魔王の娘であることに気づいた時にはもう手遅れだった件について   作:naonakki

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第一話

 ……母さんと父さん遅いな。

 

 両親が買い物に行くと言ってからそろそろ3時間近くが経過しようとしている。近所のスーパーに食材と日用品を買いに行っただけにしては遅すぎる。少し心配になり、勉強を中断しスマホを確認するも特に連絡はない。

 

 ……あれ? なんで圏外になってるんだ?

 

 特にこの家は通信環境が悪いというわけではないはずだが……。再起動してみるも電波が入ることはない。

 通信障害でも起きているんだろうか? それともスマホが故障したのだろうか? まだ新品なんだけどな……。

 一旦スマホは机に置き、椅子から立ち上がる。長い時間椅子に座っていた為、凝り固まった体を軽く伸ばす。

 とりあえずスーパーまで行ってみよう。事故にでも遭ってなければいいけど……。

 そう思いながら、なんとなく窓の方へと視線を向ける。そこにはなんとも気持ちの良さそうな優しい陽の光が差し込んでいた。日向ぼっこにはちょうどいいだろう。

 

 ……ん?  

 

 すぐに異変に気付いた。時刻はそろそろ17時を回ろうとしている。夏ならまだしも春のこの時期にしてはあまりに明るすぎる。不思議に思い窓に近づき、外の景色を覗いてみる。

 わっ、眩しい。

 部屋内の明るさに慣れた僕の目には陽の光はいささか強かったらしく思わず目を閉じてしまう。あまり光が目に入らないように細めて改めて窓の外へ視線を向ける。

 そこには見慣れた向かいの家はなく、代わりにそよ風に揺れる青々とした木々が生えていた。整備されたアスファルトの道路は影も形もなく、こげ茶の地面とまばらに生えた草に成り代わっていた。少し離れたところには小川が流れているのが見える。水面に反射した太陽光がキラキラと輝いている様子がどこか幻想的だった。

 

 

 

 ……どこ?

 

 

 

 いつの間にか眩しさも忘れて目をまん丸に見開いていた。僕の家は街中にあり、このようなどこぞの田舎ではなかったはずだ。

 夢でも見てるのかと思い、頬をつねってみるが鈍い痛みを感じるだけに終わった。

 

 こうして僕はただ一人で自宅ごと謎の場所に転移してしまったのだった。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

   

 あれからしばらくして分かったことがいくつかある。

 まず最も重要なことだが、ここが異世界であるということだ。その確証に至ったのは、空に浮かぶ月の存在だ。流石に月が三つもあったら地球上でないと認めざるを得なかった。地球の月より随分大きく見えたしね。勿論、なぜ異世界に来たかについては分からずじまいだ。

 次に僕と共に異世界に送り込まれたマイホームにはなぜか電気、水道、ガスが通っていることだ。しかしネット環境からは隔絶されているらしく外界との連絡手段は何もない。

 そして何より残念なことが、よくある異世界転移特典であるチート能力や特典がないことだ。自分で気づいていないだけで実はあるのかもしれないが、今のところそれらしいものが身に付いた様子はない。この家が異世界転移特典と言われればそれまでだが……。

 最後に、僕が転生されたこの場所は森の中のどこかであるということだ。家を中心に半径30メートルほどは開けた土地になっているが、その周りはすべて鬱蒼とした木々に覆われているのだ。ちなみにその森へはまだ一歩も踏み入れていない。理由は単純、怖そうだからだ。

 

 ここに飛ばされてすぐはパニック状態だった。異世界に行くという展開は漫画、アニメ作品は見たことがあるが、まさか自分がそんな状況に陥るなんてどうして想像できようか。

 誰も頼ることのできない状況で最初の一日はずっと布団にくるまり、震えていた。何か得体の知れないものに襲われる可能性だって0%じゃないのだ。とてもじゃないが、アニメ主人公のように異世界に対して期待に胸を膨らませる、なんて気分にはなれなかった。

 しかし一日何も起きなかったことと、空腹と喉の渇きから布団から出ることはできた。それがきっかけとなり、家の中でなら自由に動ける程度には精神も安定した。買い出し前ということもあり、新鮮な食材はあまりなかったが、いくらかの米や保存食、そして幸いなことに父親が大のカップ麺好きということもあり、家には大量のカップ麺があったため、食事には困らなかった。栄養面は心配だけどね。

 さらに次の日には、家の外にも出てみた。未知の世界に対して不安はあったがこのまま家の中にいた場合の未来を想像したときの方がよほど恐ろしかった。今は食料もあるが無限ではない。水だけは水道からいくらでも飲めるがそれだっていつまで続くか分からない。このまま家に閉じこもったままでは野垂死ぬことは明白だった。

