EX スコッチとグラ子と日常の一コマと
「これを飲んでほしい」
私はスコッチに手の中のフラスコを押し付けた。
フラスコの中身は透き通った緑色の液体だ。
鼻を衝く強烈な異臭は酸味を帯びているが、飲んでみればそれが酸っぱくも甘くもないことがわかるだろう。
ねっとりとした見た目に反してのどの通りは悪くない。
後味にはえぐみとしつこさが混ざり合って大変不快な思いをさせられるが、そもそもこれは常用するようなものではない。
「えーっと、なんだ。その……薬?薬でいいんだよな。それを俺に飲めって……マジか」
「死にはしない」
「いいか、死ななきゃなんでもいいっていうのは大きな間違いだからな。この前お前が作った酒だけどな、たしかに美味かった。けどそのあと一週間は何食べてもポテトチップスの味しかしなかったんだけどな。覚えてるか?」
「味噌バター味ポテチになったのは失敗だった。本当はうすしおにするはずだった」
「ポテチを主食にするのを禁止にしたのは一か月前だったか。あれはな、お前の健康が心配だったから約束したんだ。三食全部ポテチなんて育ちざかりの子供に良いわけないからな。でもだからって食べ物の味全部をポテチに変えなくったっていいだろ!」
「あなたの男飯はスパゲッティしかレパートリーがない。大して変わらない」
「これから増える予定なんだよ!」
一週間前のことを根に持っているらしいスコッチ。
彼に渡したのは「道具作成」スキルで作り出した魔術的な酒である。
アサシン・セミラミスの「道具作成」スキルは基本的に毒しか作り出せないのだが、薬と毒はコインの裏表。解釈の違いでしかない。
摂取しすぎれば毒としても機能するかもしれないが、基本的には人体に無害な薬酒だ。
効果はシンプルに”何を食べてもポテチ味に感じられるようになる”というもの。
スコッチはここに来てからというもの私の食生活に心配しきりだった。
朝、ポテチ。昼、ポテチ。夜、ポテチとハンバーガー。
まあ、栄養が偏っていることは確かだ。
しかし私は一般的な人間とは大きく生態が異なっている。
私はハイ・サーヴァントが受肉したものだが、普通の人間のように各臓器が体の中にあるわけではない。
人間の肉体と高濃度の魔力が混ざったエーテル塊のような何かが人の形をとり、超高位の魂がそれを動かしている仕組みだ。
言ってしまえば肉だんご。栄養がどうとか、何も関係がない魔力生命体である。
だったら好きなものを食べて食べて食べまくるのみ!
三食ポテチの何が悪い。永遠に飽きの来ない至高の味。会社ごと買い取っても悔いはない理想の食品。
触感は歯触り良く噛むとパリッと心地よい音がする。
一袋の大きさもちょうどいい。手についた塩も甘美なものだ。
誉める言葉は数あるが、ここは割愛しておこう。
その極上の食品に対して異を唱えたのがスコッチである。
脂分が多すぎる、各種ビタミンが足りない。
そこから自炊に移行するのはいいとしよう。彼だって元は人間なのだから三食ポテチはいやだろう。
しかし延々パスタとサラダじゃそう大して変わりないだろうに。
ならいっそ全部ポテチ味にしてしまえば栄養面でもクリアするし、私も満足だったのだが。
何がいけなかったのだろう。
「ともかく、あれで俺は懲りたからな。お前の作るものはファンタジー100%だ。寝てる人間の首を斬ろうとするノコギリとか、振るとビームが出る剣とか。お前から何かを受け取るときは全部効能を聞いてからと決めたんだ」
「死んでしまうようなものは作っていない」
「いや、ノコギリはあからさまな悪意があっただろ」
「ノコギリを作ったことはないが」
「えっ」
一瞬の沈黙。
彼はなんだか覚えのないものを持ち込んでしまったらしい。
顔を青くするスコッチを目の前に、私は一度空中庭園内のチェックをする必要があるなと考えていた。
