魔王の娘であることに気づいた時にはもう手遅れだった件について 作:naonakki
豪華絢爛な大広間の奥、そこに座る一人の男の表情はこの場所とは対照的にどこまでも暗かった。かつては威厳に満ちたその佇まいも今や見る影もなくなっていた。
この男こそ、世界でも最大の国、アルスの国王である。彼が治める国は世界の七割以上の国の貿易の中心国であり、高い文明と経済力を誇っている。加えて、熟練の兵士や魔法使いを多数抱える最大の軍事国家としてもその名を世界に轟かせている。
しかし、それも少し前までの話だ。
ここ数年の間に魔物との戦争が激化の一途を辿ってきた。魔王の直属の配下、四体の幹部が率いる強力な魔物の大群を前にまずは小国家が為すすべもなく滅ぼされていった。魔物達の勢いは止まらず、次第に力のある国がどんどんと滅ぼされていった。当然、アルス国を含め、他の大国もその惨状をただ指をくわえて見ていたわけではない。それぞれの国で英雄と呼ばれるだけの強大な力を持つ人間が選出され、それぞれの魔物の大群の指揮である4体の幹部の討伐を目論んだ。アルス国も数人の英雄に加え、さらに聖女という切り札の一つを切って作戦に挑んだ。
しかし、その作戦は完全な失敗に終わった。
すべての英雄が魔王の娘アリアによって殺された為だ。
アリアと英雄たちの戦いを見ていた者たちの話によると、アリアは英雄たちの前にフラリと単独で現れ、襲い掛かってきたそうだ。その戦いは大地を海をそして空をも切り裂くこの世ならざる激しいものだったらしい。最初は英雄たちの優勢だったそうだ。しかし、どれだけ強力な打撃や魔法を打ち込んでも、闇よりも深い執念によって立ち上がってくるその姿に徐々に英雄たちが飲まれていった。そのまま形勢がひっくり返され、英雄たちは一人残らず殺されてしまった。
人間の少女の姿をし、緋色の目を持つそれはまさに悪魔そのものであったという。
ここ数年で頭角を現したアリアは、武術と魔法の両方で化け物級の強さを誇っており、他の幹部達は勿論、父である魔王とさえ近い実力を持っているのではとのうわさだ。
結局、人間側が持っている最高戦力を用いた決死の作戦はアリアという悪魔によって阻まれ、魔物の大群の進行の足止めすら叶わないという最悪な結果へと終わった。
そしてこれが決定打となった。英雄の全滅によって士気がガタ落ちした人間側は、大国すらも魔物の進行に侵食されていった。
僅か数か月経過した今では、世界の人口は六割ほどまでに減少し、世界の領土に至っては、半分までが魔物によって浸食されてしまっている。もはや世界中のほとんどの人間がまともな衣食住すら確保できないというまさに地獄絵図となっていた。
「国王様。ただいま戻りました」
カチャリという鎧の音と共に聞き慣れた凛とした透き通る声に、ゆっくりと顔を上げる。
「……おお、戻ったか。カロラよ」
「はっ!」
目の前には、膝を折り首を垂れている美しい女性騎士がいた。兜のみ脱ぎ去り傍に置かれていた。肩上で切り揃えられた銀色の絹のような髪と雪原を彷彿させるような白い肌が眩しい。
「顔を上げてくれカロラよ。……それで、どうであった?」
「……はい、正直に申し上げますと状況はかなり深刻かと。この国まで魔物が迫るのはそう遠くない未来かと予想されます」
転移魔法を使いこなせるカロラに、周辺国家の視察を依頼していたのだ。予想していた答えとはいえ、改めて突きつけられた現実に目の前が真っ暗になっていく。こちらには最後の希望であるカロラがいるとはいえ、それでも四体の幹部、さらにはアリアに魔王、これらを一気に相手にして勝てるわけもない。
「ここまでなのか……」
天を仰ぎながらつぶやいたその言葉は一国の王が決して口にしてはならない諦めの言葉だった。その言葉を聞いたカロラはというと、そんな自らの主をじっと見つめ、
「……国王様、諦めるのはまだ早いかと。これから二点良い報告があります」
……良い報告?
この八方ふさがりの状態で良いことなどあるのだろうか?
