甚爾たちが襲来して3日後、やっと玄関の修繕も終え、元通りとは言わないが落ち着きを取り戻した禪院の家の雰囲気は非常に悪かった。
直毘人がいくら取りなそうとも、血族にとって悪夢そのものである甚爾と犬猿の仲である五条家の天才児が手を組んでいた事に、ほとんどの禪院の者は驚愕し恐怖を覚えていた。
直毘人を含む数名だけが、甚爾たちが本気で何か事を起こそうとしているならとっくの昔に禪院家など取り潰し状態であって、この前の襲撃は挨拶と牽制以外の意図はないのだろうと察していた。
だから、少なくとも自身が当主である間、直毘人は家督争いや家の血族間の争いに“伏黒”恵を巻き込む事を禁じた。
それからというもの禪院家は様変わりした。
禪院扇は、二度目の骨の髄から凍る恐怖を味わったためか自室からあまり出てこなくなった。
自尊心や自信、ありとあらゆるものが折られたのだろう、時々部屋からぶつぶつと何か声が聞こえる事がある。家の者からも、娘たちからも嫌われていたので周囲の者たちは特に声をかける事もなく放ったらかしだ。
一方、扇の娘である禪院真希は燃えていた。天与の縛りを与えられた甚爾は、誰よりも強かった。
呪力が全くないのに、術師至上主義の禪院家の誰も面と向かって口答えができないほどの暴力的なまでの強さ──それが手に入れば、きっと変えられる。家の片隅で息を殺して生きなければならない自分たちの現状を打破できる。双子の真依にだって居場所を作ってあげられる。
真希は呪力が全くないわけではない。あの男のようになれないとしてもきっと近づいてみせる。そして、いつかまた会える日がくればいい─そんな希望を胸に抱いて邁進していた。
「ねぇ」
「なんだ?真依、一緒に稽古でもするか?」
「しない。お姉ちゃん、前よりほかの人達に嫌われてるの気づいてるでしょ?そんな事しない方がいいよ」
「それで目立たないように何もせずに給仕でもしてろって?」
「……ひどい目にあうよりいいじゃない」
「ぜってぇー嫌だ。そんな生き方は選ばない」
「この前あの甚爾って人に何言われたの?お姉ちゃんそれから変だよ」
「別に何も。私が勝手にあの人を目標にしただけ」
「お姉ちゃんはああはなれないよ。聞いたでしょ、彼は呪力0の天与呪縛、完全上位互換。お姉ちゃんはまた代わりにイジメられるだけだよ」
「それでも、私が何もしない理由にはならない」
「…………真希の分からず屋!!!」
真依は何よりも大切な姉とひっそり、二人で生きる事ができればそれでよかったのに真希はどんどん前へ進んでいってしまう。
きっと、あの甚爾とかいう人が居なくても、真希という人間はそうしていたのだろう。
真依は甚爾の事が嫌いだ。甚爾が襲撃してきたせいで、真希への家の者の当たりが強くなった。同じ天与呪縛だからだ。だが、その強さは比べ物にならないらしく真希を殴ってほっとしているゴミみたいな男たちには虫唾の走る思いだ。唯一救いなのは、父である扇が部屋から出てこなくなった事だろう。その点に関してだけは甚爾には感謝している。
だけど、真依は姉が甚爾の背中を追おうとしている姿を見るのが嫌だった。
「ずっとふたりっきりだったのに……」
何で双子で、顔もソックリなのにこんなにも違うのだろう。真希は強い。姉のお荷物になんてなりたくない。一緒にいるために、置いて行かれないために、真依も頑張らなければいけない。全く、最悪な気分と真依は思った。本当は、そんな事したくないのに。
─────────
「それで、甚爾君との契約内容は何だったん」
「甚爾の家族には間接的にも直接的にも一切の干渉不可、縛りではないが破った場合、甚爾及び五条悟を正面から敵に回すことになるというものだ」
「へぇ~それを特に何の留保もなく受け入れたん?ボケたんか父ちゃん」
「言外に奴らも、こちらが手を出さない限り積極的に禪院家に関わるつもりはないと言っていたからな。俺もわざわざあんな化け物どもの逆鱗に触れたくはない。相伝のガキは惜しかったが家の取り潰しと天秤にかけるほどのもんじゃない」
「そりゃあ良かった。そのガキが視界に入った瞬間殺す自信しかないわ」
「……直哉、妙なマネはするなよ」
「俺は甚爾君と悟君と事構えるほどアホじゃあらへん」
「そんな顔で言われても説得力が皆無だな」
強さこそ全て、弱い奴になんの権利もない。直哉はそう考えるから、殆どの禪院の人間が嫌いだ。甚爾君より弱いくせにこそこそと口だけは良く回る。その筆頭であった扇が再起不能なまでに甚爾に心を折られた事は、噴飯ものであった。
五条悟と禪院甚爾が別次元の強さを有している事、そしてお互いの強さを認め合っている事を、禪院の中で直哉だけが理解している。よくそれを馬鹿にできるものだ、嫉み妬みも見苦しいだけ。直哉は奴らとは違う。その強さを認め、その線を越えられるようにひたむきに努力を続けてきたし、これからもそうだ。
