「おーい、手順はこれでいいのか、グラス?」
「是。そのままそちらの術式を起動して、そのうえで右の礼装にA-3からE-29までを掌握させるといい。これで北アメリカの霊脈異常は大体解消されるはず。それが終わったら次は日本に移るべきだろう。ロシアは対象地域が人のいない不毛の地であるため後回しだ」
場所は空中庭園。
SFっぽいパネルを操作するスコッチさんを横目で見ながら私はせっせと銀のナイフで魔術式を刻んでいる。
「おっけ。ヴェスパニアの方は大丈夫か?」
「問題ない。キース伯爵が残った資料を用いて必死で王都周辺の霊脈暴走を鎮めているはずだ。情報規制も行っている。真エーテルの除去さえ完了すればこちらが世話する必要はないだろう」
「魔術国家は魔術国家で大変だねえ、豊富な霊脈のせいでこんな大惨事になってるわけだし。あ、宮野さんはそっちの天球儀の操作を頼む。そう、それ。G-91辺りがまだ怪しいからその辺の処置をやっといてくれ」
窓際で明美さんは初心者用にレイアウト変更した疑似トライヘルメスの端末操作ボタンをポチポチと操作中だ。
以前に使いやすいよう直感的操作のできるよう変更したのだが、こうも早く使う機会が巡ってくるとは。
スコッチの呼びかけに明美さんが険しい表情のまま頷いた。
「分かったわ。ついでにQ-11の大源汚染もやっておくけれどいいかしら?」
「おーありがとな。ところでグラス、俺、いつ寝れるの? これで徹夜六日目なんだけど……まったく終わりが見えません上官!」
「あと半月もすればハスター神の残した真エーテルも除去が完了するはず。休暇はそのあとになる」
「えっ、嘘、半月!? まじで!?」
「マジ」
「待って待って半月は死ぬ! 体はアレでも脳は自前のやつだから半月も睡眠とれないと流石に死ぬ!」
「特別にエリクシール(偽)を支給する。賢者の石製作過程でできた物なので質は一級品。飲んでいれば睡眠不足など問題にならないので、ウィダーインゼリー形式にして十秒チャージするといい」
「やった十秒の休暇が降りたよ! ……無慈悲!!! グラスの鬼ぃー悪魔ぁー!!」
さて、あれから六日が経つ。
あの後ハスター神を命がけで追い返した私は、霊基のほとんどを失ってその場で行動不能となってしまった。
なにせ体の九割が無くなるようなものだ。
いくら私と言えどまともに「私」を取り繕えるようになるまでかなりの時間を要した。
今回の元凶である旧い知り合いにまともに振る舞えるだけの魔力を分けてもらい、這う這うの体で空中庭園に戻ったのはもう深夜になろうかという頃だった。
ボロボロの私に仰天したのは明美さんだ。
どうしたのその傷、大丈夫なの、大丈夫なはず無いわよね、と怒涛の詰問タイム。
悲鳴交じりの声を聞きつけたスコッチも私の姿に言葉を失ったようだ。
そもそもの話、私が傷を負うのを彼らは見たことがない。
神秘の籠らない攻撃は私には効かないし、たとえ神秘を持つ古の礼装などを持つ人間がいたとしても私を傷つけられるような超人はいなかったからだ。
五エ門ほどの英霊級の実力者にあうのは今回が初めて。
それでも私は余裕を持ってしのぎ切ったのだから、傷を負うほどの猛者となるといかばかりの人外か。
そのため私がこれほど満身創痍で帰ってくるなど、彼らにとっては天変地異に等しい驚きを与えたことだろう。
慌てふためいた彼らによって、私はすぐさまベッドの中にぶち込まれることとなった。
パニックな二人を落ち着かせてなんとか事情説明した後は、山積みの事後処理に手を付けた。
問題はそれこそチョモランマ並みのもの。
ヴェスパニア国立コンサートホールは発狂した人間であふれかえっているし、街はハスター神に連鎖召喚されたビヤーキーに荒らされ放題。
ヴェスパニア上空の大気は真エーテルなどというとんでもない猛毒が高濃度で漂っている始末。
そうでなくとも日本、イタリア、アメリカ、ロシアをつないだ大規模な術式によって魔力汚染が世界規模で起こっている。
もう神秘の秘匿とかそれ以前の問題だ。
このままでは五年もしないうちに人類が滅亡するぞというレベルだった。
幸いなことにビヤーキーはハスター神の退散と同時に撤退したようなので、直接の被害の拡大は防ぐことができた。
しかしネットには「マジモンの人食いキメラが出た!!!【画像付き】」みたいな声で大炎上していたし、地震でも起きたのかというヴェスパニア王都の惨状はすぐに各国に伝わってトップニュースとなった。