しかし、カロラが冗談を言うような人間でないことは知っている。
ゆっくりと視線をカロラに向け、続きを促す。
「まず一点目ですが、魔物側で内部抗争があったようで、アリアが幹部達の手によって滅ぼされたようです」
「なにっ!? それは本当か!?」
「はい。複数体の魔物を尋問し、得た情報です。まず間違いないかと」
「そ、それが本当なら、人間側にとっても大きな希望の種となる。……アリア亡き今なら、カロラと残った実力者たちで協力すれば或いは……。そうなってくると先の戦いで聖女を失ったのが悔やまれるな……。だが、希望はゼロではなくなった」
活力が戻った主の姿を見て、嬉しそうに振舞うカロラは、さらに良い報告ができることに喜びを感じていた。
「うむ、久しぶりに良い気分だ。それで、二点目の報告とはなんだ?」
国王は、興奮を隠し切れないように、そう促してくる。
カロラは小さく息を吸い、言葉を紡いでいく。
「二点目ですが、この世界に’勇者’が誕生しました」
「……な、なん、だと? それは真か?」
国王の目が大きく見開く。その表情は嬉しさというよりは信じられないといった風だ。
「はい。伝承によりますと世界の危機に勇者が精霊の森のどこかで誕生し、精霊たちの加護の元、悪を滅するための力を身に着け、この世にその姿を現すとされています。精霊の森は、その名の通り多くの精霊が住まう巨大な森ですが、普段はほとんどの精霊が眠っています。しかし10日ほど前から森中の精霊が目覚め、活発に活動していることが分かりました。私も実際に精霊の森へ行きましたが、確かに精霊のほとんどが活動しておりました。その様子はまさに伝承通りでしたので、勇者が誕生したのはまず間違いないかと」
「……お、おぉ、伝説は本当だったのか。勇者の姿は確認できんかったのか?」
「申し訳ありません、勇者の姿は確認できませんでした。精霊たちによって徹底的に守られているせいか、魔力感知も何もかもが無効化され、影も形も分かりませんでした」
「そうだったか……。まあそれでも十分な報告だ、感謝するぞ」
主のその言葉に全身が喜びに打ち震える。自らが仕える存在に褒められる、これに勝る快感はない。
「……もったいなきお言葉です」
「そう言うな。……確か、勇者は魔王に対抗するための力を身に付けているのだったな」
「はい。これも伝承ですが、その時々の勇者に合った最適な環境を用意され、強くなっていくそうです。ある者は、実力を研鑽し合えるライバルの存在を用意され、ある者は、あらゆる知識が詰め込まれた大書庫で、またある者は、敢えて過酷な環境下におかれ、そこで生き抜いていくことで力を身につけていったとされています。今の勇者がどんな環境にいるかは想像もできませんが……」
「……ふむ、なるほどな。して、その勇者がこの世に現れるまでどれくらいかかるものなのだ?」
「きっかり半年後でございます。不思議なことですが、これはどの時代の勇者も皆例外なくこの世に誕生してから半年後にこの世界にその姿を現しています」
「……半年か。また長い半年となりそうだ」
「はい、この事実は魔物側も当然把握しているかと。この半年間が勝負です。勇者さえ味方になればこちらの勝利は確実でございます」
「……望むところだ。よし、カロラよ、今すぐ各国の王を呼び寄せるのだ! 急ぎこれからの方針を決定する!」
その国王の声には、先程までの絶望はなく、確かな力強さが込められていた。
高い天井に趣向が凝らされた彫刻が飾られたこの大広間は今、かつてない緊張感に包まれていてた。中心に備え付けられた、巨大な楕円型のテーブルには、四体の巨大な力を持つ魔物と、さらに一際その存在感を放つ存在が席についていた。
「……それで、カルラよ。とうとう勇者が誕生したと?」
その存在が言葉を発した、それだけで空気がビリビリと震える。並みの存在なら意識を保つことすらできないだろう。その中、四体のうちの一体、細い体に巨大な翼と頭から角を生やした魔物、カルラがそれに答える。
「はっ、魔王様。精霊の森にて精霊の活動を確認しました。間違いございません。半年後にはこの世に勇者が姿を現すものだと思われます」
魔王と呼ばれた存在は、不快そうにチッと舌打ちをする。
