野球を好きになったのは小さい頃、親に連れられて高校野球を見に行った時からだった。一球一球に魂を込めて投げる投手。投手と一体になって打者を翻弄し、ゲーム全体を見渡す捕手。どんな打球にも全力で飛びつく野手。選手たちの熱気が、球場全体を包み込むように伝播していく感覚。
その熱に侵されて野球を始めた俺は高校球児となり、あの日、あの時と同じように、違う立場から熱に侵されていた。
『熱戦を制し、甲子園への切符を手にしたのは、稲城実業──!!』
あとアウト一つで甲子園。そこまで稲実を追い詰めた、青道高校。逆転され敗れ去り、三年の先輩たちの夏が終わった。
あの先輩たちが、あのチームがという困惑、先輩たちの夏が終わったという寂寥感。
それ以上に、『やっとチャンスが回ってきた』という高揚感。それによる熱が、体の内側から湧き上がってきた。
『打』の青道。数度の甲子園出場経験を持ちながら、近年甲子園への出場を逃している名門。
その名門に俺は一般で入り、野球部へ入部した。一年生ながら180半ばの身長、恵まれた体格、投手をやれと神様に言われているんじゃないかと思ってしまうような俺だが、四隅に投げ分けられるコントロールと強靭な足腰と肩から放たれる剛速球からの嘘みたいに不器用な指先による嘘みたいな棒球。変化球もすべてしょんべんみたいな曲がり方どころか一切曲がらない不器用ぶりで青道首脳陣を黙らせた俺は、野手への道を歩み始めた。
リトル、シニアでも似たようなことがあったから今更思うところは何もないが、俺もマウンドに立って打者をばったんばったんなぎ倒したかった。だって投手カッコいいじゃん。モテるじゃん。
投手としての才能が壊滅的だった俺は、野手としての才能には恵まれていた。長い手足、獣のような反射神経にものを言わせた守備範囲、矢のように鋭い返球、構えたところドンピシャに投げる制球力。かと思いきやなぜか三塁以外を守るとボロボロに崩れる使いにくいことこの上ないカスっぷり。
色々ポンコツをやらかした俺は、『サードを守るために生まれてきた男』として、『サード』と呼ばれるようになった。おまけに名前が
「サードってあだ名なのにベンチ入りすらできなかったら余計笑えるな」
同室の先輩、天才イケメン捕手御幸一也が憎たらしい笑顔で俺に言ってきたセリフは忘れない。実際俺、この夏ベンチ入りできなかったし。一年だからって言い訳は、同じ一年の沢村、降谷、小湊がベンチ入りしてるから通じないし、するつもりもない。
シンプルに俺の力が足りなかった。守備はうまいっていう自負はあるが、打者としては未熟者。反射神経でのラッキーパンチしかない、駆け引きもクソもない脳無し打法。
「にしてもあの言い草はねぇだろクソキャッチャーがァァァアアアア!!」
「サードが今日も憎しみをスイングにぶつけてら」
「俺、サードのアレを見ると安心するんだよな」
稲実に敗れた翌日、二日間の休みを貰った俺、いや、俺たちは、室内練習場で素振りしていた。ここにいる人全員が、『俺たちの番がきた』って思ってる。
「はっ、ボールを御幸だと思えば全部当たる気がしてきた! どうっスかゾノさん!」
「よう」
「あれ、ゾノさんってこんな性格悪そうなイケメンでしたっけ」
「おら、ボールきたんだから打ち返してみろ。全部当たるんだろ?」
後ろにいたはずのゾノさんに声をかけると、振り返ってみればイケメンキャッチャーとガラ悪ショート。御幸先輩と倉持先輩。二人ともにやにやしながら俺をいじめるモードに入っている。
「……! ゾノさん! 二人がいじめてくるんスよ! ここは未来のキャプテンとしてガツンと言ってやってください!」
「ん? あ、お前ら何来とんねん! 秘密の特訓を邪魔しにきよったんか!?」
「ちょっとラッキーパンチャーサードの様子見に来ようと思ってな」
「誰がラッキーパンチャーだコラ! ふん! 拗ねた! 俺は帰る!」
「まぁまぁ、可愛い後輩のために先輩風吹かさせてくれよ?」
逃げようとした俺と肩を組み、にやにやと憎たらしい笑みを浮かべる御幸、先輩。次期キャプテンだか天才イケメン捕手だかなんだか知らないが、俺にとってのこの人はただただ憎たらしいだけの先輩だ。捕手ができるからなんだってんだ? めちゃくちゃスゲーじゃねぇか。ホントは尊敬してます。マジで。
「いや、俺もさ。サードには期待してんだって。ほら、ちょっとだけ似てるとこあるだろ?」
「得点圏でしか打てねぇってとこがな!」
「倉持先輩。それだけは言っちゃいけねぇっス」
俺がラッキーパンチャーだと言われる理由。それは、得点圏でしか打てないことにある。
得点圏、つまり二塁以上にランナーがいるとほぼ間違いなく点は取る。ただ、得点圏にランナーがいないとほぼ打てない。まったく打てないというわけではなく、時々当たる。だから『ラッキーパンチャー』。
「正直、先輩たちが抜けると打力下がるだろ? だからサードみたいな得点圏に強い打者がいると、サードに回る前にチャンス作ると絶対モノにできるんだよ」
「けっ、それってどうせ代打でしか使われないっしょ。俺ァ青道でスタメン張りたいんっスよ」
「ヒャハハ! 言うなぁ。まずベンチ入りからじゃねぇの?」
「目標はスタメン。ベンチ入りで控えに甘んじる低い次元を目標にしたくねーんスよ。沢村と降谷がエースにしか興味ねぇのと一緒っス。男なら、目指すはスタメンで四番。それ以外は興味ねぇっス」