食いちぎられた跡が残る負傷者の山にすぐさま海外救援部隊が駆け付け、ヴェスパニアはあっというまに被災地の様相を呈していった。
大惨事としか言いようのない今回の結末だが、結局私たちが神秘の秘匿をせずとも世論は神秘の容認には至らなかった。
ハスター神の真エーテルによって黄色に染まった空は学者たちの興味の的だったようだが、現在のところ異常気象という結論以外は有力視されていない。
ビヤーキーも独自の恒星間飛行能力によって撤退したため、存在した証拠がほとんど残らなかった。
各国コンサートホールで魔力汚染に倒れる人も多く出たが、現代医学で原因を特定するには至らない。
メディアも初めのうちこそセンセーショナルな報道をしていたのだが、落ち着いてくるにつれて「異常気象が原因」「集団幻覚の疑い」「国立ガス研究所、ガス漏れの可能性か」などと論調を変えていった。
あとはそれを後押しするように自家製トライヘルメスで情報操作をすれば大して手間もかからず話題は下火となった。
スコッチと明美さんの二人に処理を指示する現在、私はベッドの上の住人である。
あと一週間もすれば立ち上がれるようになるだろう。
ヴェスパニアの魔力をちょろまかして空中庭園もなんとか稼働を続けている。
身の回りの世話なら、二人に任せずとも魔力を工面して昔作った竜牙兵にやらせればいいことだしね。
暇を見つけてはお粥やスープなどを持ってくるスコッチだが、いったいどうやって時間を捻出しているのだろうか。
常人なら3人分かという仕事量のはずだが、やはりブランクこそあれ公安のスパイというところか。
明美さんもこまめに水差しを持ってきてくれて、もう頭が上がらないとはこのことだ。
「ねえグラちゃん。本当に大丈夫なの?」
礼装である天球儀を操作しながら明美さんがこちらを振り返る。
その顔はぬぐいきれない心配の気持ちに覆われていて、私はどうにも落ち着かない気持である。
「大丈夫、心配ない。私の強さはあなたも知っているはず」
「でも貴女、やっぱり帰ってきてから変よ」
「……変、とは」
「上手くは言えないわ。でも、調子が悪いの隠してない? いつにも増して貴女のことが分からないし、言葉にするのは難しいけどどこかいつもと違うわ……本当のことを言って。私は貴女が心配なのよ」
「…………」
私は無言を貫くしかなかった。
まだ取り繕いきれていないのだろうか。人間らしく振舞えていないのだろうか。
この六年、化け物と呼ばれることは慣れ切っていた。
アサシン総乗せなんてチートな力でもって裏社会に名をはせているのだ。それも当然のこと。人間的に言ってそんなの人外扱いされて当然である。
権力者をひとり亡き者にするたび、人々は恐怖におののく。
私という脅威を理解して正しく警戒し、恐怖し、それが人間であることに畏れを抱く。
それは私にとってなんら辛いことではなかった。
なぜなら、私を脅威という形であれ確かに「理解できるもの」として認識していたからだ。
理解しあえるなら、それは私も人間であると言えるのだ。
クトゥルフの神は――人間には理解できない。
理解できないのは、きっと真に化け物であることの始まりだ。
私は常時「情報抹消:B」を展開しており、そのため私に近寄り親しみ友人となる人間はとても少ない。
「情報抹消」は暗殺者としては便利だが、私人としては不便極まりないスキルであることに違いない。
それでも展開し続けるのは、私が実のところとても臆病であるため。
だってそうだろう。
親しい友人から「貴女のことが分からない」なんて。
そんな、そんな恐ろしいことを言われたらと思うと、怖くて怖くて友人なんて作れるはずもないだろうに。
布団の下で拳を握り、湧き上がる恐怖を悟られないように努力する。
まったく私は臆病だ。
こんなに親身になっている人を相手に、見捨てられる不安に震えているのだから始末に負えない。
転生者なんて楽観的なお人好しだと相場は決まっているというのに。
こんなザマでは転生オリ主の名が廃る。
明るく楽しく、前世の事など気にもとめずに今世のチートを謳歌する。
それこそが転生という幸運にありつけた私の振る舞いであるべきだろう。
精一杯人間らしく、安心させるよう感情を言葉に乗せて明美さんに返事をする。