 というわけで勇気を出して踏み出した外の世界だったが、結果から言えば何もなかった。窓から見えた小川に魚でもいないかと期待したが魚の影も形もなかった。というより家の周辺には草木以外の生き物の気配がなかった。その為、たまに吹く風により草木がザアザアと擦れる音以外は何も聞こえない静かな空間が広がっていた。しかし不思議なことに不気味な印象はなく、むしろ心地よいとさえ思える雰囲気であった。こんなことを言うのは柄じゃないが何か神聖なものを感じた。

 

 

 

 

 

 そして、今。

 僕は家の周りを覆っている森の中へ踏み入れようとしていた。

 森の奥はここからだと5メートル以上奥は見えないくらい深々とした木々に覆われており、不気味な雰囲気を感じさせている。明らかに今僕がいる空間とは異質であることが直感的に分かった。

 ここに入ると決心するにはしばらく時間がかかったが、この状況を打開するには森への探索しかないというのが結論だった。

 服装は動きやすいようにジャージを着こんでいる。懐中電灯、救急キット、水、食料など役にたちそうなものをリュックに詰め込み、片手には護身用に金属バットを持つというスタイルだ。かつてこのような恰好で異世界に挑んだ地球人がいただろうか?

 ゴクリと唾を飲み込み、滴る冷や汗を感じつつもその足を森へと踏み入れた。

 森の中へ踏み入れた瞬間、ずっと感じていた神聖な雰囲気も消え失せてしまった。その感覚に一抹の不安を覚えるも、それでも構わず、しかし慎重に歩を進めていった。森の中で迷わないように10メートル間隔くらいで包丁で木に印をつけることも忘れない。こんなところで迷ったら終わりだからね。

 森の中からは生き物の気配が漂ってきた。聞いたこともないような生き物の鳴き声やなどが聞こえるたびにビクリと反応してしまう。正直すぐに引き返したかったが、ここで逃げては何も起こらないと自身を鼓舞していく。

 そして運が良かったのかトラブルもなく30分ほど歩いたくらいだろうか。少し先に開けた空間があるのが見えた。

 

 ……やった! 

 

 森の中というのは360度自身の背丈を大きく上回る木々に覆われている為、圧迫感が凄いのだ。体力もそうだが、閉塞された空間にいるような感覚に陥り精神的にもかなりすり減っていた。その為、早くこの状況から逃れたいという一心で視界に映った空間めがけて歩む速度を上げ、突き進んでいく。

 そして開けた空間にたどり着く。そこは、ほんの半径5ートルほどの開けた空間であること以外は特筆すべき点はなかった。しかし、そこに明らかに異質な存在が一つ。

 

「……え、猫? というかこれは……」

 

 開けた空間のど真ん中に真っ黒な毛並みの猫がいたのだ。しかし、その全身には目を背けたくなるようなおびただしい傷があり、今もその傷口から血がドクドクと流れ、地面に染み込んでいく。その様子から怪我をしてからそう時間は経っていないのだろう。猫はぐったりとしており、ピクリとさえ動かない。

 

 死んでいるのか? なんて酷いことを……。

 

 僕はどちらかというと犬派であるが猫も大好きだ。そんな僕にとって目の前の光景はあまりに惨くショックを受けるには十分なものだった。

 

 ……せめて埋めてあげよう。

 

 そう思い、猫へと近づいていく。このまま猫を放置するほど僕も腐っていない。するとその瞬間、猫が僅かにだが苦しそうに呻いた。

 

 生きてるっ!? 

 

 死んだと思っていたが、ギリギリ生きていたようだ。幸い救急キットはある。これなら。

 ……。

 猫の応急処置法とか知らないんだけど。

 一瞬途方に暮れてしまうが、そんなことも言ってられない。とりあえず止血をしないとだ。血がなければ生きられない。それは人間も猫も同じはずだ。

 

「……痛いだろうが我慢してくれよ」

 

 一応そう言いながら、猫に極力刺激を与えないように傷口に包帯を巻いていく。本当は傷口も清潔にして菌が入らないようにした方がいいのだろうがそれは家に戻ってからだ。

 

 ……それにしてもどうしてこんな怪我をしてしまったのだろうか?

 医療には疎いので詳しくは分からないが、猫の傷口は刃物で切り裂かれたようなものや打撲、さらには火傷跡のようなものまで様々なものがあった。

 まさか魔物にやられたとか? 

 異世界には必ずと言っていいほど登場してくる魔物という架空の存在が脳裏によぎる。

 ……何にせよ、この傷をつけた奴がこの近くにいる可能性は高い。早くこの場を離れないとな。

 しかしこの猫はどこから来たのだろうか? これだけ血が滴るほどの傷がつけられているが周りには血の跡は一つもない。この場で襲われたのだろうか? 周りには争った形跡はないが……。

 

 そんなことを考えつつ何とか止血に成功することができた。包帯の巻き方なんて知らないので、適当に巻いた為いささか不格好だがまあいいだろう。

 その後急いで自宅へと帰り、その日は猫の手当てに1日中費やした。運よくこの猫を襲ったであろう何者かには遭遇せずに済んだ。

 

 

 

 そしてその手当てが功を奏したのか、2日後に目を覚ましたのだった。……’美少女’として。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつては自分の部下だった者たちが皆、一様に自身に殺意ある目を向け、攻撃モーションに入っている。ある者は魔法を唱え、ある者は強烈なブレスを吐きつけてきて、ある者は斬撃を放ってくる。

 私はそれに抵抗することもできず、自らの体にそれらの攻撃を食らっていく。

 

 やめて、どうしてこんなことするの?