「だったらまともに打てるようにならねぇとな!」
「だからこうやって練習してんだろうが!!」
まだ肩を組んでいる御幸先輩に持っているバットを見せる。こいつを振ってるんだから邪魔するなっていう意志表示が通じたのか、御幸先輩は俺を解放して背中を叩いてきた。
「そうか、なら頑張れよ。期待してるってのは嘘じゃないからな」
「……はっ、危ねぇ! 優しさ見せられたから騙されかけた! テメェ次の四番は自分だって思ってるから、余裕ぶっこいてやがんな!?」
「俺ってそんなに信用ない?」
「サードは過剰すぎっけど、フツーに信用ないだろ」
倉持先輩のお墨付きの信用のなさ。御幸先輩は微妙そうな顔で頬をぽりぽり掻いた。ざまぁみやがれ。いっつも底意地の悪い態度ばっか取ってっから信用ないって言われんだよ。いくらスゲー人っつっても、中身がよくないと最大限の尊敬は抱けないね。
御幸先輩を追い払ったので素振りを再開しようと構えたその時、小湊がいることに気づく。この夏、一年生ながらベンチに入り代打の切り札として活躍した小湊春市。本来なら俺が座っていたであろう席に控え目そうな顔してながら堂々と座っていた憎いやつ。
「俺をバカにしにきやがったのか?」
「なんでそうなるの?」
呆れ顔の小湊を見て、そうじゃないことを理解する。まぁ小湊だしな。俺を差し置いてベンチ入りしたのは気に食わないが、こいつはいいやつだ。沢村とかいうクソうるさいやつと降谷とかいう投げれればそれでいいみたいなコミュニケーション不足野郎と違って常識人。ただ前髪切れお前。それじゃボール見えねぇだろ。
見えてるからベンチ入りしたのか。負けた。
「お、そうだ。サード、小湊に打撃教えてもらえよ。多分同学年じゃ一番うまいだろうし」
「ハァン!? 俺が、小湊に!? わかってねぇっスね御幸先輩。俺がライバルの施しを受けるとでも?」
「春市はセカンドだからライバルにはなんねーんじゃねぇの?」
「それもそうっスね。教えてくれ小湊」
「う、うん、いいけど……」
小湊は木製バットを使っていることもあってか、打撃がうまい。木製バットはちゃんと当てなきゃ飛ばない。それなのに代打で成績を残してるってことは、ちゃんと当てる技術があるってことだ。俺からすれば魔法の杖でも振ってんじゃねぇかって感じだが、小湊には小湊なりの打撃理論があるんだろう。
「さぁ俺に教えてみろ。バッティングってやつを」
「なんで偉そうなんだあいつ」
黙ってろ御幸。俺は今から小湊にバッティングについて教えてもらって、見事スタメンで四番サードを勝ち取るロードを突っ走るところなんだから。
「えーっと、佐渡くんって配球とか読んだりする?」
「きた球を打つ」
「そいつ反射神経だけの化け物だから、理論じみた話から教えてやれ」
「みたいですね……」
あはは、と呆れたように笑う小湊。あのな、俺からすれば配球読めるやつの方が化け物なんだぞ? 相手が何を投げるかなんてわかったもんじゃないだろ。得意な球くらいしかわかんねぇよ。
「んん、普段はどんな感じで打ってるの? その時の状況とか、こういう風に打つことが多いとか」
「きた球を打つ」
「なるほどね」
なんだなるほどねって。何がわかったんだ? もしや天才か小湊。いや、雰囲気あると思ったんだよな。俺と同じ天才の雰囲気。
「じゃあ、バッターボックスに立ったときはただ待ってるってこと?」
「おう。だってきた球を打つだけだからな」
「それでなんで得点圏で打てるんだろう……」
「きた球を打ったからだろ」
「それなら得点圏にいないときも打てるはずじゃない?」
「確かに」
やはり小湊は天才だった。目が鱗だ。違う、目から鱗だ。
でも、俺としては本当にきた球を打ってるだけなんだよ。明らかなボール球以外は打てると思ったら振る。これが俺のバッティング。男らしくてカッコいいぜ。
「ヤマを張るとかは?」
「ヤマを張るような脳が俺にあると思うか?」
「球種とか、コースとか」
「ん-、わからん。あ、そういえば得点圏はランナーいないときとは別のこと考えてる」
「え、何?」
「ここで打ったらカッコいいな、と」
「あいつ本気でバカだ」
「聞こえてるぞ御幸!!」
いいじゃん。得点圏で打ったらカッコいいだろ? バット一本でチームを救う男。カッコよさの化身じゃねぇか。ソロホームランよりカッコいい。やっぱチームに貢献してこそなんぼだよな。俺ランナーいないと打たないけど。
「えーっと、相手投手の球種とか、得意なコースとか、調子とか、今までの打者にどんな球投げてたとか考えたりしない?」
「なんかな、それ考えると打てないんだよ。スイングに邪念が混じるというか」
「感覚派なのかもしれないね。練習続けてればいつか芽吹きそうだけど、もう僕には無理かもしれない」
匙を投げられた。俺そんなにおかしなこと言ってた? きた球を打つ、それ以外のことは考えられないって言っただけなのに。はぁ、これだから理論派のやつは困るぜ。俺たち天才感覚派のことを理解してくれない。これは大きな溝だ。その上感覚派のことをバカにしてきやがる。小難しいこと考えてるからバッティングに波があるんじゃねぇの? 俺は得点圏では打ってそれ以外では打てないって一貫してるだろ。こっちのが使いやすいじゃねぇか。
フン、今に見てろ。俺が四番に座って、相手エースをぐっちゃぐちゃにしてやるからな!