私の強がりがバレないように、私の本性がバレないように。
「――――心配ない。今はただ疲れているだけで、じきに元の調子に戻るのだから。あなたが心配するようなことは無い。なにも、なにも」
*****
コナンは阿笠邸のソファに腰掛けながら知らず深い息をついていた。
「…………」
アレはたしかに幻覚ではなかった。妄想ではなかった。
テレビで報道されているような化学薬品散布テロによる集団幻覚などでは断じてなかった。
あの日、コナンができたことなど極わずかだった。
ルパン三世に背負われながらメガネの望遠機能を用いて辺りを調べ、逃げられるルートを模索するだけ。
一発分しかないサッカーボールでは群れを成して街へ降り立つ化け物たちにはほとんど意味がなかったし、麻酔銃もとうの昔に残弾切れだ。
いち早く市外へと逃れられたおかげで直接あの化け物に襲われることはなかったが、それはコナンにとって幸運でもなんでもなかった。
一晩経って戻った街は見るに堪えないものと成り果てていた。
民家の入り口は破壊され、路地には惨たらしく噛み砕かれた人の死骸ばかり。
きっと己は真実にほど近いところにいて、立ち振る舞いによってはこの惨事を止められたのかもしれない。
それができなかった己のなんとみじめなことか、無力なことか。
「ちょっと、辛気臭いわよ。いい加減」
「うっせ。蘭の前ではこんな顔できねーんだから、ここでぐらい好きにさせてくれ」
「蘭さん、覚えてないんでしょ」
「……ああ、まったくな。それが余計に分かんねーよ。あの場に居たのは俺以外にも沢山いたってのに、誰ひとりあの化け物のことを覚えてないなんて。やっぱ幻覚だったのかなぁ……絶対現実だろあんなの。……あーもう!!」
頭をぐしゃぐしゃにかいてコナンは首を振った。
どっちにしろ自分ひとりで考えていたところで答えが出る話ではない。
置きっぱなしでぬるくなってしまったアイスコーヒーを一気に飲み干してスマホを取り出す。
「彼女へメールでも送るつもり?」
「グラスホッパーにならもうとっくに送ってるっつーの。返信が来てないか確認してんだよ」
「いくら見てもすぐに来るものじゃないわよ。……あと、そのスマホ本当にセキュリティだけはしっかりしておきなさいよ。暗殺者グラスホッパー直通のメールアドレスなんて、それだけで小国の国家予算並みの価値があるんだから。組織と関係ないところで私まで巻き添えはごめんだわ」
「それに関しては問題ないってさ。グラスホッパーが俺のスマホに特製のセキュリティを組み込んでいったから、大抵の傍受・ハッキングは通用しないって話だ」
「前はそんなこと言ってなかったじゃない。いつ聞いたのよ」
「安室さんが自白した。あの人、グラスホッパーの情報を得るためならなんだってやるし」
「……もう狙われ済みってわけね」
灰原は呆れたような声で嘆息した。
つい先日、新一の方のスマホに突如ドでかいポップアップが表示されたのだ。
内容は以下の通り。
<トライヘルメスより通達:江戸川コナンのスマートフォンがハッキングされました。対象の技術脅威度をⅢと判断。情報逆算により、対象の私的電子機器を8台を確認しました。現在対象の全データはロックされています。詳細を表示しますか?>
あまりに突然だったのでコナンも驚いたが、その後すぐに安室がコナンのスマホをハッキングしたことを自白したので一安心つくことができた。
安室としても数少ないグラスホッパーの情報を得るために藁をもつかむ思いだったらしい。
稀代の暗殺者については公安でも最大の警戒対象だ。
国際情勢にすら影響を及ぼす「山の翁」の名は伊達ではない。
その情報を少しでも得られたらという上層部の思惑もあり、安室はコナンのスマホのハッキングを実行した。
結局、逆に降谷名義を含めた仕事用のデータを逆にハッキングされてしまい七転八倒の事態に陥ったようだが。
公安の機密を含む全データを人質に自白を促すメッセージが表示され、どうにも進退窮まったあげくのコナンへの罪の告白だったらしい。
上層部の狂騒も相当だったが、さらっと安室が公安所属なこともグラスホッパー側に知られていた事実を知り安室はずいぶんと萎れていた。
現在の安室はエミリオのコンサート会場地下で行われていた大規模な裏取引にかかりっきりでなかなか連絡がつかないが、彼もグラスホッパーへコンタクトを取ろうと独自に動いていると聞いている。
