にしかならない。
そこまで説明されて無一郎は改めて照れてしまう。
顔が怖くて厳しいと敬遠されがちな実弥だが、本来は面倒見がいい兄気質だったりする。
無一郎はそれを知っていた。
「今日はこれくらいにしとくか」
「ありがとうございました!」
どれだけ色々な人に褒められても、どれだけ鬼を斬っても、柱就任最短記録を更新しても。
無一郎の中には、何かが足りないという思いが残っていた。
***
無一郎は兄に会うために風柱邸を訪れた。
家族二人で住むという提案もあったけれど有一郎に断られてしまったから。
どうやら先客がいたらしい。
錆兎が有一郎に何やら言っているのが聞こえた。
「有一郎、その言い方は何とかならないのか」
「ほっといてくれ」
「そんな事してると弟に嫌われるぞ」
「別にいい」
無一郎は別に良くなかった。
(錆兎さん、僕達のこと気にかけてくれてるんだ)
以前、兄の冷酷な態度について相談したからだろう。
錆兎は明るくて誰にでも優しい。無一郎はそう認識している。
自分はモテないと錆兎は思っているようだが実情は違う。錆兎に想いを向ける者がいないのではなく勝ち目がない恋だとわかり切っているだけだ。義勇が牽制している事も、たぶん錆兎だけが知らない。
錆兎に憧れた無一郎だがこの境遇で恋になんて育つはずもなかった。
「お、来てたのか無一郎」
錆兎の声だ。
「うん。兄さんの顔が見たくなっちゃって」
「失せろ」
兄の反応は冷たかった。
「だから言い方を考えろ!」
速攻で錆兎に叱られている。
有一郎の暴言は続く。
「稽古に来たのかと思えば『顔が見たくなっちゃって』? そんな理由で油売ってる場合かよ。せっかくの才能腐らせるような真似しやがってこの無能が」
音が響いた。
錆兎が有一郎を平手打ちしたのだ。
「いい加減にしろ!」
「っ……何しやがる」
睨んでくる有一郎に錆兎は続ける。
「無一郎の顔見てみろ、泣きそうになってるじゃないか。たった一人の家族相手に向ける言葉がそれか?」
「実弥もどうして止めないんだ。お前こいつの師匠だろ」
「こうなったら何言っても聞かねェ」
「それを聞かせるのが仕事じゃないのか」
双子にそれぞれついている鎹鴉、銀子と米寿までも口論を始めた。
「アノ子ハ天才ダカラ凡人ト話ス時間ナンテナイノヨ!」
「ソレニシテモ可哀想ダロ! 葉子ダッタラ絶対ニ言ワナイ事ダ!」
実弥は有一郎の味方というスタンスを崩さない。
「全く、埒が明かないな」
錆兎ですら根本的な考えを変えさせるには至らなかった。
兄の顔は一応見れた無一郎だがとぼとぼと帰るしかない。
「柱になっても駄目。どうすれば認めてくれるのかな」
「僕、もっと強くなるよ。ならなきゃ、いけないんだ」
***
有一郎の元へ米寿が伝えたのは、弟が重傷で蝶屋敷に運ばれたという事だった。
それを聞いてすぐさま駆けつける。
「おい! 無一郎は生きてんだろうな!」
走らないでくださいという声も無視して弟の元へ急ぐ。
そこで彼は眠っていた。
しのぶが病室まで見舞いに来た有一郎を迎える。怒りながら。
「走らないでという声が聞こえなかったんですかね?」
「……悪い」
今日のしのぶは一段とピリピリしている。
「無一郎くんは『無欠の再来』に恥じない成果を見せるんだと焦っていました。誰一人仲間を死なせまいとして隊士を庇ったそうです。傷は治っているはずのに、未だに目を覚まさないんです」
「庇われた方もいい迷惑だろ」
こんな天才の代わりに生き残ってしまったら罪悪感が酷い事になりそうだ。隊の奴らはお人好しが多いからな。
「治療の参考に日記を拝見させていただきましたが、随分と心労が溜まっていたのがわかります。目覚めないのは精神的な問題が大きいでしょう」