それなのに────
悟君は言わずもがな、甚爾君はこちらに一瞥もくれなかった。それは直哉が彼らにとって他の有象無象と変わらない事を意味する。当主との会話を盗み聞いていた事など気配で察知しているだろうに、注意すら向けない。それは直哉などどうにでもなるという事だろう。
五条悟と禪院甚爾は別格だ。その強さに至るためには生半可な覚悟では足りない。凡人にはその強さを理解すらできない。家の中では天才と褒めはやされていた直哉も所詮井の中の蛙。
だから悔しいけれど、現段階では直哉が彼らの背中を見つめるだけでもそれでもいい、そう思っていた。
だが、禪院の相伝を持つ甚爾の息子。その存在を許す事はできない。五条悟に育てられ、甚爾の関心一身を受け、禪院の当主の座に収まりかねない子ども。何にも興味がないと思っていた甚爾が、あの傍若無人な五条悟が、ずっとあの子どもの周囲に注意を払っていた。
ただでさえ気に入らないのに、直哉に一礼して彼らの背を追っていったのも気に食わない。何様のつもりだと、直哉は考えた。
いつか必ず直哉の手で、なるべく残忍な方法で殺す。そうすれば、甚爾は一体どんな顔をするのだろう。身を焼きつくすほどの憎悪の滲ませる目をこちらに向けて来るだろうか。
甚爾と約束を交わしたのは、直毘人だ。そして、直毘人は"自身が当主である間"、接触厳禁命令を出している。直哉が禪院の当主の座を狙う理由がまた一つ増えた。
────────
「お父さんの馬鹿!こんな高い物たくさん買ってこないでよ!五条さんも恵も何で止めなかったの?」
「悪ィな、値札を取ってもらうの忘れてた」
「そういう事じゃない!」
「津美紀ちゃん何怒ってんの?僕ら三人で京都に行っちゃったからお詫びにたくさんお土産買って来たんだけど何か気に入らなかった?」
「その気持ちは嬉しいんだよ、ありがとう。でもね」
「でも、女の子にはいい物買ってやった方がいいって」
「そんな事誰に教えられたの?恵、正直に言って」
「クソ親父と五条さん」
「恵、駄目だよ。あの二人、そういう事に関しては絶対見習っちゃ駄目ってのは私でも分かる」
「……それもそうだな、悪かった津美紀。俺も色々あって混乱してた」
「どういう事かな~??怒らないから五条サンに説明してみて」
「うるせぇ坊ちゃん。こういう時は大人しく流しとくのが吉なんだよ」
「さっすが、プロは言う事違うね!!何のとは言わないけど。僕、先生になるからそこら辺も気を遣えるようになったんだよね!」
禪院家の混乱のさなか、一方伏黒家では非常に平和な光景が広がっていた。男尊女卑のなんのその、誰も津美紀には勝てない。
小さい女の子に正論を言われるのは想像以上に心に来る。女の扱いの上手いプロのヒモと姉に弱い恵は勿論、弱きを導く教師になると決めた五条悟が、純粋な目で叱られて何か言えるわけがないのだ。
櫛や衣服類、その他食料品などなどを全部家に置いた甚爾と五条は津美紀に叱られつつも、そんな高かったか、土産と詫びとしては妥当ではないかと考えた。金銭感覚のズレがはなはだしい。
お金だけ放置してあまり家に帰ってこない生活を改め、家計のやりくりを学んで生き抜いている津美紀に甚爾は学ぶべきである。生活力は小学生に負けている。
禪院家へ行き緊張で疲労の溜まっていた恵と、津美紀は寝静まった後、甚爾と五条はビジネスの話へ戻った。
禪院、改め伏黒甚爾が五条悟と組んでいたのが禪院家にばれてしまった。ひいては呪術界全体にこの件は伝わるだろう。“始末屋”として通っていた甚爾は、前回よりは仕事を選んでいたにせよその性質は呪詛師に近い。
不穏因子など消すに限る、呪術界上層部はこの件に関して五条を弾劾するだろう。しかし、甚爾を殺せる者などそれこそ殆ど存在しない。その危険性及び有用性──暴れまわられると誰も対処できないから、大人しく味方になってくれるならそれがベストだと説得しなければならない。
呪術界で始末屋としての甚爾に関わった事があるものは確実に存在する。しかしあの五条悟と手を組まれてはどうしようもない。だからそれより前に手を打とうとするものは出て来るだろう。それができれば、の話であるのでさっさと圧倒的なまでの強さを知らしめるのが結局一番早いのだ。
「って事で、サクッと強そうな呪詛師と特級呪霊何体か消してきてね」
「どういう事だ。オマエが我儘通せばいいだけじゃねぇか。いつもやってる事だろ?」
「よりにもよって甚爾のせいで僕の立場が悪くなるのはちょっと……」
「これ以上悪くなる立場があんのか?」
「色々面倒だし、甚爾の強さを見せつけるのが一番早いんだよ。禪院くらいしかまともに知らねぇだろ」