「……勇者、忌々しい存在だ。」
「魔王様、勇者が現れる前に人間どもを皆殺しにしてしまえばいいだけなのでは?」
魔王の苛立ちを隠せない呟きに、四体の魔物のうち、一際大きな肉体と鍛え上げられた筋肉が特徴の魔物が大きな野太い声でそう言う。
「……ゴーラ、お前は馬鹿か。半年後に勇者が現れるという事実が人間どもに士気を与えてしまうんだ。特にあのアルス国の国王の軍事統率力とカリスマ性は魔王様にも匹敵するほどだ。これまでのように簡単に人間界を侵略できるとは考えないことだ。それに向こうにはまだ人類最強の聖騎士カロラも控えているのだ」
「……む、なるほどな」
そこから一瞬、無言の時間が流れる。それを気まずく感じたのか、頭まで含めて全身が頑強な鎧に包まれた一体の魔物――キールが話題を変えるように口を開く。
「そう言えばアリアの件はどうなった? 我々の総攻撃で瀕死のダメージは与えたが、結局死体は確認できたのか?」
「そう、今回集まってもらった議題のもう一つはそれだ」
「どういうことだ?」
カルラは改めて、一息をつきあたりを見渡したのち説明を始める。
「転移魔法を使い逃亡したアリアだが、魔力残滓から後を辿ると、その先が精霊の森へとなっていた」
「なにっ!? なぜそんなところに!?」
「それは分からない。だが重要なのはここからだ。……魔王様、勇者とアリアが接触した可能性がある」
ザワッ
カルラの発言に対し、他の魔物に動揺が走る。魔王でさえその顔を僅かに歪めている。
「……待て、そもそもアリアは生きていたということか?」
「落ち着け。……順を追って説明する」
キールの問いにそう答えたカルラは、改めて主の方へ向き説明を続ける。
「まず精霊の森でアリアの流した血の跡らしきものを発見しました。しかし、そこにアリアの姿はありませんでした。そしてその近くの木にはナイフで切りつけたような真新しい傷がつけらており、10メートルほど離れたところに同じように傷がつけられていました、その後も10メートルごとにその傷が続いていました。現場から推測すると、何者かが森を迷わないように進んでいると、アリアを発見し、匿い治療をした可能性があります。そしてそれは勇者誕生のタイミングと奇妙なほど一致します。さらには、木の傷の跡を追っていると、明らかに何かを隠すかのように精霊の邪魔を受け追跡が不可能になりました。そして精霊がそこまで必死になって守ろうとする存在は勇者だけです。以上からアリアと勇者が接触した可能性があると推測しました」
カルラが説明し終わると、あたりがシンと静まり返る。しかしすぐにゴーラがはっと、我に帰るや否や
「そ、それはまずいのではないのか? 今アリアは我々に強い憎しみを抱いているはずだ。もし、奴が人間側に味方するようなことがあれば、カロラにアリア、そして勇者をも敵にしなくてはならないことになる……」
「そうだ、そういうことになる可能性がある。……そこで魔王様。仮にそうなった場合、現状の戦力だけでも勝てる見込みは十分にあると踏まえていますが、より我々の勝利を確実にするためにある作戦の実行の許可を頂きたく」
「……言ってみよ」
「はっ、歴代の勇者はいずれも魔法に特化した者、剣技に特化したものなど様々ですが共通しているのは、心が透き通った青年であるということです。そこを利用します。この人間を利用して……おい連れてこい」
カルラの一言に、大広間の扉が開き、外から魔物に連れられてトボトボと入ってくる人間が一人。一糸まとわぬその肉体には思わず目を背けたくなるほどの無数の傷がつけられており、手首には重厚な手錠がつけられている。腰まで伸びた金色の髪はぼさぼさであり、その表情は死んでおり、目の焦点はあっておらず光を失っている。
この人間、女性はかつて聖女と呼ばれ、その美貌と神の領域にまで達した回復と信仰魔法の使い手であり、世界中の人間に愛されていた。しかし、アリアとの戦いで瀕死の重傷を負い、魔物側に捕らわれてしまったのだ。
それから毎日辱めを受け、拷問を繰り返された結果、心を失い、生きているだけの人形へと変貌していた。
「この女を利用して勇者の心を揺さぶります」
ここにきて初めてカルラの表情に嗜虐心に満ちた笑みが浮かんだ。