これは貴方が読むべきですと渡された無一郎の日記。
そこには『錆兎さんや真菰さんの修行は大変だけど楽しい。どうして皆嫌がるんだろう』とか、『僕達無欠の神童の再来って呼ばれてるんだって。色々な人に褒めてもらえるのは嬉しいな』とか、最初は無邪気な文面から始まった。
しかしその明るさは少しずつ薄れている。
『まだ足りない』
『無一郎、そんな事じゃ何もできずに野垂れ死ぬだけだぞ』
『そうだね。僕もっと頑張るよ』
『足りねえんだよ愚図』
一人で書いているはずなのに掛け合いが続く。
きっと想像上の兄と会話しているのだ。
有一郎は最後の文章を読んで固まった。
ぐちゃぐちゃな字で、こう書いてあった。
『兄さん、どうか認めてよ。僕は天才だって証明するから。だから見捨てないで』
冊子を閉じると。
「読みましたか、読みましたね?」
しのぶの声に怒りが滲んでいる。
「俺のせい、なのか」
いくつもの心無い言葉を投げかけてきた。
『無一郎は柱だぞ。こいつの時間は戦えないお前らとは価値が違うんだよ(こいつの才能を磨く。出来る限り経験を積ませる。死なせない為にはそれが最善だ)』
『才能のない奴がある奴の代わりに死んだ方が効率的だろ(だってお前を最優先に守る理由が欲しかった)』
無一郎は兄さんの言葉が苦しいとカナエに話を聞いてもらっていたらしい。カナエから実弥に相談したが思うような効果はなかった。
『たった一人の家族相手に向ける言葉がそれか?』
あの時の声が反響する。
命を守ろうとして心をボロボロにしてしまった。
「ここまで来たら無駄な時間全部捨てさせるしかないと思ってた。俺はまた間違えた」
弟を救いたかった。だけど『死んでないだけ』の状態じゃ救ったとは到底言えない。
「悪い、ちょっとこいつと二人きりにさせてもらえるか?」
「少しだけですよ」
しのぶが出ていくのを見てから、ベッドで眠る弟に伝える。
人前ではなかなか恥ずかしくて言えない言葉を。
「無一郎、お前は俺と違って優しいから赤の他人でも自分を犠牲にしてまで守ってしまう。だからそんなお前の事だけは俺が守ろうって決めたんだ」
無一郎の身体が微かに動いた気がした。
「俺はお前の事、無限の可能性を秘めた無欠の天才だって知ってる。けど才能なんて関係ない。たった一人の大事な弟なんだから」
「別に俺は無一郎に忘れられても、恨まれても、それで構わないから。ただ……お前に生きていてほしかったんだ。無一郎がいなくなる悪夢を見るたびにそう思うんだよ」
だからどうか目を覚ましてくれ。
自分のせいで傷つけておいて泣く資格なんてないのに、勝手に頬を流れていく。
「兄さん?」
何より聞きたかった声が、聞こえた。
「無一郎? 目を覚ましたのか。……今まで酷い事ばかり言って悪かった!」
「今起きたよ、二人にさせてくれってところからぼんやり聞こえてた。ごめん。僕も兄さんの考えてる事全然知らなかった。ものすごく嫌われてると思ったし」
「嫌えばいいと思ってた。俺を見限って元気でやってくれればって」
「たった一人の家族を諦めるなんて無理だよ」
追い詰められても追いかけ続けて、結局ここまで来てしまった。
「馬鹿」
「兄さんこそ」
そうしてしばらく抱き合って泣いていた。
弟が完治したのち有一郎は住処を霞柱邸に移した。
実弥はどれだけ嫌われても諦めなかった無一郎の態度に何か考えていたようだが、兄弟が二人で暮らす事は快諾した。修行の時は通ってくればいいだろと。
また兄さんと一緒に暮らせて嬉しい。なんて言葉をくれた無一郎は。
久々に見た、眩いばかりの笑顔だった。