あの日、グラスホッパーと別れてからもう2週間が経つ。
知らされていたセーフハウスに帰ってきた形跡はなく、メールも電話も連絡がつかない。
彼女のことだから生きてはいるだろうが、やはり不安なものは不安だ。
あの日のヴェスパニアでいったい何が起こっていたのか、グラスホッパーはそれとどう関わっていたのか、あの化け物は何だったのか。
聞きたいこと知りたいことだけが溜まっていきどうにも憂鬱な二週間だった。
安室と赤井は裏取引を主催したルチアーノ・カルネヴァーレの捜索を続けているようだが、あまり順調とは言い難いようだ。
ヴェスパニアの事件とほぼ同時に起きた「ガス漏れ事故」によってコンサート会場地下にいた捜査官のほとんどが病院に運ばれてしまい、捜査は慢性的な人手不足。
安室も赤井もたまたま現場とは別の場所にいたため難を逃れたが、無事な分大量の仕事に忙殺されていた。
安室いわく、ついFBIがいいところのように思えるほどこっちは人手不足、とのこと。
黒の組織だけが闇にうごめく巨悪なわけではない。
そのことを実感し、コナンはままならなさにもう一度大きく息をつくのだった。
*****
スコッチはカタリ、とトライヘルメスに繋がる端末をテーブルに置いた。
「……やっぱ反則だよなぁ、これ。俺がどれだけ頑張っても見つけられなかったことが一秒かからず表示されるとか、反則すぎだろ」
画面に表示されている情報を脳に刻み込みながらスコッチはブツブツと愚痴をこぼす。
グラスホッパーに保護されてからもう一年半が経つ。
その間ずっとスコッチは独自に調査を続けていたが、どんなに調べようと核心へとはいたれなかった。
一人という人数的なハンデはあったが、それでもこれはスコッチの、公安の不始末だ。
なんの関係もないグラスホッパーの手を借りるというのも自分たちの無能を感じるようで控えていたが、もうそう言って意地を張るのも限界だ。
壁に背を凭れて今では遠い友を想う。
「……零」
一年と半年前、スコッチは公安所属のスパイとして黒の組織に命を狙われた。
幸運にも何もわからないまま捕えられることはなく、さらに望外の奇跡によってグラスホッパーに命を救われた。
スコッチは死を偽装され、公安にも組織にも生存を知られることなくここまでゆっくりとやってくることができた。
それでも、いや、それだからこそ問題が浮かび上がる。
スコッチはなぜ自分の正体が組織側に知られたのか知らなかったのだ。
自分のミスではなく、公安側からも情報の出所がわからず、スコッチの十重二十重とめぐらされた偽装の経歴が暴かれた形跡もない。
それでは困る。
なにせ公安のスパイはスコッチのほかにもう一人いる。
降谷零。スコッチの親友にして幼馴染、優秀な警備企画課の警察官。
己だけならまだしも、もし降谷まで同じように突如として正体が知られてしまったらと思うとスコッチは不安でならなかった。
空中庭園の仕事はじつにゆったりとしている。
掃除、洗濯、その他家事。不真面目な主婦程度の暇ならいくらでも作ることが可能だ。
地上へ自由に降りる権利も与えられていたため、スコッチは合間を縫って当時のことをずっと調べてきた。
そこに記された情報を記憶に刻み終え、スコッチは端末の情報を消去した。
暗いディスプレイが残像も残さず沈黙する。
「…………イージス護衛艦『ほたか』の体験航海、ね」
そこに、スコッチを陥れた真犯人は現れる。
ついでにここの所ふさぎ込みがちなグラスを気分転換につれていこうか、とスコッチは少しだけいたずらげに笑った。
TIPS
・アザトース
盲目白痴の神にしてビックバンの擬人化。クトゥルフ神話の最高神格。
普段は究極の混沌の中心にあるという宮殿で踊ったり微睡んだりしている。
また、アザトース信仰というのはめちゃくちゃマイナーであり「シャッガイからの昆虫」という鳩ぐらいの大きさの昆虫種族ぐらいしか信者はいない。というのも、盲目白痴の神ととか祈っても意味無いから。
地球では2000万年前ぐらいに存在したグノフケー族という爬虫類系の種族が唯一崇拝していたようだ。
グノフケー族はアラビア砂漠にかの有名な「無名都市」を建設して今も生き残りが細々と生きているようなので、グラ子的にはアラビア砂漠には行きたくないとのこと。