何はともあれ、スコッチはてこでも効果を知るまでこれを飲む気はないようだ。
プラシーボ効果のこともあるから、なんの事前知識もない状態で実験を行いたかったのだが、こうなっては仕方がない。
私は気を取り直したスコッチを研究室にある粗末なイスに座らせ、フラスコを実験台の上に置いた。
霊薬の詳しい説明を所望しているようだし、ならば説明しようではないか。
「あなたは『ジキル博士とハイド氏』を知っているか」
「あー、二重人格の主人公が出てくる昔の小説だよな」
「是。小説家ロバート・ルイス・スティーブンソンの代表作。ヴィクトリア朝イギリスを舞台にした推理小説」
人類の幸せのため、主人公ジキル博士は人間の悪の心と善の心を切り離す薬を開発する。
しかしその薬の人体実験は上層部より却下されたため、やむなく彼は自分自身を用いて薬の実験をすることになる。
それが不幸の始まりだった。
薬によって切り離された悪の心ハイド氏は次第に力を増していく。
ハイド氏は殺人を繰り返し、ジキル博士は引き返せない場所まで追い詰められていくこととなった。
おおかたそんな話だ。
フラスコの中の霊薬が不気味な色合いで揺れている。
各種実験道具がうずたかく詰まれたここのなかでも、この霊薬は最高位の魔術階梯を誇る。
『ジキル博士とハイド氏』は小説だ。現実に起こったことではない。
しかし、幻想を結んで力と成すのが魔術であり、空想を制御して熾天に至るのが宝具である。
「故にこれこそがその神秘の霊薬。服用した人間の悪性を凝縮、固定化して第二の人格を構築する秘薬。科学と錬金術と時の運が混ざり合って完成した奇跡の産物。『
「おいおい……」
アサシン・ヘンリージキル&ハイドの宝具、『
サーヴァント・アサシン全ての能力を持つ私なら、もちろん持っている宝具の一つである。
ゲーム内ではジキルからハイドへ、ハイドからジキルへの人格の入れ替えを可能としたものだったが、実はそれだけではなくいくつかのスキル付与の効果も持っている。
ちなみに、スコッチの前に置いたそれは劣化複製品であるため宝具そのもの程の効果はない。
「いや、なんてもん飲ませようとしてるんだ。普通にヤバい薬じゃないか」
「依存性は少ししかない」
「無いとは言わないんだな……相変わらず妙なところで正直だよな。でも余計にダメだろ。原作からして転落人生の引き金になってるぞ」
「私は問題なかった」
「……!?!? え、ちょ、飲んだのか!?おい、ほんとに大丈夫なのかグラス!」
「問題ない」
実につまらない結果だった。
元々私は宝具「
薬を服用すると、その100の人格のうちとくに悪趣味な一人が強制的に表に固定され、しばらくの間入れ替えが不可能になった。
時間にして1時間程度だろう。
加えて「狂化:C」「怪力:B」「自己改造:D」が付与された。
私は怪力などの混合スキル「鬼種の魔:A」を保持しているため「怪力」スキルは無意味。
「自己改造」も呪腕のハサンがCランクで持っている。
唯一の狂化は「女神の神核:EX」「信仰の加護:A+++」「透化:B+」の三連打で無効化されてしまった。
人格も固定はされたものの「
つまり、後味がとても悪い液体をただ飲み干しただけ、という結果に終わったのだ。
つ、つまらない……実につまらない……。
せっかくの宝具なのにあんまりだ。不味い液体を出す能力なんてはたして宝具と言えるのか。
「よって、あなたも飲むべきだ。私が飲んでもまったく意味がない」
「その理論はおかしい」
スコッチは真顔で答えた。
霊薬を押し返し、かたくなに口を噤んでいる。
決意は硬いようだ。
「だいたい、悪の心を一つの人格にしちゃったらホントにスコッチになっちゃうだろ。二重人格の潜入捜査官なんて笑えないぞ」