「禪院は……今回は必要以上に動かねぇだろうな。ハァ、オマエに借り作んのもだりぃし仕方ねぇ一番強そうなの寄越せ」
「そうだよ、恵の事で頑張っただろ。それなのに恵は呪術師なるか分かんないとかいうし~もう嫌になっちゃうな。恵は僕と同じくらい強くなれるかもしれないのに」
「強さが全てじゃねぇなんてオマエが一番分かってんじゃねぇのか?」
「まぁね。恵が自分の意志でコッチに来た時は嫌って程に歓迎する事にするよ」
五条悟も伏黒甚爾も、他の人間からしてみれば、決して追随を許さない強者だ。だが、それだけでは何も意味がない事など二人とも痛いほど知っている。
強いからといって何でもできる訳ではない。少しくらい手の届く範囲は広くても、様々なものに縛られながら生きる、所詮他と変わらないただの人でしかない。
だから嫌々ながら、五条悟は上層部の呼び出しに応じるし、伏黒甚爾は呪詛師討伐へ向かった。
「で、オマエがそこそこ強いっていう呪詛師?話になんねぇな」
「僕は結構強いし、呪術師でいう一級くらいの筈なんだけど、呪力のない非術師がこんなに強いなんてね」
「領域展開はできるようだし、まあそのくらいが妥当か。じゃあな、俺に狙われた運のない自分を恨めよ」
「僕は君に殺されちゃうみたいだけど、君もせいぜい苦しんで死んでくれ」
「呪いか?」
「そうだね。呪い、呪われ、その巡り合わせの中でしか僕らは生きられない。君も所詮僕と同じ穴の狢さ」
「呪力ナシの俺にそれを言うか。それじゃあな」
五条に斡旋された呪詛師討伐任務を呆気なく終えた甚爾は不完全燃焼気味であった。相手は領域展開を使いこなす推定一級程度の呪詛師であった。領域展開は確実に相手をその中に引きずり込まないと意味をなさない。だから、甚爾は五感をもって、相手が捨て身の技を放ってくる事を察して避けた。あとは、呪力切れで自滅するのを待つだけという寸法だ。
甚爾は自身の能力に違和感をおぼえた。確実に前回よりも強くなっている。前回と同程度であったのなら、もう少し手こずったような相手だ。決して弱くはなかった。
覚醒した五条悟との戦闘経験がこの身体に引き継がれてしまっているにしても、いささか調子が良すぎる。
本来は存在しないはずの呪いが影響し、一種の縛りとなりつつあるのか。その呪力の源が前回死んだ甚爾の物であるのならば、その影響は未知数だ。甚爾の記憶──魂と呼ぶべきものが過去に戻った他に何かしらの副産物があってもおかしくはない。
そこで、ふと思い出した。明日は彼女の命日だ。それがいい事か悪い事かは分からないが、前回は思い出さないように必死に蓋をするしかなかった記憶に向かい合えている、そんな気がした。
甚爾は呪詛師の死体を五条のもとに届け、夜分遅く恵たちの待つ家へと帰った。そして、一夜明かしたあと、彼女の墓へと向かった。
布団の中にいたので見送りなどはしなかったが、恵も津美紀も学校へと向かったのは知っている。わざわざ大声で聞こえるように「いってきます」と言われたので返事だけはした。
二人を彼女の墓に連れてこようとは思わない。甚爾は彼女のことを子ども達に話したことが無い。わざわざ話すことはないし、思い出したくなかったから当たり前だ。それなのに突然連れてこられても困るだろう。
だから、甚爾は心の整理ができないまま一人で墓参りに来た。花なんて気の利く物を買う気にもなれなくて、手ぶらで何よりも大切であった彼女の墓標の前に立つ。ヒモとしては失格だ、女の喜びそうな事ができていないのだから。
「恵をお願いね、だったな。俺はその約束を守れているか?」
現状が甚爾の精一杯だ、十分だろう。これ以上を自分のような人間に求められても困る。もう、彼女の声も匂いも思い出せないが、その約束だけが甚爾を生かし続けている。だから、何もかもがどうでも良くて、それでもくだらない自尊心のために死んだ前回とは違って、甚爾は今も生きて家族の傍にいる。
しばらく、無言で手を合わせた後、甚爾は墓標に刻まれた名前をそっとなぞって別れの言葉を口にした。そして、ふと今日は生姜焼きでも作るかと思った。恵の好物だ、彼女が今も居たならきっと息子のためにたくさん作っていたのだろう。
心の中の彼女の面影が、どうしようもなく甚爾の行動を縛る。いい父親にはなれないが、きっと自分は約束を守れているだろう。薄い笑みを浮かべて甚爾は墓地を後にした。
───彼女と最後に交わした、たった一つの約束すら守れなかった自分自身を呪う、そんな気持ちが少しずつ薄れていくような気がした。
日常回終了です。
本誌のつみきサン、色々と嫌な予感しかしないのでさっさと書きあげたい。この話における彼女はただのいい子ちゃんです。彼女の内面を深く見れる人はいないので。