 

 こちらに敵意がないことをいくら叫んでも誰の耳に届くことはなく、返事の代わりに無慈悲な攻撃が飛んできた。結局私は逃げることしかできず、変身魔法を駆使し、その場から逃れようとする。そして……

 

 

 

 ……はっ!?

 

 

 

 そこで意識が覚醒し目を覚ます。

 全身が汗まみれであり不快感に包まれるも気にせず、急いで状況把握に映る。

 

 ……ここは?

 

 周りを見渡すとどこかの屋内であることが分かったが、部屋内のあらゆるものが見慣れないものばかりであった。自身はベッドの上に寝かされているようだが、これほどフカフカのベッドは城にもないだろう。そして全身には包帯がぐるぐると巻かれていた。しかし、それはあまりに無造作で止血するために無理やり巻いたような不格好なものだった。明らかに素人のものだ。異常な空間にいるというのに、それを見てどこかおかしくなり、少し笑いがこみ上げてきた。これを苦労しながら必死に巻いている何者かの姿を想像すればおかしくなってしまったのだ。

 

 ……でも私を助けてくれた者には感謝ね。この治療がなければ恐らく私は死んでいたのだから。

 魔力は多少回復してるわね、よかった。

 

 全身に流れる魔力の存在を確認し、すぐに回復魔法を自身にかけ、全身の傷を跡形もなく癒していく。

 変身魔法も解こうとした時、何者かの気配が近づいて来るのが分かった。

 

 ……っ!

 

 私を助けてくれた者なのだろうが、何者か分からない為一気に警戒モードへと移行し、寝たふりをして相手の出方を窺うことにする。

 

 そして部屋のドアがガチャリと開く。

 

 「……うーん、まだ寝たままか。でも呼吸は安定してきてるから回復してるんだよな、多分。というかあれ? 傷が治ってる? え、なんで急に? 異世界の猫は急に治るんだろうか? ……まあいいか。悪いことじゃないしね。」

 

 ……人間っ!?

 薄目で確認した予想だにしない存在に驚愕を隠し切れない。

 なぜ人間が私を……?

 ……いや、今の私は猫だから正体に気付いていないだけよね。落ち着くのよ私。

 

 改めてこの事態にどう対応していくか考えていく。

 正直、この人間の強さは紙切れ同然だ。ただの一般人だろう。魔力量も大したことないし、肉体を鍛えている様子も見受けられない。

 

 ……であれば、この人間には悪いけどここで殺してここを隠れ家にさせてもらおうかしら。助けてもらった手前罪悪感はあるけれど、どうせこの人間も私の正体を知れば憎悪と敵意に満ちた目で私を見るものね。それか恐れおののき、助けを乞うかしら。まあ、どちらでも私にとっては同じことね。

 

「……はぁ、この猫が目覚めてくれたら多少は寂しさも紛れるかな。何度か森には行ったけど成果はないし……。カップ麵も飽きたなぁ……。おっと、そろそろ3分経つかな? じゃあね、猫ちゃん。また様子を見に来るよ」

 

 人間はそう言うと、部屋から出て行ってしまった。

 

 ……森? そう言えば私はどこに転移したのかしら? 急いでいたから座標調整をかなり適当にしたけれど。

 後、かっぷめん? とは何かしら?

 

 聞き慣れない単語と状況の把握に思考を巡らせているときだった。

 何とも芳ばしい香りが私の鼻腔を擽ってくる。食欲を刺激し、思わず口内に唾液がこみ上げてくる。

 

 ……そういえばお腹すいたわね。

 

 何日寝ていたのか知らないが、自分がかなりの空腹であることに気付く。

 ……ちょうどいいし、私の正体をばらしてから人間を殺し、食事を横取りさせてもらおうかしら。

 私は立ち上がり、変身魔法を解除する。全身が光に包まれ、巻かれていた包帯も自然に解け、足元へと落ちていく。

 

 光が収まったそこには、腰まで伸びた真っ黒な艶のある髪と緋色の瞳が特徴的な幼さが残る少女がいた。黒を基調とした一目で高級と分かるローブに身を包む彼女は、すれ違えば誰もが振り返るほどの美貌を持っていた。その少女は屋内を満たす匂いをもとにフラフラと部屋を出ていくのだった。

 


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