「他人から見れば似たようなもの。スコッチモードで笑いながら敵を撃つ姿はまさに二重人格」
「スパイのたしなみだよ。あれはあくまで自分で操作するんだ。仮面に振り回されるなんて三流以下だぞ」
「そのたしなみをこそ望んでいる。下地として自己の操作能力を持つ人間ならば、この薬の効果も制御しきれる可能性がある」
「あー、そういうことか」
スコッチは困ったように額に手を当ててため息をついた。
ちなみに、これは理由の一つでしかない。
霊薬の効果を制御するしないは確かに重要だ。
「怪力」スキルはあらゆるところでパラメーターの底上げに役立つし、「自己改造」があれば私の魔術的介入を被験者自身の手で良い方向に操作できる可能性が増える。
緊急時のために一つ渡しておけば窮地を脱出する手段にもなりえるだろう。
しかし、実のところそんなものどうだってよかったりする。
「
「スパイ組の二重人格って激萌えだよね」と。
いや、私に多重人格萌えの属性はないけど。でもまあ、一つの選択肢としてはアリかなって。
やはり霊薬は罪深い。人を堕落させる効果がある。
Bさんは実に悪趣味で、闇堕ちとかヤンデレとかメリーバッドエンドとかが大好物なのだ。
闇堕ちはいいぞーメリバは至高だぞーと四六時中脳内で布教されてはさすがの私といえど興味を持たざるを得ない。
だから初めからそういう属性があったわけではない。ほんとだ。ほんと。
手近なところでスコッチが飲んでくれればそれでよかったのだが、彼は困ってはいるものの飲んでみようとまではいかない様子だ。
緑色の霊薬を前にうんうんと唸っている。
仕方がない。次点の提案をしてみよう。
「では、バーボンに飲ませてみるのはどうだろうか」
「へ、俺じゃなくてか」
「潜入捜査官ならばだれでも構わない。自分を偽る技能に長けた人間ならば実験対象足りうる」
「……俺、バーボンが捜査官だなんて一言も教えてないんだけどな。まあお前ほど意味わかんない情報収集能力があれば隠しても無駄だろうけど」
「バーボン、降谷零。警察庁警備局警備企画課。実家は東都〇〇区××町△△△」
「えっ、あいつの家そんなところにあったのか。今度行ってみないか? 小学校の頃の面白エピソードとか親から聞き出してさ」
「あなたこそ無慈悲」
スコッチが流れるように恐怖の計画を立てるのを聞きながら、私は霊薬を棚に戻した。
いや、本当に恐怖の計画だなスコッチさん。
親って言うものは子供について聞かれると実に口が軽くてな。おもらしはいつまで続いたとかそういうゴシップを平気で漏らすのだ。
結果的に自分自身より周りの友人の方が幼少期の私に詳しくなり、あげく何かあるたび「あっ(察し)」とかって訳知り顔になる。
まさかそんな恐怖を自ら引き起こそうとするとは、スコッチさんはまこと無慈悲よの。
まぁ、スコッチが飲まないというのなら今日明日での実験は難しい。
だれに飲ませるにしろ多少の準備が必要になるだろう。
「なんにせよ零に飲ませるのは止めた方がいいな。やるならライの方だ」
「何故? 理由を問う」
「バーボンを演じてる時点であれだけ面倒な性格ができるんだぞ。ホントに二重人格になったら黒の組織から独立して一組織立ち上げちゃったりしないか? 下手をしたら日本にヤバめの組織がもうひとつ爆誕しちゃわないか?」
「……否定はしない。彼は怖ろしい」
「だろ? 根は真面目なやつだけど、素養はあると思うんだよなぁ」
言われてみればその通りだ。
バーボンの立ち振る舞い、凄みのある笑顔、油断ならない言動は裏社会のトップをやっていくのに余りある能力を感じさせる。
私なら物理的にどうこうできるが、それと怖いのは別問題。怖いものはどんなサイズだろうと怖いのだ。
でも怖いもの見たさという言葉もある。
裏社会に君臨する元公安のスパイバーボンとか実に美味しそうな設定ではないだろうか。
蟻地獄のような悪辣な組織形態を構築しそうな気配すらあるが、機会があれば見てみたい。
薄暗い執務室で高級な椅子に座り、嘲笑を浮かべながら部下に指示を飛ばすバーボン……とか実に雰囲気が出るな。
あっ、これ以上考えると本当にやってみたくなってしまう。
「では、ライは問題ないのだろうか」
「あいつは最悪でもジンが二人に増えるぐらいで済むから大丈夫だ」
「ジンが二人に増えるのはなにも大丈夫ではないのでは」
スコッチがあっけらかんと言う。
いやいやいや、ジンが2人って普通に悪夢ではないだろうか。
ジンは人間としてはとてつもない優秀さを秘めた人材である。
戦闘、謀略、情報収集、集団指揮と各方面に渡って高水準にまとまった能力を持ち、何を任せても失敗がない。
その分専門家には一歩劣るが、オールラウンダーとしては極地に至っているだろう。
派手好きなのが珠に瑕だが、それもまたチャームポイントというやつだ。
彼の任務にこっそり着いていき、バレないように派手さを3倍に増やすのが最近の趣味になっている。
この前の爆発騒ぎは本来ただ炎上させるのが目的だったようだが、私が芸術的な発破解体に変えてやった。
内側に折りたたまれるように高層ビルが崩壊するのは見物だったな。ウォッカはジンの隣で呆然と突っ立ってたし、ジンはジンで「おい、どういうことだ」って呟いていた。
スコッチは研究室の脇にあったパイプ椅子に座り、足を組んでこちらを見た。
胸ポケットに手をやってタバコを取り出そうとしたが、私をチラリと見て中断する。
「根本的に一匹狼の仕事人ってことだ。上に立って指揮するやつじゃない。個人が相手ならいくらでもやりようがあるからな。本当に怖ろしいのは組織の力ってな。一人でできることなんてたかが知れているよ」
それは実に説得力のある言葉だった。
今まで、きっと数々の無力さを痛感して来たのだろう。
スパイは常に個人の高い能力と判断力を求められる。
組織に所属するとはいえ、連絡を取る手段が限られる以上信じられるのは最終的には自分のみ。
そんな状態で強大巨大な闇を相手にするのだ。己の無力さに歯噛みしたのは数しれないはずだ。
私は少しだけ目を細めて彼の変わらない表情を見やる。
「なるほど、一家言ある」
「一人で一国家並みの力があるお前に言っても何の説得力もないけどな! この前の内戦終結のニュース、絶対お前が関わっただろ。超巨大な蛇の化け物が国中の空を覆いつくしたって言ってたぞ」
「道にいた少年がでっかい蛇を見たいと言ったから出しただけ。ちょうどポテチが欲しかったし、仕方がない」
「またポテチか!ポテチは止めなさいって言ってるでしょお母さん怒るわよ!」
「オカン属性はさすがに予想外」
「専業主夫なんだから予想外でもなんでもないだろ。そろそろエプロンでも付けてみるかな。あ、今日はロールキャベツに挑戦する予定だからよろしくな」
スコッチは話は終わりとばかりに立ち上がった。
もう時刻は夕方だ。
最近料理本を買い始めた彼は、また新たなメニューに挑戦するらしい。
私はそれに少々の期待を込めて労りの言葉をかけた。
「楽しみにしている。ありがとう」
「いいってことよ。じゃあ、俺は調理室に行くよ。あんまり研究に熱中し過ぎて時間を忘れないようにな」
「承知した」
彼の後ろ姿がドアの向こうに消えていく。
それは穏やかな日常の一コマ。
彼を気まぐれに助けたあの日から始まった、新たなルーティーンの一場面。
ついに耐えきれなくなった私がバーボンに霊薬を一服盛るのは、それから4年後のこと。
壊滅した組織の残党を瞬く間にまとめあげ、一大勢力を築き上げたバーボン(真)は裏社会を恐怖のどん底に陥れ、最後には江戸川少年に盛大にしばき倒されて正気を取り戻すことになるのであった。